
ヴァルターの指に自動的にはまった指輪は少し高そうではあるが、普通の装飾品に見える。
これがグリモワールだとは、言われなければ気付かないだろう。
指輪の中心には赤い宝石が輝いている。
パッと見ではルビーのようだ。
「案外普通のアクセサリーなんだね」
じっと見ながらそう言うと、アロイスはくすくすと笑った。
「それは当然だよ。そう見えるように創ってあるんだ」
「そうなの?」
「そうだよ」
アロイスはネクタイを外した。
すると、チャリっとグリモワールが揺れた。
そして気づいた。
「それってネクタイピンじゃないの?」
「うん」
ネクタイに絡み合うようにつけてあったから気付かなかったが、結構鎖は長い。
どう見ても首飾りだった。
「なんでネクタイに?」
「ヴァルター君みたいに指輪なら問題ないんだけど、こういう首飾りだとふらふら動くでしょ?」
「そうだね」
「特にこれ、鎖長いし」
「うん」
「グリモワールは武器。いつでも起動するのに余裕があるわけじゃない。突然使わなければならない時もある。そういう時にね、素早く起動できなければ自身を危険に晒すことになるんだよ」
そして理解する。
いつも重い剣を腰に佩いていたが、それがない。
前なら敵を見つけたら剣を抜けばそれで良かった。
だがグリモワールはそうはいかない。
起動させなければいけない。
その分、普通の剣を振り回すよりも初撃が遅れることになる。
攻撃の時はまだいい。
問題は敵の攻撃を防御する時だ。
「グリモワールは直接手に触れていなければ起動できない。指輪はそのまま起動言語を紡げば大丈夫だけど、首飾りはそうはいかない。だから、すぐに触れて起動できるようにネクタイに結び付けてるんだよ」
アロイスはシャツの襟を立ててネクタイを元に戻している。
そして手慣れた様子でネクタイと首飾りを一体化させた。
よく見ると、蝶結びのネクタイの所々に細い銀色の鎖が見え隠れしている。
「こうしておけば動かないからすぐに使える」
確かにそのまま首飾りにしていては服の下に隠れてしまったりして素早く使えないだろう。
ヴァルターはじっと自身のグリモワールを見た。
そういう話を聞くと、自分のこの指輪の形のグリモワールは使い勝手は良さそうだ。
だが、そこで疑問が湧いた。
「なら全部指輪でいいんじゃ――」
それを聞いた途端、微妙な顔をした。
「……人によっては腕輪が良い、耳飾りが良い……他にもいろいろ嗜好が違うから一概にそれが良いとは言えないよ」
それもそうだ。
「ん? でも、形決まってるんだよね?」
それなら個人の嗜好は関係ないのでは、と首をかしげる。
「ああ、一度決まるとずっとその姿だから仕様書にはそう書いてあるけど、基本的に使用者が楽な姿になるんだよ」
「それって――」
「ヴァルター君の場合、それが一番楽な姿だったというわけだ」
確かに楽だ。
わざわざアロイスのようにグリモワールに触れる必要はない。
いつでもグリモワールに直接触れていられるのだから。
「魔法を使わない……グリモワールを武器として使う人たちは大抵ヴァルター君のように指輪か腕輪の形になることが多いね」
すぐに起動できるからその方が便利だ。
皆、考えることは一緒らしい。
「じゃあ魔術師たちは違うんだ?」
「うん。魔法師は戦わないから、すぐに起動できる必要はない。魔術師も、基本的に後方で攻撃するから平気。魔導師は……人によるかな」
「そうなんだ……」
「まぁ、魔法師も魔術師も……魔導師だって精神系のグリモワールを持つ人が多いからすぐに起動できなくても問題ないんだよね」
……アロイスが呟いた言葉にヴァルターは首をひねる。
「精神系?」
「グリモワールはその性質上三種類に分別される」
「それの一つが精神系?」
「そう」
満足げに頷くアロイス。
ヴァルターは若干知識が足りないようだが馬鹿ではないようだ。
ちゃんと話せば理解もする。
「ボクやヴァルター君が持っているのは物理系=B精霊の力を付加した属性武器。見たまま、直接攻撃に長けているよ」
グリモワールを武器として使うものはほとんどこの形だ。
「魔法を扱うものは大抵精神系=B直接攻撃じゃなくて、魔法の力を直接叩き込むのに長けているよ。杖とか錫杖とかの姿をしてることが多いかな」
魔術師や魔導師は基本的に武器を振り回したりしないらしい。
「もう一つ、障壁系≠ニいうのがある。精霊の力で防御結界などを担う補助系の道具だね。基本的に直接戦闘には参加しない、完全後方支援型かな〜。街で結界張ってるだけの人たちが使ってるよ。防具の姿をしてることが多いかな」
「へぇ〜」
一口にグリモワールといっても用途によって違いがあるようだ。
そこで疑問が湧く。
「…………ロイは、物理系だよね?」
「うん。どこからどう見ても物理系でしょ?」
言われて思い出す。
長い柄、紫色の半透明の大きな鎌――
直接ぶった斬ることに長けた形――
間違いなく物理系だ。
それ以外にない。
それはわかっている。
聞きたいのはそこではない。
「ロイは、魔導師だよね」
「うん。魔導陣、使ってるの見たでしょ?」
確かに見た。
若干規格外な使用方法ではあったが、確かに使っていた。
「――なんで、物理系?」
素朴な疑問だった。
アロイスは魔導師だ。
精神系で良いのではないだろうか?
そんなことを思っているのが通じたのか、アロイスは微笑んだ。
「ボクが武器を振り回すのは、変?」
「え……あぁ……………………」
そう言われて困った。
アロイスはどこからどう見ても貴族だ。
服装からしてそう。
「…………少なくとも、率先して戦うようには見えないかな――」
カラ笑いをする。
「そう?」
自身の姿を改めて見るアロイス。
アロイスが武器を振り回しているのには、違和感を禁じ得ない。
だが、アロイスにはそういう意識はないらしい。
やはり変わっている。
アロイスはハイエルフの中でもかなり変わった存在なのではないだろうか?
短い時間だったが、ヴァルターはアロイスについてそう判断した。
それもあながち間違いではないだろう。
アロイスは、確かに、普通では、ない。
それを真の意味で理解するのはかなり後になるだろうが……
「身体を動かすのは良いことだと思うけど?」
そう言われて微妙な顔をするヴァルター。
確かに、アロイスは強い。
おそらく差しで勝負した場合、ヴァルターは負けるだろう。
それほど、アロイスの動きは洗練されたものがあった。
それでも、アロイスはハイエルフだ。
率先して戦う必要はないように思える。
それにグリモワールを商品と言った。
膨大な数のグリモワールを売る、商人。
何故、わざわざ自分の手で?
考えても詮無い事はわかっているが、どうしてもそう思ってしまう。
「ふふ……ボクにもいろいろ、都合、というものがあるんだよ?」
「ええと……ゴメン」
なんとなく踏み込んではいけないものを感じたヴァルターは反射的に謝っていた。
「キミがボクに謝る必要は全くないよ。これは勝手なボクの都合。そして、気になるのは人間の性。別に怒ったり気分を害したりなんてしないよ? ボクは人間でいえば老人にあたる年齢だしね〜」
この見た目で忘れがちだが、彼はヴァルターの三倍は生きている。
何を言われても聞き流せるほど大人なのだろう。
「さ、そろそろ出よう。これ以上ここにいる必要もないしね」
そう言ってアロイスは壁に向かって指を差した。
よく見るとユラユラと揺らめいている。
「ひょっとして、さっきの入口?」
「そ。ここを通れば宿の部屋だよ」
そこにあるのは壁だ。間違いなく、壁だ。
魔導陣さえ描かれていない壁だ。
ただの壁に見えるので若干抵抗を感じるが、アロイスは平然と通り抜けてしまった。
慣れているのだろう。
若干強張った顔をペシンと叩いてから、ヴァルターも後に続いた。