クリストの中では船というと木で出来た木造の帆船だった。
 だが、今、目の前にあるのはその常識を打ち破るようなものだった。
 呆然としてその物体を見る。
 その様子にクラウスが不思議そうに声をかける。
「クリスト、どうかしたのか?」
 だが、クリストはその声が耳に入ったのかそうでないのか……
 ぼそりと一言――
「鉄が浮いてる」
 その言葉に驚いたのはクラウスの方だった。
「は?」
 その驚いた声にはっとしてクラウスの方を見るクリスト。
「船だぞ」
 その言葉にクリストは眉を寄せた。
「……あれが?」
 クラウスはクリストの中の船のイメージがどんなものなのか物凄く気になった。
 だが、その疑問はすぐに本人の言葉によって氷解した。
「木造帆船じゃないのに?」
   ――今時帆船はねーだろ。


 クラウスは速攻でそう思ったが口には出さなかった。
 大体、帆船なんかだったら三日で着くところが二週間近くはかかってしまう。



 それに帆船が走っていたのはもう遥か昔のことだ。
 今時帆船なんて、村でも使うかどうか……
 この科学の発達したご時世に帆船じゃないとは、一体どういうことだろうか?
 クラウスはクリストの常識力を本気で心配した。
「今のご時世、鋼のエンジン搭載型の船なんて当たり前だぞ」
「あ、あれが当たり前?」
 クリストは驚いたように船を見た。
「まあ、あれは海が凍るこの地域ならではの船、砕氷船(アイスブレーカー)だけどな」
砕氷船(アイスブレーカー)?」
 クリストが不思議そうな顔をする。
「ああ、海に出来た氷を粉砕しながら進む船だ。普通の船じゃ氷に阻まれて進むことが出来ないが、あの船は違う」
「へえ……」
 本気で知らないようだ。
「俺たちが乗るのも砕氷船(アイスブレーカー)だぞ」
 その言葉を聞いて弾かれた様にクラウスの方を見た。
「……沈みませんよね?」
   ――うわぁ、いつの時代の人間だよ。


 クラウスは迷わずそう思ったが、口には出さなかった。
 やっぱり、クリストの常識を知る為にいろいろ聞きだす必要がありそうだ。
 船に乗るときに恐る恐る近づいたり、クラウスの服の裾を握ったりしていてかなりおびえている様だった。
 平気だから、これで人は移動してるからと何度も言い聞かせてやっと平気になったぐらいだ。
 そして、クラウスはクリストに常識力を試す為いろいろ聞くことにした。
 まずは世間一般的な常識。
 クラウスはいろいろ聞き出しているうちにあることに気が付いた。
 クリストは機械というものを全く知らない。
 取り敢えず持っていた精密機械……解析用端末機(アナライズ=ターミナル)自動案内機(ナビゲーション)小型電子計算機(ノートパソコン)なんかを見せてみたが、使い方が解らない所かただの鉄の固まりにしか見えないらしく、不思議そうにいろいろな角度から見ている。
 だが、機械を全く知らないことと船が帆船だと思っている以外はいたって普通の常識力の持ち主だった。
 地理についてもかなり詳しい。ただ、多少ズレが生じているようだった。
 たとえば、技術国(ぎじゅつこく)ヨトゥンヘイムが緑の国であった頃はもう遥か昔だ。今は最先端技術を行く無機質国家。
 クリストの持っている知識は今一歩昔のモノっぽかったが、まあ、よく知っている方だ。
 特に精霊学についてはかなり詳しかった。
 余りにも詳しいものだからクラウスはつい嬉しくなってクリストと熱く語ってしまった。
 それはクリストが船酔で潰れるまで続いた。





 クリストの常識力について。
 結論から言うと、知識が古い。
 それ以外はいたって平凡。
 精霊学についての知識はかなり深く、その手の専門家と比べても大差ない。
 機械については全く知らない為、科学技術というものがわからない。
 おいおい教えていく必要がありそうだ。
 特にアスガルドにある水上宮殿グラッズヘイムは巨大な科学宮殿だ。
 当然、中はクリストがさっぱりな機能満載。
 全く解らないものに一から教えるのは苦労が伴うが致し方ない。
 だが、結局その常識をクラウスが教えることはなかった。
 仕事が忙しく、そんな暇はない。
 その為、教えたのは面倒を見てくれた神官達だった。