鬱蒼と繁る森の中。
 そこは生命力が満ち溢れていた。
 普通の森では有り得ない程に木々が生き生きと育っている。
 木の背丈も異様に高い。
 ……それなのに森の中は明るかった。
 異様な光景だった。光など差し込むはずがない場所も明るいのだ。
 まるでそこだけ世界から切り離されたかのようだ。
 それほどまでにそこは異常な程に明るく、生命力に溢れていた。
 その森には湖があった。
 湖は底が見通せる程に透き通っていた。朝陽を浴び、キラキラと光を反射している。
 そして、その湖の側には沢山の動物達が幸せそうに寄り添っていた。
 争いとは無縁の世界。
 それがまさにここだった。
 そんな動物達の楽園とも言うべき場所に異質な者がいた。
 いや、始めて一目見たときには異質に見えるだろう。
 その異質な者は一人の青年だった。
 だが、そこにいる一人の青年はよく見ると風景に完全に溶け込んでいるのだ。
 違和感を感じたのはその髪の色の所為だろう。自然界に不釣り合いな、紅の髪の色が…その髪は光を反射して宝石のように輝いている。
 青年は湖の側にある苔や蔦に絡まれた岩に腰掛けていた。その肩には小鳥が、空に差し延ばされている手にも美しい鳥がごく当たり前のように止まっている。
 動物たちは青年を恐れてはいない。いるのが当たり前のように振舞っている。いや、当たり前なのだろう。動物たちにとって、彼は敵ではない。むしろ彼が必要だと想われているようだ。
 青年は空をじっと見ていた。水晶や鏡のように透明な瞳で。まるで全てを見透かしているような瞳で。

   ――私がここに来てからそろそろ五万年が経つ。外界ではそろそろ〈変革期〉が起きる頃かな?


 人では決してありえない言葉を平然と紡ぎ出し、彼は空を見つめ続けていた。
   ――でも、どうだろう…私はこれから起こるであろういろいろな事を漠然と知っているだけで、
     深くは知らない。〈変革期〉が近づいている事は判るけどいつ始まるかは知らない。
     私は今の世界がどうなっているか知らない。
     私が知っているのはこの結界の中だけ。
     〈生ある者を惑わし、時に忘れられた〉この森の中の事しか知らない。
     ここは世界から隔離している場所。
     だから世界の情報は入って来ない。
     ここに入って来られる者は殆どいない。


 青年は淡々と言った。何の感情もこもらない声で。ただ決められた予定を話すだけのように……いや、彼にとってはただの決められた予定に過ぎないのだろう。それがどんなに世界を変えるような重要なことでも、彼にとっては別に騒ぐことの程などでは決してない。
 青年はそっと自分が座っている岩に手を伸ばした。
 そこにはすっかり蔦に絡まれている一冊の本があった。
 手に止まっていた鳥に声を掛けると、鳥は優雅に飛び去った。それから、ゆっくりと丁寧に蔦を外した。蔦を傷つける事なく。
 しかし、何故か長い間放置されていたであろうその本は、風化する事なくずっとしまわれていたかのように綺麗だった。まるで時間など一時も経ってなどいないかのように。
 その本を無造作にパラパラとめくり始める。
 読んでいるようにはみえない。

   ――〈黙示録〉は明確な時までは記していない。
     だから私にはわからない。
     既にもう〈変革期〉が始まっているのかもしれないし、
     まだ始まってはいなくこれから始まるのかもしれない。
     これからこの〈黙示録〉に書いてある〈変革期〉が本当に起こるのならば、
     この場所に誰か来るかもしれない。
     二万年くらい前に来た彼のように、啓示を賜る為に。
     助けを求めに来るかもしれない。
     それとも誰も来られないかもしれない。
     世界は試練の時を迎えた。
     この試練でこの世界がどうなるかは私にも判らないけれど――
     それは誰にも分からないけど、
     それは今からこの世界に生きる者達の力で決まるのだろうね。


 ――ふわり。

 青年は立ち上がった。〈黙示録〉を持ったまま、伸びをする。
 風が優しく吹き抜ける。紅の髪や漆黒のゆったりとした服をたなびかせる。

   ――この世界がどんな風に変わり進化していくのか――
     それとも、荒み荒れ果て滅んでいくのか――
     私はここから最後まで見届けよう。
     それがこの世に生まれ、自然の守り人となった私の役目――


 青年はゆっくりと瞳を閉じて体に風を感じていた。
 いつの間にか彼の側にはどこからこんなに集まったのかという程の動物達が溢れていた。