最近、各地で水災害が増えて来た。雨が異様に多く降るのだ。そのために土砂災害が多発している。
砂漠でも雨が降るのだ。その異様さは容易に想像出来るだろう。
それほどまでに異様な異常気象が世界各地で起こっていた。
人々は混乱した。
こんな天気が一週間も続いている。
このままでは生きていく事が出来なくなる。
短期間の雨は確かに恵みの雨だ。しかし、長く降り続ける雨は人々に害しか与えない。
まず、雨は人の自由を奪う。人の心を憂鬱にさせ、得体の知れない不安に陥れる。
大量の雨は大地に還り切らず地上に溢れ、土砂災害や洪水を引き起こす。
それに木を腐らせる為、木で出来た家は朽ち果ててしまうだろう。そして長く続く雨は植物を腐らせる。食べる物が次第に消えていくだろう。水の多すぎる所では植物の根が腐ってしまう。
海は荒れ、漁などとても出来る状況ではない。
山も土砂崩れが盛んに起こり、狩りなども到底できないだろう。
そうして食べる物が減っていけば、僅かに残る食べ物をめぐって争いが起こる。それはだんだんエスカレートしていくだろう。
そうして滅亡への道を辿るしかなくなる。
だから人々は救いを求めた。
唯一、何故か一滴の雨すら降らない聖域……蒼生神殿ラインヴァンに住まう世界を見通す眼を持つ者に。
世界で唯一人間に力を貸す偉大なる種族の一人、
「
ここは蒼生天子の寝室。蒼生天子は天蓋付きのベッドに身を起こして座っていた。
蒼生天子は最近、ずっと寝っぱなしだった。夢で未来を見る為に。
しかし、最近は夢が良く見られなかった。
理由はわからない。でも以前ほどよく見えなくなっていた。
「雨……しばらくすれば……二日としないうちに止みます。
でも、降り続ける原因がわかりません。
シーファとフロストに旅支度をするように言ってください」
「―――――!! そんな!! では我々はどうすれば…」
「あなた方は僕がいなくても平気なハズです。元々、人々の生活の中には未来を知る者等いなかったのですから。
それに僕がここにいてもいなくても同じ事です。日増しに夢が見えなくなっていくのですから。
僕はこの世界で何が起きているのか調べなくてはいけません。だから、旅に出ます。
それに、そうしなければならないような気がするのです」
「……そうですか、わかりました。でも、今世界は危険です。くれぐれもお気を付けてください」
「わかっています。それに大丈夫ですよ。シーファもフロストもいますしね。あの子達は頼りになります。
それから、人々に不安を与えない為に僕がいなくなることは伏せておいて下さい。
今夜ここを発ちますから」
「わかりました」
神官は一礼すると立ち去って行った。
蒼生天子はベッドからゆっくりと立ち上がると、隣の部屋に行った。
蒼生天子は旅装束に着替えた。
――でも、あの方に何かがあったのは確かです。
そうでなければ……能力が低下するなんて事が起こるはずがありません。
この世界は無事でいられるだろうか……?
窓の外を眺めた。真っ黒い雨雲が街を覆っていた。
神殿からしばらく歩いた。外が段々暗くなって来ているのが分かる。雨が降っているのだ。
嫌な天気だ。
そんな中を三人が歩いていた。三人と表現していいならば、だが。
そう、この三人は人間ではなかった。このうちの二人は亜人で、一人は竜だった。
一人はこの旅をいきなり言い出した張本人。蒼生天子こと、
蒼生天子とは惑星神や万物神に代わって人々のために国を治めるもののコトだ。
普通、
そして背中に二対の翼が生えており、物凄いスピードで飛べる。そのせいかフェネシスは歩かない。だからといって始終飛んでいるわけではない。竜の上で座っているのだ。竜に乗っていない時はいつも飛んでいる。足が退化しそうだが今の所まだ健在だ。
このフェネシスが乗っている竜はフェネシス自身が卵の時から育てた
名前の通り、青い色をしていて、水属性の紋章術も使える。
戦う能力のないフェネシスには大助かりの強力な護衛だ。
そして空も飛べるし、人間の言葉も話す。育てたのがフェネシスなのだから当たり前だが。
もう一人は
黒い髪と黄色の眼を持っている。
シーファもフェネシスに育てられた。そのためフロストと同じように忠誠心が厚い。
フェネシス直属の護衛だ。剣の使い手で面倒臭がり屋なフェネシスの代わりに雑務も熟す。
この三人は旅をする時はいつも一緒だった。
「フェネシス様、一体どこに行くおつもりですか?」
「決めてない」
きっぱり。
「…………へ?」
あまりにもあっさりと言われたので返事を返すのに間が空いた。
「僕はこの世界に起きていることが知りたいだけ。そのための旅だから」
フェネシスは空を見上げた。
「じゃあ、街にでも?」
「ううん、街には行かない。今、僕が神殿を出たのを知られたくないから。
ここから街道を逸れて森の中を歩こう」
そう言って指差した方向には道無き森が燦然と輝いていた。
「フロストが通れる道がありますかね?」
とてもじゃないがあるようには見えない。
「う〜ん……いざとなったら空からでも……」
「いや、それ、逆に目立つんじゃ……」
「ま、細かいことは気にしないで」
「気にします!
―――って! フロスト、どこへ?」
「森」
しばしの沈黙。
「いいのか? フロストは?」
「うん。父様が行くって言うならどこまでも行くー」
「そーだよねぇー」
とても嬉しそうなフェネシス。
「うん!」
「良い子だー、フロストはー」
フロストに抱き着くフェネシス。
「さ、行こう!!」
もう、森の中を歩くことに決まっている。
それにフェネシスが一度、こう、と決めたら誰が何を言っても聞く耳を持たない。良く言えば意志が強く、悪く言えば我が儘、ということだ。
しばらく歩くと雨が降り始めた。
「降って来ましたね」
「うん、神殿の特殊結界の外に出たんですよ」
「特殊結界?」
聞き慣れない言葉だ。シーファは神殿に使えて五年になるが始めて聞いた。
「そう。誰も何もしてないんだけど勝手にあり続ける結界」
「へぇ……」
「でも父様がいるからでしょう?」
「うん、多分ね」
「????」
シーファは歳では二人絶対に勝てない。二人はシーファよりも何百倍も生きているのだ。わからない事も多い。
「それよりもね、雨の森の中を歩いているとシーファを拾った時の事を思い出しますね」
思い出を懐かしむように瞳を閉じた。
「……そっか……雨の日だっけ」
シーファにはそのときの記憶はほとんど残っていない。
十五年前。風の森。
フェネシスはフロストに乗りいつものように森の街道を歩いていた。
土砂降りの雨だったが気にせずいつものように四年に一度の巡礼を行っていた。
フェネシスは風邪を引いたことがなかった。風邪どころか病気になったことすらなかった。
フェネシスには人間が罹るような風邪の病原体には侵されたりしないらしい。
遺伝子からして人間のものと全然違うので人間が罹るような病には罹らない。かなり昔に医者が言っていた。
それが分かって以来、医者に体は診て貰ったことがない。無論、フロストも病気になったことはない。
それ故に雨などは気にしたことがなかった。
だからその日も普通に旅を続けていた。
水を吸って服が重くなっても、別にフェネシスが歩いているわけじゃないのでいっこうに気にならなかった。
そんな時、声が聞こえたような気がした。かすかに気配があるように感じた。
恐怖に怯えた震える気配が。
不信に思ったフェネシスは辺りを注意深く見た。
茂みに何かいる。
フェネシスはフロストの上からぱさぱさと羽ばたきながら地面に降り、茂みを覗き込んだ。
びくうっ!!
気配が恐怖におののいた。
「子供……」
それはまだ小さい
長くぼさぼさに伸びた黒い髪、ボロボロの服……
「にゃあ〜」
がたがたと震えている。
「こんなに小さいのに」
酷く痩せている。
――親はいないのだろうか?
いや、いないのだろう。
いたらこんなになるまで放っておいたりしない。
「おいで」
びくうっ!!
震えている。
人間に対して酷いことでもされたのだろうか。
いや、後ろにいるフロストに怯えているだけかもしれない。
「大丈夫だから」
にっこりと微笑む。
めげずにじっと待つ。来てくれるのを。
「大丈夫」
「にゃ……」
不安……
――怖いのだろうか……
安心できない不審な奴だと思われているのだろうか……
僕はそんなに人相が悪いのだろうか?
……目付きには自信ないですねぇ。
色が無いですから。
冷たく無機質だとか、
『全てを見透かされているみたいで見つめられたくない』
とか言われたりしますしね。
「にゃあ〜」
そっと手を差し伸べる。
「言葉が話せないのですか?」
そんなに小さいときから……今も十分小さいですけど……
「おいで、大丈夫だから」
ふわり。
――軽い……
持ち上げて分かった重み……
悲しいくらいに軽い、命はもっと重みのあるものだと思っていた。
このまま放っておいたら死んでしまうだろう。
「大丈夫……僕が護ってあげます」
――死なせたりしない。
ぎゅっと抱きしめる。
「にゃ?」
――命がこんなに軽くて良いわけないのだから。
「にゃあ〜」
怯えや不安が消えた。
「あなたのお名前は?」
「にゃにゃにゃ?」
フェネシスは少年を抱き締めてふわりと飛びフロストの上に乗った。
「わかりませんよね。
でも、そんなに小さいときに捨てられ、生きていたのですね」
――まだ二歳くらいかな?
「もう大丈夫です。
行きましょう。フロスト」
「はい」
――本当は乾いた布とかに包んで上げたいけど、
僕達病気にならないから気を遣って旅をしてなかったから……
「あなたに名前を付けてあげなくちゃいけませんね。
あと言葉も教えてあげないと……」
「にゃー!!」
「懐かしい……」
思い出す。深い記憶の中の一ページ。
「よくそんな昔のこと覚えていますね」
「僕にとってはたった十五年前です。僕は遥かに長い時を生きてきたのですから」
確かにフェネシスは長く生きている。なんせフロストよりも長く生きているのだから。軽く五千年以上は生きているのだから。
――一体いくつなのだろうか?
シーファは一度訊いたことがあったが『忘れた』と言われた。
――長い時の中でフェネシスは何を思って生きてきたのだろうか。
想像出来ない。短い時間しか生きられない者には想像すら出来ない。
シーファは思う。
――いつか自分もフェネシス様を置いていなくなるときが来る。
リュンクスは生きて三百年。フェネシスはその時何を思うのだろうか。
今までどんな想いで生きてきたのだろうか。
考えてみるとそんなに長い間生きているのにフェネシスはこの姿のままだ。まるで不老の神と同じだ。
「ねえ、シーファ」
シーファの思考はフェネシスの声で中断した。
「もうすぐ森緑の湖ムーンレイクですよ」
ムーンレイク……
月が綺麗に映る湖だ。人魚が棲んでいるということだが……
一人の人魚が空を見上げていた。
「こんなに暗いと月が見えないです。つまらない……」
少女は湖の淵に寄りかかってがっかりしたように声を発した。
「何で最近はずっと雨なのお」
これでは空には何も見えない。そう、何も――――
――ん?
今、空に何かあるような気がした。
でも何も見えるはずがない。
――だけど段々大きくなってきているような……
「え?」
ばっしゃ――――――ん!!!!
何かが湖に落ちてきた。
物凄い水しぶきが起こる。
「な、何!? 今の!!」
人魚は恐る恐る湖に潜って落ちてきたものを確認した。
――人……?
「やだ、助けなくちゃ!」
急いで陸地まで連れて行く。
だが、彼女には陸地に上げられるだけの力がない。
「どうして人が?」
だが、よく見ると人ではなかった。
背中に翼を生やしている。
「天使……?
やだ! 傷だらけじゃない。どうしよう……」
人魚が引き上げたのは、桃色の髪をした少女だった。
少女の深い傷が湖を赤く染めている。
「どうしよう……」
「着いたー!! ここがムーンレイクですよ」
突然現れたのは竜に乗った人だった。
「人魚に会えるといいね、フロスト、シーファ」
側には
無論、フェネシスとフロストとシーファだ。
「あ……」
フロストがいち早く気が付いて足を止めた。
「どうかしたの? フロ―――――」
何があったのか確かめるためにフロストの頭の上に顔を出したところだった。
「シーファ! 救急箱!!」
「はい!」
この様子に気づいたシーファもフロストの上に括り付けてある救急箱を出し始める。
フェネシスは翼を広げ湖の縁に降り立った。
人魚はそれを見て驚いた。
フェネシスは驚いている人魚にかまわず、少女を湖から抱き上げた。
服が水を吸って重いはずなのだが、平気で持ち上げて陸地に横たえる。
フェネシスは普段あまり目立たないが、かなりの怪力だった。
そこに救急箱を持ったシーファが駆け寄った。
フェネシスが手際よく傷の手当てをしていく。
フロストが翼を大きく広げて屋根を作った。
「あなたは……一体……」
人魚は不思議そうにフェネシスを見た。
翼が生えている種族は意外とたくさんいる。ぱっと見ただけではわからないだろう。
「
「ア…
は……始めて見た」
「稀少種族だからね」
世界に何パーセントもいない種族なので
「でもフェネシス様にあっている人は多いですよね」
「そうだね」
「あまりありがたみないですよね」
「神殿に閉じこもるのが嫌なんだからしょうがないじゃない」
話しつつも的確に手当てをするフェネシス。
怪我をしないわりに上手である。
「こういうときに回復の術使える人がいると便利ですよね。フェネシス様」
「そうだね。でも、こういう場面に出くわさない限り必要ないからねぇ。だって、僕たち怪我らしい怪我ってしたことないからねぇ」
「そういえば……」
シーファが知る限りでは怪我はしたことがない。
「フェネシス様は怪我したことないんですか?」
「ない!」
キッパリ。
「でも、フェネシス様、戦闘能力ゼロじゃないですか。フロストがいなかった時はどうしてたんですか?」
「敵にあったら即座に飛んで逃げたよ。僕たちの飛行能力に追いつけるものなんていないから」
「なるほど」
確かにそれならば怪我はしないだろう。
「よし、これで平気なはずです」
「この子、大丈夫かな?」
心配そうに覗き込む人魚。
「そういえば、まだ名前を聞いてませんでしたね。
僕はフェネシス=ラインヴァン。この子がフロスト」
「こんばんは」
フロストは頭を下げて挨拶をする。
「で、この子が」
「シーファです」
シーファも挨拶をする。
ちょっと遅い自己紹介だがしょうがない。
「私はアレナです」
人魚は少し戸惑い気味に挨拶をした。
人に慣れていないのだろう。
「彼女はどうしてこんな傷を負っているのでしょうか?」
「私にもわからないわ。空から降ってきたの」
「降って……来た?」
「はい」
フェネシスは押し黙った。
「フェネシス様?」
「それに何となく暖かい感じがするから、天使かと思ったんだけど……」
「天使?」
「そうかも…………そうだね」
シーファはじっと少女を見た。
「この傷は落ちてきた衝撃で?」
「いいえ。最初からあったみたい」
果たして天使が傷だらけで落ちてくるものなのだろうか?
「あの傷は鋭利なもので傷つけられた痕。何者かに襲われた証拠。
もし彼女が本当に天使なら、浮遊島で何かが起こり、落ちてきた可能性が高い」
いつになく真剣な顔をしているフェネシス。
この世界に起こっている異変と関係があるのだろうか。
そして、フェネシスの身に起こっている能力低下と……
「う……」
うめき声を上げて少女が瞳をあけた。
「ここ…は?」
弱々しく声を発する少女。
「まだ寝ていたほうが良い。傷はけして浅くないのだから」
「私……どうしたの?」
少し混乱しているようだ。
「あっ!」
少女の顔が見る見るうちに青ざめていった。
何かを思い出したようだ。
「魔族は? 水の都は? どうなったの?」
「―――――!!―――――」
フェネシスはそれを聞いた途端に顔色を変えた。
「フェネシス様?」
「水の……都……」
この時、フェネシスは理解した。
自分の身に起こっている能力低下の意味を……