冥界の中心、暗影国(あんえいこく)ルインコンティネンス、寂滅(じゃくめつ)都市アスフォデル。
 そしてアスフォデルの中でも中心的無窮(むきゅう)魔殿アスフォデルのお膝元……第二地区にある広場に一人の青年が寝そべっていた。
 蒼い髪に一部紺色のメッシュが入っている。
 魔界の次に治安の悪い冥界ではあるが、さすがに冥王の住まう無窮(むきゅう)魔殿のある都市で暴れまわる魔族はいない。
 だからと言って、百パーセント安全と言うわけではけしてない。
 なのに、彼はそんな事は全く気にしないように寝ていた。
「相変わらず能天気だな。アスモデウスは」
 寝ている青年を見下ろすようにして立っているのは若葉色の髪をし、青い目をした魔皇(まこう)族だった。
「そんなところで寝ていると長い髪が汚れるぞ」
 確かに、彼の髪はばらばらと草の上に散っている。
「グリン? 珍しいね。帰って来たんだ」
 声をかけられた青年――アスモデウスの目がゆっくりと開く。
 んー! と、伸びをしながら起き上がるアスモデウス。
「まあね」
 アスモデウスにグリンと呼ばれた青年……グリンフィールはアスモデウスの横に腰を下ろした。
「いつも魔族を滅多斬りしに行ってるのに……」
 そう……アスモデウスの隣人、グリンフィール=ジン=アスフォデルは弱冠一万千七百五十三歳にして、魔皇(まこう)族の第四階級“ジン”を名乗る事が出来る優秀な人物だ。
 そして無類の戦闘好き。
 誅殺、惨殺、斬殺、殺戮、虐殺、鏖殺が大好きという微妙に危ない趣味を持っているが、一応健全だ。
 何が健全かと言うと、標的が魔族と魔物に限られているところが、だ。
 これに魔皇(まこう)族だろうが関係なく襲いかかるとなると、魔族と分類されることになる。
 だが、今のところその傾向はまるでない。
 至って健全な魔皇(まこう)族だ。
 ちなみにアスモデウスは現在千五十七歳。
 まだまだ子供なので当然階級は最下位のジャーンだ。
「一仕事も二仕事もして来たから帰って来たんだ」
 その表情は物凄く満足そうだ。
「ふ〜ん……」
 あまり……というか、まるで興味がなさそうなアスモデウス。
「君は相変わらず戦闘に関しては興味なさそうだね」
「――だって、僕はグリンと違ってまだまだ子供だからこのアスフォデルから出たことないし」
 戦闘経験もあまりない。
「隣の都市にも言ったことないのか?」
「隣? ああ、幽寂(ゆうじゃく)都市フィソステギア?」
「そう」
「ない」
 キッパリと言い放つアスモデウス。
 そして考え込むグリンフィール。
 言われてみれば、自分が帰って来た時、いつもアスモデウスはここにいた。
 出かけていないというのならばそれも当然だろう。
「でも僕がアスモデウスぐらいの年にはもうすでに暗影国(あんえいこく)ルインコンティネンスの中は制覇したぞ」
「グリンと一緒にしないでよ」
 基本的にこのアスモデウス、面倒臭がり屋だ。
 戦闘能力もまずまずだし、魔皇(まこう)族としても優秀だろう。
 なのに、やる気がないため、いつもこんな感じだ。
 やれやれと思いつつも突き放すことは出来ない。
 彼がだらっとしているのもいつものことだ。
 千年も一緒にいるとわかってくる。
 二人は性格も趣味も合わないのによく一緒にいる。
 それはただ単に二人の家が隣どうしだということに起因する。
 幼馴染と言うには少々グリンフィールの年が離れすぎているが、アスモデウスにとっては小さな頃からよく遊んでくれた隣に住むお兄さんだ。
 悪く言うと腐れ縁という奴だ。
 そのため、グリンフィールの言葉遣いがアスモデウスに移っている。
 元々グリンフィールの言葉遣いはそれほど悪くはないので移っても問題はなかった。
 じっとアスモデウスを見ていたグリンフィールはよっと立ち上がった。
 そして何を思ったのか、アスモデウスを持ち上げた。
「グ、グリン??」
 意味不明なグリンフィールの行動に当然ながら驚くアスモデウス。
「…………重い」
 そう言ってアスモデウスを下ろすグリンフィール。
「何? 突然??」
「いや、どれくらい成長したのかと思って……」
「……見た目変わらないと思うけど?」
 確かに以前見た時と見た目は変わらない。
「確かに見た目は全く変わらないんだけど……」
 明らかに以前よりも重くなった。
「成長はしてるよ」
「?」
「前会った時よりかなり、重くなってるし」
「え?」
 それに驚いたアスモデウスは自分をまじまじと見た。
 別段変わりはない。
「見た目じゃ分からないよ」
 それを見て苦笑するグリンフィール。
「じゃあ何が……」
「きっとアスモデウスの真の姿はとってもおっきいんだろうね」
「……そんなの見たことないからわからないよ」
 ムスッとするアスモデウス。
「ちなみに僕は結構おっきいよ」
「そうなの?」
 アスモデウスはグリンフィールが真の姿を知っていることは知っていたが、それがどんな姿なのか聞いたことはなかった。
「僕は緑の竜だよ」
「へぇ……」
「まあ、自分じゃ重いとか軽いとかはわからないからなぁ……」
「グリンもそうだった?」
「うん」
「そっか……」
「アスモデウスも弱いわけじゃないんだから少しは戦闘経験でも積んだ方がいいんじゃない?」
「無理だよ。僕戦ったことないもん」
「でも紋章術ぐらい使えるだろう?」
「そりゃあ……」
「何使える?」
「下級陰属性と……星と空間」
 意外とたくさん知っている。
「じゃあ大丈夫だよ」
 そう言われてもいまいち乗り気になれない。
「とりあえず今度僕と一緒に幽寂(ゆうじゃく)都市フィソステギアに行ってみよう」
幽寂(ゆうじゃく)都市フィソステギアに?」
「そう。さすがの僕もいきなり魔界に行こうなんて言わないよ」
 魔界の治安の悪さは有名だ。
暗影国(あんえいこく)ルインコンティネンスは冥王、ノーンハスヤ様のお膝元だからね。他の場所よりも治安は良いし」
「でもここよりはやっぱり治安悪いんでしょ?」
「これから魔皇(まこう)族として生きていくなら戦闘がこなせなきゃ長生きできないよ」
「うぐっ……」
 そんなことアスモデウスもわかっている。
 ただ、面倒なのだ。
 外出するのも……
 身体を動かすのも――
 しばらく考え込んでいたアスモデウスだが、やがて観念した。
「わかったよ……行くよ」
「じゃ、三日後――準備して家で待ってな」
「――うん」
 気は進まなかったが、これも魔皇(まこう)族として生まれたものの宿命だと諦めることにした。