無かった事にしよう。
 それを見た瞬間、ラインハルトは扉を閉めた。
 今日は軍事訓練所の襲撃に成功したので宴会だということだったはずだ。
 だが、そこで繰り広げられていたのは酒と食べ物をめぐる骨肉の争いだった。





 僕は夜、皆の住んでいるアパートへと向かった。
 理由は簡単、宴会をやるからだ。
 何故そんな事をやるかというと、ちょっと大きなところの襲撃に成功したからだ。
 だから宴会。
 宴会とは飲み食いして騒ぎ倒すもののはずだ。
 宴会は普通酒が入る。
 ――――が、この状態は何だろう。
 何処から仕入れてきたのか、おそらく美味しいであろう食べ物と、酒の山……
 それだけならまだ良い……
 この酔っ払いの巣窟は…………なんだ?
 確か二十一時に始めると言っていたはずだ。
 まだ始まって三十分と経っていない。
 それでこの状態…………?
 僕は迷う事無く扉を閉めた。

 ――帰ろう。

 ここにいたらどうなるか解らない。
 いや、わかりすぎてて怖い。
 だが、僕がその判断を下すのは少しばかり遅かったようだ。
 がしっ!
 後ろからいきなり抱きつかれた。
 見ると何時の間にやらドアが開いている。
 そして抱きついてきたのは勿論クルトだ。
 真っ赤な顔してこっちを見ている。
 クルトは酒に弱いくせに酒大好きだからな……
 これも天使としてはどうだろうとは思うが……
 だが、今は目の前のピンチをどう切り抜けるかだよね。
「どこいきゅの〜? リャイン〜」
 既に呂律が回っていない……!
 ヤバイヤバイヤバイヤバイ……
 クルトがこうなってロクな目にあった記憶がない。
「きょうはえんかいやから、かえっひゃめー」
 僕は思わず顔が引き攣るのを感じた。
「しゃあ、はいってー」
 そう言うと問答無用の怪力で部屋の中に引きずり込まれた。
 クルトは見かけによらずかなりの怪力だ。
 僕の些細な抵抗など無意味なので大人しく中に入った。
 部屋に足を一歩踏み入れるとそこはすでにかなり酒臭かった。
 そしてどすっという衝撃が来る。
 何かと思って見てみると、それはアルだった。
「ラインにいさま〜」
 ニッコリと笑っている姿は非常にかわいいが、顔はすでに真っ赤だ。
 …………
「クルト」
「にゃに〜?」
 既にふにゃ〜と座り込んでいるクルトは酒の入ったコップに手を伸ばしながら返事をした。
 まだ飲む気か……
 僕は気を取り直して尋ねた。
「アルにも飲ませたのか?」
 僕にべったりと抱きついているアルはまだ十六歳。酒が飲める年ではない。
 だが、クルトはさも当たり前のように言った。
「とうじぇんじゃない〜。えんかいなんやから〜」
 常識とか良心とか道徳心などを完璧に捨て去ったようだ。
 素面のときならまず言わない台詞だ。
 恐らく……酔っ払って思考能力が低下してからアルに酒を飲ませたのだろう。
「ふにゅ〜」
 非難したいけど、部屋が狭いからそれも出来ないんだよね。
 そう思っているとクルトがワイングラスを押し付けてきた。
「リャインものみゃなきゃめ〜」
 酔っ払いは聞く耳など持たない。
 ここはもう天災にでもあったと思って諦めるしかないよね。
 僕は空いてる一人掛けのソファーに座り、酔っ払って前後不覚状態のアルを膝の上に乗せた。
 そして観念してクルトが注いで来たワインを飲んだ。
「にく〜」
 おなかが空いたのだろう、アルが料理の皿に向かって手を伸ばす。
 当然届くはずがない。
 僕は手近な所にあったローストチキンの皿を手にとってアルに渡した。
 アルは嬉しそうに肉を頬張る。
 やっぱり狼だから肉が好きなんだろうな。
「ラインにいさまも〜」
 そう言って肉を差し出してくれるのはとても嬉しい。
 だが、僕はそれをやんわりと断った。
「いいよ。アルが全部食べなよ」
「いらないの?」
 ん〜、いらないというより――
「食べれないんだよね」
「たべれないの?」
「そう」
「どうして?」
「僕が吸血鬼だから」
 全くわかってなさそうなアル。
 確かにこの説明ともいえない会話じゃわからないか。
「僕は吸血鬼でしょ。主食は人間の血液だよね?」
「うん」
「だから僕の身体は固形物を摂取できるようには出来てないんだ」
「でもおさけのんでる」
「残念ながら、液体は大丈夫なんだよね。だからお酒は飲めちゃうんだよ」
 もし、液体もダメだったらこんな凄い状況の宴会にも参加しなくて済んだかもしれない。
 あー、でもそうするとアルがかわいそうか。
「あじはわかるの?」
「うん、解るよ。味覚がないわけじゃないからね」
「よったりするの?」
 僕はこの質問にはかなり困った。
 僕の八百年の生涯のなかで、酒で酔いつぶれた事は唯の一度もないからだ。
 それは酒に強いだけなのか、その成分で酔う事が出来ないのかは定かじゃない。
 あー、でも…………飲み続けると熱くなってくるし……顔も一応赤くはなるから効いてるのか……
 ………………
 …………
 ……
 そういえば、お祖母様は酒を飲むと酔っ払ってふらふらになったりしてたな……
「ラインにいさま?」
 不安そうな顔をして僕の顔を覗き込んでくるアル。
「あー、大丈夫だよ。吸血鬼でも酔えるみたいだから」
「そうなんだ」
 そう言うとアルは僕のひざから降りて骨だけになった肉の皿をテーブルの上に置いた。
 そしてふらふらしながら酒瓶を持って帰って来る。
 重いからじゃなくて酔っ払ってるから真っ直ぐに歩けないんだろうな。
「はい」
 渡されたのは赤ワインと白ワイン。
 その辺に転がっていたまだ未開封の奴だ。
 その銘柄を見て僕は驚いた。
 なかなか良いワインじゃないか。
 一体こんな高価なものどこで仕入れてきたんだか……
 だが、折角なので戴く事にする。
 栓を抜く道具が手元にないのでスパッと切り落とす事にする。
 刃物のように尖るので多少どころかかなり危険だが、それは僕が後で処分すれば何の問題もないだろう。
 でも危険なので周囲に結界を張るのも忘れない。
 そして一口。
「美味しい……」
 やはり高くて良いものだけあって味は格別だ。
 こんなに美味しいものが酒の味もわからなそうな者達に飲まれているのかと思うと少し残念な気分になる。
 アルはべた〜と僕に張り付いてきた。
 そしてふにゃっと笑う。
「よかった――」
 そう言ったアルはうとうとし始めた。
 眠いのだろう。
 まぁ、子供だし仕方がない。
「いいよ、ここで寝て」
「ん……」
 僕がそう言うとアルはそのまま僕の足を枕にして寝てしまった。
 僕が掛けているのは一人用のソファーだが、ちょっと幅が広いので端に余裕があった。そこを小さなアルが掛けて足を枕にしている状態だ。
 身体が痛くなりそうだが仕方ない。
 この状態では寝る場所なんてないからね。
 ここ、狭いし。
「そりぇはボクのりゃー!」
 クルトの叫び声を聞いて前を向くと、食べ物の争奪戦になっていた。
 巻き込まれたくないな……
 僕はそう思うと少し離れる事にした。
 場所は部屋の隅。
 どうせ僕は固形物なんて摂取できないし。
 アル寝てるし。
 ワインを手に持ち、魔術式を展開してソファーごと移動。
 アルを起すわけにはいかないからね。
 そうして僕は騒乱とかしているテーブル周りから離れてちびちび高級ワインを飲んでいた。
 宴会は深夜二時近くまで行われた。




 次の日。
 ――というわけでもないよね……日付変わるまで飲んでたんだから。
 もとい、その日の朝……朝? 朝だよね、多分。
 朝十時ごろになると頭を抱えた面々で埋め尽くされた。
 明らかに二日酔いだね。
 だが、クルトだけはぴんぴんしている。
 そして僕の姿を見て一言。
「……ライン…………いつ来たの?」
 その言葉に周りにいた面々が何言ってるんだよといった顔をしている。
 みんな酔っ払ってたけど一応覚えてるんだね。
 でも、クルトは酒に弱くて酒癖悪くて、その上自分がやった事は何一つ覚えていないタイプなんだよね。
 そう、一番性質の悪いタイプだ。
「クルト、覚えてないの? クルトがライン兄様を引きずり込んだのに……」
 アルにそう言われてもクルトには解らない。
 だって記憶に残ってないからね。
「え、そうなの? 全然覚えてないや」
 クルトの酒癖の悪さをみんな知らないみたいで、唖然としている。
 そこで僕が教えて上げる。
 彼に酒を飲ますことがいかに大変かを――
 昔から大変なんだよね……
「クルトはお酒大好きだけど物凄〜くお酒に弱くて、その上酒癖は悪いし、自分が何をやったのとか全然覚えていないタイプだからね」
「えへへ」
 いや、照れたような顔されても困るんだけどな。
 褒めてるわけじゃないんだから。
「アルは頭痛くないの?」
 僕は足の上に座っているアルに話しかけた。
「うん、オレ、そんなに飲んでないから平気」
「そっか」
「でも――」
 アルが僕の周囲を見回して一言。
「ライン兄様は平気なの?」
 僕の周りには大量のワインの空き瓶が転がっている。
 アルが寝てからも騒乱を肴にしてぐびぐび飲んだからね。
 テーブルから離れてるのにどうやって取ったかというと、勿論魔術を使ってだ。
 便利だよね。魔術。
「僕はお酒はざるを通り越してわくだから大丈夫。全然酔わないよ」
「ふ〜ん……」
 周囲に大量に落ちている酒瓶を見ながら頷くアル。
「でもみんな苦しそう」
 そりゃ、二日酔いだからね。
「みんなは酒に弱いのか、酒を飲みすぎたかして大変なんだよ」
「そうなんだ」
「だから大きな声は出しちゃだめだよ」
「? なんで?」
「頭に響くみたいだから」
 僕はなった事ないからわからないけどね。
「ふ〜ん」
 アルもあまりよく解っていないようだ。
 こればっかりは僕じゃ詳しく教えて上げられないな。
 体験者じゃないとね。
「よく解らないけどわかった」
 さて、僕も片付けしようか。
 何もしないの悪いもんね。
「じゃあ、後片付けは僕がやるよ。みんな大変そうだしね」
 それを聞いたアルが僕の足の上から退いた。
「じゃあいくね」
「いく?」
 やるではなくて、と疑問符を投げている面々を気にすることなく魔術式を構築。

   ――Zu einem anorganischen matteren Abschied der Ewigkeit.
   ――Eine Spur eines Traumes, um in Dunkelheit schwächer zu werden.


 一瞬にしてゴミが消える。
 何処に消えたかは勿論僕の関与するところではない。
 要するに、解らないから聞かないで。
「こんな事出来るんなら最初からやれよ」
「ラインってほんと、何でも魔術で何とかするよね」
「まあね」
 メンドクサイからつい魔術使っちゃうんだよね。
 便利だし。
「いいじゃない、手軽で」
「…………そうだね」
 クルトはこういうとこ、あまり気にしない。
 五月蝿く言われないのは良いことだよね。
「ラインが魔術しか使わないのは今に始まった事じゃないよね」
 そうそう。
 だから僕はクルトより腕力弱いんだろうね。
 まあ、そんなこと良いんだけどね。
 人には向き不向きがあるんだから。
 ちなみに僕は肉体労働全くダメです。
 それだったらクルトの方が余程役に立つよ。
 ふぅ……取り敢えず今日の教訓。
 酒は飲んでも飲まれるなって事だよね。
 僕よりみんなの方が身に染みてると思うけどね。