名前を呼んで欲しいんだけど?
 名前を呼んでくれないグレーティアに不満を募らせるラインハルト。
 他人を信用しない彼女の心の氷を溶かそうと躍起になる。
 私に構うなという彼女を放って置けるはずもなく……





 月麗祭が終わり、アパートに帰ったのは朝焼けが見れる早朝だった。
 僕は魔眼開放中なので家には帰れない。
 その為しばらく泊めて貰う事にした。
 ――というわけでアパートにあるいつものソファーで寛ぐ。
 みんなわりと遅く起きる人たちが多いのでこの時間帯に起きている者は誰もいない。
 エアハルトも眠いのかそのまま寝に行ってしまった。
 僕は寝なくても大丈夫なんだけどね。
 そう思いながらぼぉっとしてるとしっかりと朝になった。
 この家で一番早起きたのは意外にもアルだった。
 アルは僕の姿を見つけると驚いたように近付いてきた。
「ライン兄様どうしてここに?
 ――っていうかその目、どうしたの?」
 物凄く心配そうな顔で僕の瞳を覗き込む。
「寝不足で充血してるの?」
 子供は可愛い事言うなぁ〜。
「寝不足如きでこんなに綺麗に紅く染まるわけないだろう?」
「う…………うん、そうだけど――」
 心配してくれるのは嬉しい。
 でも大丈夫だ。
「僕の目は元々紅いんだよ。だから平気」
「え?」
 驚いたように声を上げるアル。
 それには二重の意味があった。
 一つは僕の目の事。もう一つは――
「ラインの真紅の瞳はあまり見ないほうが良いよ。特にアルは魔力に対する耐性がないんだから、ちょっと危険だしね」
 いつの間にか起き出していたクルトに持ち上げられたからだ。
「確かに、僕のこの目は自分でも気付かないうちに力を使っちゃってる事もあるしね」
 強い力を秘めているので、周囲の被害は甚大になる。
 なるべく抑え込んではいるが、抑え切れないこともある。
 魔眼はそういう目だ。
「どうして――?」
 アルはさっぱりわからないといった表情でこちらを見ている。
「あんたのその目…………まさか――」
 そう言ったのはこちらもいつの間にか起き出していたホルストだった。
 ホルストは気付いたみたいだ。
「魔眼か…………? 珍しいな。そういう力を持つ目を持ったものはほとんどいないというのに」
 グレーティアも知っているようだ。
 半ば伝説と化しているこの瞳だけど意外に知っているね。
 ちょっと驚いたな。
「魔眼はクロイツェル家の者に偶発的に顕現するものだからね。まあ、純血の吸血鬼として名を馳せる我が一族だからこそ、周囲に知らしめているのかもしれないけど……」
 誰にでも現れるものじゃない。
「それで、こんな状態の目で家に帰るわけには行かないから泊めてほしいんだけど?」
 それを聞いてあからさまに微妙な顔をするみんな。
「あんた、この家にこれ以上人が住めると思ってるのか?」
 遠まわしに狭いから無理だと言っている。
 迷惑だとか邪魔だとか言われなくなったのは悦ぶべきだよね。
「僕はこの一人掛けのソファーでいいよ。別に横にならなくても寝れるし」
 睡眠自体も実はそんなに必要じゃない。
「でもさ、ボクやエアは良いとしても魔力耐性が低いアルやホルは危険だよ? ラインのその瞳は…………強すぎる」
 それは自分でもわかってる。
 僕の目は対象を見つめるだけで発動する。
 魔術のように魔術式が必要なわけじゃないし、術の詠唱も必要ない。そして魔力も体力も必要ない…………それは願えば発動する危うい絶対なる力――
「僕の力はクルトと違って危険な力だからね。記憶領域を操作出来る…………忘却、書換、幻覚…………人を狂わせるには十分な力だ」
「そうだね、魅入られた相手を破滅させる力……」
 だからあまり好きじゃない。
 でも、明らかに魔眼のほうが視力良いんだよね。
「でもラインって普段は魔眼使わないよね? 魔眼なんか使わなくっても十分強いし。何かあったの?」
 よくわかってるな、クルトは――
「月麗祭の最中に招かれざる客が来てね。人間ならそのまま血祭りに上げても良かったんだけど、生憎亜人だったんだよ。だから傷つけるわけにもいかなくて――」
「魔眼で対処したんだ……」
「そ」
 ――でも、彼らに会う前だったら平気で傷つけたかもしれない……
 ――…………影響を受けているのは……………………僕の方かもしれない……
「なんでそんな物騒な目をいつまでも出してるんだよ」
 言外にさっさと仕舞えって言ってる。
「出来るならとっくにやってるよ」
 無理だからこうしているんじゃないか。
「魔眼は使う分には何の力も必要ないのに、出すのと仕舞うのには大量の魔力と体力が必要なんだよ」
「ライン体力ないもんね」
「今の俺じゃ魔眼を仕舞うのに五日か六日は必要だ」
 まだまだ未熟者だからなぁ……
 でもこればっかりはしょうがない。
 世の中、自分ではどうにもならないものがある。
「――ところでブリュンヒルトはどうしたんだ? 姿が見えないが……」
 エアハルトがいないのは寝ているからだ。だが、ブリュンヒルトは――?
「ヒルトは低血圧で朝に弱いんだ。昼にならないと起きてこないよ」
 なるほど……
「ふふ……ラインはゆっくり次の襲撃地でも考えててよ。ラインは食事必要ないから良いけどボク達は必要だからね」
 クルトはそう言うとキッチンに入って行った。
 食事係はクルトか――
 僕はそんな事を思いながらアルが手渡してくれた資料の束を捲った。




「ふぅ……」
 僕は大きな溜息を吐いた。
 別に目が紅いからとかじゃない。
 グレーティアの事だ。
 相変わらず彼女は冷たい。
 まぁ、冷たいのはいいよ。でも、名前を呼んでくれないんだよね。
 いつまで経ってもお前≠チて呼ばれるんだよね。
「しょうがないよ。ティアは他人を信用しないから……」
 ボク達の事もそんなに信用しているわけじゃないんだよと、クルトが何も言ってないのに話してくる。
 どうやら食事を終えたらしい。
 相変わらず鋭いな…………いや、これもクルトの力のせいかもしれない。
「天眼出してるわけじゃないのに…………それとも僕はそんなに顔に出る?」
 もしそうならなんとかしないと――
「う〜ん……ラインはポーカーフェイスだから顔見てもわかんないよ。でもラインが身に纏っている空気で少しわかるかな。後はラインの思ってる通り、力の所為かもしれない」
「話でもしようかな……」
 会話になるかどうかはちょっと…………いや、かなり怪しいけどね。
「それが良いと思うよ。ボクもティアに関しては努力と忍耐が必要だと思うし……」
 そうと決まったらさっそくグレーティアと話をしよう。
 その後、食事を終えたグレーティアと話をしようとしたのだが――
「わたしに構うな」
 彼女はきっぱりとそう言ってアパートから出て行ってしまった。
 何かがあって、彼女の心は氷のように冷え切ってしまっているのかもしれない……
 でも――
「…………放っておけないよ――」
 少なくとも、悲しみのその瞳に宿している人を――
 見て見ぬ振りはしたくない……




 次の日、グレーティアとホルストに襲撃に行ってもらった。
 でも二人だとちょっと心配かな……
 やっぱりエアハルトかクルトについて行って貰えば良かった……
 でもあの二人、プライド高いからあんまりぞろぞろ人数連れて行くの嫌いそうなんだよね……
 扱いづらいったらないよ。
 大丈夫だとは思うけど……
 ――でも、とても嫌な予感がした。
「駄目だ……やっぱりこっそり見に行こう」
「あの二人はそう簡単にやられたりはしませんよ」
 心配のし過ぎでは? とエアハルトに言われる。
「――でも…………嫌な予感がする……」
「行ってきて、ライン」
 僕の言葉を聞いたクルトはきっぱりと言った。
「ラインは第六感に優れてるからね。特に、ラインの嫌な予感はよく当たる……」
 そう……嫌な予感ほど、当たって欲しくない事ほど…………よく当たる。
 僕は少し迷ったが、結局魔術式を展開する。
 転移先の座標を設定する――

   ――Der Luftraum, der verschiedene Formen beeinflußt.
   ――Der Raum, der die Welt baut.
   ――Transport zum Raum, wo meine Wünsche anders sind.
   ――Metastase zu topologischem Raum.
   ――Das Wiederaufbauen zu Metastase voraus.
   ――Ich bin als mein Wunsch ähnlich und ließ, treiben Sie locker an.


 魔術式の構築完了――
 転移先、固定――
 転移、開始――
 僕は二人がいるであろう場所に移動した。
 ――戦闘してるね。
 ホルストは平気そうだけど…………グレーティアは――
 怪我をしている。
 槍って一対多数の場合は向かない武器だよね。
 そして僕は周囲を見渡した。
 ――あれは…………!!
 迷っている暇はなかった。
 あんなものを……あんなものを食らったら彼女では対処できなくなる。
 トン――
 僕は迷わず屋根を蹴って飛び降りた。
 どうか――



 ――びちゃ……





 空に紅い飛沫が飛んだ。


 流れ落ちる鮮血が大地を紅に染め上げた。


「どう……して――」
 背後には愕然としているグレーティア。
 間に……合った――
 最も、結界まで張る時間はなかったけどね……
 放たれた鋼で出来た太いボウガンの矢は深々と僕の脇腹に刺さっていた。
 怪我を負ったのは僕。
 僕ならこの程度の怪我をしたぐらいでくたばったりはしない。
 この場にいた人間達は僕の突然の登場に驚いて動きが止まっている。
 戦士としては恐ろしく未熟者だが、僕としては好都合だ。
 僕は脇腹に刺さっている矢を引き抜いた。
 空に血の飛沫が飛んだ。
 その引き抜いた矢に力を込めて比較的近くにいる人間に向かって投げた。
 ぐあっ……と悲鳴が上がる。
 そして右手を物凄い勢いで引っ張られた。
「どうしてこんな事を――!?」
 どうして? そんなの決まってる……
「仲間だから……知る前に何かあるのは嫌だ」
 普段、表情が全く動かないグレーティアの表情が初めて動いた。
「――たったそれだけのために? それだけの理由でどうしてわたしなんか庇った!! わたしはそんな事望んでない! 誰がわたしを守れと言った!? 迷惑だ!!」
 そう捲くし立てる彼女は泣いていた。
 自分で気付いているのだろうか――?
 どうやら僕は彼女の触れて欲しくない心の傷に触れてしまったようだ。
 おそらく彼女は…………大切な人を同じように目の前で殺されている――
 僕の行動がそれを思い起こさせたのだろう。
 ――でなければ僕なんかのために泣いたりするはずがない。
「誰も他人の行動を縛る事なんて出来ない」
「――それは……」
「僕が貴方を守ったのは僕がそうしたかったから。貴方が負い目を感じる必要はないんだよ」
「でも…………怪我……させてしまった――」
「怪我――?」
 そんな事を気にしていたのか……
「大丈夫だよ。僕は吸血鬼だからね。怪我なんてほら、この通り」
 僕は怪我をしていたであろう場所を見せた。
 服は血に染まって穴が空いているが、もう傷などどこにも見当たらない。
「――治って……る……?」
 当然だね。
 大体矢を抜いたのも何時までも刺さってると再生できないからだし。
 いや、再生の邪魔になるって言ったほうが良いかな。
「だからそんなに自分を責めなくても平気だよ」
 多少は痛いけど、その痛みもすぐに消えちゃうしね。
「無駄口叩いてないで人間倒すとかしろよ!!」
 ホルストが人間を切り捨てながらやって来た。
「確かに――」
 幸か不幸か今の僕は何のモーションもなく攻撃が出来る。
「シュヴェーアトとシュリュッセルは僕の後ろにいてね、特にシュヴェーアトは。巻き込まれると大変な事になる」
 一応仕事中なので本名では呼ばなかった。
 そして何かを言いかけたホルストに背を向けて僕は望む。
 ――望むのは…………破滅。
 僕は周囲にいる魔力に対する免疫力の全くない人間達に向かって力を放つ。
 僕の目は今、爛々と輝いている事だろう。
 そうして人間達に意識障害を起こさせる。
 そして狂ったように仲間割れを始めた。
 僕が視界に入れたものたちは皆、壊れた。
 魔力のない人間は魔眼には絶対に勝てない。視界に入っただけでアウトだ。
 僕は周囲を一通り見回すと――
「安全地帯に非難しようか。ここは危険だからね」
 自分でやっといてなんだけどね。
「そうだな…………わたしの所為で、済まない」
 初めてだった。
 グレーティアにしっかりと目を見て話されたのは――
 僕は自分の今の目の状態を思い、視線を逸らした。
「ありがとう、シーツリヒター様」
 僕は思わずグレーティアを見た。
「わたしは…………怖かった…………わたしの所為で誰かが傷付くのが……………………堪らなく怖かった。でも、お前が言ってくれた……あの言葉で、少し救われた」
「そう――」
 それは良かった。
「ほら、話なら家でいくらでも出来るだろ? とっとと家まで送ってくれよ? シーツリヒターさ・ま」
「そうだね。今度はちゃんと本当の名前で呼んで欲しいし?」
 そう言って僕は魔術式を構築した。
 乱戦と化したこの場所を去るために――