甘い毒だとわかっていても離れる事が出来なかった。
差し伸べられた手を振り払う事は出来なかった。
ボクはそんなに強くなかった。
だから、このままで良いと思った――

その日、いつもと違う気配を感じた。
森の中から少し変わった魔力を感じる。
森の中に誰かいるみたいだけど……
…………
……………………
…………………………………………気になる。
行ってみよう。
僕は屋敷から出ると森の中へと足を踏み入れた。
こっちだよねぇ……
しばらく歩くと、すすり泣く声が聞こえた。
茂みを掻き分けて泣き声が聞こえる場所を覗き込んだ。
…………
…………
そこにいたのは小さな子供だった。
見た目は五歳くらいの銀髪銀眼の子供だった。
でも見た目通りの年齢ではないだろう。
この子供は――――天使だ。
「誰?」
誰……と言われてもね――
「それを聞きたいのは僕の方なんだけどね」
「え?」
「ここは僕の家の敷地内なんだよ」
「あ――」
それを聞いた少年は俯いた。
「ごめんなさい……」
そう言って立ち上がった。
天使か…………僕達とは全く違う生き物なんだよね…………でも――
ほっとけないな――
「僕はラインハルト。ラインハルト=エルツェ=ファル=フォン=クロイツェル」
「クロイツェル……」
少年はじっと僕を見上げた。
「もう気付いているかもしれないけど、僕は吸血鬼だよ」
「吸血鬼……」
その言葉を聞いても少年は逃げようとはしなかった。
ただ、僕を見上げている。
――天使…………だよな……………………怖くないのか……?
「それでも良いと言うなら、一緒に来るか?」
僕はその子供に手を差し出した。
子供はおずおずと、少し躊躇いながらも僕の手を取った。
「クルト……クルト=イステル=リヒテンシュタインです」
うるんだ瞳でぎゅっと僕の手を握ってくる。
「じゃ、行こうか」
僕はそのままクルトを連れて屋敷に戻った。
「――で、連れてきたと?」
お祖母様の鋭い眼差しが突き刺さる。
お祖母様はやっぱりそういうよね…………
「良いではありませんか、お母様。
まだ小さな子供ですのよ」
「しかし、、この子供は天使じゃぞ」
「そういわないでよ、お母様」
お祖母様は超厳しいからねぇ……
「クルトくんはいくつなの?」
母様がクルトの両手を握って尋ねた。
「三十二歳です」
「ふぅん」
「あらあら、やっぱりまだまだ子供ね」
確かに、まだ子供だ。本当ならこんな地上にいるような年ではない。
「どうしてあんな所で泣いていたんだ?」
それを聞いた途端にクルトはぼろぼろ泣き始めた。
「ええ……」
「あらあら、どうしたの?」
母様がクルトを宥めた。
「何も言わねば何も伝わらぬぞ」
「それ……は――」
その言葉に衝撃を受けた様子のクルト。
「言えない理由でもあるのか?」
「――……………………ないって――――」
「え?」
「――ボク……天使らしくないって…………みんな……言う…………から……――――ぅ……ぅぅ――」
天使らしくない?
僕が見る限りどこをどう見ても天使だ。
「どこが天使らしくないというのかしら?」
そう思ったのは僕だけではなく母様やお祖母様も同じらしい。
「ボク……思ったことは全部言っちゃうから――」
それのどこがいけないんだ?
僕達は顔を見合わせた。
天使には天使のルールがあるんだろうけど……
「…………っく…………うぅ……天使は……思ったことを全部言っちゃ駄目って……思ってても言わずに…………相手をけなしたり貶めたりするような言葉を使っちゃ駄目って…………相手の立場も考えて、差しさわりのないこと……相手を不快にさせないような言葉遣いをしなきゃ駄目って…………」
なるほど…………ようするにはぐれ天使か――
天界に居場所がなくなり、こんなところにいたんだろう。
「ふん。相変わらず厄介な思想をしておるの。天使は」
「しかたないわよ。わたくし達クロイツェル家に掟があるように、天使にもあるのよ」
「確かにな。しかし、良いではないか。思ったことを言うて何が悪いというのじゃ?」
そうだよね……
「でも、そうなると帰る場所がないわよねぇ〜……」
押し黙る少年。
…………
「お祖母様、ここで一緒に暮らしてあげる事は出来ませんか?」
「えっ?」
それに驚いたのはクルトの方だった。
「どうしてクルトが驚くんだ?」
「だ……だって――」
「心配せずとも追い出したりせんわ。可愛い娘と可愛い孫の願いを無碍にするほどわらわは鬼ではない。それに、はっきりものを言う輩は嫌いではない」
「今日からこのお屋敷で一緒に暮らせるわよ」
母様はニッコリとクルトに微笑んだ。
「…………いいの?」
「良いと言うてるじゃろ」
「でも――」
「やっぱり吸血鬼はイヤ?」
「ううん! そうじゃないよ。そう言って貰えるのは凄くうれしいんだけど…………迷惑なんじゃ――」
遠慮してるだけか。
「迷惑だと思うなら最初から拾ってきたり係わり合いになろうなんて思わないよ」
「あっ……」
「目から鱗か?」
「はい……」
「それで、どうするんだ?」
「よろしくお願いします」
クルトは深深と頭を下げた。
こうしてこの日からクルトの生活が始まった。
だがクルトが来て早々に問題が発生した。
「天使とは一体何を食すのだ?」
「確か亜人や人間と変わらない物を食べるはずですわ」
「でも僕達の主食は血だから調理なんてしたこと無いよ」
そしてシーンとなる部屋。
そう…………僕達は吸血鬼であるが故に誰も料理というものを知らなかった。
「――どうするの?」
「――ふむ。幸いこの屋敷には誰も使用はせぬが調理室というものがある」
確かに、そういうものがあったな……
「しかし問題は――」
「そうですね……でも、わたくしが育てている植物の中には食べる事の出来るものもありますわ」
「それって生でも大丈夫なものなの?」
「食べれはするじゃろ。中にはそのままでは駄目なものもあるじゃろうがな。
…………そういえば蔵書の中に料理の本もあったはずじゃ」
「それを見たら平気かなぁ?」
「どうじゃろうな」
多少不安材料は残るがしかたない。
「じゃあ僕は森で獣でも狩ってくるよ」
「うむ。そうじゃな、それがいいじゃろう」
僕達は頷き合うと席を立ってそれぞれの目的地へと向かった。
お祖母様は蔵書のある書物室へ。母様は庭へ。僕は森へと向かった。
僕は森で兎を捕まえて屋敷に戻った。
そして未だかつて使用したことのない調理室へと向かった。
調理室に入るとすでにお祖母様と母様がいて、本とにらめっこしていた。
お祖母様も母様も難しい顔をしている。
「どうかしたの?」
異様に暗い空気を振り払うように声をかけた。
「うむ。それがな」
「難しくてわからないの」
たかが料理とあなどるなかれ。料理を見たこともないド素人三人だ。こういうこともあるかもしれない。
僕も本を覘きこんでみたが、意味不明だった。
「――この塩って何だろう?」
「――炒めるとは何なのじゃ?」
「――いちょう切りって何かしら?」
「――油ってどういうもの?」
「――焼くぐらいしかわからんぞ」
「――おーぶんって何かしら?」
そんなこんなで調理室は戦場と化すことになった。
基本的なことが全く解らない。
それでも悪戦苦闘して何とか作ったものは――
クルトは目の前に出されたものを見て硬まった。
クルトの前に出されたものはお世辞にも料理と呼べるような代物ではなかった。
黒く焦げた兎の肉。ちゃんと皮は剥いだよ。でも真っ黒く焦げてるのに中はあまり火が通っていない。
黒く焦げ気味の野菜たち。炒める予定だったんだけどね。
これでも物凄く頑張ったんだよ。
しかし調理せずにそのまま出した果物が一番美味しそうに見えるんじゃないかというこの状況はどうなんだろう……
「ありがとう」
それでもクルトは出された料理?にフォークとナイフを使って食べ始めた。
そしてわかったことがある。
けして僕達が壊滅的に料理が駄目という事ではない。そんなことは料理をする前から既にわかっていた事だ。
そうではなく、クルトが意外なほどの根性を持っているということだ。
クルトは出された料理?のまずさにぼろぼろ泣きながらも全部間食してしまったのだ。
ただ切っただけの果物を食べてくれるのはわかる。だが、こんな誰が見ても明らかなほどやばいものを全部食べてくれるとは正直、思っていなかった。
「よ、よく食べたの……」
「え、ええ、そうね……」
それはお祖母様も母様も同じだった。
「出しておいてなんじゃが、食い物ではなかったろうに」
「そうよね。生で出した果物が一番美味しかったでしょうに」
「確かに…………果物が一番美味しかったです」
「じゃあどうしてこんな不味いものを?」
それを聞くとクルトは笑って答えた。
「一生懸命、ボクのために作ってくれたものだから…………その好意を無駄にはしたくなかったんです」
僕達は驚いて声も出なかった。
「みなさんを見ればどれだけ苦労したのかわかります」
確かに、僕達はちょっとボロボロだ。
「ボクのためにした事のない料理を作ってくれたんです。その恩を無碍にするなんて事…………ボクには出来ないから――」
「お主――」
そんなクルトに僕達は何ともいえない気持ちになった。
「――ところでこの料理、味があまりしなかったというか、その素材の味と焦げた味しかしなかったんですけど、調味料は使ったんですか?」
その言葉に僕達は顔を見合わせた。
「ちょうみりょうって何?」
その言葉にクルトは何も言えなかった。
その後、街に買い物に行って必要なものを買いたいと言ったクルト。
でもお金が無いと言って項垂れた。
――なので僕が街に行く前に森で何頭か獣を狩って換金してから買い物をした。
僕は街でも平気だけどクルトは明らかに天使ですと主張している頭の輪っかを帽子で隠し、翼は大きめのローブで隠した。
人間にバレると厄介だからね。
そしてクルトの買い物に付き合って知る。
料理にはいろいろと必要なものがあるということに――
屋敷に帰ってくるとクルトの手を握って調理室へと向かった。
「あれ?」
その際、クルトが不思議そうに辺りを見回している。
違和感を感じているみたいだ。
まあ、遠くないうちに気付くだろうね。この屋敷は普通じゃないからね。
そして調理室に着くと買ってきたものを棚に仕舞っていった。
それからクルトは自分の食べるものは自分で作るようになる。
僕達が作るより自分で作ったほうが美味しいだろうね。
初めて声をかけられた時はとても驚いた。
ボクなんかに声をかけてくれるような人がいるなんて思ってもみなかったから――
だから相手が吸血鬼であっても構わないと思った。
迷惑はかけたくなかったけど、差し出された手を振り払えるほど、ボクは強くない。
不思議な気持ちだった。
同族には全く認めてもらえなかったのに、正反対とも言うべき種族である吸血鬼に認めてもらえるなんて――
同族にも優しくされた事なんてないのに……彼らはとてもよくしてくれた。
それがとても嬉しかった。
案内された部屋でゆっくりと休み…………そして迎えに来てくれたあの人のボロボロ具合が少し気になった。
その原因はその後すぐにわかった。
吸血鬼は料理をする必要がないから初めてだったんだろう。
テーブルの上に置いてあるものは、そのまま切って出された果物以外、お世辞にも料理と呼べるような代物ではなかった。
それでもボクはそれを食べた。
物凄く不味くて、食べるのにとても苦労したけど、全部食べた。
理由は――――嬉しかったから。
初めてだった。
こんなに優しくされたのは、初めてだった。
だからこの位の苦労も苦にならなかった。
もう……離れる事が出来そうにない。
優しい彼らから……離れたくない。
でも取りあえず料理は自分で作ろうと心に固く誓った。