差し出された手を握り締めた。
 引き裂かれるような痛みが心に走る。
 傷は塞がったものと思っていた。
 でも、けして言えることなどなかった。




「今日はここにしよう」
 僕たちは悪の秘密結社なんだからちゃんと活動はするよ。
 この前首都を壊滅状態にしたけど。
 まだまだ人間はたくさんいるからね。
 世界征服をするためにはまだ足りない。
 歯向かう者は後を絶たない。

 何といっても、僕たちは悪だからね。

 同族から見れば違うだろうけど、この世界には人間が多いから、悪人という判断をされる。
 全然気にならないけどね。
 さて、じゃあ皆に今度の襲撃作戦を伝えようかな。
 会議室に集まってもらおう。
 そして僕は手元にあるボタンを押した。
 その途端にアラームが鳴る。
 会議の合図だ。
 僕たちはこの前からエアフォルクに移動した。
 勿論一人一部屋だ。
 前のボロ家はほとんど手入れをしなかったからそんなに部屋を使わなかったけど、今回は違う。
 三階建てのこの屋敷はちゃんと全部機能してるよ。
 一階は食堂やキッチン、サルーン、浴室や食糧庫などがある。
 二階は会議室とか資料室とか、僕の執務室もここにある。
 三階は居住区。一人ずつ部屋がある。
 今僕がいるのは執務室。
 つまり二階だ。
 さっきのアラームはクルトにお願いして仕込んだ仕掛け。
 簡単に皆を集められるようにした。
 いちいち探して声掛けるの面倒だしね。
 これなら一発でわかる。
 ちなみにアラームにも種類がある。
 危険を教える警報もあるよ。
 詳しい仕組みはクルトの方がよく知ってるだろうけど。
 そんなことを思っているうちに会議室に着いた。
 執務室と会議室は近い場所にあるからすぐに着く。
 そしてしばらく待っていると皆集まって来た。
 全員集まってから会議を始める。
「さて、今日の作戦は――」




 作戦は伝え終わった。
 僕は基本的に大雑把に作戦を立てるだけなので細かい作戦はエアハルトやグレーティアに丸投げだ。
 こういうことも出来ないと後で困るだろうからね。
 本当に拙そうなら僕が修正すればいいだけの話だし。
 でも今回は必要ないだろう。
 だから僕は資料室で資料の整理をしている。
 僕の書いた資料は皆には読めないんだよね……
 いずれは全員が読めるようになってもらいたいけど……
 僕が普段使っている文字は古代言語。
 そのせいで前は僕とクルト以外は読めなかった。
 でもエルフリーデとハインリヒも読めるみたいだから二人も整理を手伝ってくれたりする。
 今日は二人ともブリュンヒルトとホルストと共に襲撃中。
 だから僕がやるしかない。
 資料も適当に書くと後が大変なんだよね。
 清書しないと……僕しか読めなかったりする。
 それもなんとかしないといけない。
 語学の方は一生懸命クルトが教えてくれてるからそのうち何とかなるか……
 まだ小さいアルはそのうち僕が教えよう。
 クルトは厳しすぎるからちょっと可哀そうかな……
 ホルストもそのうち理解してもらおう。
 それから――

 バンッ!!!

 物凄い勢いでドアが開いた。
「何事?」
 振り向くと、いつもにこにこ微笑んでいるクルトが珍しく焦っていた。
「クルト?」
「ライン」
 何かあったのだろう。
 そうでなければクルトがあんな表情をするはずがない。
「エリーが怪我して――」
「エルフリーデが?」
「うん」
 でも彼女は純血の吸血鬼だ。
 怪我なんてすぐに治ると思うけど――
「平気なんじゃないの?」
「うん……エリーは平気なんだけど……その…………ヒルトが――」
「ブリュンヒルトも怪我したのか?」
 それは大変だ。
「違くて」
「ん?」
 クルトは首をブンブン振った。
「エリーはね、ヒルトを庇って怪我したんだ」
 ああ、だから彼女が怪我をしたのか。
「それで……ヒルトが、凄い取り乱しちゃって――」
 そちらの方が大変だとクルトは告げた。
 ブリュンヒルトが……?
「うん。わかった。行くよ」
 心配だ。
「ブリュンヒルトは、エルフリーデの部屋?」
「うん」
「わかった」
 僕はすぐにエルフリーデの部屋に向かった。




 部屋の近くに行くと、泣きわめく声が聞こえた。
 間違いなくブリュンヒルトだ。
 彼女がこんな声を上げているところを見たのは初めてだ。
 ドアを開けて中に入ると、困ったような顔をしたハインリヒがブリュンヒルトをなだめていた。
 グレーティアもエアハルトも、ホルストもどうしていいかわからないといった表情をしている。
「どうしたの? ブリュンヒルト」
「い、いや――!」
 僕はブリュンヒルトの手を握る。
「どうしたの?」
「し、死んじゃ――」
 エルフリーデの事だろうか?
「死なないよ。純血の吸血鬼はそんなにやわじゃない。傷だってそんなにかからないで塞がるよ?」
「でも! 姉様は――」
 姉様?

「姉様は死んじゃった!」

 ブリュンヒルトが言った言葉……
 それで気がついた。
 ああ、そうか――
 彼女は――
 ブリュンヒルトを抱きしめて優しく頭をなでる。
「大丈夫だよ。エルフリーデは吸血鬼だから。死んだりしない」
「うぅ……」
「ブリュンヒルトのお姉さんは……ブリュンヒルトを守ってくれたんだね」
「……うん」
「大切だから生きて欲しかったんだ」
「…………うん。姉様は……わたくしを…………逃がすために刺された……」
「うん」
「…………わたくしを助けるためにそのまま囮になって、人間を引きつけて、殺されてしまった……」
 おそらく、二人は逃げている途中に人間に追いつかれそうになった。
 だから彼女の姉は妹を助けるために妹を人間の目から隠した。
 そしてそのまま自分に目を向けさせて、妹を助けようとしたのだろう。
 人間は、逃げる子ウサギよりも勇敢に立ち向かってくるウサギに脅威を感じた。
 だから、彼女は逃げ延びた。
 刃物で刺されてもなお、ブリュンヒルトのために、最後まで頑張った。

 それが、彼女の心の傷になっている。

 これが僕なら平気だっただろう。
 僕は男だから。
 でも、エルフリーデは女性。
 ブリュンヒルトと同じだと言うならば彼女の姉の髪は紫。
 エルフリーデの髪の色は桃色。
 似ていなくもない。
 だから、ダブって見えた。
 自分を庇って死んだ姉と――
「なん……で……いつも…………わたく……し……ばか……――」
 庇われるのは、辛いだろう。
 でも、僕にそれは理解できない。
 僕は、庇う方だから。
 庇われたことなどないから。
 わかったつもりになるのが精いっぱいだ。
「大丈夫だよ。だて、ほら」
 僕はエルフリーデの方を見て言った。
「彼女はちゃんと気が付いてる」
 ぴくり。
 涙で濡れた瞳をベッドにいるエルフリーデに向けた。
「心配……させてしまいましたね」
「あ……」
 そしてエルフリーデは手を伸ばした。
 反射的にその手を握り締めるブリュンヒルト。
「大丈夫です。すぐに治りますから」
「うっ――」

 ブリュンヒルトの鳴き声が部屋に響いた。

 僕はそっと部屋を後にした。
 もう大丈夫だろう。
 それにしても――
 はじめて知った。
 ブリュンヒルトは、家族の話をしないから。
 ……いや、したくなかったのだろう。
 それほど、傷になっている。
 殺された家族の話が出来るのは、ちゃんとその死を乗り越えられた者だけだ。
 記憶を思い出にしなければ、話せない。
 ブリュンヒルトは、まだ、姉の死を引き摺っている。
 それは、本人にしかどうすることもできないものだ。
 僕も、そうだった。
 ブリュンヒルトの傷が、早く治るように、祈ってあげることしか僕には出来ない。
 それが、少し悲しかった。