カツンカツン……
 
 整備されている街道を一人の男が歩いていた。
 手には黒い鞄を持ち、躊躇いもなく歩いて行く。
 街道には人一人いない。
 それも当然だ。
 一人で歩いていたら闇に襲ってくれと言っているようなもの――
 誰も好き好んで一人で街道を歩くような輩はいない。
 普通なら護衛を雇うか、牛車や馬車、竜車などを使用するのが一般的だ。
 当然のことながらお金がかかる。
 牛車が一番安く、次に馬車……そして竜車が一番高い。
 牛車は値段も安いが、速度も遅い。
 馬車は値段も速度もそこそこだ。
 竜車は値段は馬鹿みたいに高額だが、かなり早い。
 どの車にも軍警――警務治安維持軍の人間が最低でも一人はいるのでそれなりに安全は保障されている。
 だが、やはり庶民には少し高いためか、一般人が好んで使うのは遅くとも安い牛車だ。
 馬車を使うのは少し裕福な人間だけだ。
 そして竜車は貴族や王族しか乗れない。
 それだけ値段が高いのだ。
 でも普通なら車に乗るのが普通だ。
 遅いと言っても身の安全を取るのが人間だからだ。
 だが、その男はそんな事は全く気にせずに歩いていた。
 確かに歩いて街道を渡る者もいる。
 それはそういう方面の職に就いている者たちだ。
 
 グオォォオオオォオォォオオォォォォオオオオ…………

 
 獣の咆哮が響き渡った。
 その咆哮を聞いて男は立ち止まった。
「魔獣か……」
 そして咆哮が聞こえて来た方に視線を向けた。
 それは街道の遥か向こうだ。
 要するに進行方向だ。
 けして近いというわけではないが、普通ならお近づきにはなりたくないだろう。
 だが、そんな事全く意に介さず彼は街道を突き進んだ。
 
 
 しばらく歩いて行くと、だんだん騒がしくなってくる。
 一言で言うと戦闘を行っているのだろう。
 そして目でも視認できるようになった。
 目にも鮮やかな緋色の短髪の若者が図体のでかい魔獣と闘っていた。
 少し立ち止まってその様子を見ていたが、すぐに歩きだした。
 一応言っておくが、まだ立派に戦闘中だ。
 だが、その男が若者に接近する頃には戦闘は終わっていた。
「――!?――」
 緋色の髪をした若者は何事もないように接近してきた男に度肝を抜いた。
 髪と同じ緋色の瞳が大きく開かれる。
「オマエ……なんでこんな所を歩いてっ……!」
 それを聞いた男は事もなげに言い放った。
「キミも街道を歩いているじゃない? だからボクが街道を歩いていても何の問題もないじゃない?」
「い、いや、確かにオレは街道を歩いてるよ? でもそれはちょっと金欠だからで……」
 それを聞いた男はとても気の毒そうな顔をした。
「可哀想だね。牛車にも乗れないなんて――」
「いやいや違うでしょ! いや、違わないんだけど今は違うよ!」
「何が言いたいんだい?」
 要領を得ない会話に男は首をかしげた。
「オレはこういうの慣れてるからいいけど、オマエは違うでしょ!」
 そう叫んだ緋色の髪の若者はビシっと男を指差した。
 確かに緋色の髪の若者の言う事にも一理ある。
 彼は赤い鎧に黒いマントを羽織り、腰に剣を佩いている。
 それに比べて男の方は…………とても街道を歩くような格好ではない。
 武器という武器も見た所持っていない。
 持っているのは右手にある黒い鞄だけだ。
 空色のシャツに青いネクタイを締め、真っ白い上着を着ている。
 一言で言うなら、貴族が着ているようなとても高そうな服だ。
 それに左耳にこれまた高そうなピアスと、ネクタイからも同じように高そうなアクセサリーがぶら下がっている。
 どう見ても歩いて街道を渡る人間じゃない。
 男は牛車ではなく馬車に普通に乗っていそうな雰囲気と見た目だ。
 下手したら竜車にも乗ってそうだ。
 そんな人物が街道を歩くなんて……
「自殺行為だよ!」
「そう?」
 そんなことないけど、という男の言葉はすでに彼には聞こえていなかった。
「それによく見たらエルフじゃ……」
「あっはっは……やだなぁ。ボクはエルフじゃないよ?」
「いやいや、どこからどう見てもそうでしょ?! 耳が尖がってる人間なんていないよ!」
「だからボクはエルフじゃないって、ハイエルフだって」
 くすくす笑いながら彼は言い放った。
「……ハイエルフ?」
 きょとんとした顔で呟く若者。
「そうだよ」
 ニッコリと頷いた。
 そして言い放つ。
「見れば解るでしょ?」
「そんなの見てもわかんないよ!!!」

 若者の絶叫が街道に響き渡った。
 
 
「それで、どうしてこんな所をハイエルフが歩いてるの?」
「そんなの、この先にある商業都市ヘーゼルシュタットに行くために決まってるじゃないか」
 ちなみに商業都市ヘーゼルシュタットはこの先にある村と町を三つ超えた先にある。
 超えるのは村や町だけでなく、山と川もだ。
「物凄く遠いよ!!
 だからなんで馬車とかに乗らないで歩いてるの!? オレと違ってお金に困ってるようにはとても見えないよ」
 そう言われた男はあっさりと頷いた。
「うん。困ってないね」
「じゃあなんで?」
「そんなの、歩きたいからに決まっているじゃないか」
「おかしいよそんなの――――!!」
「どうして?」
 男は不思議そうに尋ねた。
「なんでわざわざ危険を冒すようなことをするの?」
「なんでって……」
「安全な方がいいじゃない! 何かあってからじゃ遅いんだよ!!」
 がしっと肩を引っ掴んでがくんがくん揺さぶられる。
「いや、それはわかってるよ?」
「わかってたら街の外を歩いたりしないでよ!!」
 若者は涙目だ。
(別にキミには全く関係ないじゃないか。
 ボクがどこで何をしようとも、全く)
 思いっきりそう思ったが、ようするに彼は自分を放っておけないのだろうと結論付けた。
 このまま一人で平気だと言っても心配し続けてくれそうだ。
 男はこっそりと笑った。
 こんなお人好しに出会うのも久しぶりである。
「キミはこれからどこに行くのかな?」
「オレは……とりあえずこの先にあるクーヴェンドルフに――」
 クーヴェンドルフはこの街道の先にある小さな村だ。
「ならば一緒に行こう。向かう先は一緒だ」
「そ……それはいいけど……」
 ニッコリと男は笑った。
「では何かあったらしっかりと守ってくれたまえ。小さな騎士殿」
「いや、守るよ! 守るけど……オレは騎士じゃないよ!?」
 若者のツッコミは止まらない。
(面白い人間に会った。
 これはしばらく楽しめそうだ)
 男は若者に気づかれないようにこっそりと笑った。