――もう、予知夢は見ることが出来ないかもしれない。
     水の都に何かがあったのならば……
     この異常気象も納得がいく。
     もし……水の神が……みな……


 嫌な考えばかりが頭をよぎる。
「今、この世界は危機に直面しているのかもしれない」
 思っていたよりも事態は深刻であろう事が予期され、フェネシスは暗くなった。
「水の都……浮遊島において水の神が職務を行う場所。そこは神と天使が集まり環境の保全を図る為に作った島。地上で最も神力の集まる場所」
「それが浮遊島ですか?」
「そう。
 その中でも水の都と呼ばれるものは四つ。”水蓮鏡(すいれんきょう)”、”透水郷(とうすいきょう)”、”水麗都(すいれいと)”と”水鏡都(すいきょうと)”。
 水の都というのは通称だ。
「まさか……全部襲われたりはしてませんよねぇ?」
 不安そうに言うシーファ。
「ん〜、でも……かなりの数の水の神がやられたんじゃないかな?
 そうじゃないとこんなに天候不順にならないはずだしね」
「そうですか?」
「うん。それに…………水の最高神である海水(かいな)様は無事だと思う」
「本当ですか?」
 今まで俯いていた少女が声を上げた。
「うん。間違いないよ」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
 シーファにはそこまでキッパリと言い切れるフェネシスの根拠がわからなかった。
「僕の力……落ちて来てはいるけれど、まだ消えた訳ではないから」
「あの……それって、水の神様が生きている事と何か関係があるんですか?」
 シーファは怪訝な顔をしてフェネシスを見つめた。
「あるよ。だって僕達天翼(アウィス)族は神と近しい種族だから」
天翼(アウィス)族だったんですか?」
 少女はびっくりしてフェネシスを見つめた。
「見て解らない?」
「そう言われてみれば……確かに……色素が薄いですね……」
 無遠慮にフェネシスを見つめながら少女は呟いた。
「神に近しいとはどういうことですか?」
 シーファが一度途切れた会話の続きを促した。
天翼(アウィス)族はね、最初から予知能力がある訳じゃないんだよ」
「そうなんですか!?」
 フェネシスは天翼(アウィス)族の真実を語り始めた。
「神と契約することにより、力を操る術を得るんです」
「力を操る術? 力ではなく?」
「うん。僕達天翼(アウィス)族は生まれつき神力が強いんだけど、その力を操る術は持って生まれては来ないんだよ。神様と契約してその術を得るんだ。契約した神の特性によって現れる能力や予知に違いが出るけどね〜」
「そうなんですか。では、それが水の最高神様の存命と関係が?」
「うん。僕の契約者が水神(みなかみ)海水(かいな)様だから」
 水神(みなかみ)海水(かいな)とは水の最高神の名前だ。
「――!!――
 じゃあ、あなたが蒼生天子様なんですか?」 
 少女は驚きを隠せずにいる。
「うん。海水(かいな)様は、僕には才能があるといって契約してくださったんです」
「フェネシス様……」
「もうどのくらいになるかなぁ……僕は十歳の時だったからぁ……」
 フェネシスは遠い目をして考え始めた。
 一体どの位昔なのだろう。自分の年ですら覚えていないフェネシスのことだから相当昔であると思われる。
海水(かいな)様のお蔭で今の僕があるから……」
 フェネシスはゆっくりと目を閉じた。




 ここは天界、清雅郷(せいがきょう)にある水麗都(すいれいと)と呼ばれる水の世界。
 水の神や海属性の守護天使達が世界をより良くする為に働いている場所だ。
 ここは、より高級な神達が働いている場所で、ここで働けるという事がどれほど名誉な事であるか知らないものはいない。
 そこに一人の青年が楽しそうに色素の薄い少年の手を引いて歩いている。
 蒼く光り輝く髪にアイス・ブルーの瞳を持った優しげな雰囲気の青年と、髪も瞳も肌も白い、全ての色素が存在しないかというほど色素の欠如した少年の二人だ。
 青年は青い服を着ているし、少年も白い服を着ているため、青と白の印象しか与えない。

 


 だが、ここは水麗都(すいれいと)。水と緑の世界。
 彼等の格好はここでは目立つことはない。
 涼しげな水の音が辺りを優しく包み込む。
 滝や湖、川などがわりと普通に存在している。
 それは一度見たら二度と忘れることが出来ないほどの壮麗な景色だ。
 その中を景色に見とれることなく、どこかに向かい歩き続ける二人。
 青年は立ち止まったり迷ったりせず、一定の速度を保ったままひたすら目的地に向かって歩き続ける。
 ただの散歩というわけではないだろう。
 少年は半ば引きづられるようにしてその青年についていく。
 だが、困惑した瞳は隠しようがない。
 それはしょうがないだろう。
 この少年はこの青年にいきなりここに連れてこられたのだから。
「あの! 海水(かいな)様!!」
 青年はぴたりと立ち止まった。
「何? フェネシス君? どうかしました?」
 少年……フェネシスの方に振り向き満面の笑顔を向ける海水。
 青年は水神(みなかみ)海水(かいな)。水の最高上級神であり、この水麗都(すいれいと)の最高責任者である。
 まだ若い――といっても神としてだが――が有能な力を持っているこの最高上級神が自分のような天翼(アウィス)族を連れている理由が少年には解らなかった。
「どうして僕をここに連れ来てくれたんですか?」
「如何してと言われましても、貴方と契約したいからですよ」
「僕なんかと?」
「その様な事を言うものではありません」
 優しげな光の中にも厳しさを含めた瞳をフェネシスに向けて諭すようにそう言った。
「自分を卑下するものではありません」
「でも……だって……あなたは水の最高上級神様ですし……僕は唯の天翼(アウィス)族です」
 フェネシスは下を向いた。
「貴方の中に眠っている力は貴方が思っている以上に優れいます。だから、その様な事はいわないで下さい」
 そう言われても不安そうだ。
「貴方の力を僕は認めました。だからその様に不安に思う必要はありません」
 それは見る者を安心させるような笑顔だった。
海水(かいな)様……」
「さぁ、行きましょう」
「はい」
 そしてまた海水(かいな)はフェネシスをつれて歩き始めた。
「あの……どうして僕を天界に連れてきてくれたんですか?」
 フェネシスはかねてから思っていたことを口にした。
「此処の方が貴方の力をより一層深く引き出す事が出来るからです。
 確かに地上でも力を引き出す事は出来ます。でも、此処で契約をするよりは質が落ちてしまうのです。だからこそ、貴方を此処に連れて来たのですよ」
「……僕の為に?」
「当たり前じゃないですか。僕が契約するのですよ? 万全を期したいでしょう」
「……海水(かいな)様」
 海水(かいな)は古典的な水の神の特徴を備えていた。
 ある一点を除いては。
 蒼髪蒼瞳で温厚、そしてかなりの平和主義者にして不老。
 水の神はほぼ全てがこの条件に当てはまる。自ら進んで争い事を起こしたり、身を投じたりなどけしてしない。
 だから普通は攻撃性の紋章術などは扱うことなど出来ないハズなのだが、海水(かいな)だけは違った。海水(かいな)には生まれつき攻撃性の力も持っていたのだ。
 それ故に水の最高上級神に選ばれた。
 まあ、海水(かいな)の場合、力だけではなく人格も皆から好かれ慕われていたからだが。
 そんな海水(かいな)に認められているという事がどれほど凄いことなのか、フェネシスにはまだ解らない。まだ十歳である少年には。
海水(かいな)様、どこに向かっているのですか?」
清浄涼麗祭壇(せいじょうりょうれいさいだん)です」
「祭壇?」
「そうです」
 海水(かいな)はそっと道の先を手で指した。
「この先に在るのですが……僕は其処で最も集中力が上昇するのです。あの場所に行く事により、一層集中力を高め、貴方の力を限界まで引き出す事が出来ます」
「あの、じゃあどうして今ここを歩いているんですか? そこに直接転送した方が良かったんじゃ……」
 そう言ってフェネシスは海水(かいな)を見た。
「見て貰いたかったのです」
「へ?」
「折角、天界の水麗都(すいれいと)に来たのですから、この景色を一度見て貰いたかったのです」
「景色を……?」

   ――海水(かいな)様は僕の為に時間を割いてくれている……


 それは海水(かいな)の優しい心遣い。
「この世界は、まだまだ棄てた物ではないと言う事を知っていて欲しかったのです」
 海水(かいな)は空を見上げてそう言った。
天翼(アウィス)族は……天使族の亜種ですが、その思考は限り無く魔皇(まこう)族に近いですからね」
魔皇(まこう)族……?」
 まだ幼いフェネシスには種族の話は解らない。
「自然を愛し、人間を破壊者として嫌っている種族です。普段は魔界、冥界、深淵に住んでいるのですが、地上にもいますね」
「自然を……」
 確かに天翼(アウィス)族は基本的に人間を嫌っており、自然と共に生きる種族だ。
「だから、僕は貴方にこの景色を見せたのです」
「?」
 フェネシスは海水(かいな)の意図が理解出来なかった。
「貴方には誰も怨んだりして欲しくないのです。ここは天界だから美しい景色だと思うかも知れません。でも、本当は何も変わらないのです。この島はね、地上のある場所と同じような構造をしているのですよ」
「そうなんですか?」
「はい。基本的には何も変わりません」
 海水(かいな)は側を流れる川の水に手を入れ、そっと水を掬い、肩の辺りまで持ち上げて手を放した。
 水が重力に従いキラキラと光り輝きながら落ちて行く。
「何も変わらない……僕達神だって自然を破壊する事だってあります。
 でも……この浮遊島は自然とは言わないですね」
 海水(かいな)は自嘲的に言った。
「え? それはどういう――」
「此れは神の造った人工物だから……だからこの島が美しいのは当然の事。その様に造られているのですから。この島が美しいと思えるならば、地上も美しいと思える筈なのです。
 此処よりはずっと生き生きとしているのですから」
 海水(かいな)は寂しそうだった。
「フェネシス君。気が付きましたか?
 此処には生き物……動物達が全く存在しないという事に」
「――――!?――――」
 そう言われて始めて気が付いた。
 水の音や風の音以外には何の音もしないという事に……
「……此処はね、綺麗だけど無機質な世界なんです。機械などと同じなんですよ。自然の中には生物は存在するべきだと僕は考えています。
 ――此処は寂しい場所です。生きているものの居ない世界に意味などありません。
 人は自然を破壊し尽くす事はけしてありません。そうしなければ生きて行く事が出来ないからです。自然もそうです。光と影はね、お互いが存在しあわなければ存在していないのと同じなのです」
 海水(かいな)は浮遊島を好いてはいなかった。
 海水(かいな)にとっては建物や機械などと同義であった。
 それ故に語る。
 世界について……
「この世界を嫌いにならないで。誰も怨まないで。この世界に存在するもので必要の無いもの等ありはしないのだから。誰かを嫌う事はとても悲しい事だから。哀しいけど消える事のない想い……貴方にはその様な想いを感じて欲しくはないのです。
 此れは僕の我儘です。
 自分の意見をただ押し付けているだけの。
 でも、もう少し大人になってから考えて欲しいのです。今はまだ理解できなくても、きっといつか理解できる日がやってきます。
 そして自分の思うように生きてください。
 僕の意志を尊重する必要はありません。
 ただ、知っていて欲しかっただけ。
 この様な考え方も在るという事を」
 この言葉は海水(かいな)そのものを現していた。海水(かいな)という人物の人格を……
「僕の言葉……覚えて置いてくださいね」
 それはとても重い言葉だった。
「はい」
 海水(かいな)はニッコリと微笑んだ。
「そういえば、天翼(アウィス)族は記憶力に優れた種族でしたね」
 天翼族[アウィス]の記憶力は物凄く、一度覚えたことを忘却することはあまりない。
「僕は此処が好きではないけれど……地上にある本物の自然は好きです。だから貴方にも好きで居て貰いたい。
 其処に住まう全ての生きとし生ける者と共に――」
「海水様……」
「さ、そろそろ生きましょう。契約を済ませてしまわないといけないですから」
「はい」
 浮遊島に住んでいるのは神と天使のみ。他に生物など存在しない。海水にはそれが無性に寂しかった。
 その事は幼かったフェネシスの心にもちゃんと伝わっていた。




「僕は記憶力は良いけど日付感覚はないから、もうどれ位昔なのか分からないけれど……」
「今のフェネシス様を形作るきっかけになったのが水の最高上級神様なんですね」
「うん、そうだね」
「だから父様、人間達にも力を貸してるの?」
「そう。
 全てのものに等しく接する、僕はそうする事にしてる」
 フェネシスが他の天翼(アウィス)族と考え方が違うのは海水様の影響が強い。
 海水様と出会っていなければフェネシスも他の天翼族[アウィス]達と同じ考え方をしていただろう。
「話が逸れたけど、僕の契約者は海水(かいな)様だから。海水(かいな)様に何かあったら僕の力も消えてしまうはずだよ」
 契約者が生き続ける限り、能力の行使を行い続けることが出来る。
「それに海水(かいな)様がいなくなれば世界の異変はこの程度では済まされないし、蒼生神殿ラインヴァンの特殊結界も消えたはず。
 あれは水の力を強く感じるから」
「そうだったんですか」
 フェネシスは桃色の髪に桃色の瞳をした天使の少女の方を向いて、
「お嬢さんは一体どこの浮遊島から落ちていたんですか?」
「……水蓮鏡(すいれんきょう)です……」
「…………そう」
 フェネシスの顔が目に見えて沈んだ。
 海水に何かがあったことは確実だから。
 そうでなければ能力の低下は起こらない。
「僕は諦めたりはしない」
 ぽつりと呟いた。
「信じ続けてみせる」
 そう言って上げた顔には先ほどまでの沈んだ表情は伺えなかった。
「この世界がどれほど悲惨な状況に陥っても――」
 それは全てを見届けることを決意した意志の現れ。
「……暗い未来が視えても……ですか?」
「僕は現実から目を背けたりはしないよ。それがどれほど辛い事でもね。
 それに、百パーセントじゃないしね。
 視えても当たらない事だってあるんだよ。
 絶望的な未来を視ても諦めることだけはしたくないんだ。そうしたら本当にその未来しかやってこないから。
 人の可能性を信じてるから」
 それは願い。
 人に自らの力で未来を築きあげて欲しいという……
「僕の未来予知ではなく、人間の可能性が無限にあることの方を信じて欲しい。人はどれほどの絶望に立たされても自分の力で切り開くことが出来るから。
 幻想ではなく事実だよ、これはね」
 永い年月を生き抜いてきたフェネシスの言葉には重みがある。
「……ラインヴァンを出るべきかな?久しぶりに」
「――――!?――――
 出るんですか?」
「うん。
 世界規模で何かが起こりそうな気がするから」
 シーファは生まれてこのかた神教国ラインヴァンから出たことがない。フェネシスにしても、ここ数千年はずっと蒼生神殿ラインヴァンに居るため外に行くのは久しぶりだ。
「さしあたって陸続きな技術国ヨトゥンヘイムにでも行こうか」
「はぁ……」
「どんな風になってるんだろうね? 久しぶりだからだいぶ変わってるだろうな」
 天翼(アウィス)族であるフェネシスとシーファでは時間感覚というものが根本的に異なっている。
「お嬢さんはこの後どうするんですか?」
「え? あ、私ですか?」
 行き成り振られて少々驚いたようだが、しばらくすると落ち着いて逡巡した。
「本当は、他の神様方や天使様方にお知らせするべきなんですけど……私、今飛べませんし……」
「大きな事件だからもう知れ渡ってると思うよ」
「うっ……そ、そうですね」
 今頃天界では大騒ぎだろう。
「もし良かったら僕達とご一緒しませんか?」
 少女はその言葉にぴたりと止まった。
「……いいんですか?」
「僕はいいから言っているんです」
「私もフェネシス様が良いというなら」
「父様がいいなら僕も良い!!」
「あ、ありがとう」
「気にしないで良いよ。
 でもその翼は目立つよねえ……シーファ、僕の予備の外套貸して上げて」
「はい」
 シーファはフロストの背にある荷物から白い外套を取り出した。
「そういえば自己紹介がまだだったね。
 僕は天翼(アウィス)族のフェネシス=ラインヴァン。
 で、この子が青飛竜(ブルーワイバーン)族の――」
「フロストだよ」
 青い色をした飛竜が元気に挨拶をする。
「私は山猫(リュンクス)族のシーファです」
 シーファが少女に外套を渡しながら自己紹介をする。
「貴女は?」
 少女は外套を受け取ると、
「私は雲の守護天使のレイシェルです。よろしくお願いしますね」
「うん。よろしくね。
 さて、レイシェルは怪我してるから歩くの辛いよね。天使は元々余り歩かなくてそんなに丈夫じゃないし。僕と一緒にフロストに乗って下さい」
「じゃあ、よろしくお願いしますね」
「うん」
 見た目によらず怪力なフェネシスは軽々とレイシェルを抱えるとフロストの上に乗った。
「さて、じゃあ、行こうか」
「はい」
「じゃあね、アレナ。レイシェルを引き上げてくれてありがとう」
「あ! そうだったんですか? あの、ありがとうございました」
 初めて聞く事実に驚きながらもレイシェルはお礼を述べた。
「いいえ。引き上げただけですから。応急手当をしたのは蒼生天子様ですしね」
 苦笑しながら言うアレナ。
「それでも助けていただいたことには変わらないですから」
「どういたしまして」
「では僕達は行きますね」
「はい。頑張ってくださいね」
 フェネシスはアレナにひらひらと手を振った。
 フェネシス達は森緑の湖ムーンレイクを後にした。