深々と雪が降り続ける中、厚手のコートを着込み、フードを目深にかぶった人が歩いている。
 寒いのだから当然だろう。半端な格好で行けば間違いなく凍死する。ここはそんな場所。
 いや、ここだけではない。この大陸はどこへ行っても寒い極寒の地だ。
 一年中雪に覆われている大陸ニフルヘイム。
 ここでは雪が解けることなどない。
 だから、人の暮らしている場所は僅かだ。
 ここは人々から魔境と呼ばれている大陸。
 こんな大陸に来るのは冒険者や考古学者ぐらいなものだろう。
「ん〜…………」
 その人物は、雪に濡れた羊皮紙を片手に持ってキョロキョロとしている。
「どうして…………」
 立ち止まり、改めて辺りを見回す。
「……森の中にいるんだ。遺跡に向かってたはずなのに……」
 そう思い、また羊皮紙を見つめる。
 その羊皮紙に書かれているのはニフルヘイムの地図だ。
「どうみても、古代遺跡サルヴィスの隣にある迷いの森スノーラビリンスだよな」
 前も後ろも一面真っ白に彩られた木に覆われている。
「一度入ったら出でこれないとかいう話を村で聞いたような……」
 この人物は相当な方向音痴のようだ。
「参ったな。コンパスは磁場のせいで使い物にならないし。一面木だし。
 ま、取りあえず歩くか」





 しかし、いくら進んでも銀世界からは抜け出せなかった。
 雪の上を歩いているのだから足跡が残ってわかりそうなものだが、どうやらそこまで考えが及ばないらしい。
 そもそも、そこに気が付いて引き返せるくらいなら道に迷ったりはしないだろう。
「白い……白過ぎる。こんな所にずっといたら目が痛くなってくる。
 それにだいたいこれじゃあ、進んでるのかわからなくなってくるぞ」
 そこは、単調で何も無い世界だった。
「なるほど……一度入ったら抜け出せなくなるわけがわかった」
 びゅ〜――――
 急に雪の勢いが強くなった。
「吹雪いて来たな」
 吹雪はどんどん酷くなっていき、視界を塞ぐ。
「これは……もしかしなくても遭難だよな」
 あたり一面銀世界。人などいるはずも無く……魔境であり、迷いの森として噂に名高いこのスノーラビリンスに救助が来ることなどありえない。
「このままだとまずいな……」
 雪が酷くなればなるほど体が冷えやすくなる。
「こんな所で凍死はゴメンだ」
 ため息を一つついてから、印を結ぶ。

   ……  ι γ θ τ ς α η ε θ ι τ ø ε

 彼の下に紅く輝く紋様が現れる。

   ――熱(まと)う旅人が(うた)俚謡(りよう)


 体を紋様が取り囲むように上がっていき、ぼんやりと体の表面が紅く光る。
 これは体を温める熱の紋章術。
「よし、これで凍死の心配はいらないな。
 全く、せっかくの休暇なのに災難だ……」
 そう思いつつも足取り軽く歩いた。
「歩きにくいな」
 暖房の術をかけたため、足元が融けて沈んでいく。
「多少は我慢しないとな」
 だけど、行けども行けども同じ景色ばかり。
 雪だけは確実に増えていく。
「やばいな」
 そう心では判っていてもどうにもならないことがある。
 今はただ進むしかなかった。





 しばらく歩き続けた。
 相変わらずの単調景色にうんざりして来る。
「――ん?」
 何かえらく不自然なものを見つけてじっと見てみる。
「雪がへこんでいる様な……気のせいか?」
 じっとその一点を凝視する。
「…………やっぱり、へこんでるよな」
 どう見ても雪はへこんでいるのに周りには足跡一つ無い。
 足跡が消えるほど雪が降り積もったならその部分も雪で埋もれて見えなくなっているはずだ。それなのに、そのへこみ以外には何も見当たらない。
「何かいるのか?
 近づいてみようか? でも魔物だったらなぁ……
 返り討ちにすればいいか」
 あっさりと問題は解決した。
 そのまま用心しつつも近づいて行く。
 そして、雪のへこみを覗き込む。
「――!!――」
 そこには人が倒れていた。
 場所が場所だけに生きているのか判別がつかない。
「こんな所に倒れてたら間違いなく凍死するよな。
 でも、そんなに雪が積もってないところを見ると倒れてからそんなに経ってないのか?
 でも結構深く埋まってるよな。
 いや、それよりこの格好からすると出血死かもしれないよな」
 その人物は、血塗れの外套を身にまとっていた。元が何色だか解らないほど、その外套は赤黒く染まっている。
「それにしても不可解な現象だな」
 普通の人間には足跡を残さずに移動するのは無理だ。
「人間じゃないのか?
 それにしても、随分と小柄だな。
 小さいから沈まなかった?
 いや、それなら倒れたぐらいでこんなにも深くは沈まないだろう」
 その人物はフード付きの外套に身を包んでいるために顔が良く見えない。
 取り敢えずその人物の横にしゃがみ頬に触れる。
「脈は正常だな。恐ろしく冷たいけど……ということは生きてるのか。
 でもこのままじゃ確実に死ぬよな。
 しかたない、ちょっと地面を出すか」
 ゆっくりと立ち上がるとその人物に背を向ける。
 目を閉じて前方に手を差し出す。
 そして素早く印を結ぶ。

   ……  ι γ θ σ π ι ε μ ε ζ ε υ ε ς

 彼の下に紅く輝く紋様をまとった紋章陣が現れる。
 炎が彼の周りを踊りながら前方に差し出した手に収束して球を形作る。

   ――火に遊ばれし子羊の群


 手に収束した炎を前方に解き放つ。
 着弾地点を中心にさして広くない範囲内を荒れ狂う炎が飲み込みあっという間に雪を水蒸気に換えた。
 霧に様に水蒸気が立ち込めるがすぐに消えるだろう。
 それから巻き添えを食らって樹が何本か消し炭になった。
「問題はないだろう。
 これだけ広い森の樹の二、三本なんて……
 う〜ん……薪も欲しいな。
 でもこんな所に落ちてるわけないんだよな。
 ま、当然だろうけどね」
 彼は適当な樹を見つけると――

   ……  ι γ θ σ γ θ ξ ι τ τ ε σ

 印を組む。
 足元に緑の紋章陣が出現すると同時に風が集まっていく。

   ――疾風(しっぷう)引裂(ひきさ)(みどり)の騎士


 現れた風の刃は目標の樹を滅多切りにした。
 だが、バラバラになった木を薪にするには少し大きすぎる。
 懐から装飾に凝った銀色の小型の短剣を取り出し、さらにポーチから銀色の宝石を取り出した。
 銀の短剣を左手で持ち、銀の宝石を右手で短剣の上に添える。
「解呪召喚」
 銀の短剣が淡く輝く。
 普通の状態では木を切ることが出来ないので、切れ味をよくするために魔力付加(エンチャント)を施したのだ。
 これでちょうど良い大きさに切ったり葉を落としたりして薪にしていく。
 ある程度たまった所で薪を並べる。
 普通なら生木なうえに湿っぽいこんな薪が使えるはずがないのだがそこは術師の特権。紋章術を使って軽く燃やすことにする。

   ……  ι γ θ σ π ι ε μ ε ν ι τ ζ μ α ν ν ε

 手に赤い炎が集まり収束する。

   ――(ほのお)(もてあそ)ぶは紅蓮(ぐれん)の道化


 それを薪に向かって放つ。
 ぼぉっ!!
 勢いよく燃え、辺りを明るく照らした。
 彼は雪の上に倒れているその人物を抱えると炎のそばに寝かせた。
「う〜ん……少し暗いな。雪も邪魔だし。しかたない、明かりつけて結界でも張るか」
 彼は荷物をあさり水晶球と四本の金色の楔を取り出した。
 薪を中心にして四方に楔を差し込む。
 これは、楔で囲った中と外とを隔離する結界を張る魔法道具だ。精神力を消費せずに使用できるため、疲れないし、術が使えない者でも使用することが出来る。
 楔が共鳴して勝手に楔の中に結界を張るものなので、三本以上ないと使えない。そして、楔が刺さらない所でも使えないという欠点を持つ。
 水晶球の方は最初から光球の紋章術がかけてある魔法道具だ。
 これは浮遊の紋章術も掛かっているのでふわりと浮かぶ。
 手を離すとふわりと浮き上がり辺りを明るく照らし出した。
 それから改めてその人物に眼をやる。
 フードを外すとまだあどけない顔をした幼い少年である事がわかった。
 だが、この少年が見た目通りの年齢とは限らない。人間であればまず間違いなく見た目と年齢は一致するのだが、生憎と今回は違った。
「……イヌ? いや、オオカミ? ん〜〜〜〜、ああ! キツネか」
 その少年は人の姿こそしているものの、本来人間の耳にあたるところからイヌ科の耳が生えていた。よく見ると付け根が黒くて先の方が灰白色のような色をしている。
 この色合いの出方や微妙な形から言って犬や狼ではなく狐の耳だと判断したらしい。

 


銀狐(ルナール)族? 白狐(ソーロ)族? それとも黒狐(リサー)族か? 狐人(ウルペース)族じゃないよな」
 狐族と言ってもいろいろある。
 銀狐(ルナール)族は灰白色の耳を持ち、同じく灰白色の尾を持っている。白狐(ソーロ)族は銀狐(ルナール)族より色合いが白い。純白の耳と尾を持っている。それと対称な存在なのが黒狐(リサー)族だ。黒狐(リサー)族は真っ黒な耳と尾を持っている。この種族等は狐の特徴を持った人型の種だが、狐人(ウルペース)族だけは違う。狐人(ウルペース)族は獣人族と呼ばれる、普段は獣の姿をしている種族のことだ。自分の意思で人の姿になることが出来るが、変身後は完全な人型になるので、人間との区別は殆どつかない。
 だから、この少年が、狐の特徴を有している限り、獣人族である狐人(ウルペース)族ではないということだ。
「この色は……銀狐(ルナール)族……か? 黒狐(リサー)族はもっと黒いし逆に白狐(ソーロ)族だったらもっと白いよな」
 彼はじっと無遠慮に少年を見詰めながらそう呟いた。
「あ! それより怪我を調べないといけないよな」
 外套の色が変色するほどの怪我なら治療してやらないといけない。こういう時に生命の紋章術が使えないのは不便だ。それに、彼自身も怪我なんて滅多にしないので薬もそんなに持ち合わせてはいない。
「――――!?――――」
 彼は外套を外して思わず眼を疑った。
「……翼……――――」
 その少年の背から生えているのは紛れもない鳥科の翼だった。

   ――キツネの耳に白い翼………………………………こんな種族いたか?


 彼は必死に記憶を探ったが、、全くそのような種族は出てこなかった。
「後でパソコンで検索してみよう。政府のデータベースになら有力なじょう――――」
 そこまで考えてはたと気が付いた。
「怪我を調べる予定だったな」
 脱線した思考を無理やり戻すと少年を手早く調べた。
 だが、眼に見える傷や怪我というものは存在しなかった。

   ――この外套の血はこいつの流した血じゃないのか……?
     そういえば、こいつの着てる外套は確かに血塗れだったけど中に着てる服は綺麗だったな。
     他人の血……か……?


「……取り敢えず体が冷え切っているから温めてやらないとな。
 でも、この外套じゃ温まらないだろうな」
 少年の着ている外套はかなり薄手で防寒機能は無いに等しい。このままでは凍死するだろう。
「仕方ない」
 彼は少年から血塗れの外套を脱がせて、何か身元がわかるものが無いか調べたが、少年は何一つ持っていなかった。
「IDカードも持ってないのか!?」
 彼は自分の着ていた白い外套を着せた。この外套はかなり厚手で保温効果に優れており、暖房の術の効果によりかなり暖かくなっている。
「俺が少し寒いが……紋章術使ってるから凍死はしないだろう。重ね着もしてるしな。
 それよりなんでIDカードも持ってないんだ? 在り得ないだろ」
 IDカードは身元や個人のデータが入っているカードで、命の次に重要だといわれるものだ。それを持たない者など存在しない。
「気になることはたくさんあるが……さて、これからどうするか」
 彼は懐から懐中時計を出して時間を確認した。
「……今日はここで野宿だな。辺りもなんかますます暗くなってきたし」
 普段から雪が絶えないこの地域の空は常に厚い雲に覆われており晴れ間が射す事なんか殆どない。だから、時計を見なければ昼か夜かも判然としないのだ。流石に夜の方が暗いが、ここは森に囲まれていていつでも少し暗い。
 彼は自分の外套で包み込んだ少年を抱き締めると横になった。
「紋章術で火を付けたから一晩は消えないな。火事の心配もないし。さて、寝るか」
 彼はそのまま眠りについた。