クリストは目が覚めた。
曇っていて、朝日は拝めないが一応朝だ。
隣のベッドを見るとクラウスが気持ち良さそうに眠っている。
クリストは起こすべきか迷った。
疲れているのならもう少し休ませてあげたい。
そう思い、しばらく様子を見ることにした。
そして一時間が過ぎた頃――
「いいかげん起こした方が良いよね」
相変わらずクラウスは寝ていた。
「クラウスさん! クラウスさん!! 朝です、起きてください!!」
クリストは揺さぶって声を掛けた。
「ん〜〜〜〜…………」
ゆっくりと青い瞳が覗く。
その瞳はとろんとしていてかなり眠たそうだ。
「クラウスさん、おはようございます」
再び閉じられる瞳。
「……………………」
その様子にクリストは慌てた。一瞬起きただけでは意味がない。
「クラウスさん!! クラウスさん!!」
結局、クリストはクラウスを起こすことが出来ず、クラウスが起き出したのはそれから三時間も経ってからだった。
「〜〜〜〜…………も、朝?」
まだ寝ぼけていた。
「いえ、もう昼です」
時刻は既に十一時を回っている。とても朝とは言えない。
「………………そう」
けだるげに起き出すクラウス。
「あ……あの……起こした方が良かったですか?」
「……いや。別に急ぎじゃないから」
クラウスはぼぅっとしながらもやっとベッドから立ち上がりふらふらと洗面所に向かう。
「あの、クラウスさん、平気ですか?」
とても平気そうには見えないのだが……
「ん〜〜、低血圧で……いつも昼になってるんだよな……」
気にするなと言い、顔を洗い歯を磨き始めた。
この時間でまだ眠いとはかなりの低血圧だ。
洗面所から戻って来たクラウスはよろよろと着替え始めた。
危なっかしいとしか言いようがない。
そしてなんとか着替えを済ますと荷物を纏め始めた。
「……昼飯にするか」
「はい」
その頃になると大分目が覚めたのかシャキッとまではいかなくとも危なげはなくなった。
二人は一階の食堂に行った。
クラウスは席に座るなりメニューを見始めた。
だが、クリストは困ったようにクラウスを見ている。
視線を感じたクラウスが顔を上げた。
「どうかしたのか?」
「あ、はい。その……昨日からずっと気になっていたんですけど……」
「うん」
「どうして全く違う言語を話しているのに通じてるんですか?」
その言葉にクラウスは沈黙した。
当たり前のように言葉が通じていた為、失念していた事実に気付く。
そう、言葉の壁に……
「そういえば……IDカード持ってなかったな」
「はい。あの、それが何か?」
また、困ったことでも起きたのかと不安な顔をするクリスト。
身元不明以上に困ったこともないと思うが……
「ああ、IDカードには簡単な翻訳機が搭載されてるんだ」
「……それで通じてるんですね」
あの小さなカードには情報がぎっしりつまっているらしい。
「でも、あれに入ってるのは主要十一ヶ国の言語だけだからその他の言語まで訳せないけどな」
だから俺の話してる言語はIDカードには入っていないんだとクラウスは言う。
「え? でもここの人たちにはちゃんと通じてましたよね?」
「もっと高性能なちゃんとした翻訳機を持ってるんだよ」
「ちゃんとした翻訳機?」
「ああ、市販されてるもので少々値は張るが現在確認されてる種族のほぼ全ての言語を訳せる優れものだ。
まあ、店で働いてるやつはこれが必須だな」
客商売なのに言葉が通じなかったら商売上がったりだろ、と言いながらクラウスは首の辺りをごそごそして、つけていたアクセサリーを外した。
「これがその翻訳機だ」
「これが!?」
それは何処からどう見てもただの銀の十字架にしか見えなかった。
「まあ、形はこれだけじゃないけどな。アクセサリー感覚で身に付けられるようにいろいろ凝ったデザインがされてるんだ。
それだって、実際に銀で出来てるのは外殻だけで中身は高性能なナノマシンが詰まってるんだぞ」
クラウスはじっと見ているクリストに十字架を渡した。
「へぇ……凄い。身に付けてるだけで平気なんですか?」
「そう。それにただ言語を訳すだけでなく、文字も訳してくれるんだぞ」
「文字も!?」
クリストにはこういう科学技術的な知識はないらしく、しきりに驚いている。
「じゃないと不便だろ?」
「それはそうかもしれませんけど」
どうやって……?
見るからにハテナマークを飛ばしているクリスト。
「最新技術が詰まってるんだよ。特にそれは紋章科学で世界一の神州国アスガルド産だからな」
他の国よりコンパクトで高性能だと言い切った。
「文字は見た時に頭の中に言葉が浮かぶようになってる」
クリストはへぇ〜と言いながらクラウスに渡された十字架を見ている。
「クリスト」
「あ、はい。すみません、いつまでもじろじろ見てしまって――」
クラウスは、あわてて返そうとしていたクリストを制した。
「それはお前が身に付けていろ」
その言葉にクリストは慌てた。
「そんな! そんなことをしたらクラウスさんが――」
「俺は平気だ。IDカードがあるからな。
言ったろ、主要国の言語は入ってるって」
「え、あ、そういえば……」
「アスガルドに帰るまでならIDカードでも平気だ」
ないとお前が困るだろうとクラウスに押し切られ、クリストはしばらく翻訳機を借りることになった。
すると、確かにメニューの文字がわかる。
「凄い……」
メニューに見入っているクリストをクラウスはただじっと見つめた。
――俺の話している言葉が理解できるという事はクリストは神魔言語を話しているということだ。
今この世界でこの言語を主に話しているのは聖族、
クリストに関する謎は増えるばかりだ。
「あの、クラウスさん。何か頼むんじゃないんですか?」
「あ、ああ、そうだな」
二人はさっぱりしたものを頼んだ。
「クラウスさん、どうやってアスガルドに行くんですか?」
食事が届くまでの空き時間を利用して聞いてみる。
「ん、行き方か……行き方は――
まず、この村の北にある
「やっぱり結構遠いですね」
聞く限りではとても近いようには思えない。
「船旅が長いだけだ。それに帰るまで有休持つし」
誰もそんな事は聞いてないのだが、一体何日有休があるのか気になる言葉ではあった。
「グラッズヘイムに着いたら医者に見て貰おうな」
いきなり話が飛んだ。
「医者?」
何でいきなり医者と思いつつ返事をするクリスト。
「
「エメラルド?」
「ああ、悪い。普通部救護課のことを
「そうなんですか」
それは明らかに軍人だ。
「お前の記憶を取り戻す手掛かりが見つかった方がいいだろ?」
「あっ……!」
言われるまで気が付かなかった。
「そうですね」
「それに見た感じからは解らないが体に異常がないとも言い切れない。一度精密検査をしておかないとな」
クラウスはクリストが精神的に何の異常もないとは思えなかった。
クリストは絶対に何かがあり、そのために記憶を失ったのだ。
――何もなければいいが……
「お待たせしました! モーニングセットのAとCになります」
朝食が来た。
「さて、飯も来たし食べるか」
「いただきます」
二人は朝食を食べ始めた。
――この人なら大丈夫……
この人はきっと僕の助けになってくれる。
頼りがいのある人……
僕は独りじゃないから……
食事を終えた二人は宿屋を出て村を出た。
村を出た途端に辺りの景色が豹変する。
硬質なクリスタルのような結晶群が道の周りにびっしりと生えている。
「これは……?」
「ここは氷晶渓谷クリスタル。この結晶は自然の摂理による現象」
不思議そうに結晶群を見ながら歩くクリスト。
「触ると凍傷になるぞ。――つーか、手がくっついて離れなくなるぞ」
「……う、そうなんですか?」
「絶対零度の氷だからな」
思わず結晶から一歩引いて歩いた。
「ここの気温とたまに降って来る雪によって出来上がるんだ。物凄く長い年月を経て出来上がるものだから貴重は貴重なんだが……」
クラウスが楽しそうに笑った。
「これを解析しろと言われたらしく、
働いている部署が違うのによく知っているものだ。
「別に触らなければ平気だ。ここを抜ければ氷晶都市カーティスだ。道沿いに綺麗に生えてるから迷う心配もないし」
方向音痴のクラウスにとっては切実な問題だ。
「あの、僕思ったんですけど」
「ん?」
「道の上には出来ないんですか?」
クラウスの説明の通りなら道の上に出来てもおかしくはない。
「出来るよ」
クラウスはあっさりと言った。
「道の上に出来たものは壊すんだよ。通行の邪魔だからな」
確かにそうだ。
「あまり人が通らないと小さい結晶がたくさん出来てな。邪魔だから壊しまくったな」
どうやら誰も通らない日が続いていて道はすっかり細かい結晶群に覆われていたようた。それを破壊しながら道を作って村に来たらしい。
「どうやって壊したんですか? 紋章術だと威力が強すぎて広範囲の結晶が蒸発してしまいますよね?」
「そんな事はないぞ。
圧縮した熱の紋章術を使えば周りを傷つけずに消せたし」
確かにそれならば沢山の結晶を一度に消してしまう事もないだろう。
「やっぱりクラウスさんは凄いですね」
「そうか?」
クラウスにそういう事は解らないらしい。
価値観が違うのだろう。
「もうそろそろ見えて来るはずなんだが……」
氷晶都市カーティスの事だろう。
「あ、見えました。結構大きい街ですね」
「見えるのか?」
「はい」
どうやらクリストはクラウスよりも視力が良いらしい。
そしてしばらく歩くと街についた。