三日後、神州国(しんしゅうこく)アスガルドの交易都市セレスエラに着いた時、クリストはやはりふらふらだった。
 定期船より速い分揺れが酷かったのだ。
 クラウスはクリストを行きつけのカフェに連れて行った。

 


 クラウスはカプチーノを、クリストには一応ココアを頼んだ。
 クリストはとても飲めるような状況ではなかったが。
 でもしばらくすると大分落ち着いて来た。
「ごめんなさい。迷惑掛けて――」
 クリストはかなり暗くなっていた。
「気にするな。誰にだって苦手なモノくらいある」
「…………はい」
 それでもあまり気分は晴れなかった。
 迷惑を掛けているのにさらに足を引っ張っているとクリストは落ち込んでいた。
 カフェテリアで静かな時間が流れた。
 自分達が話さないと他人の言葉が嫌がおうにも聞こえて来る。
「…………それで、これから水上都市グラッズヘイムに…………で…………」
   ――グラッズヘイムかぁ……僕たちもこれから行く所なんだよね。


 と、微妙に聞こえて来た会話の断片に出て来た単語を聞きながらクリストはそんな事を思った。
「ん?」
 だが、クラウスは少し顔をしかめた。
「…………だから……………………ないのですが…………陸路……………………」
「むむ」
 さっきから聞こえて来る一際しっかりとした声に反応するクラウス。
 何か気になる事でも話しているのだろうかとクリストは少し心配した。
「クラウスさん、どうかしたんですか?」
「ん、ちょっと……」
 クラウスは椅子を後ろに引き振り返った。
 そこには調度赤髪の青年と茶髪の青年が一人の老紳士と一緒に歩いて来る所だった。
「…………だから、このまま…………」
 声音からするとこの人達がさっきの会話の人だろう。
「久しぶりだな。ラス、ルーファス。熱心に仕事中?」
 クラウスはいきなり声を掛けた。
「誰かと思えば…………クラウスか」
「久しぶりだね、クラウス執行吏。でもよく無事に帰って来れたね」
 どうやらクラウスの知り合いのようだ。
「それはどういう意味だ?」
 聞き捨てならない一言に眉をひそめるクラウス。
「お前は手の施しようのないくらい完璧な方向音痴だろうが。だからすんなり帰って来ないんじゃないかってな」
「失礼なヤツだな」
 クラウスの方向音痴は筋金入りのようだ。
「クラウスさん、あの……お知り合いですか?」
「ああ、こいつらは司令部に所属しているが。まあ、いわゆる同僚だな」
「そうなんですか」
 この会話でクラウスの同僚だという二人の青年は始めてクラウスに連れがいた事に気付いた。
「珍しいな。お前がガキを連れてるなんて」
 意外だと言わんばかりの台詞を投げ掛ける茶髪の青年。
「こいつはクリスト。俺が保護した」
「保護? という事はワケあり?」
「記憶喪失だ」
 その言葉に二人は一瞬目を見開く。
「ほぅ……それは難儀だな」
「IDカードも持ってなかったから何もわからないしな」
「手ぶら!?」
 その言葉を聞いた途端二人は身元不明の少年クリストを複雑な表情で見た。
「それは……難儀だな」
「でも、クラウス執行吏に会えたからまだマシじゃないの?」
 その台詞は的を射ている。
「そうだな。クラウスなら誰に何と言われようが押し通せるだけの根性と権力と能力と財力があるからな」
 たった一人で全部持っている人もそうはいないだろう。
「人間が持てるのは根性ぐらいだよね? だって、どう考えたって身体能力の高い亜人に人間は敵わないんだからさ」
「そもそも人間が少ないだろう」
 世界の人口の約十パーセントしか人間はいない。残りの約九十パーセントは身体能力の優る亜人たちだ。
「人間は弱いからな。魔族や魔物がはびこるようになってからどんどん数が減っている。
 まぁ、弱い者から消えていくのが自然の摂理だがな」
「オレだったら面倒みきれないよ〜。」
 オレじゃ身元不確定者を街に入れてあげられないし、魔族から守りきる自身もないし」
「確かに、クラウスなら魔族に襲われても平気だな」
「少しは心配しろよ」
 全く心配されていない事に不満を覚えるクラウス。
公爵(デューク)級を心配してやる程暇じゃない」
「そうそう、公爵(デューク)級だしねぇ」
 公爵(デューク)級という言葉にクリストは止まった。
公爵(デューク)級ってあの…………術師に与えられる爵位の称号の…………ですか?」
「おう、その通りだ少年」
 公爵(デューク)級とは術師――術を教える事の出来る資格である爵位の最上級位であり、世界に数十人もいないと言われている程難易度が高い。
 筆記と実技があり、筆記は精霊原理学、心理学、科学、経済学、政治学、果ては歴史など術だけじゃなく様々な知識を要求されるし、実技は基本は出て来て当たり前。主属性と副属性は全てマスターしていることが大前提。そして、応用力や詠唱の速さや威力、コントロール、アレンジなど高度な実力を問われる。
 この世界最難関のテストをパスした者は最高の権利を得る。
 基本的に爵位の試験を受けるためには爵位を既に持っている者の推薦状が必要で、犯罪者や不侵者は受けることが出来ないようになっている。犯罪を犯すと爵位は剥奪される。
 爵位を持っているという事は自分が世界から信頼における人物だと認められてことことになる。だから全ての国でこの公爵(デューク)級の資格を持っていると面倒な手続きなしに(ゲート)を通ることが出来るし、多少の無理も通ってしまう。
 就職には断然有利でどこにでも雇ってもらえる。
 それほど凄い資格をクラウスは持っているのだ。
 クラウスのIDカードを見て顔を青ざめさせたり、多少の無理も普通に通ったり、クリストが街に入ることが出来たのも納得がいく。
「だからクラウス執行吏に逆らって勝てるような奴はあまりいないわけだ」
 確かに公爵(デューク)級ならば余裕で魔物などを倒せるだろうし、魔族ともやりあうことが出来るだろう。
「そんな凄い資格を持っているのに……文官やってるんですか?」
「ああ、俺は他人のために命は張りたくないからな」
 だから武官なんて真っ平ゴメンだと言う。
「…………じゃあ、どうして僕を……?」
 何が起こるかなんて、この世界ではわからない。
 ましてや、正体不明の者など…………
「さぁ? どうしてだろうな」
 そう言ってクラウスは苦笑した。
「俺は自分の生命を犠牲にして誰かを救おうとは思わない。
 だから、本気でやばくなったら見捨てるタイプだ。
 クリストもよく覚えておくと良いぞ」
「それも生き方だな。ある種の強さがなければ見捨てることは出来ても後悔は残る。
クラウスは見捨てることで断ち切った者の分まで生きる覚悟がある。
 その事で後悔はしないからな」
「当たり前だ」
「それなのに執行吏なんだよね」
 悪いかと言い切るクラウス。
「そう言えば、自己紹介がまだだったな」
「そういや、そうだね。
 オレは特殊部戦闘技術課隊長、人間族のルーファス=レイ=ラドクリフだ。よろしくな」
 赤い髪に青い瞳をした青年が自己紹介する。快活そうだ。
 人間という事は見た目通りの年齢だろう。
「俺は一応司令部を統括する司令官をしている、ラス=フリューゲルだ」
 濃い、茶色に一部薄く茶色いメッシュの入った髪をし、紫色の瞳をした青年だ。
 ただ、背中と本来耳が生えるべきところから竜の翼が生えていたり、尻尾があったり、足に鋭い爪が生えていたりして何処をどう見ても人間には見えない。
「竜族ですか?」
「ああ、古代竜(エンシェントドラゴン)族だ」
 わりと珍しい種族だ。
 古代竜(エンシェントドラゴン)族は身体能力が他のどの竜族よりも高く、最も古い種族だといわれている。あまり人前に姿を見せない種族のはずだが……
 見た目は若くても相当長生きしてそうだ。司令部のトップをやるぐらいはどうってことないだろう。
「二人とも偉い人なんですね」
「まあ、今回は法治国(ほうちこく)ミズガルドの科学研究所主任研究員ヘルゼス博士の護衛任務だからな」
 へたな人材が使えなかったんだろう。
 どうやら賓客らしい。
「そうは言うけど、クラウス執行吏の前じゃかすむね。特にオレは」
「ふぇ? どうしてですか?」
 その途端、ラスとルーファスは顔を見合わせた。
「何だ。ホントに何も話してないようだな」
 確かに、種族以外は聞いてないなとクリストは思った。
「ああ、執行吏って言ってもわからないのか。確かに、アスガルドは他の国とは制度が少し違うからね。
 アスガルドには国を支える三つの機関があって、それが行政部・司令部・執行部だ。その各機関のトップが行政長、司令官、執行吏って呼ばれてて、通称アスガルドの三賢者」
「つまりクラウスは執行部のトップで、王族を除けば最も偉い男だぞ」
 その言葉にクリストは耳を疑った。
「え?」
「そうそう。黄金の行政長、白銀の執行吏、赤銅の司令官っていってアスガルドで知らない人はいないよ」
 クリストは言葉もなかった。
   ――クラウスさんがそんなに偉い人だったなんて……


「はぁ……それにしても、有給休暇中に帰ってくるなんて……」
 その言葉には、何か物凄く引っかかるものがあった。
「これで五百リトスがパァか……」
その台詞を聞いてクラウスは何があったのかを悟った。
「ルーファス、説明してくれるよな」
 がしっとルーファスの両肩を掴んで微笑みながら問い詰めた。
 無論、目だけは全く笑っていない。
「首謀者は誰だ」
「う…………こ、怖いよ、クラウス執行吏……」
 顔をそむけて見るが視線の力は凄い。射抜くような鋭さがある。殺気など全くないのだが……
 逃げ出したいけど逃げられない。
 それに何よりクラウスは逃がしたりしないだろう。
「今すぐ言え」
 いつもより格段に低い声。
「教えてやれば良いだろう」
 我関せずといった感じでぶっきらぼうに言うラス。
「…………ら…………ラルフ行政長……です……」
 少し躊躇ったが、やはり自分の方が大事だったらしく白状した。
 アスガルドの三賢者はいろんな意味で有名だ。そのため、アスガルドの王族は非常に影が薄い。まあ、国の象徴であるだけで実際に国を動かしているのが三賢者なのだから仕方ないが。そして彼等はこうも呼ばれている。冷淡のラス、冷徹のクラウス、冷厳のラルフ。
 物事に興味・関心を見せず、同情心が低いラス。物事を冷静に深く鋭く見通して的確な判断力を見せるクラウス。そして、一切の感情を抑え、冷静に対処するラルフ。
 ――もっとも、ラルフのこの態度は仕事に関してだけで元の性格とはかなり違う。
「クラウス執行吏が有給休暇中に帰って来れるかどうかの賭けをしようって言いはじめて……行政部、司令部、執行部と殆どの人が参加しましたよ」
 国を仕切る人たちが職場で賭け事は許されるのだろうか?
「ラルフ…………ラルフなかやりかねん。というかラルフならやる!!」
 俯きながら肩を震わせている。
 ルーファスは自分に火の粉が降ってくるのを未然に防ぐことにした。
「有力者で勝ったのはラス司令官、アウグスト薬品開発室室長、ロキ執行補佐、リュシアン斎宮(いつきのみや)、カイン大司教ですよ」
 それを聞いた瞬間、ラスに詰め寄った。
「ラス! お前もやったのか!?」
 それに対してラスは平然と言った。
「ああ、楽して確実に儲かるからな。他の四人もそうだろ」
 クラウスは勝ったという五人の共通点を見つけて憤慨した。
「なんで他の奴等は帰ってくる方に賭けないんだ! 失礼な奴等だな!!」
 お前の方向音痴は有名だからな、と人事として呟くラスにムッとするクラウス。
「水上都市グラッズヘイムで普通に道に迷って帰って来れなくなってただろうが。ちょっと視察に行ったのに帰ってこないとよく官僚が泣いて探してたぞ。連絡しても本人が何処にいるのか全くわかってなくて迎えにもいけないと」
「――!! それは……」
「だから、みんな帰って来れないと思ってるんだろう?」
 明らかに不服そうなクラウス。
「今度、古代竜(エンシェントドラゴン)族の秘蔵古文書の写本をやるよ」
「…………」
 それを聞いて黙るクラウス。
「ラルフに会ったら釘を刺して置かないとな」
 文献の力は強かった。どうやらそれでラスの事は不問にしたらしい。
「聞きゃしないだろ」
 きっぱりと言い切った。
「それでも言わないよりは言った方がいいだろ」
 どうやらクラウスも同じように思っているらしい。
 クリストはどんな人なのか物凄く気になった。