「クラウス執行吏」
「なんだ?」
自動操作小型船(オートシップ)借りれませんか?」
「はぁ?」
 クラウスは怪訝な顔をした。
 自動操作小型船(オートシップ)なら二人でも借りれるはずだ。特にラスなら何の問題もなく借りれるだろう。
「自分で借りればいいだろう」
 クラウスの最もな意見にラスは、
「お前は大変な時に限っていなかったから知らないだろうが、雨で大変だったんだよ」
「いや。それはいくらなんでも知ってるよ」
 心外だというクラウス。
「アスガルドは水路や運河、そして海に囲まれた国だからな。雨が続くとその影響をもろに食らう。
 特に十日も続けば、だ」
 何処もかしこも浸水して大変だったらしい。
「――つまり、水害のせいで自動操作小型船(オートシップ)が壊れたり、後始末のために出払ったりでどこにもなかったということか」
「そういうこと。ねぇ、クラウス執行吏ならなんとかならない?」
 グラッズヘイムまで歩きとなると三日もかかるんだよ、と訴える。
 当然、歩きとなると二人もその距離を歩くことになる。
「いくら俺でも無いものはどうにもならんな」
「そんなぁ……」
 あきらかに落胆するルーファス。
「あー、でも……」
「何かあるのか?」
「執行部の連絡艇(レイルロードフェリー)ならあるだろうけど……」
「何か問題でもあるのか?」
「船は気が進まない」
「何故だ? わざわざ好き好んで歩くような趣味はないだろう。方向音痴だしな」
「方向音痴は関係ない」
 クラウスはそっと目の前に座っているクリストを見た。
 自動操作小型船(オートシップ)とは小型の自動操作船で、スイッチ一つで一定速度で動く。ハンドルをきるだけなので手軽な移動手段の一つだ。水路や運河に囲まれ、水の国と呼ばれているアスガルドで、なくてはならない交通手段なのだ。
 小型で性能もそんなに良いわけではないので、乗り心地はかなり悪い。だが、免許がなくても乗れる。
 道が狭く、脆いので技術国(ぎじゅつこく)ヨトゥンヘイムにある自動車(オートカー)電気車(エレキカー)なんてものが通れないのは当たり前だが、馬車でさえも通れない。
 そのため、必然的に発達した交通手段だった。
 連絡艇(レイルロードフェリー)とはその自動操作小型船(オートシップ)を一回り大きくしたもので、性能も自動操作小型船(オートシップ)よりも格段に良い。この船は免許がなくては運転出来ないが、自動操作小型船(オートシップ)よりも格段に早い。自動操作小型船(オートシップ)で六時間のところ、連絡艇(レイルロードフェリー)なら二時間で着く。
 連絡艇(レイルロードフェリー)自動操作小型船(オートシップ)より早く、揺れも少ないが、定期船や高速船で船酔いするクリストはひとたまりもないだろう。
 クラウスの言わんとしている事がわかる。
 だが、クリストはこれ以上迷惑をかけたくなかった。
「ぼ……僕なら平気です。その……大丈夫ですから」
 絶対無理だろうとは思ったが、クリストが気を遣ってくれていることはよくわかる。
 迷惑を掛けたくないという気持ちはよくわかる。
「しょうがない。クリストがそう言うなら良いだろう」
「やった!」
 自分で言ったことだが、クリストの心境は重かった。
「クラウス、クリストはどうかしたのか?」
「極度の船酔いだ」
「すみません」
 俯くクリスト。耳も下を向いてしまっている。
「…………悪い事したかな?」
「いいんです、本当に」
「ルーファス、そんな小さな子供にまで気を遣わせるな」
「わかってますって」
 クラウスには全然わかっているようには見えなかった。
 溜息を吐きつつも、カフェの会計を済ませる。
 そして、セレスエラ執行部に行く。
 ちなみにクラウスの案内は当てにならないので、自動案内機(ナビゲーション)を使って目的地に行った。





「やっぱ速いね〜、連絡艇(レイルロードフェリー)は」
 クラウス達は今、連絡艇(レイルロードフェリー)に乗って運河を遡っていた。
 操縦桿を握っているのはセレスエラの執行員。
 免許を持っているのがクラウスだけだったため、頼んで送ってもらうことになったのだ。
 方向音痴のクラウスなら、運河でも迷いかねない。
 いつもなら文句を言って意地でも運転するところだが、船に弱いクリストがいたおかげで、すんなりと頼むことが出来た。
 十人ぐらい運ぶことの出来る船なのでかなりゆったりと座れる。
 すっかり蚊帳の外なヘルゼスは疲れたのか眠っている。
 ラスとルーファスはテーブルの側で向かい合って座っている。
 クラウスはというと、すっかりダウンしているクリストの側に座っていた。
 ブーツを脱ぎ、長椅子に横になっている。
 しかも、背中に翼が生えているためうつ伏せだ。
「確かに速いが……大丈夫か?」
「…………うう…………すみません………………」
 真っ青な顔をしてぐったりしている姿はとても大丈夫そうには見えない。
「それにしてもさ、こんなに弱いとは思わなかったね」
 悪いことしたとルーファスは言う。
「お前得意の紋章術で寝かせてやったらどうだ? 取り敢えず意識がなければ平気だろ」
「…………そうか。気が付かなかった」
 ポンと手を打って立ち上がった。
「いや、それって結構ひどいんじゃ……」

 


 だが、クラウスはクリストを紋章術で沈める気満々だ。
 有無をも言わせぬ態度で素早く印を組み始める。

   ……  μ α π σ υ σ ι ξ ε ι ξ ι ξ τ ι ε ζ ε ς β ε χ υ σ σ τ μ ο σ ι η λ ε ι τ η ε σ ε τ ø μ ι γ θ

 紫色の紋章陣が現れ、複雑な、そして絡み合うような文字の束が周囲に満ちる。そして手をクリストの翳すと、文字の束はゆっくりと移動し始める。
   ――幻夢(げんむ)(まど)いし子羊の群


 文字の束がクリストを包み込み、ゆっくりと体に入るようにして消える。
 夢さえ見ない深き眠り。
「これでしばらく起きないな」
「いや、起きれないでしょ。術使われたら」
 ぴくりとも動かなくなったクリストを見ながら溜息混じりに言うルーファス。
「それにしても、紋章術って大変なんだね。あんなにたくさん印を組まないと発動しないなんて……」
 クラウスはクリストがしっかり眠っているのを確認すると、ラスの隣に座った。
「精神の紋章術だからな。長いのは当たり前だろう。
 それに精神の紋章術は精神力の消耗が激しい上にあまり使えるヤツがいないレアな術だぞ。クラウスは属性が精神だから使えるが、普通に習得しようとしたらかなり厳しい術だ」
 自分の属性の術は精神力の消耗が抑えられる。逆に反属性というのも存在して、その術は逆にどれほど精神力をつぎ込もうとも発動しない。
「印も長いよね。全部覚えてるの?」
「一つでも間違えると発動しなくて、精神力の無駄遣いになるからな。反属性以外は覚えてる」
 それって凄い量じゃないとルーファスはあらためてクラウスの凄さを知った。
「紋章術の属性を複数持つのが大変なのはそのためだ。精霊術とは違って二十六個の印の組み合わせからなる。詩じゃないから覚えにくい。だからこそ、紋章術の多重と時系は難しい」
 ラスの言葉に固まるルーファス。
「た、多重? 時系?」
「多重って言うのは俺みたいに三つ以上の属性を使えることで、時系って言うのは同時に二つの紋章術を発動させることだ」
「紋章術って二つ同時に使えるの!?」
 ルーファスにとってその言葉は衝撃的だった。
 精霊術より格段に素早く発動し、威力も高い紋章術が二つ同時に発動するなんて。
「左右で同時に違う印を組むんだ。紋章術の印は片手で組むモノだからな」
 そして、空いた手で精神力を増強させたりする杖や魔法道具を持つ。
「精神力の消費はバカにならないけどね」
「その上、同時に印を組むのは非常に困難だ」
「クラウス執行吏はともかく、ラス司令官も詳しいね」
古代竜(エンシェントドラゴン)族も精神力が強く紋章術を行使する種族だ」
 ラスも自分の属性の紋章術は使えるという。
 ルーファスは人と他種族の壁を強く感じた。
 これでは人間は減っていく一方だ。
 特にこのイストリア大陸は人間が少ない。
 南にある緑樹国(りょくじゅこく)アルファヘイムに人間は一人もいないし、北にある神州国(しんしゅうこく)アスガルドも殆どいない。
 まあ、もともとこの大陸に人間はいなかったのだから当たり前だが。
「それにしても、揺れに弱いのか?」
 何気なく眠っているクリストを見ていたラスが呟く。
「――かもしれないな。ラルフやリュシアンも船には弱い」
「普段歩いたりしなさそうだからな。あの二人は」
「あー、確かに二人ともよく飛んでるね」
 ラルフとリュシアンは天翔族だ。背中から二対の翼が生えている。
「半規管が弱いんだろう」
「空飛んでるんだから逆に強そうだけど……」
「空を飛ぶ時の揺れと船の揺れは全くの別物だし、空を飛んでいる時は羽を動かすのに必死だぞ? 低いところなら尚更な。高いところは上昇気流を掴めば楽だが」
「へ? そうなの?」
 同じ空を飛べる種族の言葉には重みがある。
「運転している者は乗り物に酔いにくいのと同じ原理だろう」
「ああ、そうだな」
 集中しているから他に気を回す余裕がない。だから、酔わない。
「ふ〜ん。じゃあ、クリストは記憶を失う前はよく飛んでたのかな?」
「そうとも限らない」
「その根拠は?」
「クリストには一般常識を含め、地理、精霊学についてはかなりよく知っているみたいだ。
 だが、科学技術については全くわかっていない。機械というものを見たことがないような感じだったな。
 それに定期船の事なんて全く知らないどころか、船を見たことがないような感じだった」
 初めて船を見たクリストは、鉄が浮いてると驚いたらしい。
「……何処の国所属なんだ? 船を知らないような国があるとも思えんが……」
 どんな田舎でも船ぐらいある。
「見た目は確かに少年だが、俺よりも年上かもしれないしな」
 その言葉に、なんでみんな見た目と一致しないんだよ、と愚痴る。
 人間から見れば奇異に映るのかもしれない。
「クラウス。こう言っては何だが、よく拾ったな」
 不審すぎるにも程がある。
「さぁ? 何故だろうな。俺にもわからない」
「魔族かもしれないのに?」
 衝撃が走った。
「この少年が!?」
「それは早計だ。確かに異形の組み合わせは彼等に属することが多い。だが、魔族ではなく魔皇族ということもある」
 魔族は元々魔皇族だ。
 魔皇族は身体能力が高く、自然主義。自然を破壊してきた人間のことが嫌いだが、最近はその破壊者たる人間も大分姿を消しているから最近は静かだ。
 ただ血に染まり、魔皇族から魔族に堕ちる者も少なくはない。
 魔族とは魔皇族が力に溺れた末に行きつく所。元々同じものである為に違いは一切ない。見分ける方法はその行動のみだ。
「そうであった場合の対処は?」
 重い沈黙が漂う。
「俺は執行吏、クラウス=クルーグハルト。犯罪者を裁き、魔族・魔物の処刑を執行するのが任務。
 もし本当にクリストが魔族で、この世界に害をなす者ならば、俺が責任を持って処分する。どんなことをしても、な」
 それはクラウスの覚悟。
「…………そうでなければいいとは思ってるけどね」