「失礼します」
クラウスはそのまま国王の所まで行くと敬礼した。
「ん? クラウスではないか、久しいな。休暇は楽しめたか?」
いきなり来たのに嫌な顔一つせずに国王は応対した。クラウスに対する王の信頼は厚い。
「はい、それは勿論です。
「相変わらずだな」
「趣味ですから」
「そうか、まあ、熱心な事は良いことだ。休暇内に帰ってきてくれて良かった。お前さんがいないと執行部もいろいろ大変でな」
国王にまで帰ってこれるか心配されていたことに微妙に傷付くクラウス。
「休暇を延長したりなんてしませんよ」
「それは良かった。
長雨のせいで何処の部署も忙しくてな。さすがに部のトップが不在だといろいろ面倒もあってな」
執行部の副官であるロキは非常に優秀な人物だが、彼一人で仕切るのも大変だ。
「休みは…………確か明日までだったな」
「はい。自分の誕生日の第二十月[魂の月]二十五日から第二十一月[風の月]二十四日までですから」
今日は第二十一月[風の月]二十三日だ。
「長旅の疲れもあるだろう。今日明日はゆっくり休んで明後日からがんばってくれ」
「はい」
「それにしてもクラウス、何か用があったのではないのか?」
いくら帰って来たとはいえ、いきなり何の前触れもなくクラウスは現れたりしない。クラウスならいつ行っても謁見を行うことは出来るが、国王の都合も考えて謁見する時には必ず事前に連絡を入れる。
だが、今日に限ってそれがない。何か急な用があるとかでなければここにはいないということを国王も理解している。
だからそう尋ねたのだ。
「はい、実は――――」
クラウスはクリストの事を詳しく話した。
「ふむ、そうか。まあ、お主が連れて来たのだから平気じゃろ。仮用のIDカードの発行を許可する」
いくらクラウスの特権を利用すれば問題ないとしても、いちいち説明するのも面倒だ。クリストの記憶がすぐに戻るとも限らない。
だから国王に頼んだのだ。普通なら絶対に許可されない事でもクラウスだから許可された。執行吏の肩書きは伊達じゃない。
「部屋は…………うむ……記憶喪失では不安じゃろうなぁ……」
「そうですね」
「悪いんじゃがお前さんの部屋に入れてやってはくれまいか?」
国王は申し訳なさそうに言った。
「ええ、構いませんよ。部屋が狭いわけではありませんしね」
クラウスの部屋が狭いと言ったら他の軍人から文句が出るだろう。
「ふむ。そう言って貰えると助かる。ベッドの手配は私がしておこう」
「はい、お願いします」
「それから必要な物があったら遠慮なく言ってくれ。用意させよう」
国王はクラウスにとことん甘かった。
「ありがとうございます。
今、一つ用意していただきたいものがあるのですが……」
「なんだ?」
「翻訳機です」
「そうか、そういえば必要だな。
しかし、今までどうしていたのだ? 言葉が通じなかったりはしなかったのか?」
「ええ、私の言葉は通じましたが、他のものの言葉が通じませんでした。ですから私の翻訳機を一時的に貸しています」
「そうか……
だが、クラウスは平気なのか?」
「私と同じ言葉を話すものは意外といますので、その他は大体簡易翻訳機で事足ります」
「うむ、そうか。では必要物資と共に後で一緒に部屋に送るように手配しておく。そうだな、二時間後には部屋にいてくれ」
「ありがとうございます」
クラウスは一礼して謁見の間を後にした。
そして執行部のある三階に向かう。
「久しぶりですね。クラウス執行吏」
執行部についた途端に声を掛けられた。
金髪碧眼で黒い翼が生えている。翼種の一つ、
「その格好をなさっているということは仕事をする気があると思っても良いんでしょうか?」
仕事の鬼というべき存在。ロキ=スクリミール。執行補佐という執行吏であるクラウスの補佐を勤めている人物だ。クラウスが長期休暇を取れたのも彼がいたからだ。
「休み明けまで勘弁してくれ。それに荷物が届くからあまり長居もできないんだ。ちょっと様子を聞きに来ただけで」
「そうですか。ではしかたがありませんね。二十五日からは馬車馬の如く働いてもらいますからお覚悟を」
思わずクラウスの顔が引きつる。
冗談でこんなことを言う人物ではないことがよくわかっているからだ。
「それで、状況は?」
「どこの部署もここ最近起こった異常気象についてで忙しいですよ。行政部なんかはその対策に追われていますし、司令部も被害の起こった地域の後始末などに追われています」
「街に……被害が出たのか?」
「ええ、今は大分元通りになっていますが、当時は酷い有様でした。なんせ、ここは水の都ですからね」
「そうか」
ここは水上都市グラッズヘイム。水と共に生きる街だ。それ故に水害にはめっぽう弱い。
「執行部は?」
「勿論、災害に目をつけて犯罪を起こそうとしている不貞なやからの処分や活発になった水棲魔物の処分に追われていますよ」
「水棲魔物が街に?」
「ええ、物凄い数の魔物が攻め入って来まして、一時運河が大変なことになってましたよ。我々だけでは手が回らず軍部も動いたんですから」
「何かが…………壊れたみたいだな」
まるで歯車が外れてしまったかのようだ。
今までこんなことは一度としてなかった。
「ええ、その通りです。
法治国ミズガルドでは見たこともない新種の魔物が現れたとか、魔物の大群が村を襲ったという報告もあります」
「そうか、だから科学者がこのアスガルドの紋章科学に目をつけたのか」
「ええ。科学技術力に最も秀でているのは
魔物に襲われる村が出て危機感を煽られたのだろう。
「だが、あの国で紋章科学は有用されるのか?
「だからこそ、でしょう」
ああそうかと、クラウスは納得した。
弱いからこそ何とかしなければならないのだ。
「世界が…………荒れるな」
「ええ」
「まぁ、そう簡単には解らないさ。取り敢えず今日はもう遅いから精密検査は出来ないな。明日になったら詳しく検査はしよう」
いい加減に見えるエドウィンではあったが、仕事に関しては非常に優秀だ。
「はい。あの、すみません。お手数をおかけして」
とても申し訳なさそうにしているクリスト。
「いいっていいって。仕事だし。それに何よりクラウス執行吏の頼みというか命令じゃ逆らえないからね〜」
断ったら首にされちゃうよ〜、と笑っていうエドウィン。
「あの、クラウスさんってやっぱり凄い人なんですか?」
「そりゃもう物凄いよ。なんてったってあの人の情報解析能力や分析能力は凄いからね。指揮能力もかなり高いだよ。執行部なんかにいるけど。神州国アスガルドでクラウス執行吏の能力に敵う人なんてやっぱ同じ三賢者のラス司令官とラルフ行政長だけじゃない? 本当に凄いんだから。国王様から最も信頼されている人物なんだよ」
流石は稀代の紋章術師だよね〜、と笑う。
「さて、クラウス執行吏に連絡入れるか」
エドウィンは部屋に備え付けてある通信機の側に行き、パネルを操作し、クラウスに通信した。
『…………はい、クラウス=クルーグハルトだ』
「あ、クラウス執行吏? 検査終わりましたよ」
『そうか。ちょっと晩飯でも食って時間つぶしてくれ』
「え? それはいいですけど……」
『じゃあな』
ぶつっ…………
通信は一方的に切れた。
「う〜ん……なんか忙しいみたいだね」
エドウィンは通信機を切った。
「さて、しょうがない。クラウス執行吏の言うとおり、食堂に行って夕食にでもしようか。俺もおなかすいたしね」
そう言われてクリストもお腹がすいてきた。
時刻は既に十九時を回っていた。
「僕もお腹がすいてきました」
「だろ」
エドウィンは夕食を取るためにクリストを連れて救護課を後にした。
向かうのは地下一階にある食堂だ。
その頃、クラウスは行政部に向かっていた。
ラルフに話を聞くためだ。
行政部は執行部と同じ階にあるのでほどなくして着いた。
「ラルフ!」
扉を開けて名を叫ぶ。
何事かとみんなクラウスを見ている。
「あ、クラウスだ〜、やっほ〜」
の〜てんきな声と共に姿を現したのは金髪金眼の男性が現れた。その背中からは四枚の金色の翼が生えている。彼は天翔族だ。
「賭け事をしたそうだな」
「うん。いやあ、儲かったよ? 娯楽に飢えてるからみんな買ってくれてさ」
わるびれもなくそう言う。
「人を出汁にして賭け事をするな!」
「それじゃあ、面白くないでしょ! こんなつまんない仕事してるんだから娯楽の一つや二つ欲しいじゃない」
全然反省する様子はない。どころかこれからもやる気満々だ。
「そんなこと言いに来たわけ?」
うんざりしたような様子のラルフ。
「それだけで来る訳ないだろう。世界異常について来たんだ」
「なるほど。状況は把握してるの?」
その言葉を聞いた途端に真面目な顔をする。
「ロキに大まかなことは聞いた」
「そう。じゃあ、行政部が掴んでる情報を教えて上げるね」
状況は思った以上に悪いようだった。
「さて、食事も終わったしそろそろクラウス執行吏の部屋にでも行ってみようか」
食堂で食べ終わった二人は移動を開始した。
宮殿内の造りは基本的に全部一緒なのでとてつもなくわかりづらい。
クリストにはどこを歩いているのかさっぱりだった。
そしてしばらく歩くと何やら人だかりが出来てる。
「なんかクラウス執行吏の部屋の前、賑やかだな。何かあったのかな?」
どうやらこの突き当りの人だかりが出来ている場所がクラウスの部屋らしい。
「何やってるんだ?」
エドウィンがその辺にいる人物に声をかけた。
「執行吏の部屋に荷物を搬入してるんですよ。なんでも保護した少年と一緒に暮らすためとか」
ああ、なるほどと呟きながらどうしようか考える。
「――で、その肝心のクラウス執行吏は?」
「中で荷物を置く場所を指示してますよ。でも、もうすぐ終わりですから」
その言葉通り、しばらくするとみんなぞろぞろと帰っていった。
「あれ、お前等いたのか。だったら声掛けてくれればよかったのに」
ドアを閉めようとしていたクラウスは待っていた二人を見つけた。
「人だらけでそれどころじゃなかったですよ」
「そうか……」
「今日は時間が時間なので簡単な検査しかしませんでした。詳しい検査は明日行いますので、また連れてきてください」
「ああ、わかった」
挨拶をして去っていくエドウィン。
残されたクリストは……
「何ぼぅ〜っとしてるんだ? 中に入れ」
あわてて中に入った。
そこは、とんでもなく広い部屋だった。
「そっちがリビングでその奥にあるのがダイニングキッチン、その隣がトイレとシャワールーム、右側の手前から俺の寝室、書斎、執務室、で空き部屋が三つ」
「あ、空き部屋!?」
クリストは空き部屋があることに驚いた。普通寮というのはワンルームに一人ないしは二人で暮らすものだ。当然こんなに広くない。それなのに空き部屋まであるなんて、さすがに権力者の部屋というところだろうか。
「クリストの部屋はわかりやすく一番奥な」
「は、はい」
「必要なものは一通り揃えて貰ったから。でも、何かわからないことや不便なことがあったら遠慮なく言ってくれ」
「あの、この部屋にあるものが全体的にわからないんですけど」
その言葉にクラウスは固まった。
「……そうか、科学技術についてはさっぱりだったな」
「はい」
クラウスはここで生活させる為には一から詳しく教える必要がありそうだと溜息をついた。
何故ならこの宮殿は科学力の粋を集めて造られた物だ。当然、科学力にモノを言わせた近代的な造りになっている。だが、それらを全く知らないものから見たら未知の空間でしかない。クリストもそんな状態だろう。
その後、クラウスはトイレ、シャワールーム、ランドリーボックス、ディスプレイ、キッチンなどの使い方とドアの開閉の仕方を教えた。
この後クラウスは、機械を全く知らないものに教えるのがいかに大変かを思い知ることになる。