ピピピピピピピ…………

 朝から響く大音量。
「うわぁ!! な、な、な、何!?」
 びっくりしてクリストは飛び起きた。
 何かあったのだろうか?
 そしてドアの開閉ボタンを押してリビングに出る。
 そこには、眠そうな目をこすりながらふらふらと歩いている。
「クラウスさん! あの、一体何が……」
「あー、クリスト? おはよう」
 焦点の合っていないアイスブルーの瞳がいかに眠いかを物語っている。
 この音には全く動じていない。
「あ、あの、クラウスさん?」
 クラウスはおろおろしているクリストにかまわず、緩慢な動作で壁まで行くとパネルを操作した。
 途端に鳴り止む大音響。
「――――はぅ……まだねむい」
 そう言いつつシャワールームに向かう。
 呆然とするクリストをリビングルームに残して。
 クラウスは少し高めの温度設定にしたシャワーを浴びる。
 熱が目を覚ましていく。
 徐々にクリアになっていく思考。
 シャワーを浴び終わる頃にはすっかり目は覚めた。
 体を拭き、制服に着替えて洗濯物をランドリーボックスに放り込むと、シャワールームを後にした。
「あ、クラウスさん」
 訳もわからず放って置かれたクリストはソファーに座ってクラウスが出てくるのを待っていた。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
 つられて挨拶をするクリスト。
「よく眠れたか?」
「あ、はい。それはもう、ぐっすりでした」
「それは良かった」
 クラウスはそう言いつつリビングにある大きいディスプレイのスイッチを入れた。
 今日のニュースが流れ始める。
「あの、さっきの大音量は……?」
「ん? あっ…………」
 クリストがおずおずしながら尋ねた。
「悪い。クリストがいたんだったな」
 気づいた瞬間にバツの悪そうな顔をした。
「え? あの――」
「目覚ましなんだ」
 理解するのに少し時間がかかった。
「へ?」
「だ・か・ら、目覚ましなんだよ。ほら、俺寝起きが悪いだろ? だからあのぐらいの音がしないと起きれないんだよ」
 警報かと思うほどの大音量の正体はただの目覚ましだった。
「あんな大音量の……」
「心配しなくても部屋に防音機能がついてるから俺の部屋以外に聞こえたりはしないさ」
 そういうことは聞いてないのだが……
「悪いな。無理やり起こして。まぁ、シャワーでも浴びて来い」
 低血圧気味のクラウスはこれぐらいしないと起きれない。
 同室のクリストには少し迷惑な話かもしれないが。
「そうそう、クリストが昨日着てた服は洗濯済みでランドリーボックスの横に置いてあるから」
「わかりました」
 クリストは昨日使い方を教わったばかりのシャワールームに向かった。
 クラウスはクリストが出てくるまでソファーに座ってニュースを見ていた。
 クリストが出て来た時には、六時二十分をまわっていた。
 今日まで休暇なのでそんなに急ぐこともないが、やることはある。
「おまたせしました」
「クリスト、これを肌身離さず持っていろ」
 ぽんと投げたのはIDカード。
「あ、これ…………」
「必要だからな。失くすなよ」
「はい……」
 クリストはそれを大事そうにしまった。
「そういえば、僕まだ、クラウスさんの翻訳機持ったままです」
「ああ、いい。つけてろ。俺はもう新しいの貰ったから」
「…………そんなに簡単に貰える物なんですか?」
 結構高いんじゃなかったっけとクリストは首をかしげる。
「官給品だからな。仕事上翻訳機がなきゃ、なりたたないだろ」
 確かに、言われてみればそうだ。国を動かすトップスリーなのに言葉が通じませんなんて洒落にもならない。
「もう良いな? じゃあ、食堂に行くぞ」
「はい」
 ディスプレイのスイッチをオフにして部屋を出る。
 そして地下一階の食堂に直行。
 クリストを席に座らせると、クラウスは料理を取りに向かった。
 クラウスが持ってきたのはあっさりとしているが栄養のありそうな物ばかりだ。量もそれなりにある。
「残すなよ」
 がんばりますと言って食べ始める。
 最初は量に驚いたが、意外と食べやすく食が進んだ。
「そういえば、クラウスさんの着ている服と同じの着てる人っていませんね。でも。なんとなくラスさんの着てた服に似てる様な……」
 二人の周りにいる人達はみんな同じ青い制服を着ている。
「ああ、これは三賢者が着てる服だからな。だから俺とラスとラルフしか着てない。色と多少のデザインの違いはあるが、ほとんど一緒だな」
「そうなんですか」
「ここにいるのはみんな執行部の奴等だ」
「そういえば、昨日エドさんが連れて行ってくれた食堂は黒い制服を着た人ばかりでした」
「ああ、部署で分かれてるからな。食堂は五つあるが決まった場所でしか食べれない」
 五つという言葉にクリストは疑問を感じた。
「なんで五つなんですか? 執行部と行政部と司令部ですよね?」
「司令部は二つに分かれてるんだ。この国の軍部……つまり司令部は特殊部と普通部に分かれててな。普通部は黒い軍服で特殊部は紅い軍服着てる。ルーファスは紅い軍服着てただろう?」
 ああそう言えばと、昨日あったルーファスを思い出して納得する。
「ちなみに司令部は特殊部も普通部も人数が多いからわりと込んでるが、執行部は司令部ほど人数いないから余裕だろ」
 確かに昨日食べた食堂は物凄く込んでいたとクリストは思った。
「料理内容も違うんだ。向こうは人数多いし肉体労働ばっかりだから質より量で、栄養がつくこってりしたものが多い」
 いろいろ違いがあるらしい。
「あと一つは神殿関係者だ」
「神殿?」
「ああ、アスガルドは国土の大半が湖や河だから水の神を信奉している神殿があるんだ。水害にはめっぽう弱い国だからな」
 クリストはラスが言っていたことを思い出した。
「だから、この国は大半が水の神を崇めてる」
 困った時は神頼みするのが人だからなと続けた。
 その後も雑談をしながら食事をした。
 食事を終えると、救護課へ向かった。
 昨日簡単に終わってしまった検査をじっくりやるためだ。
 食後でまったりしていたエドウィンにクリストをあずける。
「クラウス執行吏、まだ七時過ぎで公務までもう少し……」
「時間がかかるかもしれないんだからやってくれ。それにクリストで一日を終えるわけには行かないだろう?」
 痛いところを突かれ、エドウィンは溜息をつきながら準備を始めた。
「ごめんなさい」
 明らかに迷惑を掛けている。
 クリストはもうしわけない気持ちになった。
「あー、気にしないで良いよ」
「じゃあ、頼んだ」
 クラウスはさっさと出て行く。
 休みも今日で終わりだからやることはやっておかないといけない。
 クラウスは自室に戻ると、クローゼットにしまっておいた赤黒い外套を取り出した。
 これはクリストが最初に身に付けていたものだ。
 クラウスはそれをぎゅっと握り締めて部屋を後にした。
 そして向かう先は地下ニ階にある薬品開発室。
 無遠慮に挨拶もなく入り込んだクラウスはどんどん奥に入って行った。
 そして――
「アウグスト」
 ガッシャン!!
 突然の来訪者と声に驚いて部屋の主はフラスコを落とした。
「な……ク……クラウス! ど、どうかしたのか?」
 明らかに動揺している。
 それを見たクラウスはふと思い出した。
「…………アウグスト。俺に隠していることはないか?」
「…………? ないけど」
「嘘付け! 賭けをしていたとルーファスに聞いたぞ」
 びくっ!!
 明らかに引きつる顔。
 部屋の主はアウグスト=ライヒェンバッハ。
 ここ、薬品開発室室長にしてクラウスの幼馴染である。
 付き合いが長い分、相手のことも理解している。
「よくもまあ、ぬけぬけと半分詐欺のような賭けに参加したもんだな」
「――!!――」
 はぁと溜息をつくと、
「だって、絶対勝てる賭けだよ? やらなきゃ損じゃない」
 他のやつ等だってそうでしょ? と言う。
「そう言えば、ルーファスが気まずそうにしてたっけ……」
 と、今更ながらに思い出す。
「どいつもこいつも……」
 余程不満らしい。
「あー、今度クラウスが欲しがってた文献手に入れてくるからそれで手を打とう」
 ここでも出てくるのは文献だった。
「……いいだろう」
 あからさまにほっとするアウグスト。
「全く、そんなちっこい所業のためだけにわざわざ来るなよ」
 フラスコ割っちゃっただろうとぼやきながら、掃除機のスイッチを入れて破片を片付ける。
「そんなことを言うためだけに来るわけないだろ。アウグストに頼みがあったんだ」
「頼み?」
「ああ、これだ」
 クラウスは手に持っていた外套をアウグストに渡した。
「これは……血?」
 まじまじと外套を広げて見入る。
「それを解析してもらいたい。何の血かは不明だ」
「ふ〜ん。どこまで調べれば良いわけ?」
「遺伝子レベルまで」
「そんなに!?」
 思わず外套を落としそうになった。
「ああ」
 アウグストはまじまじと赤黒い外套を見つめる。
「…………一人とは限らないよな」
「当たり前だろ」
「全員調べるのか?」
「そうだ」
「……めんどくさ」
 物凄く嫌そうな顔をして外套を見ている。
「まあそう言うな」
「そう言われてもな」
「面白い結果が出るかもしれないぞ」
 その言葉にぴくりと反応する。
「未知の領域かもしれないからな。この外套の持ち主の遺伝子はエドウィンが記録するだろうから後で聞いてくれ」

 


「もしかして、これってお前が拾ってきたって言う不思議記憶喪失少年の?」
「知ってるのか?」
「陛下から通達があったからな。子供が歩いていても咎めるなと」
 実際はそんな簡単な通達ではなかっただろうが、思いっきり端折っている。
「じゃあ、これは手がかりな訳だ」
「唯一のな。本人は知らないが」
 その途端に怪訝な顔をするアウグスト。
「知らないって?」
「本人が気が付く前に脱がしたからな」
 偶然だけどなと肩をすくめる。
「じゃあ、もしかして、少年には内緒?」
「当面はな」
「はぁ……」
「どうかしたのか?」
 長々と溜息をつく。
「時間がかかるぞ。一人ならすぐ解るが大勢だとしたら……」
「……それに現在確認されている種族に当てはまらないかもしれないからな」
 そう言えば種族不明だったなと苦い顔をするアウグスト。
「時間制限はないよな?」
 そこまで言われたら通常業務に支障をきたす。
「そこまでは言わん」
「じゃ、預かるよ」
 アウグストはここよりさらに奥の部屋へと向かった。
 この奥はここみたいな薬品が大量に置いてある部屋ではなく、近代化学の機材が置いてあるアウグスト専用の研究室だ。
「解ったらいつでも良いからデータを送ってくれ」
「オッケー」
 用を終えたクラウスは部屋を後にした。
 そして、廊下を歩いていると――
「クラウス様ー!!」
 後ろから物凄い衝撃が襲った。
 何者かによってクラウスは床に押し倒された。
 しかも、顔面から床に激突したのでわりと痛い。
 だが、背中に乗っている気配は動こうともしない。
「頼むから退いてくれ。リュシアン」
「ああ〜ん。一ヶ月ぶりに聞くクラウス様のお声。素敵ですわ」
 声の主はそう言いながらクラウスの上から退いた。
 クラウスは起き上がると事の原因を見た。
 彼女はリュシアン=アルヴェーン。天翔(てんしょう)族の女性だ。
 見ての通り、クラウスを慕っている。
 これでも斎宮(いつきのみや)で、アスガルドの水の神を祀る神殿の象徴だ。
「どうして俺がここにいると?」
「お兄様にクラウス様が帰ってきたことを聞きまして、探しておりましたの」
 相変わらず迷惑極まりない兄妹だと内心舌打ちする。
 リュシアンは三大賢者が一人、ラルフ=アルヴェーンの妹だ。
 ぶっとんだ行動をするところなんかはそっくりだ。
「お会いできて嬉しいですわ」
 そう言ってクラウスに抱きつくリュシアン。
 これで仕事でもあればそれを出汁に逃げられたのだが、幸か不幸か今日は休日で、やることも終わってしまい、比較的ヒマだった。
「リュシアン、ヒマなのか?」
「神殿はそう忙しくなったりしませんもの。カイン様もいらっしゃるし」
 ああ、そうかと思う。
 カインは神殿のトップだ。
 彼がいればなんとかなるだろう。
「もう少しすると年末で忙しくなりますけど、今はまだ平気ですわ」
「あー、そう言えば今年もあと三ヶ月で終わりか」
「はい、第二十三月[魔の月]になれば水麗祭の準備のために忙しくなりますわ」
「年末で忙しいのはこっちだって一緒だよ」
 水麗祭は年を越す時に行う大掛かりな祭りだ。そのため、執行部も警備に借り出される。事に乗じて一犯罪犯す不貞なやからもいるし、魔物も寄ってきやすい。
 嫌なことを思い出して、げんなりするクラウス。
「…………リュシアン。今はまだヒマなんだよな?」
「そんな、デートのお誘いなら何時でも!」
 何ですぐそこにいくかなぁと溜息が出る。
「俺は仕事で忙しくて無理だ」
「まぁ、残念」
 本当にガッカリしている。
 クラウスは一瞬迷った。
 彼女に頼んで良いものかどうか。
「実は頼みがあるんだが」
「クラウス様の頼みならなんでもお引き受けしますわ」
 だが、他に当てはなかった。
「実は休暇中に記憶喪失の少年を拾ってな」
「まあ、クラウス様ったら相変わらず人助けなさっているのですね。さすがですわ」
「でも俺は忙しい。陽が落ちるまで面倒見てくれないか?」
 仕事中だけ預かってくれと頼む。
「良いですわよ。きっとカイン様も面倒見てくれますわ」
 ああ、確かにとカインの性格を思い出して頷いた。
「一番はアベル様でしょうけど、子供達にはとても優しい方ですから」
 いや、あれは行き過ぎたブラコンなだけだろうとクラウスは思ったが口にはしなかった。
「じゃあ、明日から頼む」
「迎えに行った方がよろしいですか?」
 朝から忙しい事は目に見えている。
 クリストを送っている暇などないだろう。
「じゃあ、七時前に食堂に来てくれないか」
「わかりましたわ。でもお食事ならわたくし達と一緒でもよろしいんじゃありませんか?」
「いや、それはいい。俺もクリストと話はしたいからな」
「ああ、そうですわね。ごめんなさい」
 気が付きませんでしたと謝るリュシアンを見ながらクラウスは違うことを考えていた。
 いくらなんでも百パーセント野菜の食事じゃ、クリストがかわいそうだよな。
 彼等、神殿関係者は菜食主義なので、肉と魚は一切出ない。出るのは野菜とパンだけだった。
 その理由を言うのは忍びなかったので、ああ言ったのだ。
 うまくかわせたのでクラウスはほっとした。