「ふぅ……、もうすぐ国境だね」
森の中を突っ切ること二ヶ月余り。
やっと
遠くに大きな街並みが見える。
あそこに見える街の半分はラインヴァン領で、もう半分がヨトゥンヘイム領という国境の上にある珍しい街なのだ。
国が違うので街の名前も違う。
ラインヴァン側は輝きの街ブレイザブリク。ヨトゥンヘイム側は技光の街フォルト。
「ねぇ、父様。レイシェルはどうするの?」
「――?――」
レイシェルはフロストが何を言っているのかわからなかった。
フェネシスもフロストが何を言いたいのかわからずにハテナマークを飛ばしていたが……
「あっ……」
「……そう言えば……」
フェネシスとシーファは顔を見合わせた。
ある重大な事実を思い出したからだ。
「IDカードがないと街に入れないの忘れてましたね」
「うん。ずっと森の中だったからね」
「えっと……」
レイシェルはこの世界の常識を知らない。
まぁ、天使なのだから当たり前だが……
「う〜ん……じゃあやっぱり、あるものは使わないと損。権力行使で強行突破作戦だね」
「え……?」
レイシェルはフェネシスの穏やかじゃない言葉にびっくりする。
「それしかないでしょうね」
一番常識人だと思っていたシーファも頷いたからもっと驚いた。
「うん」
物凄く不穏な空気を撒き散らしている三人。
「あの……」
「大丈夫だよ。僕はこれでも神教国ラインヴァンの国主だから権力あるし。貴女が天使であることは真実だろうからちゃんと通って見せます」
全くわかっていないレイシェルにシーファが説明した。
シーファが説明し終わる頃には街に着いた。
門[ゲート]はそれほど大きくはないので、フロストは中に入れない。
その為、外で話をすることになった。
IDカードを持っていないレイシェルは勿論止められた。
だが、神州国ライヴァン国主である蒼生天子の言葉に逆らえるようなつわものはいなかった。
レイシェルが天使であるということも良い方向に進んだ。
蒼生天子様がそう仰るならと許可が貰えたので、さっそく街に入ることにする。
ただ、
「ごめんなさい。ただ街に入るだけでこんなに大変だなんて思わなくて……」
「まあ、普通は思わないよね」
街に入ってしばらくしてからだった。
レイシェルが申し訳なさそうにそう言ったのは。
「昔はね、こういうのなかったんだよ。つい最近かな、こういうシステムになったのは」
「そうなんですか」
フェネシスはそう言うが、フェネシスのつい最近は一般人のつい最近と時間間隔がかなり違う。
このシステムが確立したのは千年も前の事だ。
シーファはそう思ったが、何も言わなかった。
「世の中物騒になってきてるから、みんな心配なんだよね。
街の中でも安全だなんて保障はどこにもない。
隣人が誰かなんてわからない。
もしかしたら犯罪者かもしれない。
もしかしたら魔族かもしれない。
そんな不安を感じていたから、今のようなシステムが出来上がったんだよ。
町は大きくなればなるほど、闇の部分が出てくるから。
誰かを疑うことのない天使達にとっては無用のものだと思うけど、この世界に生きる人にとっては必要なんだ。
人間が世界を支配していた時代なんてとっくに終わっていて、多種多様な亜人が住まうこの世界では、魔族との境がわかりにくくなってしまったから……
少しでも安心できるモノが必要なんだよ」
気休めにしかならないけどね、そうフェネシスは言う。
実際、魔族なら街を破壊するぐらい簡単にやってのけるだろう。
安全な場所など何処にもない。
「ここは、亜人達を庇護してくれる魔皇族はいないからね」
「庇護?」
「かつて、僕達がまだ冥界と呼ばれる場所で暮らしていた時は、最も強き種族である魔皇族が堕ちたモノを処理していたらしいよ。僕も聞いただけだから詳しくは知らないけどね」
それはすでに二十万年近く昔の話だ。
そんな話が普通に伝わってしまうくらい長生きな
「それよりこれからどこ行くの?」
取り敢えずメインストリートを突っ切っている一行。
はっきり言って物凄く目立つ。
この大陸には竜など住んでいないので尚更だ。
頭を下げている人もいるのでまず間違いなく蒼生天子だとバレているだろう。
何しろ蒼生天子が
「う〜ん。この国の首都、技巧都市グリトニルだけは行かない」
「行かないんですか?」
「僕あの無機質空間嫌いなんだよね」
フェネシスは思い出すのも嫌そうに言う。
シーファも確かにあまり気分の良い光景じゃないなと思う。
「どこに行こうかな? やっぱり、ヘゼルヴァ大陸を出たいよね」
神州国ラインヴァンには外海に行く為の港はない。
違う大陸に行きたいならばまず国境を越えなければ。
「じゃあ、海洋都市ノーアトゥーンにでも行きますか?」
ここから別大陸に行くのに一番近い街だ。
「そうだね、そうしよう」
だが、その前に国境越えというものが待っている。
「あ、国境見えましたね」
街を二分するように高く白い壁がそそり立っている。
「あの高い壁の向こうが
あそこでも手続きが必要だ。
「面倒ですね」
「そうだね、ちょっと時間かかるかもしれない。自国じゃないからねぇ」
まあ、仕方ないけどとすでに諦めている三人。
それを見て恐縮するレイシェル。
「ま、なるようになるでしょ」
この中でフェネシスが一番気にしているように見えなかった。
そして国境。
ヨトゥンヘイムとミズガルドは
国主という地位があってもなかなか通してもらえない。
結局、フェネシスが全行動を監視下に置くということで入ることを許可された。
「頭固いのばっか。やんなっちゃう」
これだからヨトゥンヘイムはと不平不満を並べ始めそうなフェネシスを宥めるシーファ。
「ここはラインヴァンじゃないんですからやめてください」
外交問題を起こされたらたまらない。
それにここはまだ
聞こえる可能性があるのでそれは勘弁して欲しい。
そんな中、レイシェルが不思議そうに辺りを見回していた。
ラインヴァン領である、輝きの街ブレイザブリクは緑溢れる街だった。だが、ヨトゥンヘイム領の技光の街フォルトはそれとは全く違う街並みだった。
建物からして違うし、緑など余りない。
無機質な光沢を放つ金属で出来た街。
これはラインヴァンとヨトゥンヘイムの特徴をそのまま現したものだ。
レイシェルは見るもの全てが珍しかったが、道の中心を走っている物体を見て少し驚いた。
「あの、なんで鉄が動いているんですか?」
何時の時代の人だろう的発言をしたレイシェルに驚くシーファ。
「あれは
それを微笑ましそうに見ているフェネシス。
「……知らないんですか?」
「はい」
「まあ、天界には科学技術がないからね」
レイシェルがわからないのも無理はないだろう。
「危ないので近づかないでくださいね」
「はい」
それからもレイシェルは目に付くものが珍しい為、キョロキョロしていた。
「まぁ、ここヨトゥンヘイムは科学技術の発達した国だからね」
こんな風景は当たり前だと言う。
「でも、ここはまだそれほど近代的ではないですよ」
「そだね。高層ビルとかないし」
レイシェルにはさっぱりわからない会話だった。
「今日の宿はどうしましょうか?」
「ここってさあ、フロストも泊まれるような場所はないよね〜」
その途端に沈黙する三人。
「……ないよね、そんな所」
シュンと項垂れるフロスト。
「仕方がありません。フロストには悪いですが外で待っていてもらいましょう」
ごめんねー、とフロストに抱き付いて謝るフェネシス。
「しょうがないの。父様と一緒にいられないのは寂しいけどガマンするの」
しかし、フロストが外に座っても平気そうな宿を見つけるのはとても大変だった。
宿に着くと、やっぱり外にいるとか言い始めたフェネシスを引きずるようにして中に連れて行くシーファ。
一国の主が野宿でもないのに外なんかで寝るものじゃない。
フロストは小型なので駐車場に収まることが出来た。
そうじゃなければ野宿になっていただろう。
そして次の日。
三人は同じ部屋に泊まっていた。
普通なら男と女が一緒に泊まるものじゃないのだが、機械を全く知らないレイシェルを一人には出来ない。
だから同じ部屋に泊まったのだ。
朝、シーファは起きるとニュースを見るためにディスプレイをつけた。
その頃にフェネシスが起き始める。
「今日も予知夢が見れなかった……」
溜息を付きながら着替えるために洗面所に移動するフェネシス。
その所為か最近フェネシスは安眠しすぎて困っている。
レイシェルも起き始めた。
「おはようございます」
レイシェルはここ最近の野宿の所為であまりよく眠れなかった。
そのため顔色もあまりよくなかったのだが、久しぶりにゆっくり休むことができたため回復したようだ。
「おはようございます。
フェネシス様が出てきたらレイシェルさんも着替えてきてください」
「はい」
そこではたと気が付く。
「一人で大丈夫ですよね?」
「えーと、扉の開け閉めは教えてもらったので大丈夫だと思います」
機械を知らないレイシェルにとっては街並みだけでなく、建物内も未知との遭遇だった。
「ん〜、毎日野宿して同じ服着てたから新鮮〜」
新しい服に着替えたフェネシスが出てきた。
手には昨日まで着ていた服を持っている。
勿論洗濯済みだ。
今着ているのは青系の服だ。
違う服に着替えた理由は、まあ気分の問題だろう。
荷物は全てフロストの上に積んでいるので普通の冒険者などよりはかなり多く荷物を持っている。
中には二人の服も何着か入っている。
洗濯してすぐに乾いてくれるとこばかりではないからだ。
レイシェルは替えの服を持っていなかったのでランドリーボックスで洗濯乾燥した。
夜の間、レイシェルはフェネシスの上着を借りていた。
理由はフェネシスの服のほうが裾が長いからだ。
多少だぼっとしているのはしょうがない。
「レイシェル、乾いた服は中に置いてあるから」
「はい、わかりました」
レイシェルはちょっと危なげな様子で中に入っていった。
「平気かな?」
それを見て思わず呟くフェネシス。
「何かあったら声をかけてくれるでしょう」
そういうシーファは、備え付けのティーセットで紅茶を入れている。
「そっか、そうだね」
「フェネシス様、紅茶が入りました」
「ん、ありがと」
フェネシスは紅茶を貰うと、ディスプレイの前にあるソファーに座ってニュースを見始めた。
シーファも隣に座って同じようにニュースを見る。
しばらくしてレイシェルも出てきた。
大丈夫だったようだ。
「あの、これ。ありがとうございました」
シーファにさっきまで着ていた服を渡す。
「レイシェルさんもどうぞ」
シーファはそう言って紅茶を勧め、荷物をしまいまとめるために席を立つ。
かわりにレイシェルが座り、不思議そうにしながらディスプレイを見ていた。
しばらくすると、荷物をまとめ終わったシーファが戻ってきた。
「そろそろ食事に行きますか?」
「そうだね」
時計を見て、もうこんな時間かと思いながら席を立とうとした。
その時――
『……ニュース速報です。
昨日十五時頃、
ガシャン!!
フェネシスは思わずティーカップを落とした。
「う、うそ……まさか……」
レイシェルも顔面蒼白だ。
『……詳しい情報が入り次第、お知らせします……』
室内になんともいえない空気が漂う。
「ミズガルドに……浮遊島が落下したなんて……」
その日は第二十三月[魔の月]三日。
年も暮れに近づいた日のことだった。