白い壁に囲まれた部屋に大きな円卓が一つ。
 ここは神界にある会議室。
 そこには調整者たる神達十九人が神妙な面持ちで席に着いていた。
 議題は行方不明の水神(みなかみ)について――
「まだ見つからないのか!?」
 その中の一人はイライラとした様子を隠すことなくテーブルをバンと叩きながら文官に言った言葉は、もうすでに一度や二度ではなかった。
「申し訳ございません」
 文官は心底申し訳なさそうに謝り、その場を下がる。
火神(ひかみ)、焦ってもしかたないだろう」
 溜息と共に吐き出された言葉も、一度や二度ではなかった。
 こんなやり取りはもう六十日近く続いている。
 火神(ひかみ)も焦ってもしょうがない事はわかっていた。
 だが、六十日近く経つというのに全く進展がない。
 そのせいでイライラしてきているのも自分でわかっていた。
 文官に対してしていることも八つ当たりだとわかっていた。
 それでも自分の感情を止められなかった。
「そうですね。しかし、何故水神(みなかみ)の力を感じることが出来ないのでしょう」
 それはこの場にいる全員の疑問だった。
 力の強いものはその存在を隠し切ることが出来ない。
 同じように力の強いものならその存在を感じることが出来る。何処に居てもだ。
 故に狙われてしまうこともある。
 ……今回のように。
「感じることが出来ずとも、水神(みなかみ)様は生きていらっしゃいます」
 それは皆の願いでもあったが、現実でもある。
「確かに。そうでなければ世界の均衡がとっくに崩れているだろう」
 彼等は毎日同じような会話を繰り返している。
 それはここでくだらない会話をする為というわけでなく、ここで水神(みなかみ)に関する報告を待っているという意味合いの方が強い。
 一刻も早くその知らせが聞きたいのだ。
 生存しているという報告が――
 ――そんな時、ようやく時間が動き始めた。
 それも、最悪の方向に――
「大変です!! 水の制御システム中枢が破壊され、落下いたしました!」
 会議室に飛び込んできた文官がたった今確認された最悪の情報を神々に伝えた。
『――!!――』
 神々はその報告を聞いて事態が思っていたよりも悪い方向に進んでいる事に気付いた。
「な……階級天使達は何をやっているんだ」
「まだ調べている途中だったと言うのに」
 明らかに落胆と失望の色が濃い言葉。
「中枢システムが破壊されたということは、以前にも増して水の制御がきかなくなったという事です」
「世界が――」
「崩れてしまう前になんとかしないといけないな」
 それは調整者たる彼等の役目。
 嬉しくもない報告に部屋は静まり返り暗い雰囲気が漂う。
「それにしても、一体何故急にこんなことになったのじゃろうな」
 溜息と共に呟かれた言葉。だが、それは誰にも答える事の出来ない言葉だった。
「わからぬ。それに情報が少なすぎる」
「一体どうすれば……」
 ここは神界。天界で起こっている事は天界から報告を受けない限りわからない。
 トントン……
 控えめなノックと共に部屋に一人の天使が入ってきた。
「遅くなりました」
 その天使は恭しく礼をすると神々の座る円卓にゆっくりと近づく。
「お前は――」
「久しいのう」
「ええ、お久しぶりです」
 ここにいるほとんどの神は彼と面識があった。
 それににっこりと微笑んで挨拶をする天使。
「誰だ?」
 不思議そうな顔をしてその天使を見つめる。
 その天使は天使としては非常に珍しかった。
 蒼い髪はまあ、一般的だ。だが、その瞳と翼が異質さを放っていた。
 色の違う瞳と翼。
 天使は基本的にオッドアイで生まれることはほとんどない。そして、翼の色が左右で違うなんていうこともない。
 基本的に天使の瞳はその属性を現す。だから色が違うということはない。
 彼はそれほど特殊な天使だった。
 一度見たらけして忘れないようなその容姿を持った天使。
火神(ひかみ)様と光神(てるかみ)様は代替わりなさったのですね。では簡潔に自己紹介をさせていただきます」
 彼は二人の神のいる方に向き直ると、一礼して自己紹介を物凄く簡潔にした。
「私は契約の天使(メタトロン)をさせていただいております十天使が一人、水蓮(ゆれん)瀞亜(せあ)です。以後、お見知りおきを――」

 


「――!!――」
 その簡潔すぎる自己紹介にはっとする二人。
 二人は同時に最も有名な一人の天使の噂を思い浮かべた。
「じゃあお前が現存している天使の中でもぶっちぎりの最年長で全ての天使を束ねているというあの……」
 彼は天使としては異質だった。
 天使の寿命を遥かに超えて生き続けている。
「そんな大層なものではありません」
 瀞亜(せあ)は首を横に振って答える。
「ただ他の天使たちよりも長く生きているというだけです」
 だが、彼より長く生きることの出来る天使がいるかというと甚だ疑問だ。瀞亜(せあ)より後に生まれた天使たちでも、彼の寿命についていくことが出来ずに天寿を全うしていく。
 不老の契約の天使。
 瀞亜は天使たちからそう呼ばれ、敬い、慕われている。
 そんな天使長である彼がここに来るような理由は一つだけ。
「――して、お主が来たということは何かしらの進展があったのじゃろう?」
 自己紹介が終わったところで本題に入る。
「ええ、一応は――」
「何があった?」
 神々はずっと待っていた。
 天界から報告が来るのを――
 だから報告を促した。
 事実を知るために――
 それに答えるように瀞亜(せあ)は淡々とした様子で報告をした。
「はい。階級天使及び守護天使により、水の制御システムの中枢である水蓮鏡(すいれんきょう)水神(みなかみ)海水(かいな)様の捜索及び被害状況の調査を行っていたのですが、本日、魔族及び魔物の襲撃を受け、全滅いたしました」
「何だと!?」
 それは先ほど聞いた水の制御システム中枢の破壊と落下という事実よりも重いものだった。
 瀞亜(せあ)は感情を表に出すことなくさらに続ける。
「捜索及び調査に携わっていた者の誰一人として連絡が取れません。水蓮鏡(すいれんきょう)より感じた瘴気の大きさから見て、まず間違いないでしょう」
 天使の生存が危ういほどの瘴気が水蓮鏡(すいれんきょう)を覆っていたという事に驚きを隠せない神。
「全滅――」
「……そんなことが――」
 そして一人の神がイヤな予感がして尋ねた。
「……水の制御システムは――?」
「完全にその機能を停止いたしました」
 それは最悪の報告だった。
 水の制御システムの中枢が落下して破壊されたというだけではすんでいない。
 中枢が落ちてもまだ他のシステムが三基あるのでまだ何とかなる。
 だが、瀞亜(せあ)によると魔族によりまだ無事であった三基の制御システムを完全にダウンさせられたとのこと。
 水の制御システムは中枢と他三基により世界を調整していた。中枢と三基のシステムはシステム同士で繋がっている。中枢のシステムに瘴気を送り込むと連動して他のシステムもダウンする。
「なんということだ! それでは水を制御することが出来ないではないか!!」
 現在、水を制御できるシステムは、無い。
「はい、その通りです。生存している水や雲、雨の守護天使たちが十天使の指揮の下、尽力を尽くしておりますが、何時まで持つかわかりません」
 最早天使たちによる人力でしか制御することがかなわなくなった。
「早急に対策が必要じゃな」
 それは世界崩壊を簡単に引き起こせるほどの危うい状態。
「その通りです。もし、今、また魔族に襲われるようなことが起これば、我々天使だけでは太刀打ちできないでしょう」
「そんな……」
 そしてさらに追い討ちをかけるような瀞亜(せあ)の報告。
「――他に何かわかったことは?」
 瀞亜(せあ)の表情が一瞬曇った。だが、続けて報告を行う。
「……はい。水蓮鏡(すいれんきょう)が落とされる前にとある天使の遺体を収容いたしました」
「天使の? それがどうかしたのか?」
 天使の遺体ならずとも下級神の遺体もたくさん収容されたはずだ。
 ただし、原型を留めていればの話だが。
 今更誰が出てきたところで驚くに値しないといった感じだ。
 確かに、普通の天使ならそうだろう。だが、瀞亜(せあ)は普通を話したりしない。
「その天使は水神(みなかみ)海水(かいな)様の護衛天使、鴉瑠杜(あると)禧瑳(きさ)です」
「――!! それでは……」
 それは神々に衝撃を与えるには十分な威力を持っていた。
禧瑳(きさ)水蓮鏡(すいれんきょう)の外れで倒れていました。周囲には魔族の屍が多数存在しており、魔族の足止めをし、水神(みなかみ)海水(かいな)様をお守りしたものと思われます」
 それはおそらく、死を覚悟した者の戦いであっただろう。
 どれほど壮絶な状況だったのか……彼等には推し量ることさえ出来ない。
「しかし、それでは水神(みなかみ)が無事であるという保証はないな」
「いえ、それは大丈夫だと思われます」
 何の根拠があるのか、瀞亜(せあ)は言い切った。
「何故です?」
禧瑳(きさ)のいた周囲に結界を発動した形跡が見られました。おそらく、魔族を閉じ込める為に使用したのでしょう」
 たった一人で複数の魔族とやりあったであろう禧瑳(きさ)
「そして、禧瑳(きさ)の直接の死因は怪我による出血死です。魔族を倒した後にそのまま力尽きたものと思われます」
 それは水神(みなかみ)を最後まで守り通したという証。
「じゃあ、水神(みなかみ)はどこに……?」
 無事であるというならば、彼は一体何処に消えたというのか?
「おそらく地上に逃れたものと――」
 瀞亜(せあ)はそう分析していた。
 禧瑳(きさ)がいたのは水の制御システムである浮遊大陸の外れ……後ろには地面の無い空間が広がっていた。
「ではどうして何の連絡もしてこないのでしょう?」
「確かに、妙だな」
 地上にいても連絡ぐらいは出来る。……というか神界に帰ってくることも可能なはずだ。
 ただ、今水神(みなかみ)が神界に行ってしまうと間違いなく現世の均衡が崩れて崩壊してしまうが――
「それが出来ない状態にあるのかもしれません」
「それは一体どういうことじゃ?」
 瀞亜(せあ)の言う『それが出来ない状態』が、現世を守る為という理由ではない事に気付いて問う。
「はい。水蓮鏡(すいれんきょう)には封印鏡という力を封印する事が出来る鏡があるのですが、その鏡が安置されていた場所からなくなっておりました」
「壊されたのではないか?」
「いえ、それでしたら破片が落ちているはずです。その鏡はとても力の強いものでしたので、破壊されても破片がなくとも、力の残滓だけは残ります。しかし、それらしいものを見つけることは出来ませんでした」
 そんな道具が水蓮鏡(すいれんきょう)にあったという事を初めて知った神々。
「それが何か関係があるのか?」
「その鏡は力あるものの力を封印し、外界からわからなくする効果があります」
「まさか――!?」
 そこである答えに辿り着いた。
 水神(みなかみ)の居場所がわからない理由――
「はい。水神(みなかみ)海水(かいな)様の気配が感じられないのはそのためではないかと思われます」
 瀞亜(せあ)水神(みなかみ)がその封印具を使い力を封じている為に居場所がわからなくなっているという。
「何故そんな物が水蓮鏡(すいれんきょう)に?」
 それは誰もが思った疑問だ。
 ここにいる者たちは総じて皆偉い神達だ。彼等が全く知らない強い力を持った道具がどうやって持ち込まれたのか……彼等を凌ぐ力を持った神は惑星神と呼ばれる者たちだけだ。だが、ここ最近はこちらに干渉してきてはいないはず。
 そんな神々の疑問に瀞亜(せあ)はスッと答えた。
「その鏡は全ての闇の象徴であるフェナカイト=レッドベリル=ラーフィス様の持ち物であったと――」
「ラーフィス神の……?」
「なるほど、それでは納得がいくな。彼の人の持ち物であるならばそのぐらいの効果はあるだろう」
 驚きと共に納得のいく面々。
 ラーフィスとは創世神ラーフィスと呼ばれる双神の事だ。そして現世で最も信仰されている宗教の象徴でもある。その宗教の総本山である神教国ラインヴァンの国主がフェネシス=ラインヴァンである。
 世界に数多いる神々の中でも最強といわれる存在だ。
 神々の中でも半ば伝説に近い存在になりつつある。
 そんな凄い人物の持ち物ということで皆納得してしまった。
「しかし、困ったな」
「ええ」
「地上に降り立った上に力も感じることが出来ぬとくれば探すのが骨じゃ」
 世界は以外に広い。
「ええ、ですが早急に見つける必要があります」
「それはわかっている」
 瀞亜(せあ)は少し困ったような顔をして言った。
 だが、そんな事は言われずとも解っていることだ。
 だからこそ、今までずっと待っていたのだ。
 言葉にされなくとも世界を調整する立場としてどれだけまずいかわかっている。
 瀞亜(せあ)は首を横に振った。
「いえ、水神(みなかみ)海水(かいな)様は今非常にまずい状態にあります」
「まずい状況?」
 これ以上まずい状況があるというのか?
 そんな視線を感じてか瀞亜(せあ)は言った。
水神(みなかみ)海水(かいな)様は今の状態では魔族に対処することが出来ません」
 それは戦慄すべき事実だった。
「――まさか、神術も使えないというのですか!?」
「記述通りならば」
 瀞亜(せあ)は封印鏡の事が記載されている本を読んで調べたらしい。その記述通りならば力を神術どころか精霊術なども行使することが出来ないということだった。
「それではすぐにでも水神(みなかみ)様をお探ししなくては――」
 時間が経過すればしただけ危険が押し迫っていく。
契約の天使(メタトロン)、今すぐ天使たちに捜索を――」
「申し訳ございません」
 瀞亜(せあ)は神の言葉を最後まで聞くことなく頭を下げた。
「どういうことだ?」
 天使が神の言葉を無碍に断るはずが無い。
 神の言葉は世界を調整し、守る為の言葉だ。
 それを否定することは神を否定するに等しい。
 ただ、神は瀞亜(せあ)のことを信頼しているのか、問いを投げ掛けただけだった。
水蓮鏡(すいれんきょう)の捜索及び調査にかなりの人員を割いていたのですが、その天使たちが全滅してしまった為に天使の絶対数がかなり減っています。そのためこれ以上捜索に人員を割くことが出来ないのです。これ以上は通常業務にも支障をきたしてしまいます」
 それは探せるものなら探していますということだ。
 通常業務に支障をきたすほど天使が殺された。
 それでは無理強いすることなど出来ない。
 本来の彼等の業務もとても大切なものだからだ。
「くそっ……オレたちが行ければ良いんだが……」
「バランスを崩している現世に我々が赴けば崩壊を助長させてしまう」
「しかし、水神(みなかみ)にもしものことがあれば同じことですよ」
 今の現世に属性の力が強い神達が降り立てば強い影響を与えてしまう。水の力が弱っている現世にそれをするということは世界のバランスを崩すという行為に等しい。
 そうすればいいか悩み始めた神々に瀞亜(せあ)はそっと意見を言った。
「……差し出がましいようですが――」
「何かあるのか?」
 今はどんな意見でも欲しいところだ。
 打開策となるならば――
魔皇(まこう)族に助力を求めてはどうでしょうか?」
魔皇(まこう)族に?」
 瀞亜(せあ)の口から出たのは意外な言葉だった。
 魔皇(まこう)族。
 調整者たる万物神と同じく調整をする種族。ただ、万物神が世界にあるあらゆる属性を調整する者であるのに対して彼等は根源たるモノの調整を行う。その根源の一つが魂だ。彼等は神が扱うことの出来ない魂を扱える。こことは少しだけ接点のある別の空間でその魂を清めたり罰したりしている。現世にもいないことはないが――
「魔族は強い力を身に付けています。最早魔族に対抗できるのは彼等しかいないかと――」
 魔皇(まこう)族の戦闘力は万物神の比ではない。元々魔族と魔皇(まこう)族は同じものなのだから対抗することも出来るだろう。
「確かに、彼等は我等のように世界の属性のバランスを司っているわけではないから何の影響も与えないな」
 しばらく考えていたようだが、結局、良い考えは浮かびそうになかった。
「うむ。それしかないかもしれぬな。では、さっそく現世の魔王グラキエースに連絡を取ることにしよう」
「お前は今まで通り、天使たちをまとめて通常業務を果たすように」
「御意」
 瀞亜(せあ)は恭しく頭を下げるとその場を下がった。