クラウスはクリストに話をした後、部屋に戻り準備を整えて空間転送機(トランスポーター)の前で待っていた。
 しばらくするとロキがルーファスを連れて現れた。
 ロキはもちろん制服姿だがルーファスは私服姿だった。
 ――という事は……
「有休未消化なのか? ルーファス」
「……はい。なんかいきなりロキ執行補佐に『残りの有休を全て申請しておきました。今からクラウス執行吏のお供をしてください』って連れてこられたんですけど……」
 一体なんなんだといった顔をしているルーファス。
 ロキはどうやら詳しい話をしていないようだ。
「浮遊島が落下した話はいくらなんでも知ってるよな?」
「そりゃ大事件ですからね」
 確かに知らなかった場合、世間知らずじゃすまない。それほど重大事件だった。
「その浮遊島を個人的に見に行こうと思って」
「え? 調査ではなく?」
「うん。頼まれてないから」
 あっけらかんと言い放ったクラウスにそれでいいのかと思うルーファス。
 だが、一番文句を良いそうなロキが何も言わないどころか協力している。
 認可されるような事には思えないが、少なくともクラウスもロキも良いと思っているらしい。
「勝手に調査して良いんですか?」
「大丈夫だって。個人的に行くんだから」
 念のために聞いてみるが、やはり良いと思っているらしい。
 だが、腑に落ちないこともある。
 クラウスは制服姿だ。
「…………じゃあなんでクラウス執行吏は制服着てるんですか?」
「だって俺はもう今年の有休使い切っちゃったもん」
 年が明けるまで二ヶ月弱はある。
 それまで有休は降りない。
 万が一の事を考えて全部使い切るような事しなきゃ良いのにと思ったが、それは言わなかった。
「そうでしたね」
「だから俺は仕事をしつつ見に行かないといけないんだ」
 そう言ってクラウスは肩を竦めた。
「これがその仕事です」
 ロキは一枚のディスクをクラウスに手渡した。
 後で確認してくださいと念を押す。
「それで、なんでオレが一緒に行く理由になるんですか?」
 これは重要な事だ。
 本人の与り知らぬ所で勝手に進んでいた話。あまりにも理不尽すぎる。
 だが、そんな小さな事を気にする人達でない事はルーファスには十分理解できていた。
 でも言わないわけにも行かない。
「そりゃあ勿論、浮遊島付近に魔物が出て危険だからだよ」
「は?」
 それに対するクラウスの返答は余りにも簡潔かつ、当たり前すぎて一瞬脳が聞き間違いかと判断する。
 だがクラウスはもう一度同じ事を言った。
 聞き間違いではない。
 クラウスは間違いなく本気でそんな事を言っている。
 公爵(デューク)級紋章術師のクラウスが、たかが人間の自分に……
「落下してからそう時間は経っていませんが、興味本位で近づいた者達が既に何人も犠牲になっているようです」
「ちょ……聞いてな――」
「何言ってるんだ」
「今聞いたでしょう」
 クラウスとロキは揃って言った。
「俺一人じゃクリストを護りきれる自信がないからな」
「じゃあなんで連れて行くんですか?」
「記憶喪失の手がかりを見つけるためですよ」
「――と、いうわけでよろしくな」
「……えっと……よろしくお願いします」
「いってらっしゃい。ルーファス、クラウス執行吏の事、頼みましたよ」
 ルーファスに拒否権はなかった。
 ロキの言っているクラウス執行吏をよろしくというのはクラウスを護れという事ではなく、手の施しようのない方向音痴のクラウスをちゃんと目的地まで連れて行ってくれという意味だという事にルーファスは直感で気付いた。
 そもそも護衛というのは自分より強い者の事を言うのであるから、クラウスより遥かに弱いルーファスを護衛とは言わない。
 ロキの事だからしっかりと根回し済みだろう。
 ルーファスは半ば強引に連れて行かれた。





「運行停止!?」
 狭い船のチケット売り場でクラウスの声が響いた。
 三人は今、交易都市セレスエラの港に来ていた。
 クラウスとロキの権力を使ったおかげでセレスエラまでは楽に来れた。
 執行部の連絡艇(レイルロードフェリー)が使えたので簡単にここまで来れたのだが……
 旅はいきなりここで行き詰った。
「申し訳ございません。法治国(ほうちこく)ミズガルドの交易の街ヤリエスに行く為の海路に魔物が棲みついてしまったようで……危険な為運行を停止しております」
「こりゃ諦めるしかないな」
 この世の中、科学技術は発達したが空を飛ぶ乗り物までは完成していない。その為、別大陸に行く為の方法は今でも船だ。
 言葉を失うクラウス。
 だが、こればかりはどうにもならない。
 しばらくそうしていたクラウスだったが、突然端末を取り出して何かを始めた。
「あった!」
 それはロキに渡された仕事のデータだった。
 その中の一つに海魔の仕事がしっかりとあった。
珊瑚暖海セトナの東に多数の海魔が発見された。
 その海魔は既に船を何艘か沈めている。
 この海魔を殲滅する事
 これを見たクラウスは――
「ルーファス、執行部に戻るぞ」
「え? なんでって………………もしかして――」
「もしかしなくても退治する」
 ルーファスは露骨に嫌そうな顔をした。
「オレは剣士だから水棲系魔物とやりあったり出来ないのに……」
 はぁ〜…………と長い溜息と共に遭遇した際の嫌な記憶を思い出す。
 無様すぎて何も言う事がない。
「俺はそんなの関係ないから平気だ」
 そりゃクラウス執行吏は紋章術師だから平気でしょうけど、と愚痴る。
「魔物討伐は執行部の仕事だ。だからルーファスはクリストと一緒に見ていてくれれば良い」
「見てればって……また眠らせておく気ですか?」
 それに対してクラウスは渋い顔をした。
「戦闘時には相当揺れるだろうけど……俺はきっと忙しいだろうからそれをしてる暇があるかどうか……」
 クリストは船の事を思い出してげんなりしている。
 船沈まないだろうなと、一抹の不安を抱えつつもルーファスはクラウスとクリストを執行部のセレスエラ支部へと連れて行った。





「あれ、執行吏? 忘れ物ですか?」
 先ほど出て行ったばかりのクラウス達を見て不思議そうに声をかける支部長。
「イヤ、そういう訳じゃない。
 今から珊瑚暖海セトナの東に出たという海魔の討伐に行く。第一級紋章戦闘艦ミストルテインを使う。ファリノス、一時間後までに発進の準備をさせろ」
 それを聞いたファリノス支部長は敬礼をして中に入っていった。
 ほどなくして放送がかかる。
「あの、ミストルテインって?」
「戦闘艦の名前だ」
 だが、クリストには戦闘艦なるものがどういうものか解らなかった。
「そうか、クリストは船の事よく知らなかったな。みたらきっと驚くぞ」
 クラウスは近くにいた執行部員を捕まえるとミストルテインのある場所まで案内させた。
 こういう時に颯爽と案内できないのが方向音痴の辛いところだ。
 そして戦闘艦のある一番ドックに着いた時、クリストはそれに見入った。
 確かにそれは凄かった。
「これが紋章科学で作った戦闘艦……」
 ルーファスは漆黒の闇とも言うべき色をした流麗なフォルムの戦闘艦を見てぽつりと言った。
 クリストは声も出ない。
 その戦闘艦には普通の船にあるような大砲などの武装が一切なかった。
 ミストルテインには次々と人が乗りこんで行く。
「俺たちも行くぞ」
「その方達乗られるんですか?」
 そこには何時の間に来たのか支部長のファリノスがいた。
「やっぱりまずいか?」
「一般人の方は――」
 少し言いづらそうにしながらもファリノスは二人を見て言った。
「確かにクリストは一般人だな。本来なら乗せるわけには行かないが……俺はこの後交易の街ヤリエスに行きたいんだ。ついでに送ってもらおうと思って――」
「ああ、なるほど。わかりました」
 ファリノスはそう言ってルーファスを見た。
「――それで、そちらの方は?」
「オレ?」
 その時クラウスは気付いた。
 軍服を着ていないんだから気付くはずがないということに。
「ルーファス、所属と階級」
「あ……」
 その事にルーファスも気付いた。
「オレは特殊部戦闘技術課隊長ルーファス=レイ=ラドクリフだ」
「ラドクリフ隊長でしたか。これは失礼いたしました」
 クラウスやラスが隣にいると目立たなくなるが一応彼も一部隊の責任者だ。
「まあいいって。オレだって違う部署だしね」
「ではどうぞ」
 これで何の問題もなくなった三人は艦に乗り込んだ。
 そこは外から見るよりも凄かった。
「お二人はこちらへ。執行吏は艦橋(ブリッジ)にお願いします」
「ああ」
 と、ここでクラウスとクリスト達は別れた。
 そしてルーファスとクリストは空いている部屋に案内された。
 クリストは部屋に置いてあるソファーに座ると溜息を吐いた。
「はぁ〜……」
 理由は勿論船酔するからだ。
「まぁ、元気出せ」
 ルーファスが以前、自動操作小型船(オートシップ)に乗った時の事を思い出しながら慰めた。
 だが、そんな言葉は気休めにもならないであろう事は明白だった。
「クラウスさんは帰って来れないだろうね」
「…………はぁ……」
 クリストはもっと重い溜息を吐いた。
 自分でも思っている事を他人からも言われると辛い。
 そして艦内放送がかかった。
『これより第一級紋章戦闘艦ミストルテイン、発進する』
 クラウスの声だ。
 艦長シートに座っているのは間違いなくクラウスだろう。
 まあ一番偉いのだから当たり前といえば当たり前だ。
 クリストが絶望的な顔をした。
 グゥゥゥゥン…………
 重い駆動音が響く。
 だが、それだけだった。
「随分静かだな。もう動いているはずだが……」
「揺れませんね」
「波の音もしないな。随分と高い技術で造ってあるんだろうな」
「へぇ……」
 この艦は揺れないのでクリストが酔う事はなかった。
 ――でも、それも戦闘が始まるまでだった。





 海魔を見つけるため速度を落として広範囲索敵モードで航行していた。
 一週間経ったが、今のところ海魔の気配はなかった。
 クラウスはかったるそうにシートに身を沈めていた。
 今日も何事もなく終わるのかと思っていたその時――
「前方百ウェールに多数の敵影あり」
「数は?」
 今までのかったるそうな気配が一瞬にして霧散した。
「――判明しました。敵五体」
「近づいています」
「総員、第二戦闘配備」
『総員、第二戦闘配備』
 艦内に通達する。
 急に艦内が騒がしくなる。
 だがそんな事とは無縁の者達もいる。
 無論、クリストとルーファスだ。
 クリストは第二戦闘配備と聞いて青くなった。
 クラウスに戦闘中は揺れると聞いていたからだ。
 そしてその言葉を実際に体感する事になる。
「<護法結界(ごほうけっかい)>起動。
 <光の螺閃(らせん)>充填開始」
 モニターに海魔の姿が映し出される。
 それはイカのような魔物だった。
「テンタクルスか……
 <怒りの雷霆(らいてい)>発射」
 この戦闘艦の攻撃方法は紋章術のみだ。
 普通の物理攻撃の装備は積んでいない。
 ただし、乗組員の精神力を使用するのであまりやり過ぎると皆倒れてしまうが……
 テンタクルスは然程強い魔物ではない。
 <怒りの雷霆(らいてい)>で動きが止まったテンタクルスを<光の螺閃(らせん)>で一網打尽にする。
「この程度のヤツが出ただけで海路は封鎖されたのか?」
 やや納得のいかなそうなクラウス。
「執行吏! 下方百ウェールに巨大な敵影が現れました!!」
「物凄い勢いで近づいてきます!」
「モニターに映せ」
「出ます」
 水のようにどろりとした巨躯に無数の触手を持った不気味な魔物が見る間に近づいて来る。
「まずい!! 下方にさらに結界を展開! 総員、衝撃に備えよ!」
 そして次の瞬間、艦内にドシンという重い音が響き、ガクンと艦体が揺れる。
「くぅ……なんだ、こいつは――」
 ぎしりとイヤな音が響く。
「執行吏! このままではこの怪力で押しつぶされてしまいます!!」
「俺がやる。下方、魔物の本体の方に照準を合わせ、俺のシートの後ろに起動陣をしけ!
 総員、第一戦闘配備!!」
 そう言うやなや、クラウスはシートを立つと床に現れた起動陣の上に立つ。
 右手を掲げ、喚ぶ。
「我が半身にして我が力の礎――
 我が前にその身を現せ――
 <蒼き珠の聖杖レヴァンテイン>!!」
 クラウスの右手の甲に、紋章が浮かび上がる。
 そして光が溢れ、次の瞬間には右手に蒼い宝珠が填め込まれたクラウスの身長よりも少し長い大振りの杖を手に持っていた。
 聖杖レヴァンテイン……クラウスがあまり使用しない精神力増幅アイテムだ。
 古の道具の一つで、とても気難しい。
 聖〜とか、魔〜とかつくアイテムは意志を持っており、自ら主を選ぶ。
 クラウスの持っているのはそういうアイテムだ。

 



   ……  ζ μ α ν ν ε ε ι ξ ε σ ε ξ η ε μ σ δ ι ε υ β ε ς ε ν ο τ ι ο ξ μ ε σ σ ξ ε σ σ μ α γ θ τ

 素早く印を組む。
 ちんたらしていると艦が沈む。
   ――無情を(わら)う天使の紅炎(こうえん)


 じゅっ…………
 放たれしは太陽の紋章術。
 この紋章術は照準にそって発動した。
 つまり、正体不明の魔物そのものに……
 紋章術は魔物とそこにある海水を一気に蒸発させるほどの威力だった。
 水のような姿の魔物も海水と同じように蒸発していく。
 周囲を物凄い量の水蒸気が蔽い、無くなった空間を海水が一気に流れ込む。
 艦は艦を支えていた海水が消えたので当然落下し、海水に揉まれる。
 それは普通の船ならばバランスを崩し沈没しかねないほどの揺れだったが、この艦は普通の船ではない。
 紋章科学のシステムが平衡感覚を保ち、なんとか大きく揺れるだけに止まった。
「ふぅ……」
 艦体が激しく揺れた為、シートに後ろから掴まっていたクラウスはほっと一息をついた。
「破損箇所は?」
 シートに座りなおしながら聞く。
 あれだけ揺れたにもかかわらず艦橋(ブリッジ)内ではたいした被害もなかった。
「幸いどこもたいした被害を受けませんでした」
「システムにも異常はありません」
「流石は国家予算を大量投入して造っただけの事はあるな」
 艦体の素材はかなり高価で丈夫な金属が使われている。
 それに結界も展開していたためたいした破損もなかったようだ。
「今のが海魔…………ですか?」
「多分、これのせいで海路が封鎖したんだろ。この丈夫な艦体だから無事だったものの、普通の船じゃ一溜りもないだろ」
「そうですね」
「さて……じゃあこのまま他の雑魚海魔を討伐しつつ交易の街ヤリエスに向かってくれ」
「了解」
「俺は少し休む。何かあったら呼んでくれ」
 クラウスはそう言うと右手に持っていた杖を還して、艦橋(ブリッジ)を後にした。





 そしてクラウスはルーファスとクリストの部屋に向かった。
 ――が、勿論わからなかったのでその辺にいた部下に案内してもらった。
 ドアを開けて中に入ると、ぐったりとして動かないルーファスと、テーブルの側でぶっ倒れているクリストの姿だった。
「ルーファス?」
 その異様な光景にクラウスは眉を寄せた。
「うえ〜〜〜〜〜〜〜〜…………」
 真っ青な顔をしたルーファスじゃぼそりと呟いた。
「酔った……」
 ああ凄い揺れたからなぁ〜と、クラウスは思った。
 そして目線をクリストに向ける。
「クリストは何で床で寝てるんだ?」
「……テーブルに頭をぶつけたんですよ…………寝てるんじゃなくて気絶してるんです……」
 まぁ、凄い揺れたし……と、全てをそれで片付けるクラウス。
 ぴくりともしないクリストを抱えるとベッドまで運んだ。