あれ以降、雑魚海魔にしか遭遇しなかったので特に艦体が激しく揺れるという事も無く目的地に着いた。
索敵モードで航行したので一ヶ月近くかかってしまった。
その為、もう今年最後の月になってしまっていた。
今日は第二十四月[闇の月]十四日だ。
艦を降りてしばらく歩いた時、クラウスが疑問を口にした。
「クリストは随分平気そうだな。船に慣れたのか?」
ほとんど
「揺れなかったので」
その言葉にクラウスは、揺れが原因という事はやっぱり半規管が弱いんだなと思った。
「随分性能の良い艦でしたね」
静かだし、とルーファスはいつも自分が乗っている高速船を思い出しながら言う。
揺れない船に乗ったのは初めてだった。
「国家予算をだいぶ使ったからな。でも精神力の高い術師……まあ要するに亜人が乗ってないと動かせないけどな」
「よくそんな艦造るのに予算下りましたね」
性能は良いが些か使い勝手が悪そうだ。
それに対してクラウスはさらりと一言。
「行政長がラルフだから」
なるほど。
――と、妙に納得させるモノがあった。
「それで、今日はどうするんです?」
「疲れたから宿屋で一泊する。明日の朝、馬車で南に行こう」
雑魚海魔が思っていた以上に多かった為にちょっと寝不足気味のクラウス。
クラウスでは宿屋に直行できないのでルーファスに案内させた。
なかなか起きないクラウスを何とか起こし、クラウス達は馬車で静寂の村ロートクに向かっていた。
途中、町を数回通過し、ロートクに着く頃にはさらに一ヶ月もかかった。
「オレの有休ってこんなになかったと思うんですけど……」
「それは平気だろ」
「どうしてですか?」
それに対してクラウスは無情の言葉を放った。
「もう年明けたから、今年の有休がある」
その言葉にルーファスは言葉を失った。
クリストが困ったような顔をしてルーファスを見る。
そのルーファスは――
「クラウス執行吏の鬼――!!」
――思わずそう叫んだ。
「でも休暇処理してるのはロキだぞ」
ロキは抜け目無いのでバッチリ有休は消えてるだろう。
ルーファスは気が重くなった。
こんな惨事もあったが、無事にロートクについた。
今日は年を越した第一月[陽の月]二十一日。
村の雰囲気は非常に重かった。
「随分暗いな。冒険者とかが来てるって聞いたんだけど……」
「なんだ、あんたら知らないのか? 魔物とかが物凄くたくさん出て死人もたくさん出たから今じゃすっかり客足は遠のいたぞ」
側を偶然通りかかった村人が言った。
「二ヶ月の間にすっかり情報が変わりましたね」
「ああ、みたいだな」
だがそんな情報の遅れは全く気にしていなかった。
「魔物が出るってわかってて来たんですよね」
「勿論そうだ」
それを聞いた村人は――
「物好きな連中だな。でも、悪い事は言わねーからやめた方がいいぜ」
一体どれほどの者が帰らぬ人となったのか……
「ミズガルドは何もしてないのか?」
「魔物が多くてな。この村は破棄された」
おそらく魔物に刃が立たなかったのだろう。
「え? 住んでいる人達はどうされたんですか?」
「他のもっと安全な町に移住する事になったんだ」
「だが強制ではないようだな。ここにいる者達も十分物好きだ」
この言葉に村人は苦笑した。
「ははは……言ってくれるな」
しかし反論するつもりは無いようだ。
心の何処かではこの言葉を肯定しているのだろう。
「ところで宿はあるのか?」
村の様子を見る限り、絶望的だが――
「ないな」
やはりあっさりと返された。
「もうこの村には年寄りしかいない」
「貴方は若く見えますけど……」
「この人以外はって事だよ」
ああ、とクリストは頷いた。
「あんたら本当に行くのか?」
村人はしつこく聞いてきた。
おそらく、今までにもたくさんの無謀な者達が浮遊島の残骸に足を延ばして行ったのだろう。
そして、帰らぬ人となった……
村人はこれ以上人が犠牲になるのを望んでいない。
それは見れば解った。
だが、ここまで来て引き下がるわけには行かない。
それにクラウスは人間ではない。
「馬鹿にするなよ。俺もルーファスもアスガルドじゃちょっとした高官なんだ」
それを聞いたルーファスは溜息を吐きつつ、
「クラウス執行吏はちょっとじゃないでしょ」
トップスリーじゃないですかと呟く。
その言葉にクリストは不思議に思った。
「軍人じゃないんですか?」
クリストはアスガルドの仕組みをよく知らないようだ。
「執行部は司法だから違うぞ。アスガルドの場合、司令部イコール軍部だ」
「俺は軍人だけどクラウス執行吏は違うな。執行部は仕事の中に魔物の討伐が含まれてるけど基本的な仕事は裁判とかだよ。一応司法をやるのが執行部だからね」
最近は魔物が増えてそっちにかかりきりだけどな、頭の痛い現状を口にする。
「それにクラウス執行吏はアスガルドの三大賢者の一人だし」
アスガルドで紋章術を使わせたら右に出るものがいないというほどの腕前を持っていると、ルーファスは説明した。
ラルフやラスも人並み以上の力を持っているが、クラウスには遠く及ばないらしい。
「あんたらそんなに凄い人なのか」
クリストと同じように話を聞いていた村人が驚き混じりに言った。
「う〜ん、まあね」
だがクラウスは威張り散らすような返答はしなかった。
けっこう控えめだ。
「……まさか、ミズガルドに頼まれて……?」
村人はありえないよな〜といった顔をしながら口にした。
クラウスは即座にそれを否定した。
「違うよ。個人的に来たかっただけ。だからルーファスに有休取らせて少人数なんだ」
クラウスはきっぱりと言い放った。
なにやら事情があるらしいと判断した村人はそれ以上詳しく突っ込んではこなかった。
「変わってるな」
余りにも恐怖を撒き続けるものがいるからもう人など来ないと思っていたと話す。
まぁそれも仕方のない事だろう。
ここは数少ない人間ばかりが住まう国。
世界で最も脆弱な存在の国。
「ところでミズガルドはあの浮遊島の落下物……どうするつもりなんだ?」
「最初は調べようとしてたけど、魔物が多すぎて手に負えなくてやめたみたいだけど」
「――ということはミズガルド軍はいない?」
「ああ」
それは三人にとっては好都合だった。
ミズガルドの軍人がいたら一揉めしそうだったからだ。
それを覚悟で乗り込んできたわけだが、厄介ごとは少ないに越した事はない。
「さて、じゃあ明日のために鋭気をやしなっておかないとな」
「でもどこで休むんです?…………ってまさか……村の中で野宿ですか!?」
宿が無いのにといろいろ考えていたルーファスは嫌な考えに行き当たって、物凄く嫌そうに言った。
村の中だけマシだろうなどと言われそうで戦々恐々としていたが、そうはならなかった。
「空き家を使わせてもらえば良いだろう」
村人の前でなんとも大胆な発言だ。
普通は思ってても言わないだろう。
「ははは……あんたらすげーな」
だが村人は責めるような事は言わなかった。
「そんな事しなくてもおれの家に泊めてやるよ」
思っても見なかった言葉だった。
「いいのか?」
クラウスは確認した。
「良いって。できる事ならあの魔物をどうにかしてもらいたいってのが本音だからな」
それを聞いたクラウスは嫌なものを感じた。
「村の中まで入ってくるのか?」
それに対して村人は少し表情を暗くした。
「かなり近くまで来る。実際、年寄りが何人も犠牲になってる」
それを聞いてクリストは疑問に思った。
そうしてそんな大変な思いまでしてここに居続けるのだろう。
ここを棄てて別の町で暮らした方が安全で楽なはずだ。
「あの……貴方はどうしてここで暮らしているのですか?」
クリストはおずおずと疑問を口にした。
村人は苦笑いをした。
「じーさんがこの村から出たくないって言ってて、こっちの言う事聞かないんだよ。だからおれもなんかほっとけなくてさ」
「そうなんですか」
「じーさんはおれにはこの村には居て欲しくないみたいだけどさ」
クリストにはその意図がわからなかった。
それを見て取ったクラウスがぽつりと言った。
「誰だって故郷は失いたくないものだ」
「あ……」
クリストは失念していた事実に気付く。
自分には何もない。
だから、気付かなかった。
大切な想いがあることに……
「どーせ自分は老い先短いから良いけど孫には安全なところで暮らして生きて欲しいっていう我侭さ」
「だろうね」
村人も同意する。
「まぁ、気にしないでくれ。こんな寂れた村で暮らしてる変な連中の事なんかさ」
村人はそうおどけて言うとくるりと後ろを向いた。
「おれの家まで案内するよ。何も無いし、偏屈なじーさんがいるだけだけど、夜露は凌げるし飯も出る」
「至れり尽くせりだな」
「確かに。ここじゃ食べ物を集めるのも大変でしょうに」
「はは、そうでもないよ。行商人が気を遣って来てくれるからな」
「そうか、じゃあお言葉に甘える事にしよう」
クラウスはそう言うと村人に着いて行った。
クリストとルーファスも慌てて着いて行く。