「やっぱりヨトゥンヘイムからミズガルドは遠いね」
久しぶりに陸地に着いたからか、そんな事を言うフェネシス。
「海魔が出るって言ってしばらく海路が封鎖されましたからね」
年が開ける頃にようやく海路が回復したのだ。
だから浮遊島落下の報を受けてからもう三ヶ月も経っている。
今日は第二月[炎の月]十日。
約一ヶ月半の間、船に揺られていた。
「でもその海魔はどうしたのでしょう?」
「アスガルドの執行部が片付けたみたいですよ」
それを聞いたフェネシスは最近あった有名な発表を思い出す。
「あの国には紋章科学の理論を構築した三賢者の一人、クルーグハルト卿がいるからね」
「紋章科学?」
レイシェルが聞いた事も無い言葉を聞いて首を傾げる。
「紋章術と科学を融合させたモノだよ」
「そんな事が可能なんですか?」
二つのものは全く違うものと認識していたレイシェルはとても驚いた。
「可能だから出来上がったんだろうけどね」
「へぇ……」
「彼は天才だからね」
フェネシスはしみじみと言った。
「それよりフェネシス様。これからどうするんですか?」
今の現在地は交易の街コルネシカの南入り口近く。
目の前には外に出るための
「海岸線を南に行こう。フロストは大きいから他の人の通行の邪魔になっちゃうし」
「しかし、それでは少し遠回りになりませんか?」
「そうだけど仕方ないよ」
――というわけで、一行は
森の中をしばらく歩いていると――
――脇道から誰かが出てきた。
その人物はさして特徴といったものはなかったが、ミズガルドでは珍しい亜人だった。
「お前は――」
その人物がフェネシスを見た途端に驚きの表情を浮かべる。
「フェネシス=ラインヴァン……」
そしてすぐに、物凄くイヤなものにあったような顔をした。
「僕の事知ってるんだ。…………君は
「――!?――
どうして……」
一見しただけで看破されるとは思っていなかった若者は驚いた。
「う〜ん…………年の功?」
それに対してフェネシスは首を傾げながらそう答えた。
若者の目付きが険しくなる。
「いや、あの……そんなに睨まなくても良いんじゃない?」
「ふん」
若者はそっぽを向いた。
途端に険悪な空気が漂い始める。
その空気を何とかしようと思ったフェネシスは自己紹介を始めた。
「僕は知っての通り、フェネシス=ラインヴァン。この子はフロスト。で――」
フェネシスがシーファを見る。
「シーファです」
「レイシェルです」
次々と名乗られては流石にいつまでも黙ってままではいられない。
若者は仕方なさそうに口を開いた。
「ジェイド……ジェイド=ヘリオドールだ」
「ヘリオドール?」
フェネシスは聞き覚えのある名に反応した。
「ヘリオドールって、アルファヘイムにある精霊の村クロウクの村長の名前だよね?」
「父がな」
どこまでもぶっきらぼうだ。
「え〜と……」
これにはどうしていいかわからなくなるフェネシス。
「ちょっと! 貴方フェネシス様に対して失礼ですよ!」
その態度に怒り出すシーファ。
そんなシーファを見てジェイドはキッパリと言った。
「俺はフェネシス=ラインヴァン、お前が嫌いだ」
そしてフェネシスは気付く。
「…………そっか……
「お前たち
だから俺はお前が嫌いだ」
「何で――」
今にも飛びかかっていきそうなシーファを制するフェネシス。
「しょうがないよ。考え方なんて人それぞれ違うものなんだから」
ふん、と顔を背けるとフェネシス達の先を歩き始めた。
行き先は同じようだ。
そして森が終わり視界が開ける。
そこは砂浜だった。
「いきなり暑くなったね〜」
暢気な事を言うフェネシス。
「きっと
「ずっとここを行くんですか?」
物凄く嫌そうに言うシーファ。
シーファは暑いのが苦手だ。
じりじりと照り付ける太陽を恨めしげに見るシーファ。
「はは……そうだね。少し日影を歩こうか」
少し日影でも暑いものは暑い。
シーファは溜息を吐いた。
「津波!?」
突如響くジェイドの叫び声。
その声に驚いて海を見ると大きな波が視界いっぱいに広がる。
対処する間もなかった。
一瞬にして飲み込まれる。
ただ、それほど強力な津波ではなかったため引き込まれなかったのが幸いだった。
海水をかぶって体が重くなっただけだ。
「あー、もう! 何でいきなり!」
フェネシスは不満を漏らしながらも外套や上着などを脱いで絞り始める。
「フェネシス様!」
シーファが慌ててフェネシスに近づいた。
その声に反応して海を見ると、巨大な蛇がとぐろを巻いていた。
シーサーペントだ。
「フロスト」
フロストは氷の紋章術を使ってシーサーペントを凍らした。
素早く動けそうに無い格好だったので一撃で決まった。
「さっきの津波の原因はこのシーサーペントだね」
原因を見ながら溜息混じりに言う。
そしてフェネシスは気付く。
「レイシェルは?」
辺りをキョロキョロして見回すが見当たらない。
「あそこです」
シーファが指を指した所を見ると確かにいた。
ただ、椰子の木にぶつかって気を失っているようだったが…………側に椰子の実が落ちている。衝撃で落下したのだろう。
「ま、まぁ……無事(?)で良かったね」
かなり疑問系ではあるが、海に流されなかっただけマシというものだろう。
シーファがレイシェルを起こしに行った。
「おい、大丈夫か?」
そんなジェイドの声が聞こえてフェネシスは振り向いた。
レイシェルのいる方向じゃない。
そこには二対の黒い翼を持った青年が気を失っていた。
怪我もしているようだ。
フェネシスも気になって近づいてみる。
「う……うう…………」
それを見たジェイドが印を組み始める。
…… ι γ θ β ε λ ο ν ν ε δ α σ φ ε ς θ ε ι μ ε ξ
桃色の柔らかい光が辺りに広がった。
――癒しを得て
温かい光が若者の傷を次々と癒していく。
それを見ていたフェネシスはやっぱり便利だよね〜と、ちょっと羨ましげに見つめている。
「あ……」
すっかり傷が癒えた若者は目を開けるとゆっくりと起き上がった。
「えっと……」
「お前、平気か?」
「え?」
若者は一瞬何の事かわからなかったみたいだが、しばらくすると頭の回転もしっかりして来たのか言われた意味に気付いた。
「あ、はい。大丈夫です」
「そうか……」
「あの、貴方が助けてくれたんですか?」
側にいるジェイドの方を見て言った。
「怪我を治したのは確かに俺だ」
それを聞いた若者は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「それよりなんでこんな所で倒れてたんだ?」
「えと、浜辺を歩いて湾岸都市ウナヴァーガルに向かっていたんですけど、シーサーペントに襲われてしまって…………それで気を失ってしまったんだと思います」
そしてジェイドは気になっていた事を言った。
「なんでこんな浅瀬にシーサーペントがいるんだ?」
そう言われて始めてフェネシスも異常に気付く。
シーサーペントは深い海にいる海魔だ。
蛇のような見た目をしているがかなりの速さで泳ぎ、船を襲ったりする厄介な魔物。
それがこんな浅瀬に居るのは確かにおかしい事だった。
「さぁ? でも、最近は少しヘンな事が多いですから」
確かに、思い当たる事が多すぎる。
「とても暗い夢ばかり見ますし……」
「夢…………?」
その言葉にいぶかしむジェイド。
フェネシスも眉を寄せた。
目の前にいる若者は黒い二対の翼を生やしている。
それ以外に主な特徴は無い。
しいて言えばフェネシスと同じように髪と目の色素が無く、肌が白いぐらいか……
それに気付いたフェネシスが率直に尋ねた。
「もしかして、貴方も
その言葉に若者は黙り込んだ。そして――
「…………はい」
俯き、とても悲しそうな顔をして返事をした。
基本的に色素の無い
フェネシスは彼がどれほど辛い思いをしてきたのか、推し量る事は出来なかった。
だが、辛かったであろう事は明白だ。
人は自分と違うものを排斥しようとする。
彼も……異端として扱われてきたはずだ。
「僕はフェネシス=ラインヴァン。貴方は?」
その言葉を聞いて弾ける様に顔を上げた。
「ラーディエンスです。
…………それにしても……貴方が……あの、フェネシス=ラインヴァン……?」
あの≠ニいう言葉の意味は痛いほど理解している。
ジェイドがしたあの反応を見れば、一目瞭然だ。
フェネシスも、一族からすれば異端だ。
「――!!――」
ラーディエンスの目が大きく見開かれる。
「フェネシスさん、危ない!」
ドン!!
ラーディエンスは思いっきりフェネシスに体当たりをした…………はずだった。
なのにフェネシスはビクともしなかった。
フロストが大地を蹴って空に舞いあがる。
その足元をブレスが通り過ぎた。
渾身の力で起き上がったシーサーペントの攻撃だった。
ラーディエンスはがっしりとフェネシスに抱き締められていた。
フェネシスは押されたぐらいで落下するような乗り方はしていなかった。
それにフェネシスは見た目によらず怪力だ。
「氷が融けちゃったのか……暑いもんね」
フロストの攻撃はあまり効かなかったようだ。
「――ったく」
それを見たジェイドが印を組んだ。
…… ι γ θ μ α υ ζ ε ζ υ ς δ ο ξ ξ ε ς
ジェイドの周囲がバチバチと音を立て始める。
――
バシィ!!
ジェイドの放った術はシーサーペントを黒コゲにした。
もう襲われる心配は無いだろう。
「大丈夫ですか? フェネシス様」
シーファがレイシェルを背負って走って来た。
「うん、平気。ジェイドが倒してくれたし」
その言葉にジェイドはお前のためじゃないとキッパリと言い放った。
フェネシスががっしりと抱きしめているラーディエンスを気にする。
「ゴメン! 僕さっき海水浴びたからずぶ濡れだった!」
慌ててラーディエンスを放そうとしたが、よく考えれば地に足がついていない。
フェネシスは自分の後ろに座らせた。
「そんな、平気です」
ラーディエンスは両手を振って否定する。
「ボクはラーディエンス=ウル=カーナです」
よろしくお願いしますと頭を下げた。
シーファもつられて会釈した。
「ラーディエンスはどこか行きたい所でもあったの?」
「いえ、その……見ての通りボクは異端ですから……行く所が無くて――」
フェネシスはかつての自分と重ねた。
考え方が違うというだけで居場所を失ったかつての自分と――
「僕と一緒に行かない?」
右手を差し出して誘った。
ラーディエンスはフェネシスの顔と差し出された手を見て困ったような表情を浮かべていたが――
「いいんですか?」
「いいよ。同族だし、ね」
同族――
そんな事を言われたのは始めてだった。
「よろしくお願いします」
「うん」
人の心がこんなに温かかったなんて、今まで気付けなかった……
「ところでジェイドは?」
「とっくにどこかに行ってしまいましたよ」
もう少しちゃんとお礼が言いたかったなとフェネシスは思ったが仕方ない。
「じゃあ行こうか」
「行くってどちらに?」
誘われるままに返事をしてしまったが、まだ何をしているのか、何処に行こうとしているのかは聞いていない。
「浮遊島の落下地点」
それを聞いた瞬間、ラーディエンスの顔色が変わった。
「あそこに!? 正気ですか!」
「うん。そうだけど……どうしてそんなに――」
何もわかってなさそうなフェネシスにラーディエンスが説明する。
「だって、あそこには物凄い数の魔物がいて調査に入った人はたった一人を除いて誰も帰ってこなかったって……」
「え!?」
「こんな戦力では近付く事すら出来ませんよ」
そう言われて納得する。
基本的に
この中で紋章術が使えるのがフロストだけというのはかなり痛い。
「う〜ん……でも…………」
しかしフェネシスはどうしても見に行きたかった。
「行くだけ行ってみますか? でも危険ですよ? 静寂の村ロートクも避難勧告が出たので人はほとんど住んでいませんし……」
「そんなに!?」
フェネシスの表情が曇る。
「でも――――」
どうしても見に行きたかった。
「では、村まで行ってみましょう。それでダメなら諦めてくださいね?」
「うん……わかった」
自分はともかく、みんなをあまり危険な目に遭わせたくない。
フェネシスはそれで我慢することにした。
こればっかりは仕方ない。