水蓮鏡(すいれんきょう)の落下地点に行くための道程で、魔物に襲われる事がなかった。
「誰かがこの辺りにいる魔物を一掃したようですね」
 魔物の気配が余りない森の中を歩いている。
「ホント、凄いね。物凄い数を倒してる」
「うむ。並の亜人に出来る事ではないの」
「相当腕の立つ紋章術師ですね」
 四人は道を歩きながら当たり前のようにそう話をしている。
 何でそんな事が解るのかフェネシス達には解らなかった。
「どうして解るんですか?」
「力の残滓が残ってるんだよ。だから力のあるものが見ればすぐに解るんだ」
 そうアスモデウスに言われたが、イマイチよくわからない。
 やはり魔皇(まこう)族というのは凄い人達のようだ。
 そして何の問題もなく水蓮鏡(すいれんきょう)の落下地点に着いた。
「さて、じゃあ登ろうか」
 そう言ってアスモデウスは背中から黒い翼を生やした。
「そうじゃな」
 レヴィアタンやアシリエル、グリンフィールも揃って翼を出す。
 翼の形状は様々だが、みな生えている。
魔皇(まこう)族って翼は生えてるものなんですか?」
 フェネシスが思わずそう聞くと、
「うむ。九割がた生えておるの」
「生えてて当たり前なイメージあるよね」
 アスモデウスの言葉に頷く三人。
「それに翼がなくても魔皇(まこう)族には紋章術があるので飛べないものはいません」
魔皇(まこう)族なら時系が使えますしね」
 飛べないのはシーファのみであったため、何の問題もなく水蓮鏡(すいれんきょう)に降り立つ。
 流石にここまで来ると魔物の気配が濃密になる。
「さて、そろそろ戦闘準備が必要みたいだね」
 アスモデウスはそう言うと右手を前に掲げた。
「我が力にして必滅の刃――
 我に従い形となせ――
 <蒼刃の長槍フェルツァーグン>」
 空間から蒼い色の刃を持ったアスモデウスの身の丈以上の槍が現れた。
 アシリエルも同じように両手を前に突き出した。
「我が力にして必滅の刃――
 我に従い形となせ――
 <紫刃の大鎌フェルシュウィンデン>」
 現れた大鎌をしっかりと手に持つ。
 紫色の刃を持った大鎌はアシリエルの身長の倍近くはあるものだった。
「我が力にして必滅の刃――
 我に従い形となせ――
 <蒼海の短刀アウスローテン>
 <蒼穹の短刀ザストゥルーング>」
 レヴィアタンは両手にしっかりと短刀を握った。
「我が半身にして我が力の欠片――
 我に従い姿をなせ――
 <断罪の大鎌エンタウプトゥング>!!」
 光を反射しない漆黒の大鎌。
 闇にまぎれて攻撃するのに適した大鎌だ。
 グリンフィールの大鎌もアシリエルと同じように身長の倍はある。
「さて、目的地は鏡が置いてあったっていう第三聖堂だけど僕は場所を知らないし」
 そう言いながら自然にグリンフィールに目が行く。
「僕も知りませんよ。天使でなければわからないでしょう」
 なるほど、納得してレイシェルを見る。
「知っておるか?」
「はい」
「では案内してください。邪魔者は我々で排除します」
 道を知っている者がいるのは幸運だった。
 初めて来る場所で建物の外観さえ知らない状態では水蓮鏡(すいれんきょう)を虱潰しに探すしかない。
 崩れかけた建物は危険だし、時間もかかる。
 ただでさえ時間をロスした彼らはこれ以上余計な時間をかけたくなかった。
 一行は魔物に襲われても対応できるように前にアスモデウス、左にアシリエル、右にグリンフィール、そして後ろをレヴィアタンが担当する事になった。
 そして彼等は襲い掛かってくる魔物を次々と倒していった。
 それは圧倒的な強さだった。
 まさに赤子の手をひねるような感じだった。
 四人は紋章術を使えるにも拘らず一度も使用しなかった。
 この程度の相手では紋章術を使うまでもないということだろう。
 アシリエルとグリンフィールは身長の倍もある大鎌を軽々と振り回し、魔物を一刀両断していく。
 アスモデウスも槍を巧みに操り、魔物を斬り裂き、急所を貫いていく。
 その動きは大鎌で戦っている二人よりも滑らかで素早く、無駄がない。
 そして倒した魔物を槍で思いっきり殴り横に飛ばしていく。
 重量のありそうな魔物をいとも容易く吹っ飛ばすアスモデウスは、見た目以上に筋力がある事を示している。
 そして唯一武器の射程が短いレヴィアタンは、それをものともしない素早い動きでカバーしていた。
 舞いを踊るような優雅な動きで魔物を切り刻んでいく。
 動きにくい格好をしているにもかかわらず、素早く、返り血一つ浴びたりもしない。
 次々と襲い来る魔物をあまりにも鮮やかに倒していく彼等。
 無感動に、無表情に魔物を倒して行く彼等は生き物を殺しているというイメージが希薄だった。
 それはまるで物を壊しているように見えるほど、無造作だった。
 魔物を倒すのに真剣さとか、必死さとかがないのだ。
 それが戦闘能力の差だ。
 これが最強と呼ばれる魔皇(まこう)族の実力の一端。

 


 この世界に住まう最も凶悪たる種族、魔族と軽々やりあう事の出来る者達。
 まあ、元は同じ種族であったのだから当然かもしれない。
 魔王という職業についている文字通り最強の者達だから余計にそう見えるのかもしれない。
 彼等は世界管理者だ。
 道理を外したものに容赦は無い。
 魔族も魔物も彼等にとっては異物でしかない。
 そして改めて思う、魔族がどれほど危険かを――




 そんな彼等のおかげで然程時間をかける事無く目的地に到着する。
「ここが第三聖堂?」
「はい、そうです。ただ、私のような下っ端天使は入る事を許されていないので中がどうなっているかはわかりませんが……」
 青ざめているレイシェルが力なく言った。
 血塗れの大地や壁を見た後だから具合が悪そうなのは仕方がない。
「それは仕方がないでしょう。
 天使は特に規律が厳しい。
 天使のトップはかなり緩い人ですけど、それとこれとは関係ありませんからね」
「中には魔物は入り込んではおらぬようじゃな」
 建物の中の気配を探ってレヴィアタンは言う。
「一応聖堂だしね。聖なる力の残しがあって魔物は近付きたくないのかも」
「それでも魔族にとってはたいした障害ではないでしょうけどね」
 むしろ軽々と打ち破ってしまうだろう。
「とりあえず中に入ろう。目的のモノがあるかはわからないけどね〜」
 そう言って中に入るアスモデウス。
「冥王」
「ん?」
 それをグリンフィールが止める。
 何? と振り返るアスモデウス。
 彼は周りを一切気にしない性格のようだ。
「この青飛竜(ブルーワイバーン)族の大きさでは中に入れません」
「あっ……」
 言われて気付く。
「どうする?」
 その問いにフェネシスは首を振った。
「ここで待たせてもらいます。僕はこの浮遊島がどうなってしまったのかを見たかっただけですから」
 それを聞いたレヴィアタンはそっと声をかけた。
「随分と酷い状況であったというのに全く声を上げなかったのぉ。
 気丈にもほどがあるのではないか?」
「ですが、顔色がよくありません」
 視界に今も見える赤黒いモノ…………これがここでどれだけの惨劇があったのかを教えてくれる。
 アスモデウスが教えてくれた数字よりも、より深く……
「視る事に意味があります。
 僕は決めているんです。
 どれほどの絶望が世界を包み込もうとも、けして目を逸らさないと――」
「良い心がけです。ではここには護衛として私とグリンフィールが残りましょう」
「わかった。ではな――」
 その言葉を受けてアスモデウスとレヴィアタンは中に入って行った。




 しばらく真っ直ぐに進んで行くと、広い部屋に出た。
 ここが目的地のはずだ。
「ここに鏡があるのか?」
「そのはずだけど」
 二人は周囲を見回した。
「あれは台座…………か?」
 アスモデウスが見つけたのは何かを安置できそうな大きさの台座だ。
「でも、何も無いね。一体何処に――」
 二人は周囲を見回したが、それらしいものは発見できなかった。
「ここにいても仕方がないようじゃの」
「じゃ、戻ろっか」
 無駄な事はしない主義のアスモデウスはあっさり諦めて戻り始める。
 これにはレヴィアタンも異論はないのか、何も言わずについていく。





「なかった――」
 あっさりと言い放って建物を出て来た二人。
「なかった?」
「うむ。破壊された後もなかったのぉ」
「誰かが持ってっちゃったのかもね」
「むしろ本人が持っておるかもしれんのぉ」
 でもそれを彼等が知る術はない。
「でもここに立ち入って無事に生きて出てこれたのは一人だけだそうですよ」
 ラーディエンスの言葉に反応するアシリエル。
「ここから出て行った人物とは?」
「さぁ…………そこまでは――」
 ラーディエンスとアシリエルが話している後ろでアスモデウスとレヴィアタンがぼそぼそと話し始める。
「きっととても腕の良い紋章術師だろうね」
「まず間違いなく亜人じゃな」
 勝手に推測していた。
「でもその人が持ってるって決まってないよね」
「何かしら知っておるやもしれんじゃろう。わしらよりも前に来たのならな」
 ああ、と頷くアスモデウス。
「まだ残っている村人に聞いてみたらどうですか?
 ここに来るなら立ち寄るはずですし」
「アスモデウス、お願いします」
 アシリエルに言われたアスモデウスは何で僕がという顔をしてから印を組み始めた。

   ……  ε ι ξ ς ε ι σ ε ξ δ ε φ ε ς μ α β τ λ μ ε ι ξ ε π ο ε σ ι ε α υ ζ δ ε ς α ξ δ ε ς ε ξ σ ε ι τ ε φ ο ξ ς α υ ν

 その速さはグリンフィールの比ではない。
 あっという間に組み終わり術が発動する。
   ―― 空間を越える旅人の(うた)


 そしてすぐに着いた。
 一度行った事のある場所になら何処にでも行けるため非常に便利な術だ。
 ただ、冥界の門を越える事は出来ないが――
 それに行使できる者も限られているのが難点だ。
「では村人に聞いてみましょう」
 グリンフィールがその辺にいた村を捕まえて尋ねる。
「あの落下地点に行って帰ってきたという人物を知りませんか?」
 それを見ていたアスモデウスは素朴な疑問を投げ掛けた。
「名前がわかったからってどうなるわけ?」
 シーン……
 残された者たちは言葉も無かった。
「そ、それは確かにそうじゃな。名前がわかったからというても居場所がわかるわけではないの」
 気まずい空気が流れた。
 帰ってきたグリンフィールは暗い空気に一瞬戸惑う。
「どうかしたんですか?」
「いえ、名前がわかってどうするんですかという事です」
 ああ、とグリンフィールは納得したが、パタパタと手を振って答える。
「大丈夫ですよ。有名人でしたから」
「有名人?」
「え。ここから北西にある神州国(しんしゅうこく)アスガルドの三賢者の一人、クラウス=クルーグハルトみたいですから」
「本当に?」
 アスモデウスは何とも都合の良い展開に少し慎重になる。
「ええ。フルネームまでは知らなかったようですけどね。連れがクラウスと呼んでいるのを聞いていたし、アスガルドの賢者という話も聞いたそうです。それに特徴も銀髪碧眼……これに当てはまるのは一人しかいません」
「なるほど、ならば行ってみる価値はありそうじゃな」
「ええ。彼はすでに三ヶ月も前にあそこに行ったそうですからね」
「フェネシス達はどうする?」
 フェネシスは少し考え、言った。
「……出来れば連れて行ってくださるとありがたいです」
「わかった」
 これで次の行き先は決まった。
「じゃ、よろしくね。グリンフィール」
「はい」
 そして彼等は神州国(しんしゅうこく)アスガルド、水上都市グラッズヘイムの(ゲート)前に転移する。