時は第三月[時の月]十五日。
ルーファスはクリストを連れて何とか
幸い、あれから魔族に襲われる事はなかった。
…………クリストはあの事件以来一言も喋らない。
ルーファスも今回ばかりは何と声をかけて良いのかわからない。
とにかく、自分の手には余る。
ラルフかラスあたりにクリストの事を頼まないといけない。
もし、狙われているのなら強い護衛が必要だ。
そして水上宮殿グラッズヘイムの中に入ると、運良くラスに会った。
「お前等無事だったか」
ラスは明らかにホッとした様な顔をして言った。
「クラウスがあんなんだからかなり心配したぞ」
ルーファスは眉を寄せた。
クラウスの事は何も報告していない。
――というかまだ何も報告をしていない。
何故知っているのか?
それに……”あんなん”って……?
「どうしてそんな事を知っているんですか? ラス司令官」
その言葉と二人の様子を見てラスは気付いた。
この二人は何も知らないということに――
ラスはどうしようか一瞬迷った。
だが、黙っていてもすぐに解る事だ。
こういうことは本当は本人の口から聞くのが一番良いんだろうが、生憎本人は話せない状態だ。
それにこれを伝えるだけなら何も迷う必要は無い。
躊躇ってしまったのは、昔のクラウスを思い出したからだろうか……
ラスは思考を無理矢理押し退けると一言、言った。
「クラウスは生きている」
クリストははじける様に顔を上げた。
そのままラスに縋り付くようにして確認する。
「本当ですか!? 本当に――?」
「生きてる」
それにラスはしっかりと答えた。
「死にそうなほど酷い怪我はしていたが大丈夫だ。すぐに処置をしたから今は安静にしている」
「良かっ…………良かった――」
その言葉にクリストは崩れ落ちた。
「――――でも、どうやって?」
ルーファスは疑問をラスにぶつけた。
クラウスが魔族と戦ったのはアスガルドから遠く離れたミズガルドだ。
はっきり言って、滅茶苦茶遠い。
何故、帰って来ているのか?
「クラウスの主属性は精神……そして副属性は空間だ」
「空間!? じゃあ、まさか――」
「そう。あいつは人より少ない精神力で空間の紋章術を使える。そしてあいつはかなり長距離でも転移できる。
つまり、何処に居てもアスガルドに帰ってこれるんだ。
だからあいつの事を知っている者は皆、心配はしていなかった。あいつは必ず帰ってこれるからな」
ルーファスはいつかの賭けを思い出す。
”楽して確実に儲かるからな”…………ラスはそう言っていた。
「そういう事か……」
クラウスがどれほど方向音痴であろうとも必ず帰ってくると言い切れる理由がそこにはあった。
「クラウスは今、自室で寝ている。会いに行くだろう?」
「はい」
すぐに行きたそうなクリストに苦笑しながら二人をクラウスの部屋に連れて行く。
部屋のロックはクラウスが担ぎ込まれてから外してあるので何もしなくても開く。
なのでラスは開閉ボタンを押して中に入った。
そしてクラウスの寝室に行き、扉を開ける。
クリストはすぐに入ろうと思ったが、一瞬躊躇った。
入る部屋を間違えているんじゃないかと思った。
だが、ラスはここを開けてくれた。
「どうかしたのか?」
ルーファスが後ろから部屋を覗き込むと、そこは植物園だった。
びっしりと観葉植物が置いてある。
それは宮殿に普通に置いてある観葉植物だ。
そういえば、帰ってきてからここに来るまでこの植物を一度も見ていない。
いつもならそこかしこに置いてあるはずなのに……
「無事だったんだね、クリスト」
そう声をかけてきたのはカインだ。
よく見ると中には先客がいた。
クラウスの幼馴染であるアウグストとアルヴェーン兄妹、そしてファーレンホルスト兄弟だ。
「クラウスさん」
クリストはクラウスの側に駆け寄った。
部屋の状態にびっくりしてしまったが、クラウスに会いに来たのだ。
クラウスは確かに寝ているようだった。
ただし、何故かうつ伏せだ。
「なんでこんなに鉢植えが置いてあるんですか?」
なんかもういっぱいいっぱいである。
これ以上ここに人は入れないだろう。
結構広い寝室だというのに。
「マナ植物だ。聞いたことはないか?」
マナ植物……以前クラウスが話していたのを思い出す。
「確か精神力を回復させるっていう……」
「そう。だから宮殿内にあったマナ植物をかき集めてきたんだ」
帰ってきてから今までこの植物を見かけなかった理由がわかった。
「そうしないとクラウスは目覚めないからな」
ラスが扉を閉めてクリストの後ろに立った。
穏やかではないその言葉に焦るクリスト。
「クラウスは傷も深く、精神力もほぼ空の状態だった。だから目覚めるだけの力がないんだよ。
その力を回復させようと思ってこの部屋をマナ植物だらけにしたんだよ」
「一ヶ月半も経ちますのに、まだ一度も目覚めてくださいませんの……」
「でも大丈夫です。心配には及びません。神殿の優秀な神官たちに無限に
勿論カインやアベルもクラウスの治療に尽力を尽くした。
「ただ起きないだけでな」
十分大事のような気がしたが、それを言ってクリストに落ち込まれると困るので言わなかった。
ただ、ルーファスにはちょっと…………いや、かなり気になるところがあった。
「なんでうつ伏せなんですか?」
苦しくないんだろうか?
そう思いながらクラウスを見ていた。
そう言われるとクリストも気になるのかクラウスを気にする。
少し渋い顔をしている一同。
何かまずい事でもあるのだろうか?
クリストの顔が曇る。
意を決したように側にいたアウグストが掛け布団をバッとめくった。
「え…………」
「な…………」
何故、うつ伏せで寝ていたのか、その理由がそこにはあった。
クラウスの背には、聖族ではけしてありえないようなモノがついていた。
それは――
「翼……」
戸惑うクリストと驚くルーファス。
クラウスの背中から生えているのは紛れもなく、金色の翼だった。
そしてアウグストが重い口を開いた。
「クラウスは…………クラウスは純血の聖族じゃない。クラウスは聖族と
衝撃的な一言だった。
「そんな事が起こりえるんですか!?」
「確かに、異種族間の交配は子孫をなさないのだが、中には大丈夫なケースがある。それが、クラウスだ」
最も、あまりやる者はいないがなとラスは付け足した。
「クラウスの父親は聖族、母親は
二人は愛し合っていて、子供が出来なくても構わないと思っていたらしい。
でも…………クラウスが生まれた。
クラウスは聖族と
聖族の記憶力の良さと、
それはすぐに表面に現れた。
クラウスは物心ついたときから紋章術を使う事が出来るようになった。
五歳の時にはいくら主属性と副属性とはいえ、習得が難しいと言われている精神と空間の紋章術を完璧にマスターした。
そして六歳の時には多重が出来るようになり、術の幅が増えた。
八歳の時には多重を完璧にマスターした。
八歳の時点で苦手属性以外の全ての紋章術をマスターしたんだ。
そして十歳で時系が使えるようになった。
クラウスはまさに天才だった。
でも、それが悲劇の始まりだったのかもしれない……」
クラウスがいかに凄い人物であるかを語っていたアウグストの声の調子が下がると同時に表情が曇った。
「クラウスが十二歳の時、この事を聞きつけたアスガルドの研究者が村に来た。
オレ達の村……魔導の村セインウィザーディアには強力な結界と幻術がかけられていて村人以外にはわからないようにしてあるんだが……用意周到なことにどこで仕入れていたのか村の場所を特定していてな、結界と幻術を破る為に術者を連れてきた。
ヤツ等の目的は勿論クラウスだ。
クラウスの両親は抵抗した。
自分の子供がモルモットとして連れて行かれようとしているのに何も言わない親なんていないからな。
だが、ヤツらはクラウスがダメならクラウスの妹でも良いと言った。
クラウスの妹はクラウスより五歳年下でその上ほとんど聖族と見分けがつかなかった。
それでもハーフであることに変わりはない。
何度追い出してもヤツ等はしつこく来た。
オレ達が本気になればヤツ等を殺す事なんて簡単だ。
何しろ、魔導の村セインウィザーディアは紋章術師の村だからな。優秀な術者が揃ってる。
でも、それをやると
ヤツ等はそれを知っていて圧力をかけてきた。
魔導の村セインウィザーディアは
だから、クラウスは自ら行く事を決めた。
家族や、村を護る為に……
でもやはり止めるべきだった…………
オレは…………止めなければいけなかった。
そうすれば、クラウスがあんな思いをする事なんてなかったんだ」
アウグストが語るクラウスの過去…………
本当に聞いてしまって良いのか……
クラウスが言わないのは踏み込んで欲しくないからではないか……
クリストはどうするべきか悩んだ。
「オレはこれ以上は聞くべきじゃない」
そう言ったのはルーファスだった。
「オレはこのまま聞かなかったことにして仕事に戻るよ。
クラウス執行吏とロキ執行補佐のおかげで有休すっからかんだからね」
ルーファスはそういうと部屋を出て行った。