「なるほど、賢明だな」
「確かに、彼には少し重過ぎるかもね」
それを聞いたクリストも、
「僕も……あの――」
「君は聞いたほうが良いよ。クラウスさんが側に置いているくらいだから、聞いても怒ったりしないと思うよ」
「そうだな。聞いておいた方が良いかもしれない。この話をクラウスにはさせたくない」
「そうですわね。きっと、クラウス様はクリストさんが何も知らないというならば、話して差し上げるはずですわ。ご自身の姿が、ごまかしの利かない容姿なのですから」
「…………わかりました」
クリストが頷いたのを見たラスは、アウグストに変わって続きを話し始めた。
「奴等にとってクラウスは格好のモルモットだった。
新しい種族を作ることが出来るかもしれないという、実にふざけた考えしか持ち合わせていない連中の巣窟だったからな。
そしてクラウスは研究所に連れて来られてからコード名を与えられた。
――――天聖
それが奴等がクラウスにつけたコード名だった。
奴等はクラウスを部屋に閉じ込めていろいろやっていたらしい。
詳しい事は……ロキの方が知っているだろうな。あいつはクラウスを軟禁していた研究者をどうにかしようとしていし、全てが終わった後、受け取った報告書を読んだはずだしな。
俺は、腐った研究内容なんざ見たくもなかったから読んでない。
気分が悪くなるだけだからな。
…………
俺が始めてクラウスと会った時、あいつは…………無表情だった。
そして言われた。
『人と違う事はいけない事?』とな。
…………俺は何も言えなかった。下手な慰めなど……気休めなど、何の意味も成さないことが解っていたからな」
今の状態からは考えられないクラウスの過去……
とても重い。
「クラウスは逃げれば村に迷惑がかかると思っていたようだ。だから逃げなかった」
ずっと、我慢していた。
クラウスは何を思っていたのだろうか……
「強い力を持っていたクラウスはいろいろ利用されたらしい。
遺跡を連れまわされたりもしていたようだしな」
護衛としては一流だっただろう。
子供といえども、紋章術をマスターしているんだから。
「わたくし達がお会いしたのはそんな時でしたわ」
「あれはリュシアンがまだ子供だった頃……十歳の時かな……魔物に襲われちゃってね。オレはその時もう二十六ぐらいだったけど、そんなに紋章術が得意じゃなくてね。魔物に攻撃されて肋骨を何本かやられて動けなくなっちゃって……その魔物はオレよりリュシアンを狙っていてね。とても危なかった。
その時、クラウスがリュシアンを助けてくれた。
鮮やかだったよ。
紋章術で一撃だった。
オレは痛む身体を引き摺ってリュシアンに近付いた。そしてお礼を言おうと思ったんだが、側にいた研究者らしき男に無理矢理引っ張られるようにして連れて行かれちゃって、言えなかった。
名前も聞けなかったしね。
今だからわかるんだけどな。あれがクラウスを虐げてた元凶だった」
「ただ、お兄様がその方の着ていた上着に描かれているのはアスガルドの紋章だとおっしゃるので怪我が治ってから一緒にグラッズヘイムまで参りましたの。
そこで街の視察を行っていたラス様にお会いしましたの」
「軍服着てたからさ、声をかけたんだよね。そうしたらさ、心当たりがあったみたいでいろいろ教えてくれたんだ。
渋い顔してね。
その話聞いてたらさ、助けて上げたいって思った。
クラウスはリュシアンを助けてくれたし、それに何より人の受ける扱いじゃなかった。
どうすればいいか考えたよ。
オレに何が出来るか、ね。
そしてラスが良いことを教えてくれた。
当時、腐りかけていた行政部や司令部を支配下に置くという事。ラスも随分前から司令部で昇進できるように頑張っていると言っていた。
だからオレも頑張る事にした。
オレはその日から猛烈に勉強したよ。勉強して、試験を受けて、行政部に入って、上を目指した。当時、唯一マトモだった執行部の執行吏、ロキの力を借りてね」
「執行吏……ロキさんは執行吏だったんですか?」
初めて聞いた事実に驚いた。
「ああ。あいつはクラウスより年上だからな」
「どうして……執行吏をやめて、執行補佐に……?」
わざわざ自分の地位を下げた事に疑問を感じた。
「あいつなりのけじめだろう。あいつも、クラウスの事には随分と頭を悩ませてたからな。それに何より、クラウスは強いからな」
「クラウスがトップに入れば、たかが研究者如きに縛られたりしない。命令できるのはほとんど飾りだった国王だけだしね」
凄い言われようだが、仕方がない。アスガルドの王族はただの象徴であって、政治などに口を挟まない。
ただ、アスガルドを担うトップの三人……行政長、司令官、執行吏を決めるのは国王だ。
「十年以上かかったけど、なんとかオレもラスもトップに上り詰めた。
その頃、クラウスはずっと研究室に閉じ込められて紋章科学を構築していたけどね」
「出来れば、もっと良い環境で作って欲しかったがな」
「だからクラウスが自由になれたのは三十歳を過ぎてからだ。まだ十年くらいしか経ってない」
――忘れることが良いことだとは思わない。
それは”逃げ”だから。
逃げ続けても良いことなど何もない。
結局、嫌なことは自分にまとわりついて離れない……
忘れても逃げ切れない。
本当に嫌なことは、絶対に、消えてなくなったりしないんだ。
「だから逃げられないって――」
クリストはクラウスの言っていた言葉を思い出した。
あれは…………自分にも言っていたのかもしれない。けして逃げられなかった自分に対して――
「だからクラウスは自分の種族を隠したがった。あの姿でいる時は嫌な事しかなかったからな」
「幸い、
「目の色も生来の金ではなく青くなったしな」
「その上、余りにも膨大な量の力を封印した所為か、方向音痴になったがな。
あいつは元々方向音痴じゃなかった」
これがクラウスの真実だった。
「クラウスはまだ自分と向き合えていない。過去の自分と向き合えていれば、今回のような事にはならなかっただろう」
「え?」
「それは仕方がない。クラウスは確かに自由になれたけど……心には大きな傷が残った。それが無意識のうちにクラウスの行動を縛っている」
それは一体どういう事か?
まだ、クラウスには何かあるというのか?
アウグストは何か言いたそうな顔をしているクリストを制して続きを話した。
「力を全解放した状態のクラウスは自在に時系を操るし、
それは信じられない事だった。
「一人で二つの
「クラウスは出来た。それほどの才を持っていた。
一つは<蒼き珠の聖杖レヴァンテイン>。
そしてもう一つが<創世の源術書アル=アジフ>。
どちらもかなり力のある
「だが、陰属性である<創世の源術書アル=アジフ>の方が力が強い。
その所為か、力を封印している状態では<創世の源術書アル=アジフ>を使えなかったようだしな」
クリストは思い出す。
クラウスが使えないと言っていたのはそれが原因だったようだ。
二つ持っているような事は確かに聞いていた。だが、二つ同時に使えるとは思っても見なかった。
「クラウスさん……」
クリストはうつ伏せで眠っているクラウスを見つめた。
「聖族でもない。
誰も解ってやれない…………普通であるオレ達には――」
そんな素振りは少しも見せなかった。
それがクラウスのかぶっていた仮面だった。
「そんな目にあって……なんでいまだにアスガスドにいるんですか?」
普通なら故郷に帰ってもいいはずだ。
それなのに、何故、嫌な思い出の残るこの国に残ったのか……
「村でも…………あまり歓迎されてないんだ。
クラウスの父親と
クラウスの父親は族長でさ、それもあったみたいでね。
…………まぁ、結局押し切る形で二人は結婚した。
でも、村では歓迎されてない。
だから、クラウスの母親が家から出たところを余り見た事がない。
そんな空気の所為か、クラウスもその妹もあまり村に馴染めなかった。
まぁ、その所為もあってイヤなのかもしれないけどな……クラウスは恩を返す為だと言っている」
「恩を――?」
「ラスとラルフとロキが研究施設を押さえ、人権侵害の罪で投獄してくれたからクラウスは自由になれたんだ」
「人権侵害を訴えてくれたのは蒼天神殿ヒミンヴァンガルの大司教であったカインやその補佐役のアベルだろう。二人の強い主張のおかげで有罪に出来た」
「当然の事をしたまでです。
僕としても小さな子供があんな酷い目に遭っているのを見過ごす事など出来ません」
「子供……?」
クリストはカインの子供の定義はどのくらいなのか疑問に思った。十歳ぐらいならまだ子供といえる。だが、二十歳を越えている者を子供と言えるのか……
そういう目でクリストがカインを見ているのに気がついたのか、アウグストがフォローした。
「クラウスは
今は二十歳ぐらいに見えるだろう、と聞かれてクラウスを見る。
確かにそう見える。
「最も、そろそろ成長も止まってきて、長い時間この姿なんだろうけどな」
そういうアウグストも成長が止まってからかなり経つ。
アウグストは普通の聖族なので成長スピードも二十歳ぐらいになるまでは人間と同じスピードだった。
「何時まで生きるのかもわからないしな」
「結構長く生きれると思うよ」
聖族も
「寿命の話はいい。短いわけじゃないだろうからな。
問題なのはもうこんな事がないように気を付けてもらわないといけない」
「確かに……執行吏が大怪我をするのは良くないな」
「うん、そうだね」
アベルとカインもそれに同意した。
「クラウスさんって怪我しちゃいけないんですか?」
それって結構難しいことなんじゃ……と、クリストは思う。
その言葉に溜息を吐きながらクラウスを見るアウグスト。
「クラウスの遺伝子は聖族とも天翔族とも違うんだ。だから、輸血も出来ない」
「輸血が出来ない?」
「失った血の代わりはないんです。だから僕達神官がクラウスさんの回復を担うしかなかったんです」
「唯一輸血が可能なのはクラウスの妹だけだが、彼女は村で暮らしてる。ここからじゃ遠すぎるんだよ。村は結界と幻術が張ってあるからオレが直接行かないといけない。それじゃあ間に合わない事もある」
そしてクリストは気付く。
クラウスが輸血できないというなら自分もそうではないか。
正体不明なのは一緒なのだから……
「だが執行吏はかなり自己再生能力が高いよな。治療後にイーゼル隊長が血液量を量ったら普通なら考えられない速度で回復していたって――」
「だよね。三日で血液量が戻ったみたいだし。傷の治りはあまり良くないみたいだけど、血液を作る能力は優れているみたい」
「それでも常人よりは余程あるだろう。あれだけ瀕死の状態であったにもかかわらず生きていられる生命力。いくら俺達神官が治療を行ったとはいえ、あれほどの怪我をあんな短時間で治せたことといい――」
クラウスの身体能力は普通だが、それ以外が突出しているらしい。
「クラウスは生命の紋章術だけは使えないから、本当に気を付けてもらわないとな」
「クラウスさん」
それはクラウスの主属性が精神であるのだからしょうがない。
こればっかりは時の運だ。
「クラウスがクリストを助けたのは自分に似ていたからかもしれないな」
未知の生物……
確かに、正体不明という点では非常に酷似している。
ただ、クリストには自分がクラウスほど丈夫に出来ているようには思えなかった。
「クラウスさん……クラウスさんは何時、目覚めるんですか?」
「さぁ? クラウスの精神力は常人離れしてるから、この部屋でも時間はかかるかもしれないな」
何しろ一ヶ月半も経っているのにまだ眠りっぱなしなのだ。
「そうですか…………」
明らかにガッカリしたクリストを見てアウグストは励ました。
「心配するな。生きてるから。それにクリストはこの部屋で暮らすんだろ? 起きたら一番にわかるって、な?」
アウグストがポンっとクリストの頭の上に手を置いた。
「はい」
「さて、俺達も何時までもここで油を売っているわけには行かない。カインやアベルはいいとしてもその他は仕事が入っていただろう」
ラスの言葉に明らかにがっかりするリュシアン。
「そうですわね。残念ですけれど仕方がありませんわ」
「最近薬品の消費量が多いから生産が大変なんだよな」
「この後は魔物の防衛対策会議だったっけ」
「俺もそうだ」
なかなか皆忙しいらしい。
ぞろぞろと持ち場に戻っていく。
その忙しい合間を縫ってクラウスの様子を見に来ていたのだろう。
「アベル、僕達はどうする? 流石に神殿のトップが二人とも不在じゃまずいよね」
「確かに……」
「じゃあ僕が神殿に戻るから、アベルはここでクラウスさんとクリストの面倒を見てあげて」
「わかった」
「じゃあ、また後でね」
カインもそう言うと神殿に戻っていった。
クリストはじっと眠ったままのクラウスを心配そうに見つめた。