「へぇ……凄い。綺麗な国だね」
確かに、年中暗い闇に覆われ、黒い大地しかない冥界や魔界などから来た三人から見ればそれはとても美しい光景だろう。
「さっきの場所は暗かったからね。雰囲気とか」
「あそこは魔物の所為で放棄された村のようですからね。こことは全然違います。
それにここは
言われて見回してみれば確かに水が多い。
「水害には弱そうじゃな」
「ええ、弱いですよ。それなりに対策はとっているみたいですけど、こう水路が多いと大変なようです」
「では此度の事件で大変じゃったろうな」
「だろうね」
目の前にある大きな橋を登って街を見渡してみる。
街は浮島の上に造られているようで、街全体が少し揺れている。
水かさが上がると浮島の上に造られている街も浮上するようだ。
自然にあった物を利用しているようで、街はいくつかに分かれている。
それぞれが橋で繋がっているわけでもない。
船やゴンドラなどを使って移動しているようだ。
「それで、どうしましょうか。このままでは入れません」
「入れない?」
どういうことだといった感じでグリンフィールを見つめる三人。
「当たり前です。今は昔とはだいぶ違っていますからね。防衛ぐらいしてます」
言われてアスモデウスは街に目を凝らした。
「…………強力な結界が張ってあるね」
「特にあの宮殿のある場所には何重にも張っておるの」
「ええ、ここは亜人の国ですからね。空を飛べるものも多数住んでいます。ですからその対策として街の周囲や宮殿などに結界を張って護っているんですよ。これが人間しか住んでいないような
「街を護るのも大変だね」
「…………何か飛んでいますね」
「え?」
アシリエルの言葉に街の方を再び見るアスモデウス。
確かに、何かが空を飛んでいる。
「竜じゃな。誰か乗っておるようじゃが――」
「それはこの国の軍人ですよ。おそらく、
「空も見張ってるんだ」
「こんな事してるのこの国ぐらいでしょうけどね」
「それでどうするのじゃ?」
「そうですね。今じゃIDカードが無くても入れるような所は小さな村ぐらいですからね。大きな街や都市は間違いなく警備が厳重です」
「昔とはだいぶ変わったようじゃの。して、IDカードとは?」
「ようするに身分証明書です。これですよ」
グリンフィールは懐から一枚のカードを取り出した。
「人じゃないのに持ってるんだ」
「この制度が世界で普及し始めた時に
「ふ〜ん……」
しげしげとカードを見つめるアスモデウス。
「仕方がありません。
一行は橋を渡り、
「IDカードをご提出ください」
青や赤の制服を着た官僚達が入場審査をしている。
とりあえずIDカードを持っていたフェネシス、シーファ、ラーシエンス、そしてグリンフィールは提出する。
そしてアスモデウスの前に一人の官僚が立った。
持っていないものは出せない。
「ごめん。持ってないや」
持ち前の軽さであっさりと言い放つ。
「それではお通しする事は出来ません」
形式通りの返答をする官僚。
「――!!――これは……」
前方でIDカードの確認をしていた官僚が驚きの声を上げる。
その声に周りにいた官僚もなんだなんだと集まってきた。
「
IDカードの威力というのもなかなかのものだ。
「あの、ここにいる四人も僕の顔に免じて通してもらえませんか」
フェネシスは交渉してみる事にした。
「それはいくらラインヴァン様のお願いでも聞けません」
「一応
「
やはり首都ともなるとそう簡単には権力でどうにかなったりはしない。
「そりゃ冥界の門を通ってきたからね」
戸惑う官僚達。
だが、通す事は出来ないの一点張りだ。
「しかたがありません。規律は厳守する為にあります。
我々はここから先へは入りません。ですが、クラウス=クルーグハルトという人物に会わせては貰えないでしょうか? 少し話があります」
との途端にどよめきが走った。
「どうする――?」
「どうするって…………クルーグハルト執行吏は今――」
「でもラインヴァン様とアスフォデル様がいるし――」
「フリューゲル司令官、スクリミール執行補佐に連絡しよう――」
「後、ライヒェンバッハ室長にも――」
こうして
「しばらくそちらにかけてお待ちください」
官僚は待合室にあるソファーを指してそう言うと、他の客を対応する為に下がった。
勧められるままにソファーに座ったアスモデウス。
「門前払いされなくて良かったね」
「全くじゃ」
そう言ってレヴィアタンも座る。
アスガルドはこういうところは融通が利く。
これが
こうして彼等はしばらく待つ事になった。
たっぷり一時間待った後、再び
「お忙しいところ申し訳ございません。フリューゲル司令官、ライヒェンバッハ室長」
二人は周りの兵に片手を上げて制すると問題の人物のいる場所まで歩いて行く。
「お前達か」
ラスは部屋の待合室のソファーで座っている一団を見て声をかけた。
頭の上と左の肩に小さな竜を乗っけているアウグストがラスの後ろからついて来る。
アウグストの頭の上に乗っているのが
実物よりもかなり小さいが……
何かの術をかけているのだろう。
これでも一応護衛だ。
アウグストはクラウスほど紋章術に長けていないので、外に出るときは必ず連れて歩いている。
そのアウグストは何故か目をキラキラさせながら言った。
「そこにいるのが
ラスは大きく溜息を吐くとアウグストの首根っこを引っつかんで後ろに引き戻す。
物凄く不満そうな顔をするアウグスト。
「お前の用事は明らかに私用だ。後にしろ」
ムスっとしているアウグストの前に立つ。
「待たせてしまってすまなかったな。俺がアスガルド司令部司令官ラス=フリューゲルだ」
ラスが右手を差し出した。
「後ろにいるのは薬品開発室室長アウグスト=ライヒェンバッハだ。余り気にしなくていい」
レヴィアタンが立ち上がってその手を握る。
「わしは世界管理者が一人、幽界を治める魔王レヴィアタン=マリード=サラセニアじゃ」
「幽界……現世界の他にあるという八界の一つか……世界管理者というのは――」
「文字通り、世界を管理する者の事です。各世界はそれぞれに違う役割を担っていますから」
「ということは貴方も――」
「はい。私も世界管理者の一人、死界を治める魔王アシリエル=マリード=クラウンヴェッチです」
ラスはアシリエルとも握手をした。
「では貴方も?」
ラスがアスモデウスを見つめる。
「そ。僕も世界管理者。冥界の魔王アスモデウス=マリード=アスフォデルだよ。ま、よろしくね」
へらへら〜、とした態度で握手をする。
「皆マリードがつくんだね」
ラスを押し退けてアウグストが言った。
「うむ。わしらには
「階級は五段階あり、上から……マリード、イフリート、シャイターン、ジン、ジャーンです」
「階級は世襲制じゃなくてね、生まれた時は皆ジャーン。年を経て強くなっていくと上の階級に上がったりするんだ。
僕達はもう魔王だからね、最高位のマリードなの」
「なるほど」
後ろが同じ名である者なんでたくさんいるわけだ。
「それで、そんなお偉方がクラウスに何の用があるっていうんだ? クラウスは確かにいろいろ凄いところはあるけど世界管理者に目を付けられるような事はしていないはずだし」
「確かに、クラウスはあれでも結構厳格な方だな」
何かと目立つのを嫌っているクラウスがそんな事をするはずがない。
「別に何かをしたという訳ではない。ただ
ああその件か、と二人は顔を見合わせた。
「わざわざ来ていただいて恐縮だが、クラウスは今現在、話を出来る状態ではなくてな」
「話が出来ない?」
アシリエルは眉を寄せた。
「ぶっ倒れてるんだよ」
アウグストはオブラートに包む事無くすっぱりと言った。
この言葉には流石に頭痛を覚えるラス。
「それは困ったねぇ〜。何かあそこで拾ったモノとかあったら見せてもらいたかったんだけど……」
「拾ったモノ……?」
「ええ、とても重要なモノが見つからなくて――」
ラスがアウグストを見た。
アウグストは少し考える素振りを見せたが、話し始めた。
「確かに、血痕と水晶みたいに透明な鏡は持ってきたけど……」
『鏡!?』
三人は一斉に反応した。
そのただならぬ気配に少したじろぐアウグスト。
「それ、見せてくれない?」
「…………あれを?」
「ええ。とても重要なモノかもしれないんです」
「あくまで仮定の話じゃがな」
「まぁ…………確かにオレじゃあ、あれの封印は解けないからいいけど」
どうせクラウスの持ってきたものだし、とあっさり了承する。
「ずいぶんあっさりしておるのぉ。もう少し嫌がるかと思うたが……」
「だってクラウスが持ってきたものだし。クラウスはあんま物欲ないから解析出来ない謎の物体には興味持たないし」
ある程度データは収集したからいいよと理由を説明。
「でも、その代わり――」
がしっとアスモデウスの両手を掴んだ。
アウグストは誰が見ても明らかなほど目を輝かせていた。
「――遺伝子、血液などを提供してもらえるとありがたい」
「それは全く構わないけど、そんなものどうするんだ?」
普通なら思いっきり引く所だが、アスモデウスは一切気にしていなかった。
アウグストは両手を組んで斜め上を見ながら朗々と語る。
「そりゃ勿論解析するんだよ! 今まで調べられなかった
多少危ない発言だ。
だが、勿論本人にはその自覚は無い。
「気にするな。こいつはこういう奴だ」
ラスはなるべくアウグストの方を見ないようにして言った。
「ところで貴方達はいいがそこの女は――?」
「あ、私は天使です」
そういえばそんな報告を受けたなと思っていると、アウグストが物凄い勢いで反応した。
「天使……」
「どうかしたのか?」
いきなり黙り込んだアウグストを不審そうに見つめるラス。
いつものぶっ飛んだ反応ではないのが、不気味だ。
「少し気になる事があってね。君も遺伝子を提供してくれると助かるんだけど……」
さっきまでの楽しそうな雰囲気はどこへやったのか、物凄く真面目な顔付きになるアウグスト。
その真剣な顔に少し鬼気迫るモノを感じる。
「い、いいですけど……」
レイシェルは少し圧倒された。
「では国の中に入る許可を出そう。だが、一時的な処置だし、今のご時世だ。勝手に出歩く事は出来ない。勿論、ラインヴァン卿とグリンフィール卿もだ」
「身元がはっきりしない者を連れているという事でそうなっちゃうんだ。ごめんね」
こればっかりは仕方が無い。いくら権力者といっても、あまり勝手な事をすると周りに示しがつかない。
「中に入れてもらえるだけで十分です」
「そうじゃな」
「アウグスト」
ラスがアウグストに目配せする。
「では案内するのでついて来て下さい」
言われたとおりに彼等はアウグストについて行く。
その後ろからラスが歩く。
一応妙な行動をしないように見張るという役割があるのだろう。
そして、彼等が案内されたのは蒼天神殿ヒミンヴァンガルだった。
「あれ? お客さん?」
見慣れぬ者達に首を傾げるカイン。
「ああ、実はな――」
ラスがカインに事情を説明し、彼等をここに泊めて貰えるようにお願いした。
流石に彼等をぞろぞろ宮殿に連れて行くわけにはいかない。
「宮殿に入るにはそれなりの手続きが要る。悪いが明日まで待ってくれ」
「わかりました」
ここまでしてもらってこれ以上のことは言えない。
これでもかなり譲歩しているはずだ。
「ああ、遺伝子と血液は頂戴ね」
そう言ってどこからともなく試験管などの器具を取り出すアウグスト。
アウグストは皆から髪の毛一本と少量の血液を貰い、ほくほく顔で帰っていった。
「悪いな」
ラスはそんなアウグストの行動を詫びた。
そして一礼して彼も仕事に戻る。
後に残ったのは彼等とカインとアベルだけだ。
「では部屋に案内させましょう。今日はゆっくりしてください」
アベルは神官を一人呼びつけると客間に案内するように言った。
「では、ごゆるりと――」
ニッコリと微笑んでいるカインに見送られて一行は客間に案内された。