アウグストは手に入れた遺伝子をすぐに解析した。
他にも仕事があるはずだが、一応これでも優秀なので後で挽回するだろう。
それに折角鮮度が良いんだがら劣化する前に詳しく細かく調べたい。
気になる事もある。
アウグストは自分の研究室に篭って解析を始めた。
研究室に篭ってしまった上司を見ても部下達はいつもの事とあまり気にも留めずに自分の仕事を行っていた。
部下にいろいろ諦められているようだ。
そして次の日。
一通りの解析結果は出た。
アウグストは貫徹した。
食事は研究室に置いてある
夢中になるとつい時間を忘れる。
だが、忘れてしまうだけの結果は出た。
実に興味深い結果だ。
こちらの解析はただ好奇心を満たす為だった。
それが、この結果で変わった。
アウグストはデータを見比べる。
「…………やっぱり――」
解析結果を印刷した紙の束を見て思いをめぐらせる。
疑問点が、ある。
「この結果は……どうして――」
どうしてこんな結果が出たのかアウグストには解らない。
そして一つのデータを取り出すと、それを印刷した。
何度見ても結果が変わるわけではない。
それでも、見てしまった。
コンコン……
ノックが聞こえて資料から顔を上げた。
だが、来訪者は返事を待つ事無く部屋に入ってきた。
ラスだ。
「どうだ? 調子は」
「勿論。全部終わったよ」
当たり前だろ、と威張る。
だが、内心では非常に混乱していた。
アウグストの腕は確かに良い。解析や分析を任せたら右に出るものはいないとも言われるほどの化学者だ。
あくまで化学者だ。解析者や分析者ではない。
なので、アウグストが解析するのは自分の趣味のモノや、クラウスが持ってきた怪しいものだけだ。
偶に
それでも優秀な事に変わりは無い。
ラスもそれはわかっている。
「でもどうしたんだ? ラスがわざわざここに来るなんて」
「少し気になっただけだ。お前、天使にだいぶ反応していただろう」
そっちか……当たり前の事なのだが、アウグストは思った。
確かに最初に気になっていたのはそちらだ。そして、そちらの疑問は解けた。
「クラウスからクリストが着てたっていう外套を預かってね。
そしてこの前クラウスが持って帰ってきた血痕の付着した欠片…………」
「何か関係でもあったのか?」
「…………同じだった」
「同じ?」
何が、と聞き返す。
「そう。クリストの外套からはかなりたくさんの者の遺伝子が検出された。だがそれは謎の種族の遺伝子だった。
そしてこの前、クラウスが持って帰ってきた血痕の付着した欠片からも同じ系統の遺伝子が発見された。
データを照合した結果、これらの全ての遺伝子は同一種族であることが判明した」
「クラウスが持ってきた血痕の付着した欠片って……浮遊島から持ってきたものだろう?」
「そう。そして浮遊島は天界から崩落してきたものだ。その血は天使のものではないかとオレは考えた。だからあの子が天使だと聞いて思わず反応しちゃったんだよね」
推測だけで物事は図れない。確固たる証拠が必要なのだ。
「それで、その様子だと間違いなく天使のものだったということだな?」
「ま、ね……」
「では、クリストはその関係者だと?」
「ああ…………天使じゃないのは解ってる。遺伝子が違うからね。でも、そうなると、彼等に聞いてみるのが一番だろうね」
「
自分達より遥かに長い時を生き、様々な事を識っている彼等なら確かに何かを知っているかもしれない。
「そう……彼等ならちゃんとした答えをくれるかもしれない。
それに…………その方がクリストのためではある」
「そうだな。何時までもこうしているわけにはいかないからな」
忘れていれば幸せかもしれない。
だが、それでは前に進めない。
「きっかけさえあれば思い出すかもしれない。クリストは逆行性健忘症らしいし」
「そうだな」
そうだと良いが、とラスは呟いた。
浮かない顔をするアウグスト。
「まだ何か気になる事でもあるのか?」
アウグストは少し悩んでいたが、意を決したように紙の束をラスに渡した。
一人分ずつ留めてあるが、かなりの枚数だ。
ラスは渡されたデータをパラパラと捲り、内容をざっと見る。
それはあの
資料の最初に名前が書いてある。
中はどれも同じような構成物質だ。
「同種族だから身体の構成物質は同じだな」
そう言って最後の資料を目に通した。
五人分あったのでてっきり最後のはあの天使の資料だと思った。
だが、違った。
「これも…………同じだな」
最後の資料も同じような構成物質だった。
その資料は他の資料と違って名前も印刷されていない。
ラスの返答を聞いたアウグストはやっぱりといった顔をする。
「ラスもそう思うか――」
「――?」
アウグストが何を言いたいのかイマイチよくわからない。
「そう思うも何も、データがそう言っているだろう」
そうなんだよなぁ、と溜息を混じりに呟くアウグストにはいつもの覇気が無い。
「これは一体誰のデータなんだ? 何故、魔皇族のデータは初めてじゃなかったのか? それに、何故そんなに思い悩む?」
「――――だから……」
何かを言ったようだったが、小さくてラスには聞き取れなかった。
「アウグスト?」
そして、彼は今度はしっかりと言った。
「クラウスのデータなんだよ。その最後の資料はね」
「なんだ……って――」
ばさり――
ラスは持っていた資料を床に落とした。
それほど衝撃的だった。
「馬鹿な! だって、クラウスはハーフとはいえ聖族と
「そんなのわかってる! でもラスも言っただろう? 同じ≠セと」
「それは――」
アウグストの言葉に何も言えなくなる。
あのデータは聖族や
全くの別物だった。
「オレは解析には自信がある。
だからその結果が間違ってるなんて思わない……
――けど…………それじゃあ………………クラウスは――――」
アウグストの言いたい事は痛いほど良く解った――
「一体――」
ラスはアウグストの肩に軽く手をのせた。
「クラウスはクラウスだ。たとえ、何があっても……たとえ何であっても……………………そうだろう?」
アウグストははっとして顔を上げた。
「違うか?」
アウグストは首をふるふると振った。
「違わない」
「なら、それでいいだろう」
「…………うん」
ラスはアウグストが落ち着くのを待った。
そして、話を切り出す。
元々はその為に来たのだ。
「アウグスト。例の鏡はどうなんだ?」
「ああ、あれ」
そう言ってアウグストはさらに奥にある部屋を差した。
「あそこに安置してある」
言われるままに奥に行くと、確かに鏡はあった。
水晶のような透明な鏡の周りには、クラウスから受け取った時にはなかったモノがあった。
紋章陣を構成しているのと同じ文字が複雑にからみあうように幾重にも折り重なって周囲を蔽っている。
「あれは……?」
「ああ、あれが封印だよ」
驚くラスにさらっと答えるアウグスト。
「見えるのか……? いや、でも……最初は無かっただろう?」
クラウスがボロボロになって帰ってきた時の事を思い出す。
確かにあの時はただの鏡だった。
「勿論そうだよ。だって見えてるでしょ?」
そう言われると見えてますとしか言いようが無い。
「あれはね、見えるようにしてるんだ。クラウスの紋章科学でね。
確か空間の紋章術にああいう封印の類を見るものがあるらしくてね。それを組み込んで造ったらしいよ。だからあそこに置いてある限りは見える。
でも見えるのは良いんだけどさぁ、術式が複雑すぎて外せないんだよね。いろいろ試してはみたんだけどさ」
ラスがパッと見た限りでは、何を封印しているのか、何を意味する術式なのかさっぱりだった。
「意味が解らないな」
「だろ? だから外せないんだよ」
アウグストより遥かに長く生きている
「あの人達なら解るかもな」
ラスの言うあの人達と言うのはアスモデウス達の事だろう。
これの意味がわかりそうな人物は他にはいない。
「だろうね。じゃあ持っていくか」
そう言って装置を停めようとしたアウグストをラスは制した。
「いや、それはいい」
「は? なんで? だって――」
彼等はこれを欲していたはずだ。
アウグストだってこんなのはいらない。
アウグストはラスが何を考えているのか解りかねた。
だが、次のラスの言葉でその疑問が氷解する。
「宮殿に入る許可が下りた」
「なっ――」
流石にアウグストもこれには驚いた。
いくら世界管理者とはいえ、
その彼等を中に入れるなんて、普通では考えられない事だった。
「陛下に報告したら、中に入れてやれってさ」
全くあの人は相変わらず甘いんだからと溜息を吐く。
驚いたのはラスも同じようだ。
「――――なるほど、それで来たのか」
「まあな」
「いいよ。この薬品開発室長専用研究室への立ち入りを許可する」
いくら王が良いといっても、宮殿内には機密情報というものがある。各代表等の許可が無ければ入れられない。それに薬品開発研究室はラスの管轄ではない。
「わかった。ではカインに案内するよう通達しよう」
ラスは通信機を取り出すと、カインと連絡を取った。