「僕は…………嫌な現実から目を背けていたんですね……」
「……思い出したみたいだな」
こくりと
「ほら、クラウスは血をいつまでも流してないでよ」
アウグストがタオルを持ってきて止血をしようとする。
「ああ、僕が治しますよ」
そう言ってカインは左手でクラウスの手を取った。
…… ι γ θ β ε λ ο ν ν ε δ α σ φ ε ς θ ε ι μ ε ξ
そして右手で印を組む。
カインにそう言われるまでアウグストは彼が生命の紋章術を使えるという事を失念していた。
―― 癒しを得て
軽い傷だったため、すぐに塞がった。
「それにしても凄い効果だね〜。そんなに血がイヤだったの?」
アスモデウスのその言葉に
「似ていたんだと思います」
「似ていた?」
「はい。顔も違うし、話し方も、考え方や行動一つとっても全く違うんです。
……でも、髪の色と瞳の色、翼の色…………クラウスさんと
だからダブらせてしまったんだと思います。
最後まで僕の事だけを考えてくれた…………僕の護衛天使に――」
「そいつは――?」
クラウスは一瞬躊躇ってから口にした。
「生きてはいないでしょう。魔族に囲まれていましたから――」
「そうか……」
クラウスは何かを考え込むような仕草をした。
そんな
「確かに、君の護衛天使
「それは本当ですか!?」
グリンフィールに詰め寄る
「あ、ああ……そうだ。
「――
魔物に食い荒らされなかった事だけが唯一の救いだった。
「遺体も保管してるだろうな。何しろ最後まで
「
そう言って立ち上がった。
「俺も一緒に行っていいか?」
「え?」
クラウスのその言葉に誰もが驚いた。
「別にかまいませんけど、遠いし、楽しくありませんよ?」
それに対してクラウスは考え込むような表情をした。
「……少し、気になる事があって――」
そんなクラウスに
「わかりました。では一緒に行きましょう」
「それで、どうやって行くんだ?」
シーン……
一瞬静まり返る室内。
「えっと…………飛んで?」
首を傾げながら言う
確かにみんな飛べるけどいくらなんでもそれは無理だろうと内心思う。
「無理かな……やっぱり……」
それは
「体力が続かないだろう。特に今の
「それに制御システムは動いてるからな。高度も凄いし。地上から見えない高さにあるからな」
「僕が空間の術を使えれば良かったんですけど――」
申し訳なさそうに
「僕も制御システムには行った事がないので無理です」
「わしらの知識では古すぎて役には立たんじゃろうな」
「だね。アッシーはそもそも知らないし」
…………
全員黙り込む。
「やっぱり飛んで行くしかなさそうじゃの」
「はぁ…………」
溜息しか出ない。
「じゃあ、僕達は飛んで行くとして、
「うっ…………」
露骨に困る
それに助け舟を出したのは意外にもクラウス。
「じゃあ俺が乗せていくよ」
「のせる?」
クラウスの言っている意味がわからない一同。
「まぁ、取り敢えず行こうか」
だが、クラウスがそれに待ったをかける。
「せめてちゃんとした服に着替えさせてくれ」
流石にこの格好では行きたくなかった。
準備が整ってからクラウスは外に出た。
封印を外したままなので迷う事も無くスムーズに集合場所に着いた。
天界に行くのだからという事で蒼天神殿ヒミンヴァンガルにいたレイシェルも連れて来た。
魔皇族四人はそれぞれ背中から翼を生やしている。
おそらく本来の姿を少しだけ現したモノだろう。彼らはクラウスとは違って冥界や魔界出身の魔皇族だ。今の姿が本来の姿というわけではないだろう。
クラウスは右手を掲げた。
「我が半身にして我が力の礎――
我が前にその身を現せ――
<蒼き珠の聖杖レヴァンテイン>」
そしてさらに左手を手の平を上に向けて前に差し出した。
「我が半身にして我が力の礎――
我が前にその身を現せ――
<創世の源術書アル=アジフ>」
ずしりと重い感触が左手に掛かる。
それを見たレヴィアタンは驚きの声を上げた。
「なんと……アル・アジフとレヴァンテインとは…………随分と気難しく力の強い二つの
「ホント。二つ同時に使役出来る人ってなかなかいないよねぇ」
《随分ト久シブリダナ。我ガ君》
「まぁね……」
アル・アジフはレヴァンテインよりも雄弁なようだ。
《――シテ、何用ダ》
「空を長時間飛びたい」
《ナルホド。デハ蒼キ珠ノ聖杖レヴァンテインニ力ヲカケレバ良イナ》
こんな事を言われてもレヴァンテインは無口のままだ。
アル・アジフはそう言ううっすらと光った。
それに呼応するかのようにレヴァンテインも光った。
クラウスは光り出したレヴァンテインを地面に対して水平にしてから手を離した。
手を離したので落下するかと思いきや、浮いたままだ。
クラウスはその状態で浮いているレヴァンテインに腰を下ろした。
それでもレヴァンテインは重力を完全に無視したようにぴくりとも動かない。
「なるほど。アル・アジフの力を持ってすれば浮いたり移動したりは思うままじゃな。特に力をかけるのが蒼き珠の聖杖レヴァンテインなら申し分ない」
力のない物質に力をかけると、その力に負けて長く持たずに壊れてしまう。
だからクラウスはレヴァンテインに力をかけたのだ。
「
レヴァンテインはかなり長い杖なので乗る場所は十分にある。
だが細いので乗り心地は悪そうだ。
それでもやはり沈む事はない。
「方向は分かるか?」
「さぁ? 僕は普段は神界で暮らしていたので天界と現世界がどのくらい離れているのかは解りません」
「けっこう遠いですよ」
レイシェルが助け舟を出す。
「私は守護天使ですから制御システムの動きは把握しています。今の時期、どこにどの制御システムがあるのか分かります」
「じゃあ
「
「うん。一応トップだし」
「わかりました。ではご案内します」
目的地に着くまでけっこうかかったのは言うまでもない。
「へぇ…………ここが制御システム」
「正確に言うと
そんな中でレイシェルがおずおずと話し始める。
「私は下級の守護天使なので戻りますね。ここにいる事は出来ませんから」
少し疲れているようだが、彼女はそう言って頭を下げてから飛び去った。
「下っ端は辛いね」
だが、この中に本当の意味での辛さを理解できるものはいなかった。
何しろトップばかりだ。
レイシェルの去った方を見ていた一同は、バサバサと翼の羽ばたき音を聞いた。
音のした方を見ると天使が現れた。
「お前達が不法侵入者か」
金色の髪の一部に銀色のメッシュが入っている天使としては少し変わった髪をした若者が目の前に降り立った。
「一体何しに――」
その天使は
「待ってよ〜、
そして更に後方から別の天使の声が聞こえる。
「はぁ……やっと追いついたぁ〜。
場の空気を一切無視して別の天使が現れた。
こちらは金髪金眼のいたってノーマルな天使だ。
「ん? どうしたの?
何も言わない青年を不思議に思ってその視線の先を追った。
それを見たその天使も驚いた。
「――…………
少し自信なさげに言う。
「はい、お久しぶりです。
二人はばっと敬礼した。
「ご無事で何よりです。ではその方達が
失礼しましたと頭を下げる二人。
「いや、俺は違うぞ」
確かにクラウスは
「でもクラウスさんは僕を護って下さいました」
「では尚更お礼を申し上げます」
二人はクラウスにも頭を下げた。
それにたじろぐクラウス。
「
「お願いします」
二人の天使は一行を
「
「ホント!?」
バンと机を叩いた為にバサバサと机の上に山のように積んであった書類の山が崩れ落ちた。
その所為で処理したものと未処理のものが見事にバラバラになった。
室内にいた三人の天使もその言葉に驚き、そして安堵したが…………崩れ落ちた書類の山に頭を抱えた。
「はい。ご心配をお掛けしました」
そんな書類の山を一切気にせず
「良かったです。本当に――」
だが、その視線が
そう、後ろに居たクラウスに――
じぃ〜――――っと、音がしそうな程見つめる
「何?」
居心地の悪さは感じないらしい。眉を寄せてその行動を怪訝な顔をして見つめた。
「君、天使に似てるね。うん、あの護衛天使にそっくり」
確か
「護衛天使って?」
クラウスが疑問をぶつけると
「天使には三種類いるんですよ。階級天使、守護天使、護衛天使です。天使は両親が階級天使だからといって子供もそうだとは限りません。天使は生まれてくる前の環境や場所によって生まれた時に種族が決まるんです」
「生まれた時に?」
「はい、そうです。
一つの属性の力が強く出た天使は各属性の力を補助する守護天使に、身体能力が普通の天使よりも高く、多属性を行使できる力を持った天使は偉人を護る護衛天使に、それ以外の天使はわりと万能型なのでいろいろな仕事をこなす階級天使になります。
これは自分ではどうする事も出来ないものです。
ちなみにこの
クラウスはここにいる天使達を見た。
そしてここに来るまでの天使達の服装も思い出してみた。
「階級天使ってみんな同じデザインの服なんだな」
確かに、身に付けている服やアクセサリーは若干色が違うがデザインは皆一緒だった。
ここで一番偉いという
「う〜ん、階級天使じゃなくて、どの天使もみんな同じ格好だよ? 守護天使だけは階級が低いと私服だけど」
色の違いは階級の高さではなく、属性の違いなのだそうだ。
属性は二十種類あるので服の色も同じ数だけあるらしい。
そして月をあしらっているアクセサリーの月の部分の色の違いで三種類の天使を見分けるらしい。
金色は階級天使、銀色は護衛天使、属性の色と同じものは守護天使。
階級天使の場合のみ、身に纏っているケープに階級を示すマークが描かれているらしい。
さらに十天使にはそれぞれの役職名まで描かれている。
前から見て階級が分からないのは不便じゃないのかクラウスは疑問に思った。
そして、さっきから全く無視されている三人の天使のうちの一人が愚痴った。
「
溜息を付く天使。
彼ともう一人の天使は今も散らばった書類をかき集めている。
もう一人は書類を処理分と未処理分に分けている。
そんな天使に物凄く、露骨に、嫌な顔をする
「――つーか僕もう隠居したいんだけど。何時までも年配者に頼るのはどうかと思うよ。だって、僕だっていつまでも元気でいられる保証はないんだから」
それを聞いた書類を集めていた天使の一人がうっかり口を滑らせた。
「ああ、確かに年よ――」
隣で同じように書類を集めていた天使がそれを聞き、慌てて彼の口を塞ぐ。
そのおかげで集めた書類は再び床に舞った。
だが、それを聞いていた
そして彼らは理解する。
彼には恐らく年寄り扱いは厳禁だという事に――
「
そう言った
全部言われたわけではないが、言わんとしている事が解ったのだろう。
そして三人の天使達は黙った。
別に
神のためと言われてしまえばそれまでだ。
このままでは話が進みそうにない事を察した
自分を最後まで気にかけてくれた天使のことを――
「
それを聞いた
そして神妙な顔つきになる。
「――――
……お会いになられますか?」
一時的に遺体を安置する場所。
「はい」
恨めしそうな部下の視線をものともせずに――