そして目的の場所に着いた。
 そこには薄い桃色の服を着た天使が眠っていた。
 思っていた以上に完全な状態に安堵する海水(かいな)
 魔族と戦ったわりには傷が少ない。
「目立つ傷は服で隠れていますからね」
 海水(かいな)禧瑳(きさ)に近付き、手を握った。
「今までありがとう、禧瑳(きさ)。僕は良い上司にはなれなかったけど…………禧瑳(きさ)の事は忘れないから…………たとえ、想い出になったとしても――」
 そんな海水(かいな)の隣でクラウスはじっと禧瑳(きさ)を見ていた。
「どうかしたの? えっと……」
 瀞亜(せあ)は声をかけようとして名前を知らない事に気付いた。
「クラウス。クラウス=クルーグハルト」
「クラウス……ね。
 ――で、どうかしたの? 禧瑳(きさ)、変?」
 そう聞いておいてなんだか質問自体も妙だなと思いながらもクラウスを見る。
 クラウスは禧瑳(きさ)から視線を放すことなく言った。
「――――夢に、出て来た人だ……」
「――!?――」
 その言葉にばっとクラウスを振り返る海水(かいな)
「本当ですか!?」
「あ、ああ……」
 海水(かいな)の剣幕に流石のクラウスもおされる。
「でも、面識無いよね」
 確かにその通りだ。
「でも、俺が寝ていた時…………その時の夢に出て来た。
 間違いなくこの男だ」
 血の気のない、青白い顔を見て、クラウスはきっぱりと言った。




 クラウスは森の中にいた。
 その森に生えているのは全てマナ植物と分別されるものだった。
 いい空気だ。
「傷が深すぎたのか、それとも力の使い過ぎか……?」
 クラウスにはここが夢の中であることはすぐに解った。
 何しろさっきまで自分はグラッズヘイムいるアウグストの部屋にいたのだから。
 そして驚くアウグストに鏡と血の付いた欠片を渡した。
 魔族を倒した事、二人を置き去りにしたことはちゃんと伝えられたはずだ。
 意識が朦朧としていた為些か自信がないが――
 それなのに気付いてみると森の中――
 おそらく精神力を回復させる為にアウグスト達が宮殿内にあるマナ植物を部屋に敷き詰めたんだろう。だから夢の中の光景が森の中になっている。
 怪我は治してくれたかもしれない。
 でもしばらくは起きられそうにない。
 俺の身体は輸血が出来ない。
 それなのにあんなに盛大に血を流した。
 加えて精神力の使いすぎ…………力を封印した状態で無茶をしすぎたと少し反省する。
 ――が、過ぎたことはしょうがない。
 時間は戻らないのだから。
 そして思う。
   ――暇だ……


 ここにいる間は何もする事がない。
 溜息が出る。
 だが、これは自業自得だ。
 そしてごろりと横になった時、視界に何か白いものが映った。
 不思議に思って起き上がり、よく見た。
 それは銀色の糸…………よく見ると銀色の髪だった。
「誰か…………いるのか……………………?」

 


 そんな馬鹿なと思いながらクラウスは言った。
   ――ここは俺の夢の中だぞ。
     なんで他人がいるんだ?


 クラウスは慎重に近付いていった。
「あ……」
 確かにいた。
 その人物はクラウスを見て声を上げるとあたふたした。
 そして気まずげに視線を逸らした。
「――…………誰?」
 銀髪金眼でその上背中から金色の翼が生えている。
 自分と特徴が似ていなくもない。
 顔は全然違うが……
「あ…………その…………私は鴉瑠杜(あると)禧瑳(きさ)といいます。その…………天使です」
 目の前の人物は歯切れ悪く自己紹介をした。
「天使?」
 言われてみれば納得のいく出で立ちだ。
 だが、何故ここにいるのか……
「それで、何してるんだ? 俺はまだ生きてるよな?」
 少し自信を失いかける。
 かなり重症だったから――
 ――が、その言葉に慌て禧瑳(きさ)は言った。
「違います。あなたは死んでいません。むしろ私の方が死んでいるのです」
「――はっ?」
 その自白にますます訳がわからないクラウス。
「一つお聞きしたい事がありまして――」
「俺に?」
「はい」
 唯の亜人に天使が一体何を聞きたいというのか?
 クラウスは訳が解らなかった。
「大切な人を護る時、貴方ならどうしますか?」
「大切な…………人?」
「はい」
 そう問う禧瑳(きさ)の表情は真剣だった。
「何から護るのかわからないが、一般的な敵からだったら、戦うだろ」
 現に戦ってボロボロになったわけだし、とクラウスは思う。
 夢ではわからないが、生身の身体はかなりボロボロのはずだ。
「命をかける…………?」
 クラウスは一拍置いてからきっぱりと言った。
「やらないな」
「何故ですか?」
「理由は簡単だ。残された者はどうなる?」
「…………」
 禧瑳(きさ)は黙り込んだ。
「命と引き換えにして護るという行為は確かに美しいかもしれない。でも、それじゃあ、残された者はどうする?」
「どう……とは――?」
「悲しみにくれながら生きるか、後を追うだろうな」
「…………」
「その相手が大切であればあるほど…………人の死はとても重い。命を引き換えにするという事で確かに相手の命は救えるかもしれない。でも心は? その心はどうなる? 心はどうやって護るんだ? 相手は確実に傷付く。
 俺は命を引き換えにしてまで護り、相手に重荷を背負わせたりはしたくない」
 禧瑳(きさ)はクラウスの話をじっと聞いていた。
「――そう…………ですか…………」
 禧瑳(きさ)は俯いた。
「やっぱり、全然違いますね」
「?」
 何と比べられているのかわからないクラウスは怪訝な顔をした。
「私は、あの方をずっとお護りしてきたはずだった……でも…………悲しい顔をしていたあの方を突き放した……………………私では、あの方をお護りしきれなかった」
 禧瑳(きさ)は、とても苦しそうな表情をしていた。
「私があの時、もっと違う行動をとっていれば、あのお方をあんなに悲しませる事はなかったのかもしれません…………駄目ですね。私は――」
 何でこんな話をするのかクラウスにはわからない。
禧瑳(きさ)とか言ったな、お前は一体――」
 だが禧瑳(きさ)は淡々と喋った。
「私では無理だった…………あの方をお護り出来なかった……………………本当はもっとずっとお側にお仕えしたかったのに…………本当に駄目ですね、私は――」
 泣いていた。
 余程苦しかったのか、悔しかったのか、悲しかったのか…………クラウスには推し量れない。
「別に俺は俺の考えを言っただけで俺の考えをお前に押し付けようなんて思ってないぞ」
 その言葉に禧瑳(きさ)は首を振った。
「独りにしないでと言っていたのに、私は独りにしてしまった。そうする事でしか護れなかった…………
 ――――だから貴方はそんな事しないで…………私の代わりに……………………あの方の願いを叶える事の出来なかった私の代わりに、あの方の力になってあげてください」
「――? よくわからないぞ。一体――」
「謝っておいてもらえますか? 不甲斐無く、役立たずな部下で申し訳ありませんでしたと――」
「いや、それは構わないが…………誰に?」
 禧瑳(きさ)の言葉には肝心の伝えるべき相手の名前が一切出てこなかった。
 だが、ふわりと禧瑳(きさ)は微笑んだ。
 了承してもらえた事が嬉しかったのだろう。
 だがその笑みはかなり儚い。
 そして次の瞬間、一瞬にして存在が霧散した。
 後には何も残っていない。
「だから、誰の事だよ」
 後には呆然とするクラウスが残された。
「せめて名前ぐらい言ってから消えろよー!!」
 誰もいない森の中にクラウスの叫び声が木霊した。
 だが、何かが起きるわけではない。
 はぁ、と溜息をつき、今度こそ木の根元に横になった。
 しかし、天使の仕えていたという人物がかなり気になる。
 天使と面識はない。
 どうすればいいのかわからないが、伝えないといけないような気もする。
 だが、結局心当たりがあろうはずもなく、クラウスは瞳を閉じた。
 誰なのかわからないままに――




「今思えばあれは海水(かいな)の事だったんだな」
 クラウスは一方的に言うだけ言って消えた天使の事を思い出しながら言った。
禧瑳(きさ)…………そんな……………………禧瑳(きさ)……………………――」
 禧瑳(きさ)の手に触れ涙を流す海水(かいな)
禧瑳(きさ)の所為じゃ……禧瑳(きさ)は何も…………何も悪くない…………むしろ……………………僕が…………僕が何も出来なかったから――――」
 海水(かいな)は無力な自分がイヤだった。
 何も出来ない自分がとてもイヤだった。
「人はとても弱い。だからそう自分を責めるな。そんなんじゃ、禧瑳(きさ)はいつまでも海水(かいな)の心配をするぞ」
 後ろから海水(かいな)を抱きしめて慰める。
「――――はい…………この命は……みんなが護ってくれたものだから…………僕はみんなの分まで生きなければなりません。魔族なんかにやられたりはしません。だって、そうしてら、何のために彼らが身を挺してくれたのか…………わからないし、魔族の思う壺だから――」
「そうだな」
 お別れをしていた海水(かいな)にそっと瀞亜(せあ)が声をかけた。
 言わないわけにはいかない。
禧瑳(きさ)の遺体はこのまま棺にいれてこの翔聖郷(しょうせいきょう)に埋葬します」
「はい、よろしくお願いします」
「勿体無いお言葉です」
「ありがとう、禧瑳(きさ)。もう大丈夫だから…………僕は、僕の役目を果たすから、見ていてね」
 海水(かいな)は、もう泣いていなかった。
 真っ直ぐに前を見据えている。
 別れは…………済んだ。
「行きましょう。これからの事を考えないと――」
 振り返った海水(かいな)は笑っていた。
 強がりかもしれない。
 でも、前を向いて歩き出した。
 だから、きっと、大丈夫――