霊蒼堂(れいそうどう)から翔聖郷(しょうせいきょう)の一室に戻ってきた一同。
 だが、早々に問題が浮上する。
 どうやって海水(かいな)の封印を解くか、だ。
 レヴィアタンは封鎖神魔鏡(アブディヒトゥング=シュピーゲル)を取り出した。
 それを見た瀞亜(せあ)は驚きに目を見開いた。
「どこでそれを!」
「どこでと言われてもな――」
 レヴィアタンはそう言ってクラウスを見た。
 確かにこれを拾ってきたのはクラウスだ。
「今にも崩れそうなボロい神殿から持ってきたんだけど?」
 クラウスも封鎖神魔鏡(アブディヒトゥング=シュピーゲル)を見た。
「それは聖蒼殿(せいそうでん)ですね。その鏡は確かに僕が聖蒼殿(せいそうでん)で落とした物ですから」
 海水(かいな)にもそう言われて瀞亜(せあ)は黙り込んだ。
「どうかしたの?」
 不審な顔で瀞亜(せあ)を見る一同。
「ええ…………確かに、確かになかったはずなんです」
「なかった?」
「ええ。天使達が水蓮鏡(すいれんきょう)を捜索した際、確かに聖蒼殿(せいそうでん)も探しました。でも、何も発見できなかった」
 瀞亜(せあ)は落ちているはずがないと言う。
 だが、現に鏡は落ちていた。
「そう言えば……」
 クラウスも何かを思い出すように眉間に皺を寄せた。
「見つけた時は何の力も感じなかったな…………こんなに何重にも封印式がかけられているっていうのに――」
 どうして気付かなかったんだ? と不思議そうにしている。
 それを聞いたアスモデウスは鏡をレヴィアタンから奪って視た。
 アスモデウスの瞳が深緑から深紅に変わる。
「あれは…………魔眼?」
 クラウスがアスモデウスの紅い目を見て呟いた。

 


「よく知っておるの。そう、あれは魔眼じゃ」
 魔眼とは、魔皇(まこう)族に突然変異として潜在する特殊能力を有するもの達に現れる真紅の瞳だ。
 潜在している為、普段は表には現れない。
 その為、気付かずに一生を過ごす者もいる。
「アスモデウスは魔眼の持ち主だったのですか――」
 アシリエルの表情は相変わらずあまり動かないが、それでも驚いてはいるようだった。
「そうじゃ」
「あの面倒くさがりやなアスモデウスがよく、自分の能力に気付きましたね」
 魔眼が顕在化しなければ、特殊能力は使えない。
 自分で気が付かなければ使えないのだ。
 そのきっかけは大概、他者との戦闘だ。
 魔界や冥界に住んでいる魔皇(まこう)族達はわりと喧嘩っ早い。
 その理由は、利己主義者(エゴイズム)快楽主義者(ヘドニズム)御都合主義者(オポチュニズム)といった思考の持ち主が多いからだ。
 自分と同等の力を持った者や、自分より強い者と戦った場合に魔眼が顕現しやすい。
 だが、面倒くさがりやなアスモデウスが進んで他者と戦闘を行うようにはとても見えない。
「確かに、アスモデウスは魔皇(まこう)族との戦闘経験はあまりないの」
 レヴィアタンもそれを肯定した。
 だが、そのわりには戦い方が堂に入っている気がした。
「実戦経験は豊富じゃからな」
 レヴィアタンによると、アスモデウスは魔物や魔族との交戦経験は豊富らしい。
「――では、アスモデウスの魔眼はその時に?」
 その言葉に首を振るレヴィアタン。
「違う。あの力を開眼させたのは前冥王との生死を賭けた戦いの時じゃ」
「――!!――」
 魔界も冥界も弱肉強食の世界だ。
 敗者には死、あるのみ…………
「アスモデウスが前冥王に実力がバレて戦闘になったというのは有名な話でしたね」
「そうじゃ。冥王が手加減なぞする筈がない。故に、アスモデウスは生きるために冥王を殺すしかなかった。殺すまで死合は終わらない」
 アスモデウスが魔眼を手に入れたのはその冥王との戦いの中でだった。
「まあ、戦闘にはあまり役には立たん能力じゃがな」
 魔眼は顕現してみないとどんな能力かわからない。
「その能力は?」
「うむ。アスモデウスの魔眼の能力は記憶≠カゃ」
「記憶=H」
「なるほど。精神的な能力ですね。記憶≠ニいう事はある程度の記憶操作や記憶置換、記憶消去、意識障害を引き起こす事が出来る。それに冥王があの鏡を奪って見入っている様子を見る限り、記憶吸収の役割も持ってますね」
「そうじゃ。主な能力はグリンフィールの言うたとおりじゃが、一番能力が強いのが記憶吸収の力…………有機物だけではなく、無機物からも記憶吸収を行う事が出来る」
 それは特殊だが、使い方によってはかなり役に立つ力だ。
 現に、彼は鏡を視ている。
「それってあの人に隠し事出来ないんじゃないか?」
 クラウスがぼそりと呟いた。
「そうじゃな。不正を見抜くにはうってつけの目じゃ。魔皇(まこう)族に混じった魔族も簡単に見抜く」
 便利な目だ。
 そしてじっとその鏡を視ていたアスモデウスが視線を外した。
 その途端に深緑に戻る瞳。
「どうじゃった?」
 レヴィアタンの問いにアスモデウスは答えた。
「完全には視えなかった。流石はレッドベリル様の創った封印具だね」
 大抵の者の記憶を読み取れるアスモデウスがそう言うのだから、どれほどあの方が別格かを物語っている。
「ここ最近の事しか視えなかった」
 アスモデウスは肩を竦めた。
 アスモデウスの様子からはあまりガッカリした様子は見受けられない。
 想定内だったのだろう。
「――でもある程度は視えたよ」
 鏡をくるりと回す。
「これは使用すると周囲の力を一時的にシャットアウトする。その所為で一時的に唯の物質に見えるんだ。だからクラウスもわからなかったんだろうね」
 確かにその説明で、クラウスが封鎖神魔鏡(アブディヒトゥング=シュピーゲル)を唯の鏡と勘違いした理由はわかった。
 だが、それでは天使達を欺けた理由はわからない。
「天使は欺かれたわけじゃないよ。気付けなかったんだ」
「気付けなかった? それは一体どういうことですか?」
「――この鏡は使用すると一定期間透明になるみたいなんだ。その名残がこれ」
 そう言われても何の事かわからない。
「もともとこの鏡は蒼い色をしていたハズだよ。それが使用したことにより一時、透明になった。それがゆっくりと元に戻ってるから今は水晶色の透明な鏡なの」
「なるほど…………見えなかったから天使たちは見逃したんですね」
 瀞亜(せあ)は納得したように頷いた。
「それで、他には?」
 アスモデウスは首を振った。
「それ以上のことは何も。結構長い間あの場所に安置されていたみたいでね。僕の力じゃこれ以上視えなかった」
 残念、とアスモデウスは全く残念そうに見えない様子で言った。
 そして鏡をレヴィアタンに渡した。
「ただ、その封鎖神魔鏡(アブディヒトゥング=シュピーゲル)には目茶苦茶強力な封印が施されてる事ぐらいはわかったけど」
 全く解決になっていない。
「解けませんか?」
 瀞亜(せあ)の言葉に魔皇(まこう)族四人衆は揃ってキッパリと答えた。
『無理(です)』
 シーン…………
 ラーフィスの封印は非常に強く、誰にも解く事など出来ない。
 紋章術を元にして組まれているため、その手の知識のない万物神や天使達にはさっぱりだった。
 どうしようもない状況に追い込まれている。
 どうするべきか非常に悩む。
「やっぱり、本人に何とかしてもらうのが一番かもねー」
 アスモデウスの一言に渋い顔をするレヴィアタン達。
「しかし、レッドベリル様はもう軽く三十万年ぐらい音信不通じゃ」
「――ええ。しかもどこにいらっしゃるのか……」
「探すにしてもレッドベリル様のように力のある方を探すのはこの現世の中からたった一粒の砂を探し出すより難しいですね」
「――しかも、レッドベリル様は調停世界イセリアルにいる可能性の方が高いでしょうしね」
「閉鎖空間も作れるしのぉ……」
 ――つーか無理だろ、ときっぱり言っちゃうアスモデウス。
「でもこのままじゃ……」
 海水(かいな)は何も出来ないとしょげる。
「確かに海水(かいな)様の力が回復しないのは非常に拙いですね」
 海水(かいな)の力がなければ水を上手く制御する事が出来ない。
「じゃあ探しに行くの〜?」
 物凄く嫌そうに言うアスモデウス。
 とことんやる気のない男である。
「それしかないじゃろ」
 え〜、と露骨に嫌な顔をするアスモデウス。
「嫌がらないでください。貴方それでも――」
「世界管理者です」
 アシリエルの口癖をしっかりというアスモデウス。
 もう耳にタコが出来るほど聞いている。
 本当に正反対の二人だ。
「ではアスモデウスとレヴァイタンは水神(すいじん)の補佐をお願いします」
「えー!! アッシーはやらないの!?」
 アスモデウスは不満を全開にした。
「私は空間も時の紋章術も使えません。足手まといになるつもりはありません」
 アシリエルの言う事は最もだ。
 何しろこれから調停世界イセリアルをめぐる事になった時。、一人で監視世界アービトレイアや閉鎖世界ディヴァイアに戻って来る力がなければかなり困った事になる。
「じゃあグリン」
 その言葉を聞いた瞬間に慌て始めるグリンフィール。
「無理です! 確かに僕は空間と時の紋章術を使えますけど、現王(げんおう)様が全く仕事をなさらないので僕とグレシネークでやらないといけないんです」
「確かに…………魔族や魔物を討伐したりする者は必要じゃな。アシリエルもやってくれるか?」
「無論そのつもりです。
 私は制御システムのたて直しを行います」
「あー、確かに水の制御システム堕とされたしね〜。新しくまた造らないといけないかー……」
 だが、面子に些か不満の残るアスモデウス。
 この面子では時の紋章術を使えるものがいない。
瀞亜(せあ)は?」
「ぶっちゃけるとご一緒したいです。こんな所にずっと閉じ込められるくらいなら――」
 だが残念そうに瀞亜(せあ)は首を振った。
「――ですが残念な事に……未だに天界は僕の力を当てにしています。その所為で僕は未だに十天使の天使長をしています。そのおかげで仕事が山積みです。
 まあ、非常時以外では仕事はしてませんけどね」
 自由自在に空間と時を操る瀞亜(せあ)の力を借りられないのはかなりの痛手だった。
「やだなぁ、心配しなくても大丈夫ですよ」
 この会話で、どこがどう大丈夫だというのか?
 皆聞きたかった。
 そんな瀞亜(せあ)はニコニコしながらある人物を指名した。
「だって、ここにいるじゃない。ね?」
 言われた本人は一瞬、何とかえして良いのかわからなかった。
 後ろから抱きつかれたクラウスは非常に困った。
「あなたは両方使えるでしょ? しかも、かなりの使い手……」
 どうしてそんな事がわかるんだと、後ろに居る天使に問い質したい気分になった。
「あなたなら期待に応えられると思うんだけど……ね?」
 なんかもう、勿論やってくれるよね? と言われている気がするのは気のせいではないはずだ。
「クラウスは両方使えるんだ……」
 物凄く期待を込めた目をするアスモデウス。
 そんなアスモデウスに押されるようにクラウスは話した。
「あ、ああ……うん……………………生命の紋章術以外は――」
 それを聞いたレヴィアタンはじっとクラウスを見た。
「ふむ。主は身体能力はやや低いようじゃが、精神能力は凄く高いようじゃな。
 まだまだ若いのに素晴らしき素質じゃな。魔皇(まこう)族であるならば、身体能力も精神能力も年を経る毎に飛躍的に上昇していくじゃろうな」
 四方を固められた気分だった。
「あの……クラウスさん………………お願いできますか?」
 海水(かいな)の言葉が止めだった。
 神にお願いされて無下に断る事が出来るものがいるのだろうか?
 そんな疑問が浮かんできた。
 もう、逃げられなかった。
 諦めにも似た感情が心に渦巻いた。
 だが、その時…………禧瑳(きさ)の言葉を思い出した。
   ――私の代わりに……
     あの方の願いを叶える事の出来なかった私の代わりに……
     あの方の力になってあげてください…………


 それを思い出した時、クラウスは自然に返事をしていた。
 その答えは――