瀞亜(せあ)は相変わらず仕事に忙殺されていた。
 扉から瀞亜(せあ)の姿が見えないぐらいに書類が溜まっている。
 そして、溜まっているのは書類だけではなかった。
 瀞亜(せあ)のストレスも最高潮だった。
「どーしてこんなに書類があるんだー!!」
 とうとう耐え切れずに喚き始める瀞亜(せあ)
 だが、喚いた所で書類は減らない。
 「静かになさってください。書類に埋もれているのは瀞亜(せあ)様だけではありません」
 それでも納得のいかない瀞亜(せあ)
 バタン。
 そこに扉を開けて一人の男が入ってきた。
「諦めなさい。瀞亜(せあ)様だけではなく、この天界全体が大変なことになっているのです」
 そう言って瀞亜(せあ)を制した。
慧婁(える)様、ご苦労様です」
凰史(おうし)もご苦労様。こんな上司のお守りとはね」
 そういう慧婁(える)の上司も瀞亜(せあ)だ。
慧婁(える)は何しに来たのさ」
「私は監査の天使(ラグエル)ですからね。見回りも仕事のうちです」
「書類は?」
「たくさんありますよ。まだ半分ほどは。ですが処理しても次から次へと入ってくるのできりがありませんね」
 なので人に押し付けようとしても無駄ですと、釘を刺される。
 それを聞いた瀞亜(せあ)はげんなりした。
「おい、天使長。あの客人の要求はきつ過ぎるぞ」
 そう言ってさらに女の天使が入ってきた。
 天使長、水蓮(ゆれん)瀞亜(せあ)の執務室の緊急時はいつもこんな感じだ。
悠莉(ゆうり)か……今度は何?」
「何ってあの魔皇(まこう)族のことだ」
「ああ、死王アシリエルのことか……彼がどうかしたの?」
「どうしたもこうしたもない! あれを用意しろ、これを用意しろ、とうるさい!!」
 その言葉にため息を吐く瀞亜(せあ)
「それは仕方がないよ。それがないと水の中枢制御システムを再構築できないからね。そのために必要不可欠なんだよ」
「しかし、あやつの言っているものをここで揃えることなどできん」
「でも揃えないとディヴァイアの存続に関わりますよ」
「だが我々は天界でしか過ごしたことがない。故に地上に降りて材料を探せといわれても無理な話だ。
 それに今は人手がいくらあっても足りぬ状況だぞ」
「はぁ…………」
 大きくため息を吐いた。
 さっきからため息ばかりが出るがしょうがない。
 問題が山積みなのだ。
「天使って世間知らずの塊だね」
 どうするかと頭を抱えたい気分になってくる。
瀞亜(せあ)さま〜」
 そこにもう一人現れる。
「もー!! 今度は何!?」
「あら、大分お疲れのようですわね」
「彌津唏?」
「ええ。、瀞亜(せあ)様、グリンフィール殿が材料集めについて打診したい事があるようですわ」
「ほんと!?」
 まさに今物凄く困っていた案件だ。
「ええ。第二会議室でお待ちしておりますわ」
「わかった。今行くよ。悠莉(ゆうり)慧婁(える)も来て」
「うむ」
「了解」
「じゃあ、後はよろしく」
 その場を凰史(おうし)に押し付けて瀞亜(せあ)は第二会議室へ移動した。
 第二会議室に行くとグリンフィールとアシリエル、そして彼らにつけていた二人の天使が待っていた。
「迷惑かけるね」
「仕方がありません。壊れたものは直さなければ、水の神が減じたこの世界を支えることは出来ません」
「もともと天界は魔皇(まこう)族が作ったものですからね。天使では直すことが出来ない。僕も詳しいわけではなかったので、死王が居てくださって良かったですよ」
 現王様は役に立たないので、とグリンフィールは言う。
「それで、材料についてだったね」
「ええ」
「何かいい方法があったの?」
「いい方法かどうかはわかりません。しかし、これがいい方法であると思います」
「それは?」
神州国(しんしゅうこく)アスガルドに協力を要請しましょう」
 それはとても意外な言葉だった。
「協力…………してくれるのでしょうか?」
「どう……だろうね」
「だが、そう思っていなければ打診などしないだろう?」
 悠莉(ゆうり)の言葉にグリンフィールは答えた。
「あの国に事情を説明すれば協力してくれるはずです。あの国はとても友好的ですから……それにある程度の事情をすでに知っています」
「そうだね……天使は知らないことが多いし…………人では足りないし……………………では頼みに行く人を選定しないといけないね」
 そして瀞亜(せあ)は考えた。
「僕たちが行きますよ。あなた達ではわからないでしょうしね」
「ええ、任せてください」
「そうですか…………そう……………………ですね。それがいいのかもしれません。
 では…………聖霞(せいか)風刺(ふうし)
『はい』
「二人は天界の代表として一緒にお供してください。本当は十天使が行ければ一番良いんですけれど……」
「無理ですね」
 あっさりと慧婁(える)が言った。
「私たち守護天使もそういうことはしないからな」
 守護天使であり、生命の守護天使の統轄者である悠莉(ゆうり)も言った。
「わかっているよ。これは階級天使の仕事。だから熾天使(セラフィム)である二人にお願いしてるんだ」
「お任せください」
「了解」
「話が終わったら戻ってきます。今後のことを話し合わなければなりませんから」
「移動は――」
 瀞亜(せあ)がどうしようか考えるまでもなくグリンフィールが言った。
「僕が居るので大丈夫です」
「なるほど、そうだったね。では、お願いします」
「ええ」
 グリンフィールは席から立ち、何もないところに皆を集めた。

   ……  ε ι ξ ς ε ι σ ε ξ δ ε φ ε ς μ α β τ λ μ ε ι ξ ε π ο ε σ ι ε α υ ζ δ ε ς α ξ δ ε ς ε ξ σ ε ι τ ε φ ο ξ ς α υ ν

 空間移動はお手の物だ。
   ―― 空間を越える旅人の(うた)


 四人の姿が消える。
「うまくいくのか?」
 悠莉(ゆうり)は不安を露にした。
「大丈夫だよ、きっと――」
 瀞亜(せあ)はそう言った。
 そう思いたいだけかもしれないが、瀞亜(せあ)の言葉には人を安心させる何かがあった。





 神州国(しんしゅうこく)アスガルドの首都、グラッズヘイムの(ゲート)前。
 前に来たときと同じ場所に出た。
「いきなり街の中に行くと驚かれますからね」
「そうですね。それはルールに反します」
 それにアシリエルも頷いた。
「それではアシリエル様、グリンフィール様。これからどうなさいますか?」
「また(ゲート)で呼んでもらいましょう」
「そうですね」
 四人は(ゲート)の中に入った。
「おや、あなた方は――」
 そこにいた軍人の一人がアシリエルとグリンフィールを見て声を上げた。
「この前いらした魔皇(まこう)族の方ですね」
「はい。今日はアスガルドの上層部と話をするために来ました」
「そうですか。では、フリューゲル司令官に連絡いたしますので、しばらくお待ちください」
「わかりました」
 一度きているのでそれほど邪険に扱われることはなかった。
「もう少し警戒されると思いましたが――」
「この国はそれほど厳しくないですから」
「ここは天界とは全く違いますね」
「確かに、きれいなトコだな」
 二人の天使は物珍しそうに行き交う人々を見ている。
 そんな二人を見ていたアシリエルはずっと気になっていたことを尋ねた。
「天使はみなその格好をしているのですよね」
「はい。デザインはどの天使も一緒ですよ」
「属性によって色はちゃうが、基本的にはみな一緒だな」
「私服で働いているのは守護天使のごく一部だけだとお聞きしましたが?」
 それを聞いた二人は顔を見合わせた。
「ねぇ、風刺(ふうし)。それってもしかしなくても彼らのことだよね?」
「もせやけどなくても、そうだと思うぞ」
 少し言いにくそうにしている聖霞(せいか)に代わって風刺(ふうし)が説明してくれた。
「天使は昔、天界が造られる前までは神界と現世界に別れて暮らしとった。
 その頃の現世界は今と違ってまだ人間がたくはん暮らしとったそうや。神界で暮らしとった天使はかわることはなかった。多少今よりも寿命が長かったそうやけどな。
 やけど、現世界で暮らしとった天使の中には人間と恋に落ちで結ばれるものもいたわけや。
 せやけど、人間は弱きものや。天使と人間のハーフは能力が低かった。ほんで寿命もどエライ短いちうわけや。
 やから天使はある制約を決めたちうわけや。天使以外の血がちびっとでも混じっとるものとそうでないものを区別するために。
 天使の血が薄くなることを恐れたわけではなく、弱くなることでいつか使命を果たせなくなることを恐れた。
 やからハーフの天使は現世界の人々のようけのヤカラが使用しとる名前の付け方をし、服装も変えることにしたわけや。天界ができたとき、天使たちが召集をかけられたときにそれを決めたそうや。
 天使は年を経るごとに力を増していくものやけど、ハーフではそれは見込めへん。
世界を守るためには仕方のないことやったんな」
「差別のようになってしまっているのが少し悲しいものです」
「やけど知らなければ弱い天使に重要な仕事を任せてしまうかもしれへん。オレ達の仕事はシッパイは許されへんものも多い。
 やから、そうなりまへんために見ただけでわかるように区別しとるんや」
 けして差別しているわけではないと風刺(ふうし)は言う。
「だからこの服を着ていない天使は人の血が混じっているのです。
 けして必要ではないという意味ではないのです」
「適材適所ちうものがあるからな」
 二人の言葉を聞いてアシリエルは納得した。
「なるほど……そういう理由があったのですか」
「彼らにはなんの落ち度もないんやけどな。これは仕方のないことや」
 そうしないとこの世界を守れないという。
「ハーフの天使はみな守護天使をしています。たくさんの力を行使する階級天使にはなれませんし、身体能力が優れている護衛天使にもなることは出来ませんから」
「二人は熾天使(セラフィム)なんですよね」
「はい、私たちはこう見えてもかなり生きているので」
 お二人には敵いませんがと聖霞(せいか)は言う。
「天使は年を重ねるほど強くなるちうわけや。やから階級天使は天使(エンジェル)から始まっても最終的には熾天使(セラフィム)までなれるやろうな。ただ、例外もいるわけやけど」
「例外……ですか?」
「そう、小さくても強い力を持ってる天使が稀に誕生するわけや。
 例を上げると瀞亜(せあ)様やオレ達の同僚の破希(はき)とかだな」
破希(はき)君はまだ二百歳なのにもう熾天使(セラフィム)ですからね」
「そういう若い力がもっと集まれば引退できるのにと、瀞亜(せあ)様はいつもおっしゃられとるがな」
「でも生まれながらに強すぎる力を持っても幸せにはなれないよ」
「ああ。分不相応な力は自らを滅ぼすことになりかねないからな」
 二人はしみじみと言った。
「何かあったんですか?」
瀞亜(せあ)様も苦労されているから」
 そんな話をしている時、横から声を掛けられた。
「久しぶりだな。またこの国に用事があるのか?」
 そこにいたのは司令部の最高指揮官を務める司令官ラス=フリューゲルトだった。
「この前の二人と…………そこにいるのは天使……か?」
「はい。はじめまして。私は階級天使の稀憂(きう)聖霞(せいか)です」
「同じく階級天使をしとる靫梛(しゃな)風刺(ふうし)や」
「天使長水蓮(ゆれん)瀞亜(せあ)様の遣いで参りました」
 それを聞いたラスは目を見張った。
「なるほど…………それは俺では荷が重いな。ラルフやロキ、陛下にも話を通さないといけない」
「ええ、そうして頂けると助かります」
「とりあえずラルフとロキに話を通すから待っていてくれ」
 ラスはそう言うと通信機を取り出して話し始めた。
「許可が下りた。まずこの国の行政長ラルフ=アルヴェーンと執行吏ロキ=スクリミールに会って話をしてもらう。必要ならば陛下にも話を通そう」
「お願いします」
 ラスは一行を宮殿の中にある会議室の一室へと案内した。
 そこにはすでに二人が居た。
 きっちりと椅子に座りパソコンに向かって何かしているロキと、だら〜っとテーブルに突っ伏しているラルフ。
 二人の性格をそのまま現したような姿だ。
「相変わらず仕事で忙しそうだな、ロキ」
「ええ。去年の暮れから…………浮遊島が落下してから魔物の活動が活発化してきています。その所為で各地でいろいろと揉め事が発生しています」
「そうでなくともロキはクラウスと違って仕事の鬼だもんね」
 そうラルフがぼやく。
「クラウスは抜けるところの手はキッチリ抜いていたからな」
「ロキほど堅物じゃなかったもん」
「それでも、ラルフほど手を抜く人ではありませんでしたよ。
 ラルフ。貴方も忙しいハズでは――?」
 ロキの圧力を受けてラルフは怯んだ。
「確かに、災害ばっかり多発するからいろいろ忙しいよ。
 でもこんなところまで仕事を持ってこなくてもよくない?」
「時間はいくらあっても足りません」
 ロキはラルフの台詞をばっさりと切って捨てた。
「悪いな。このところ忙しくて休む間もない」
 ラスは肩を竦めて四人に席を勧めた。
「魔物が増えたんですか?」
「さあ? どうだろう…………俺たちには元からいた魔物が暴れているのか増えたのかはわからないからな」
「でも被害は確実に増えています」
 迷惑な話だよね。とラルフは愚痴る。
「影響が出ているようですね」
「仕方がない。属性のバランスが崩れたんだから……」
 天使二人は表情を暗くした。
 パタンとロキがパソコンを閉じた。
「何か御用があったのでしょう?」
「ええ。頼みたいことがあります」
「それは?」
「破壊された水の中枢制御システムを建て直したいのです」
「でもそれには材料がたくさん必要です。でも天使たちはあまりよく知らないようで――」
「申し訳ない」
「このようなことになるなど、誰も思っていませんでしたから」
「あーなるほど。それで材料の調達に手を貸してくれって事なんだ」
「はい、その通りです。力を貸していただけないでしょうか?」
 聖霞(せいか)の言葉に三人は――
「断る理由はない」
「世界の存在に関わることですから」
「でもこれ、行政部は出る幕ないよね」
「予算の見当ぐらいしろ。後は司令部と執行部で何とかしよう」
「執行部もそれほど人手が割けるわけではありませんが、尽力は尽くしましょう」
「陛下にも伝えたほうがいいよね」
「ラインヴァン卿もまだいらっしゃったな」
「謁見を申し込んでみよっか」
「ではすぐに申請の手続きをしましょう」
「ああ、ロキ。いいよ、俺が行く。君たちは打ち合わせでもしていて」
 それを聞いたロキは腰を下ろした。
「そうですか……ではお願いします」
「許可下りたら連絡するわ」
 そう言うと会議室から出て行った。
「ラルフはいい加減なヤツだが雑な仕事はしない。予算の方も頑張ってくれるだろう」
「申し訳ありません」
「本来なら我々がすべき事に巻き込んでしまった」
「困った時は協力し合うべきです。特にこんな状況ではね」
「材料探しを頼めるということは僕は手が空くわけですね」
 そんなグリンフィールの言葉にアシリエルが意外そうな顔をした。
「手伝ってくれるのではないのですか?」
「僕は恐らく…………増えているであろう魔物の討伐を行います。そちらの方は僕よりもグレシネークの方が役に立つでしょう」
 そして、意を決したようにこう続けた。
「現王様もああ見えてシステムの構築が出来るはずです。天界の創設に関わっていましたから。僕やグレシネークでは無理ですが、死王なら…………平気かもしれません」
 それを聞いたアシリエルは頷いた。
「わかりました。後で打診しましょう。連れて行ってもらえますね」
「ええ」
 いろいろ忙しくなりそうだった。
「じゃあ、具体的に何かどれ位必要なのか話してくれ」
「はい。では――」
 こうして、詳しい打ち合わせはロキの通信機がなるまで続いた。