フェネシスはまだ
天界の要請を受けて協力していアスガルドを見てフェネシスも協力しようと思ったからだ。
しかし、蒼生神殿ラインヴァンにいるのはみな神官だ。
はっきり言ってとても戦力にはならない。そしてたいして役にも立てないだろう。
だから別のことで役に立とうと思った。
コンコン。
扉がノックされ、シーファが入って来た。
「フェネシス様、準備は整いましたか」
「ええ、もちろんです」
シーファは正装していた。
諸国を旅している間は良かったが、今は仕事中だ。
そう、蒼生天子フェネシス=ラインヴァンとしての仕事をしなければならない。
今、それが必要なのだ。
そのため、フェネシスも護衛のシーファも正装なのだ。
「あの……ボクも…………いいんでしょうか……」
そう言ってシーファの後ろからラーディエンスが現れた。
ラーディエンスもフェネシスやシーファと同じデザインの服を着ている。
ただし、三人とも色が違う。
「後で貴方にもシーファと共に仕事をしていただきたいのです」
そのためにラーディエンスにも同じ服を着てもらった。
これは蒼生神殿ラインヴァンの正装。
もしもの時のために持って来ていたものだ。
「ボクに? ボ……ボクなんかがフェネシス様の役に立つなら別にかまわないんですが……あの…………この服……フェネシス様ともシーファさんとも色が違いますよね?」
「僕のこの青い服はラインヴァンのトップという証ですから僕以外で着ている人はいません」
「そうなんですか……じゃあシーファさんと違うのは?」
「シーファの来ている黄色の服は神剣士の正装です」
「神剣士?」
「はい。武器を扱うことのできる者たちのことです。他に上位幹部の方々は紫色の服、普通の神官たちは橙の服、見習神官たちは赤い服を着ています」
フェネシスはニコニコしながらそう答えた。
「あの……じゃあ緑色の服は?」
「それは神術師の正装です」
「神術師?」
「そう。生命以外の術を使うことのできる者たちのことです」
ラインヴァンは服の色でその人の役職が見分けられるようになっているようだ。
「――あの、じゃあなんで緑色の服を? フェネシス様、全く関係ないですよね?」
確かにフェネシスには関係ない色の服だ。
シーファにも関係ない。
なら、なぜフェネシスはこの色の服を持っているのか?
「それはもし何かあってラインヴァンの者だとバレた時にただの神術師だと誤魔化すためです」
その必要もなくなってしまいましたが、とフェネシスは告げる。
「蒼生天子だとバレると皆距離をとったりいろいろと取り繕ったりして本当の姿を隠そうとなさいます」
それがたまらなく悲しいのだと言う。
「そう…………ですか――」
ラーディエンスはそうかえすしかなかった。
フェネシスはとても寂しそうに、辛そうにしていたから……
だが、そこであることに気づいた。
「……フェネシス様」
「何?」
「IDカード出せば一発でバレますよね」
あれは個人情報の塊だ。
「ああ、それなら平気です」
何が平気だというのか?
そうラーディエンスが思っているとフェネシスはごそごそと何かを取り出した。
そして一枚のカードを差し出した。
ラーディエンスは訝しがりながらもそれを受け取った。
――それはIDカードだった。
「………………………………フェ…………フェルナン=マイヤール?」
フェネシスの名前ではない……だが、顔写真はフェネシスだ。
これは一体……とフェネシスを見た。
「偽造IDだよ」
蒼生天子様は清々しい笑顔でそうのたまってくださった。
「――はっ?」
「さすがにフェネシス=イル=レーラじゃバレるからね」
IDカードに記載されている名前はフェネシス=ラインヴァンではないようだ。
それもそうだ。
ラインヴァンはフェネシスの本当の名前ではないのだから。
IDカードまでフェネシス=ラインヴァンであるはずがないのだ。
だが、問題なのはそこじゃない。
「ど…………どうしてそんなものを――」
「僕、ラインヴァンで一番偉い人だから簡単に作れました」
「……………………」
最早何も言えないラーディエンス。
職権乱用だと感じたラーディエンスに罪はないはずだ。
「フェネシス様、そろそろお時間です」
「このことはナイショにしていてくださいね?」
そう笑って言うフェネシス。
この日、ラーディエンスはフェネシスの意外な一面を見た。
フェネシスは案内された会議室に入った。
そこにはすでにアスガルドの三大賢者、行政庁ラルフ、司令官ラス、執行吏ロキと国王ニクラス=リーツ=アスガルドがいた。
「御機嫌ようアスガルド王」
「これはこれは、御機嫌ようラインヴァン卿」
フェネシスは後ろにシーファとラーディエンスを従えて挨拶をした。
そして用意されていた椅子に座る。
その後ろにシーファは立った。
ラーディエンスもそれを見習いシーファの横に立つ。
「今日はわざわざお時間をいただきありがとうございます」
「いやいや、わしはラインヴァン卿と違ってただのお飾りじゃからヒマじゃよ」
アスガルド王は笑ってそう言った。
「そんなことはないでしょう?」
「いやいや、そんなことはある。実際、ラルフ、ロキ、ラスの三人は睡眠時間を削って頑張ってくれておるが、わしは毎日安眠できておる」
申訳がないとアスガルド王は三人に誤った。
「そんなことはありません。我々は自分の意志でこの地位にとどまっています」
「そうそう。どんなに忙しくてもオレたちはそれを望んだ」
「罪もない子供を実験材料にするような腐った塵共を上層部に据えておくより自分がやった方がマシだと自負している」
「あんなものをいつまでも幹部に据えていたらアスガルドに未来はありませんしね」
「だからオレたちは権力を望んだ。それがたとえ一時の感情だったとしても、僕たちは帰るために地位と権力を望んだオレたちは望んだものを手に入れた。塵を排除し、上層部を変えた責任を負わなければならない」
「それが俺たちがここにいる理由。陛下が責任を感じる必要はどこにもありません」
フェネシスは三人の話を黙って聞いていた。
「――……今のお話は……」
アスガルド王は目を伏せた。
「――哀しいことだ。世界は異端者に優しくない」
そう言ったアスガルド王の言葉はフェネシスとラーディエンスの心に刺さった。
「――わが国もかつてはそうであった」
とても哀しそうな瞳をしていた。
彼は善人だ。
国王という地位にいながら救いあげることが出来なかった。
それを悔いている。
「国王様。気に病む必要はありません。あの塵たちは貴方を傀儡に仕立て上げた。とても長い時間をかけて――」
「アスガルド王を傀儡になんてとんでもないよね〜。ホント、塵の考えることにはロクなモノがない」
「そう。あれは陛下が玉座に着く前から巣食っていたアスガルドの闇……幼かった貴方が何か出来たとは思えません。だから気にする必要はありません」
「――……アスガルド王…………そんなことが――」
フェネシスは踏み込んではいけないようなアスガルドの黒い歴史の一端を知ってしまった。
それにアスガルド王は苦笑しながら言った。
「ヒトはとても愚かだ。そしてとても欲深い…………それはラインヴァン卿、貴方の方がよくご存じのはずです」
フェネシスは瞳を閉じた。
――そうだ……自分は知っている。
ヒトがどれほと愚かであるか……
ずっと……ずっと長い時の中この世界を見て来たのだから――
「ええ、知っています。とても……よく――」
フェネシスの表情に悲しみの色が宿る。
アスガルド王の種族は見る限りでは
フェネシスは思い出す……アスガルドは昔から中立の立場をとっていたが、微妙に黒い噂があった。
だが、ここ数十年くらい前からそういう話を聞かなくなった。
六百年近く続いていた黒い歴史に終止符をうつ……簡単ではなかったはずだ。
それをしたというこの三大賢者……見た目はまだまだ若いがかなりのつわものだ。
それに彼らの中の一人は
どれだけ生きているのかを推し量ることはフェネシスには出来なかった。
彼らは人間の姿をとっているだけで実際の姿は竜だ。
強いて言えば
見た目で年齢は計れない。
そしてここにはいない……十年ほどしか執行吏を務めてはいなかったが、非常に優秀だと言われているクラウスのことを思い出した。
彼の噂はよく聞いた。
天才と誉れ高い人物だ。
フェネシス自身は一度も会ったことがないが、悪い噂は一度もいいたことがない。
カインとアベルに訊ねても方向音痴と生命の紋章術が使えないのが唯一の欠点なとてもよく出来た人物だということだった。
蒼天神殿ヒミンヴァンガルにいる神官たちに同じことを聞いたが、皆、いい人だと言っていた。
蒼天神殿ヒミンヴァンガルで暮らしている孤児の子供たちのために多額の寄付もしているらしい。
これらのこと思い、フェネシスは決心した。
――やはりアスガルドなら……
……今のアスガルドなら…………彼らなら信頼するに値する。
そうあらためて感じた。
だからここにいる。
「ああ、申し訳ない、ラインヴァン卿。余計な話をしてしまいましたな」
「いえ……」
フェネシスは首を振った。
余計な話であるものか。
ヒトの痛みを知る者は優しくなれる。
だから、この話を……彼らに――
「……世界はいがみ合っています」
「――そうじゃな」
「――でも、今……そんなことをしている場合ではありません」
思い出されるのは浮遊島落下。そして――
「……深淵世界ドンケルハイトから魔物がごろごろ出てきているからな」
「ええ。頭の痛い問題です」
「こっちは浮遊島に物資搬入とかもあって忙しいっていうのに――」
三人の賢者の言葉にフェネシスは止まった。
「ドンケルハイト…………? 〈ミチ〉が開いたというのですか?」
こんな話は初耳だ。
後ろにいるシーファとラーディエンスは何の事だか解らない。
「――さすがは
「……魔物、魔族、堕神、堕天使……この世にある闇にとらわれた魂のいきつく一つの世界……この閉鎖世界ディヴァイアとは別の次元にある負の塊――」
「そうです。その〈ミチ〉が先日、魔王により確認されました」
「そんなものが!!」
フェネシスは歯をかみしめた。
フェネシスのこんな表情は初めて見た。
「それにしてもどうしてそんなことを――」
「そうですね。これはトップシークレットで我々三大賢者と国王様しか知りません」
「情報源は天使だ。今、物資の調達のため協力をしているからな」
「場所はエスターテ大陸の
情報の鮮度は抜群だ。
アスガルドによく来てくれる空間の守護天使や階級天使たちが
それは物資調達をしてくれているアスガルドへのささやかな礼だった。
本格的なお礼は破壊された浮遊島のシステムが完成した後に送ると言っていた。
一体何を送りつけてくるのかは知らないが……
そんなわけで情報をもらっているアスガルドは世界の中で一番優位に立っている。
情報はとても重要だ。
世界を動かすほどに――
フェネシスは思う。
――ここに来たのは間違いではなかった。
彼らに頼むのは間違いではない。
いや……彼らにしか頼めない――
フェネシスは顔を上げた。
「僕は十四ヶ国首脳会談を開きたいと思っています。」
四人はそんなフェネシスの話を静かに聞いていた。
「今、この世界は崩壊に向けて進んでいます……でも、僕だけでは…………蒼生天子とはいえ僕だけでは世界を動かすだけの力がありません。だから力を貸してください。貴方方の知る最高の伝手を使った情報とその協力者はきっと世界を動かせる」
最初はただ、世界を見て回りたいだけだった。
異変を感じ、見て回りたいと思った。
浮遊島落下の報を受け、見に行き、そして魔王たちに出会った。
そしてたどり着いたアスガルド……
ここに来たのは偶然ではなく必然だ。
フェネシスはそう思った。
「――世界を変えるための力を……」
フェネシスは立ち上がった。
「どうが、貸してください」
それを受けたアスガルド王も立ちあがった。
そしてフェネシスの側に行き、手を差し出した。
「そのお話はとても興味深い。どうぞ、我らにもう少し詳しくお教え願えませんかな?」
フェネシスは差し出された手を握り、笑顔で返した。
「ええ、ぜひ」
こうして
世界を守るために――