一ヶ月の旅路の末、ようやくニフェリート神殿に辿り着いた。
 その途中の平原には魔物らしい魔物は全くいなかった。
 小動物などはよく見かけたが、大型動物は気配はあるものの姿は見かけなかった。
 襲ってくる気配がまるでない。
 野生の動物の方が人間よりもよほど勘が良い。
 三人……特にアスモデウスとレヴィアタンの恐ろしさが解るのだろう。近づいては来なかった。
 遠くから見る限り、草食動物だけでなく肉食動物もいる。
 それでも四人は普通に歩いていた。
 森の中でも野生動物に襲われる事はなかった。
 バリショーイ・ヴォールク山のように危険な動物や魔物はいないようだ。
 そのまま森の中を突っ切り湖に出た。
 周囲に人がいないことを確認してから四人は翼を出し、飛び立った。
 それなりに広い湖だったが、四人は苦も無く飛んで渡りきった。
 少し海水(かいな)はきつそうだったが、それをアスモデウスとレヴィアタンがフォローした。
 そしてさらに森を順調に抜けてニフェリート神殿に辿り着いたのだ。
 森の中にひっそりと建っている神殿。
 それなりに大きい、白壁の建物だった。
 所々にステンドグラスがあしらわれている。
 こんな辺鄙なところに建ってはいるがさすが神が立ち寄る神殿。随分と精巧な造りをしている。
「ここにいてくれるといいのに」
 ぼそりとアスモデウスは呟いた。
「そう都合良くはいくまい。しかし、何かしらの手がかりくらいは欲しい所じゃの」
 レヴィアタンはアスモデウスよりも控えめに言った。
「そうですね」
 まだまだ先は長い。こんなところであまりたくさんの時間を割かれたくないというのが本音だった。
「まぁ、行ってみれば解ることだ」
 見た所この神殿は一般開放されているようだった。
 こんな所にそんなに人が訪ねて来るようには見えないのだが、扉が開放されているのを見る限りでは、そうなのだろう。
 まぁ、こちらとしてはありがたい。
 誰に咎められることもなく神殿の中に入った。
 扉を抜けた正面には礼拝堂がある。
 かなり広い。
 ここには神父やシスターがたくさんいる。
 奥まで見渡すと、他の神父やシスターとは少し違う服装をした人物が目に入った。
「あの人がここにいる人たちの中で一番偉そうだね」
「そうじゃな。あの人物に訊ねてみるとしよう」
「ああ」
「そうですね」
 四人は礼拝堂の奥へ進んだ。
 そして目当ての人物にアスモデウスは声をかけた。
「はい。何でしょうか?」
「ちょっとお尋ねしたい事がありまして」
 アスモデウスの発した言葉は敬語だった。
 その姿に驚くクラウスと海水(かいな)
「はい」
「大地神セシルティス様はここにいらっしゃいますか?」
 他所の世界に来てまでいらぬ波風は立てたくないという思いからだろう。
 だが、クラウスと海水(かいな)にはちょっと不気味に映った。
 ぼそり、と小声で呟く。
「――なんというか…………あまり似合ってないな」
「――そうですね。なんというか……物凄く違和感が……」
 そんな二人を見てレヴィアタンも頷いた。
「うむ。わしもアスモデウスが敬語なぞ使えるとは思っておらんかった」
 遠慮のない三人の会話。
 その会話はアスモデウスにはしっかりと聞こえていた。
   ――みんなわりと酷いなぁ……


 だが、アスモデウスの普段の行いを見てれば皆そう思うだろう。
「大地神様ですか? 申し訳ないのですが大地神様はこちらにはいらっしゃいません」
 この言葉に四人は落胆した。
「やはりそう簡単にはいかないようだな」
 ぽつりとクラウスは呟いた。
「そうですね」
 溜め息を吐く海水(かいな)
「まぁ、仕方なかろう」
 まだ一回目だ。
 あの地図にはかなりたくさんの丸が付いていた。
「そうですか」
「はい」
 それを聞いたアスモデウスは一礼してこの場を去ろうとした。
 仕方がない。ここは速やかに次の場所を目指すしかない。
 そう思い踵を返した時、思わぬ言葉が聞こえた。
「――つい二ヶ月前までこちらにいらっしゃったのですが……」
 ぴた。
 この言葉を聞いて四人は立ち止まった。
「え――」
 そして振り返る。
「――二ヶ月前まで……いた?」
 思わず呟く。
「はい」
 もしかして次の行き先を知っていたりするのだろうか?
 そう思ったアスモデウスは尋ねた。
「あの……もしかして…………次にどちらに行かれたかご存じだったりしますか?」
 願望がかなりこもっている。
「はい。確か次は……湖畔の聖堂に行かれるとおっしゃられていましたね」
 手がかりゲット!!
 四人は心の中でひそかにガッツポーズをした。
 神父はさらに続けた。
「大地神様はとても職務熱心なお方で、一つの聖域には短くとも一ヶ月は居てくださるのです」
 ありがたいことですと続けている神父の声は最早四人には聞こえていなかった。
 二ヶ月前に旅立ったということは、今は次の目的地にいるか、その次の目的地に向けて旅をしていることだろう。
 うまくいけば次の目的地で、それが駄目でもその次の目的地で確実に会えるだろう。
 四人は目配せすると神父にお礼を言い、そそくさとその場を後にした。
 そして外に出るとアスモデウスは地図を広げた。
 地面に広げて次の目的地を探す。
「見つけた」
「どこ? ここから近い?」
 アスモデウスが指差した場所を見つめる。
「うん。そう遠くはないみたいだよ。ほら、ここからさらに北に行った所にあるみたい。北にある森を越えてその先にある湖の畔にある」
「また湖があるのか」
 クラウスは故郷の隣にあるアスガルドを思い出した。
 あの国は水の国と呼ばれるだけあって湖や川なんかは掃いて捨てるほどある。
「見る限りそう困難な行程でもなさそうじゃの」
「うん。この距離だと……半月も歩けば着くんじゃないかな?」
 クラウスも地図を見てみるが、さっぱりだった。
「では急ぐとしよう。ここにいてもしかたがないからの」
「そうですね」
 アスモデウスは地図を畳んでしまった。
 そしてコンパスを見てこっちだねと案内する。
 クラウスにはとても真似の出来ない行動だった。




 ニフェリート神殿から湖畔の聖堂まで十八日かかった。
 森の中は相変わらず安全だった。
 動物はいるようだが、襲ってきたりはしない。
 ――なので、道中は何事もなく順調に進んだ。
 森を抜けるとそこには小さな湖があった。
 その畔に青い外観をした小さな建物があった。
 小さいといってもそれなりの大きさはある。
 ニフェリート神殿に比べると小さいが。
「ここだね」
「ここにいるかのぅ」
「日数的に微妙だな」
「でもまた次の行き先を教えてもらえるかもしれません」
「だね。行こう」
 聖堂の扉は閉まっていた。
 アスモデウスは自慢の怪力で思いっきり扉を叩き、ノックする。
「すみませーん!!」
 声もかける。
 しばらく待っていると、扉が開いた。
「はい。どちら様でしょうか?」
「大地神セシルティス様はここにいらっしゃいますか?」
 それを聞いた少女は少し困った顔をした。
「――……あの、少々お待ちください」
 そう言って扉を閉めてしまった。
「警戒されてるね」
「不審者に見えたんじゃろ」
「まぁ、仕方ないな」
「はぁ……」
 暢気な三人の会話に溜め息を吐く海水(かいな)
 しばらくするとこれまた偉そうな人物が出て来た。
「こんにちは。こたびはどのような御用件で大地神様にお会いしたいと申されますか?」
 これは返答次第では門前払いだ。
 どう説明したものかとアスモデウスが考えあぐねていると、クラウスがアスモデウスに声をかけた。
「アスモデウス。コンパスを貸してくれ」
「コンパス?」
 首を捻りながらもアスモデウスはコンパスをクラウスに渡した。
 コンパスを受け取ったクラウスはコンパスをひっくり返し、裏側を向けた。
 そしてその表面に手を触れスライドさせた。
 裏側を開いて出て来たのは綺麗な紋章だった。
 クラウスはそれを初老の人物に見せた。
「こ、これは――」
 それを見たアスモデウスはレヴィアタンの服の裾を軽く引っ張った。
 そして小声で聞く。
「あれ、何?」
「あれは三柱(みはしら)を探す時に役に立つだろうと言われ渡されたものじゃ。見た目はただのコンパスじゃが、軽く集中し、精神力を籠めて押すと蓋がスライドして開くようになっておる。中は神の遣いである証――紋章が掘りこまれており、あれを見せれば神に近しい者ならば誰でも力を貸してくれる」
「なるほど。やけに分厚くてコンパスにしてはちょっと重いと思ってたけど、そんな理由があったんだ」
「本物――!! し、失礼いたしました! ど、どうぞこちらへ」
 初老の男性はクラウスにコンパスを返すと建物の中に案内した。
 そして一つの部屋に案内される。
 紅茶や茶菓子、それに大きな地図が出て来た。
「申し訳ありませんがここに大地神様はいらっしゃいません」
 ああ、やっぱり……と、四人は思った。
 地図が出て来た時点で何となくそうではないかと思っていた。
「大地神様は今、ここにある天禮の祠にいらっしゃるはずです」
 そう言って地図を差した。
 山の上だ。
「半月ほど前、こちらに向けて出発なさいました。この天禮の祠に行くためにはこの山脈のここから登ることになります」
 そう言って現在地から行き方を懇切丁寧に教えてくれた。
「結構高そうな山だね」
「ええ、高いですよ。道幅も狭いので気をつけなければなりません」
「ここに魔物や獣はおるのか?」
「いえ。この山は聖域なので魔物や獣は棲んでいません。それどころか人一人いません」
「誰も……いない?」
「はい。天禮の祠は結界が施されており、何者も寄せ付けません。あそこは無人の祠です」
「無人……ね」
「ええ。お気を付けください。山は人を寄せ付けません。一歩間違えば――」
 奈落の底だ。
「わかりました。これだけお聞き出来れば十分です。ありがとうございます」
「どうか、お気を付けて――」
 挨拶をして四人は聖堂を後にした。
 そして北の森を抜け、山脈の入口に向かう。




「高くて険しそうな山ですね」
 剥き出しの岩肌。狭い道。
「これを登るんですか? 僕、平気かな……」
 海水(かいな)は山を登る体力もないし、運動神経も悪いと心配していた。
「心配しなくても平気だ。登らない」
「え?」
 何を言っているんだといった表情で海水(かいな)はクラウスを見た。
「うん。登らないよ〜」
 それに同意するアスモデウス。
 レヴィアタンも頷いている。
「え、あの……じゃあ、どうやって――」
 困惑する海水(かいな)にクラウスは一言。
「背中の翼は飾りじゃないだろう?」
「え?」
「都合良くここは人がいない」
「翼で飛んでも誰にも見咎められん」
「ああ!」
 なるほど、と海水(かいな)は手を打った。
「じゃ、行こっか」
 そう言って背中から紺色の翼を出した。
 レヴィアタンも金色の翼を出す。
 クラウスと海水(かいな)はケープを外した。
 そして大地を蹴る。
 空高く飛び、天禮の祠を探す。
「お、あれかな?」
 空から見ると小さな祠があった。
「あそこにいなかったら振り出しだ」
「居場所を知っとる者がおらぬからのぉ」
「じゃ、レッツ・ゴー」
 四人は天禮の祠に降り立った。
「ここが……ここに……――」
「結界が強くて中にいるかわかんないね」
「入ってみるしかなかろう」
 するりとクラウスとレヴィアタンは結界をすり抜けた。
 アスモデウスも後に続く。
 ガン。
「…………」
 だが、やはり、海水(かいな)――
「ここも無理か」
 ここは蒼碧神殿と同じ結界が張ってあるらしい。
 海水(かいな)が落胆していると――
「誰かいますね」
 祠の中から一人の男性が出て来た。
 身にまとっている空気は神聖そのもの。
「やっと見つけた。大地神セシルティス」
 アスモデウスの声が山の中に静かに響いた。