一応会議は終了した。
 アービトレイアでは何も解決できないという実に不甲斐ない結果だったが。
 それをアシリエルとグラキエースに伝えるために三姉妹は通信室に行った。
 バール=ゼブル、ベリアル、ベヒモスの三人はそのまま帰らず、客間の一つに移動して寛いでいた。
 そのまま帰る事も出来たが、現世界が気になるため帰るに帰れなかった。
 ディヴァイアとアービトレイアは運命共同体。
 ディヴァイアに何かあればここ、アービトレイアもただでは済まない。
 だからしばらくは様子見だ。
「二人はドンケルハイトについてどれくらい知っている?」
 ふと、バール=ゼブルは気になっていたことを尋ねた。
 ドンケルハイトと直通していると思われる〈ミチ〉の存在にそれほど脅威を抱いているようには見えなかったからだ。
 これがアスモデウスやレヴィアタンならアシリエルやグラキエース以上に騒ぎ始めたはずだ。
 彼らはバール=ゼブルと同じようにあれがどんなものなのか識っている。
 だが、この二人にはそれがない。
 だから、不安が過ぎる。
「……あんまり知らねーな」
「魔族や魔物の巣窟ということぐらいしか」
 それは肯定で示された。
「そう……」
 忘れられていくのだ。
 語られることのない古い出来事は、少しずつ、確実に……
 これが普通の魔皇(まこう)族ならまだいい。
 識らないとしても、許容範囲だ。
 しかし、この二人は魔王なのだ。
 識っていなければならない。
 ……識らないでは済まされないのだ。
「話してやろう。貴公らは識っていなければならない」
「識っていなければ、ならない?」
「そう……これは、アスモデウスとレヴィアタンなら、我と同じ位には識っている。彼らは先代の魔王から話を受け継いだのだから……そして、グラキエースやアシリエルだってそれなりに識っていること…………二人は若いから識らないのだろう。だが、識らなかったでは…………済まされないこともある」
 識らなければ対応が疎かになる。
 それは――許されない。
「教えて、一体何がそんなに…………怖いの?」
 バール=ゼブルは頷いた。
「深淵世界ドンケルハイトを創ったのは独りの存在だった」
「独りの……存在?」
「そう……その存在は世界が誕生し、繁栄することに呼応するように育まれ、成長してしまったものだ」
「――……ドンケルハイトを創ったのは……魔族じゃ、ない?」
 それを聞いたバール=ゼブルは首を振った。
「違う……………………あれは……そんな生易しいものではない」
 バール=ゼブルは金の瞳を伏せた。
「あれは――――ヤミ=v
「ヤミ=H」
「そう……ヒトの…………この世界に生きる全ての者たちの負の感情を糧に成長し続ける存在――」
「負の感情? そんなものなんかで成長したら――!」
「そう……良いものであるはずがない」
 バール=ゼブルは断定した。
 ――そう、結果はもう出ている。
 最悪の結果で――
「一人一人の負の心は微量でも世界規模で見てみればかなりの力になる。あれはそれを吸い上げて成長した」
「それが、ドンケルハイトを創った?」
「そう……あれは無≠ゥら生まれた災厄……六創神(ろくそうしん)にも引けを取らない力を持った深きヤミ――」
六創神(ろくそうしん)にも!?」
「そう……六創神(ろくそうしん)でも倒せなかった」
「そんなものが存在するというのか!?」
「哀しいことだが、存在する」
「そんな……」
「あれは負の感情を糧にしているといっただろう?」
「ああ」
「だから、常に成長している」
 そう……今現在も――
六創神(ろくそうしん)はその成長し続け、力を増し、どんなに深い傷を負っても回復してしまうこの存在を倒せなかった」
「ヒトの心に蓋は出来ない……か」
六創神(ろくそうしん)の創った世界があれに力を与えてしまったのか……」
 苦々しげな表情の二人。
「……そう……あれを…………あの存在を創ったのは間違いなくこの世界に生きる者たちだ」
 あれを創ったのがヒトならば、あれに力を与えているのもまたヒトなのだ。
「真なるヤミの王……だから真王(しんおう)と呼ばれている」
真王(しんおう)……」
「……真王(しんおう)…………それがこの全世界の敵の呼称――」
 それが、かつて、世界を混沌に陥れた――
「世界は真王(しんおう)によってほろびかけた……それを憂いた六創神(ろくそうしん)の一人、オルクス=マナ=フリュクレフは自身を犠牲にして、封印したと言われている」
 これもどこまで真実を謳っているのかはわからない
「……でも、ドンケルハイトへの〈ミチ〉は繋がっている。
 その話が本当なら――一体、誰が?」
「それに、オマエさっき言ったよな? 真王(しんおう)か、真王(しんおう)に力を貰った何者かが創った、と」「そうだ。封印は……おそらく――――解けている」
六創神(ろくそうしん)の一人が封印したのに?」
「それでも……人の負の感情はなくならない」
「まさか――」
「それに、永遠に壊れないモノなど存在しない……長い時間をかけて、少しずつ弱まっていく封印、けして無くならない負の心……それがいつしか封印を打ち破ってしまったのだろう」
 真王(しんおう)を生んだのはヒト――
 真王(しんおう)に力を与えたのもヒト――
 真王(しんおう)の封印を解いたのもヒト――
「これはヒトが向かい合わなければならないヤミ」
 誰しも人ごとでは済まされない……
「二人とも、よく覚えておくと良い……これが、真王(しんおう)――――世界の、敵」
 二人は、頷いた。
「さて、真王(しんおう)一人でもとてつもなく厄介だという事は十分に理解しただろう? 次はドンケルハイトについて、だ」
真王(しんおう)が創った世界がドンケルハイトなのだろう?」
「そうだ。真王(しんおう)はとても強い力を持っている。世界を一つ創るくらいはわけないだろう」
 実際、六創神(ろくそうしん)も力を合わせて世界を創った。
 今現在、行方が知れない六創神(ろくそうしん)の一人、フェナカイト=レッドベリル=ラーフィスも世界を一つ創って籠っているという話だ。
 六創神(ろくそうしん)が倒せなかった真王(しんおう)が創れても不思議ではない。
「ドンケルハイトは真王(しんおう)がヤミに堕ちたモノを集めるために創った世界だ」
 真王(しんおう)はありとあらゆる場所からヤミに堕ちたモノを、魂を集めた。
「一般的に堕神、堕天使、魔族、魔物と呼ばれているな」
 そんなモノたちを集めて力を蓄えた。
「あそこにいる魔族や魔物の総数は半端な数ではないというけど――」
「それはそうだろう。真王(しんおう)は、おそらく魔族や魔物を創ることが出来る」
「何?」
 これはバール=ゼブルの推測だった。
「昔……アシリエルの前任だった死王サルワが零していたことがある」
「何を?」
「……重犯罪者の魂がごっそり消えた――と」
「はぁ!?」
「いや、そんな……消えるなんてこと――」
 それを聞いてハッとする二人。
「……まさか、ドンケルハイトに引き込まれた?」
「何のために? いくらヤミに堕ちてるとはいっても人間や亜人の魂なんて役に立たないだろう?」
 死界にいるのは罪を犯した人間や亜人の魂だけだ。魔族や魔物、堕神や堕天使などはバール=ゼブルの管轄である深淵界にいる。
「だから、創っているのではないかといっている」
「おい、まさか、歪んだ魂から魔物を創っている――と?」
「可能性だ。二人も言っていた通り、普通の魂では役に立たないだろうからな」
「……それをイセリアルでもやっているとなると……」
「かなりの数になるな」
「向こうの世界でも堕神、堕天使、魔族、魔物等を……いや、向こうが……イセリアルが中心なのか?」
「結局、わかるのはかなりの規模ということだけだね」
「ここ、監視世界アービトレイアよりも大きいかも知れんな」
 下手したらディヴァイアと同じくらいはあるかもしれないと、空恐ろしいことを述べるバール=ゼブル。
「それに、イセリアルの神は惑星神だしな」
「――? それが何だ?」
「ディヴァイアにいる万物神などより遥かに強い。そんな惑星神が堕神になったら、魔族並の能力を有するかもしれないぞ」
「げっ――」
 まぁ、あくまで可能性だ。
 魔皇(まこう)族は元々戦闘能力に特化した雑多な種族なのだから。
「つまり、ドンケルハイトは数もさることながらそれなりに強敵もいる――と?」
「だろうな」
 そして溜め息を吐くバール=ゼブル。
 それに嫌な気配を感じる二人。
「――まだ、何かあるのか?」
 もうたくさんだという声が聞こえてきそうだ。
「まぁ……な」
 歯切れが悪い。
 バール=ゼブルにしては珍しいことだ。
「我が管轄している深淵界がどういう所かは知っているだろう?」
「そりゃあ、まぁ……」
「おいおい、まさか――!?」
 ベリアルは非常に嫌な予感がした。
「そう……深淵からも、魂が消えている」
 それは結構シャレにならない。
「かなり強い魂もあったが……」
「死界と同じようにごっそり?」
「いや、違う」
 バール=ゼブルは首を振った。
「ごっそりいなくなったわけではない」
「じゃあ、強い奴とか?」
「うむ…………多分それも違うな」
「じゃあ何だ?」
「――強い弱いに関係なく消えているからだ」
「それじゃあ……?」
「今だから言える」
「――――?」
 いきなりそんな事を言うバール=ゼブルを不思議そうに見つめるベリアルとベヒモス。
「昔はこの消えた魔族、魔物、堕神、堕天使の共通点がよくわからなかった。
 そう……今だから言える」
「それは?」
「全員、心に底知れないヤミを抱えている……と、いうことだ」
「おいおい、それじゃあ――」
「そういうものを選りすぐって連れて行った可能性も否定できない」
 思いすごしであればいいと、思う。
「一体、いつから真王(しんおう)が活動しているんだ?」
「……わからないな。それに、戦力を集めていたのが真王(しんおう)とも限らない」
「そうか、そんなこと、他の奴にでも任せておけばいいだけだしな」
「では誰が?」
真王(しんおう)には真王(しんおう)のために動く忠実な部下がいるのだろう」
「そうか……確かに、手駒の一つや二つなくては困るよね」
 だとするならば――
「そいつ……どんだけ生きてんだよ」
 おそらく自分では到底推し量ることのできないほど生きているという事だけは確実だ。
「それって……真王(しんおう)と同じく油断ならない上にかなり気をつけなきゃいけない存在だってことだよねぇ」
「そうだな」
 敵はとてつもなく手強い。
「おい、そんなものがいる〈ミチ〉を放っておいて大丈夫なのか?」
 まずくないかとベリアルは言う。
「無論、拙い」
 まずいに決まっている。
「こんな時、頼りになるレヴィアタンとアスモデウスがいないのは痛手だ」
 それを聞いたベリアルは眉を寄せた。
「レヴィアタンはともかく、アスモデウスが頼りになるか?」
「ベリアルはあの一見した性格に騙されてるぞ」
 確かにアスモデウスは面倒臭がり屋な上に女好きだ。
 いつもやってられるかとばかりに最低限の仕事しかしない。
「アスモデウスは先代の冥王アジ=ダハーカに目をつけられ、何故冥王になることになったのか……それを知っているのは本人とレヴィアタンぐらいだろう……だが、あの男は見た目以上のやり手だ」
「強いというのはわかっているんだけどね」
「強いに決まっている。魔眼もあるし、図体もでかい。それになにより、ヤツは経験豊富だ」
「ボクたちでは力はあっても経験という一点でいえば圧倒的に無いからねぇ」
 なんせ彼らが生まれたのは冥界の門が閉じてからだ。
「アスモデウスはああ見えて、頭がキレる。そして口も堅い」
「口……堅いのか?」
「堅いな。本当に大事で拙いことになるならば、そう簡単に言いふらしたりしない。ある程度自分で情報を収集し、判断してから話す。場合によっては聞かれるまで話さないこともある」
 ベリアルとベヒモスにとって、このバール=ゼブルの言葉は意外だった。
「貴公らはまだ付き合いが浅いからあの男の恐ろしさが理解できていないのだ。あれは、第一印象ほど使えぬ男ではない」
 破壊力だけで冥王をしているわけではない。
 ああ見えて探査も技術もそれなりに使える。
 封印系の能力が以上に低いが、他は凄い。
 二人はそう言われてもあまりあのアスモデウスに結び付かなかった。
「――年の功とはよく言ったものだ」
 いない人物のことをいつまでも言っていても仕方がない。
「我では判断しかねる」
 そう言って溜め息を吐いた。
「しばらくは、様子を見るとしよう」
 もし、それで何かあったら……手遅れになる前に手を打たなければならない。