予想通り六ヶ月ほどかけて断崖絶壁に辿り着いた。
「やっぱり遠かったね」
「そうだな」
 崖の端に立って下を覗き込むアスモデウス。
「ここから深海界に行くんですよね」
「そうじゃ」
「セシルは海の中なら羽根出してても問題ないって言ってたね」
「――というかここにいるのって人魚族とか半魚人とか水龍族とかしかいないからどちらにしろすぐに見分けられるって言っていたしな」
「じゃあ泳ぎにくいので帽子とケープはしまっておいた方がいいですね」
 海水(かいな)は帽子とケープを脱いでアスモデウスに渡した。
「うむ。そうじゃな」
 レヴィアタンも邪魔だと判断し、アスモデウスに押し付けた。
 何故、アスモデウスに渡すのか……それは、みんなの着替えの入っているバッグを持っているのがアスモデウスだからだ。
「クーはどうする?」
「俺はこのままでいい。どうせ結界で濡れることはないだろうし……」
「そっか……僕もこのままでいいや」
「レヴィアタンと海水(かいな)は素潜りか?」
「はい」
「うむ」
「なら、荷物を貸してくれ。濡れると拙いものもあるだろう?」
 そう言われて気づく。
「あの、じゃあお願いします」
 海水(かいな)はおずおずと荷物を差し出したが、それをレヴィアタンが横からひょいっと取り上げた。
 そして自分の荷物と一緒にアスモデウスに押し付ける。
「………………………………なんで、僕?」
 やや憮然とした表情で受け取るアスモデウス。
「力仕事はお主の担当じゃ」
「むむむ……」
 そう言われては仕方がない。

   ……  δ ε ς ε ξ η ε μ δ ε ς ν ι γ θ ζ α μ μ τ χ ι ς δ ι ξ ε ι ξ ε ν α υ ε ς δ ε σ μ ι γ θ τ ε σ υ ξ δ ι ξ α β σ ο μ υ τ ε ς φ ε ς τ ε ι δ ι η υ ξ η ø υ σ γ θ μ α ζ ε ξ ε ι ξ η ε χ ι γ λ ε μ τ

 それを全く気にせず、横でクラウスは結界を張った。
   ――光に包まれて眠る天使


 しばらく眉を寄せて調整をしていたが、満足のいく結界なったのか、よしっ――と言って維持に入った。
「クー、凄いね」
 僕も負けてられないや、とアスモデウスも同じように結界を張る。

   ……  δ ε ς ε ξ η ε μ δ ε ς ν ι γ θ ζ α μ μ τ χ ι ς δ ι ξ ε ι ξ ε ν α υ ε ς δ ε σ μ ι γ θ τ ε σ υ ξ δ ι ξ α β σ ο μ υ τ ε ς φ ε ς τ ε ι δ ι η υ ξ η ø υ σ γ θ μ α ζ ε ξ ε ι ξ η ε χ ι γ λ ε μ τ

 繊細な維持能力が必要とされる結界。
 ただ張ればいいというわけではない。
 いかに精神力を無駄遣いせず、長期間晴れるかにかかっている。
   ――光に包まれて眠る天使



 適当に張ると後で自分につけが回って来る。
 アスモデウスは眉間に皺を寄せつつ結界を調整した。
「こんなものかな……」
 はぁー、と思いっきり溜息を吐く。
「こういう繊細なの向かないよ」
 そう愚痴るアスモデウスの結界はクラウスの結界に比べて無駄が多く燃費は明らかに悪そうだ。
 だが、アスモデウスにはこれ以上緻密な調整は出来ないので諦めるしかない。
「ふむ。アスモデウスの準備も済んだようじゃな。では、行くか」
「そうですね」
 レヴィアタンと海水(かいな)は躊躇いなく海に飛び込んだ。

 ――じゃぽん。

 その後にクラウスとアスモデウスも続いた。

 ――じゃぽん。




 しばらく何もせずそのまま沈む。
 次第に辺りが暗くなり、太陽の光さえ届かない闇に覆われる。
 そしてゆっくりと海底の底に着地した。
「ここが深海界……」
「ピンクの大きな珊瑚はどこかな?」
 見渡してみても見当たらない。
「思っていた以上に暗いな」
 浅いと言っても、やはり海の底。
 夜のような暗さが周囲を覆っている。
「星も出ない夜のようです」
「これでは見つけるのは難しいの」
 暗いため、ピンクの珊瑚を探すのが難しい。
「明かりが必要だな」
 クラウスはそう呟くと荷物をあさり始めた。
 そしてランプを取り出す。
「ランプ? でも、水中で使えるの?」
「火は使わないからな」
 黄色い石を二つ、見せた。
 そして石同士を叩く。
 ――すると、ぼんやりと光り始めた。
「それって、もしかして、“煌煌石”?」
「ああ」
 クラウスは頷いた。
「煌煌石?」
「衝撃を与えると光り始める石だ」
 クラウスはそう言って手に持っていた煌煌石の一つを海水(かいな)に手渡した。
 海水(かいな)はそれを不思議そうに見ている。
 クラウスはもう一つの石をランプの中に入れる。
 そして軽く振った。
 すると一気に眩いほどの光が溢れた。
「うわぁ……」
「衝撃を与えれば何度でも光り輝く」
「凄いですね。どういう仕組みなんですか?」
 海水(かいな)は不思議そうに石を軽く振って見ている。
「昼間、太陽の光を吸収する。衝撃を与えるとその蓄えた光を放出するんだ」
「え? じゃあ蓄えられた光を放出しきったら光らなくなっちゃうんですか?」
「うむ。その通りじゃ」
 海水(かいな)は手に持っている石を見た。
「でも、何度でも繰り返し使えるから便利だそ」
「そうかもしれないですけど……ここじゃ、消えたら終わりですよね?」
 それを聞いたクラウスはあっさりと言った。
「そんなことはないぞ」
「え?」
「クーがいるから暗がりでも使い放題だね」
「光の紋章術で光量の充填が可能じゃ」
「ああ、なるほど」
 海水(かいな)はもう一度石を見てからクラウス 返した。
「冥界にも似た石がたくさんあるんだよねー」
「似た石? 同じ石ではなく?」
「アービトレイアはディヴァイアのように昼はないからのぅ」
「いつでも薄暗いよー。星と月がいつでも綺麗だね」
 笑いながらアスモデウスは言った。
「だから太陽の光を吸収する煌煌石はあったとしても解らんの」
「冥界にあるのは月の光を吸収する月光石だね。煌煌石見たいに眩しく光ったりしないけど薄緑色にぼんやり光るんだよ」
「へぇ……」
「綺麗でしょうね」
「地面一体その石の場合は結構凄いよ」
「見てみたいです」
 海水(かいな)は興味津津だ。
 だが、ふと呟いた。
「神界はいつも昼間ですから天界に来る時ぐらいしか見たことがなかったんですよね」
「…………それ、眩しくないの? 寝る時とか」
「寝る場所は建物の中にあるので大丈夫ですよ」
 それはそうだろう。
 外にあるはずがない。
「じゃが、ずっと闇に慣れておるわしらにはちと明る過ぎるかもしれんのぉ」
「じゃあ、今のこの暗闇とかは平気なんですか?」
「平気だけど、月と星の光があるからもっと明るいよねー、レヴィ」
「そうじゃな。それに魔皇(まこう)族は昼も夜も関係ないからのぉ」
「夜だから寝るっていうわけじゃなくて、好きな時に寝てるよね」
「それが毎日規則正しくなされればそれが生活習慣になるからの」
「でも、魔殿働いてるとどうしても朝起きて夜寝るようになるよね」
「朝というても真っ暗じゃがの」
「時間を気にするのは公務員ぐらいのものなのか?」
「そうじゃな」
「いつでもくらいから時間なんて基本的に気にしないんだよね」
「ああ、それはわかります」
 海水(かいな)がそれに同意した。
「外を見てもいつも同じなので時計を見ないと時間が解らないんですよね」
「そうそう。自分ではまだ平気だと思ってても全然大丈夫じゃなかったりするんだよね」
「明るくなったり暗くなったりするのが当たり前だと少し混乱するかもしれませんね」
「落ち着かないじゃろうな」
 こういう感覚は普通に暮らしてきたクラウスには到底分らないものだった。
「いつまでもこうしてここで話していてもしょうがないよね。明るくなったことだし、そろそろピンクの珊瑚でも探そっか」
「そうですね」
 明るくなった周囲を見回してもピンクの珊瑚は見つからない。
「もう少し先にあるのか?」
「じゃあ少し移動してみる?」
「はい」
 海水(かいな)はコクリと頷くと改定を蹴った。
 そしてフワリと浮き上がり軽々と泳ぎ始める。
 レヴィアタンも軽々と泳いでいる。
 二人とも服を着たまま潜っている割に随分とスムーズに泳ぐ。
 クラウスがその後に続く。
 クラウスは術を使っているので水の抵抗は無い。
 アスモデウスも後に続いたが、少し動きにくそうだ。
 これが結界の違い。
 水の抵抗が大きいのだろう。
 溜め息を吐きながらついて行く。


 そしてしばらく泳ぐと、目の前に目的の物が見えた。
 それは…………予想以上にデカかった。
「…………レヴィが小さく見える」
 身長が一番大きい……二メートル近いレヴィアタンが小さく見えるほどの珊瑚がずらりと並んでいた。
「これだけ大きい珊瑚がずらりと並んでると壮観だね」
「確かに」
 街路樹の変わりなので勿論ずらりと並んでいる。
「レヴィアタンの六倍くらいありそうだな……ということは一ウェールぐらいあるのか……」
 ぼそりとクラウスが呟く。
「ウェール?」
 彼の言った単位がわからずハテナマークを飛ばす海水(かいな)
「ああ、一ウェールは約十三メートルだ」
「うむ……確かにそのぐらいはありそうじゃな」
 見上げても下からでは天辺が見えずらい。
「ここまで大きい街路樹だとは思わなかったね」
「……まぁ、よく目立つじゃろうが……」
 するりとアスモデウスが街路樹珊瑚の間の道に入る。
「――で、どっちに行こっか?」
 道は両脇にずっと続いている。
 どちらの先にも街らしきものは見えない。
「アスモデウスさんはどっちだと思います?」
「僕? 僕はあっち!」
 そう言って右側を差した。
 それを見たレヴィアタンはクラウスに尋ねた。
「クラウスはどちらじゃと思う?」
 クラウスは方向音痴だ。
 そんなクラウスに聞いてどうしようというのか?
 だが、クラウスは少し考えてから答えた。
「俺は……そっち」
 そう言って左側を指差した。
「……え、ええと――」
 海水(かいな)はどうしようか迷った。
 だが、レヴィアタンはキッパリ言った。
「ではそっちじゃな」
「え!? レヴィは僕を信じてくれないの!?」
 ショック! と頭を抱えるアスモデウス。
 クラウスも自分で言っておきながら目を丸くした。
「わしはお主を信頼しておらぬわけではないが、こと運に関しては見放されておると確信しておる」
 その言葉が矢のようにアスモデウスに突き刺さった。
「そ……それは――」
 しばらく視線を彷徨わせていたアスモデウスだが、思い当たる節が多々あるのか、がっくりと肩を落とした。
「――確かに……僕って運ないよね……」
「じゃからお主の言う方向はちと微妙じゃ。今回はクラウスの言う方に行ってみるぞ」
「うん」
 アスモデウスも頷いたので四人はクラウスが言った方へ向かって泳いだ。


 そしてしばらく泳ぐと街が見えて来た。
 無事に深海界の街の一つについたようだ。