水の制御システムの構築は頓挫していた。
状況はかなり悪い。
あの〈ミチ〉はそれほど厄介なものだった。
「だんだん、あの〈ミチ〉から出現する魔物が増えてきています」
「そう……」
「天使ではもうキツイですね」
「仕方がありません。元々天使は戦闘向きではありませんから」
「足手まといになる前に退場してもらうか」
それを聞いたグレシネークの表情が曇る。
「でも、いくらなんでもあの数を一人で相手するのは――」
流石にキツくなってきたと愚痴る。
「グリンフィールも病み上がりですし……私も戦闘は余り得意ではありません」
「そうだな」
グラキエースはグレシネークを見てそう言った。
グレシネークは腕と足に包帯を巻いている。
魔物と戦って出来た怪我だ。
「……申し訳ありません」
その視線を受けて謝るグレシネーク。
「普段から身体を動かしていないと駄目ですね」
身体が鈍ってしまってとぼやく。
「このままでは魔族が入り込んでくるのも時間の問題ですね」
「そうだな……」
今、現場にいるのは病み上がりのグリンフィールだ。
だが、彼も万全ではない。
動いても大丈夫なほどに回復したからだ。
怪我は完治していない。
「何も起こらないといいが――」
「そうですね」
戦力が足りない。
余計なことが起こらないに越したことはない。
グリンフィールは
「キリがないな」
舌打ちしながら呟いた。
――ぞく……
悪寒が走った。
――……嫌な…………とても嫌な気が――
そう思った時、グリンフィールは叫んだ。
「〈ミチ〉から離れろ!!」
その声に驚きながらも天使たちは下がった。
そして、一瞬にして場の気配が変わる。
スッ――
〈ミチ〉から……腕が出て来た。
ニタ。
コワれた笑みを浮かべたモノが出て来た。
「魔族――」
グリンフィールの瞳が鋭くなる。
「一人だけじゃないな……」
どう考えても、この場を満たしている嫌な気配は一人や二人ではない。
「今すぐ現王様に……いや、
魔族が侵攻して来たと!!」
「は、はい!」
近くにいた天使に連絡を頼むと手に持っていた断罪の大鎌エンタウプトゥングを
そして瞳を閉じる。
「皆殺しにして、あげる」
そう言ったグリンフィールの青い瞳が妖しく光った。
そして彼を中心に風が吹き荒れる。
ぐにゃりと、グリンフィールの輪郭が崩れた。
〈ミチ〉から次々と魔族が出てくる。
そして天使たちはグリンフィールと〈ミチ〉から急いで離れる。
「グォオォオ…………」
大地を揺らす咆哮。
風が止み、そこに圧倒的な存在感とプレッシャーを放つ存在が佇んでいた。
その見た目は竜……緑色のドラゴンだ。
だが、その身体を覆っているのは強靭な鱗ではなく、ふさふさとした見た目ながらに硬い羽毛。
バサリと大きく広がっているのは鳥のような大きな翼。
翼の外側と内側の色が違っている所まで鳥にそっくりだ。
長くのびるその尻尾は先が矢じりの刃の部分のように尖っている。
尾の先だけ逆毛なのだ。
頭には枝分かれした鹿のような角が生えている。
その瞳は人の姿をしている時と同じ青い色をしており、身体の色も髪の色と全く同じ若草色だ。
そのグリンフィールの鋭い眼差しが魔族を射抜く。
「生きて帰れると思うな」
そう冷たく言い放つと魔族に攻撃をしかけた。
その際、周囲に対する影響は全く考えていない。
巻き込まれては堪らないと天使たちは皆避難する。
グリンフィールは群れていた魔物をその大きく長い尾で薙ぎ払った。
取り敢えず今後どうするか相談をしているグラキエースとアシリエルだが、どうすることも出来ないことぐらい、とっくに理解していた。
故に、話し合いは遅々として進まなかった。
今の状況で制御システムの構築を始めたとしても集中できない。
そして中断するのが目に見えている。
そうなると時間の無駄遣いだ。
「やはり、オレかアシリエルのどちらかも紺寂の森に行った方がいいかもしれないな」
「ええ、そうですね。ここでこうしていても仕方ありません」
ゴンゴン!!
「ん?」
軽くノックという可愛らしいものではない。
思いっきりドアを叩いている。
「失礼します!」
そして返事も待たずに入ってきたのは
最近はちゃんと休息を取らされているため、顔色はだいぶ良い。
だが、その表情は焦燥感に染まっている。
「どうかしたのか? 天使長」
「非常事態です!」
「何があった?」
「〈ミチ〉に魔族が多数出現。グリンフィールさんが真の姿で抗戦中――」
「グリンフィールが!?」
「でも、グリンフィールは病み上がりで――」
「あのバカ――」
「ごめんなさい」
思わず舌打ちしたグラキエースに
「何故、オマエが謝る?」
「彼は……天使たちを守るためにあそこで一人、戦ってくれています」
悲しげに伏せられる瞳。
「役に立たない、僕たち天使のために……」
「気にするな」
「ええ、それが役目ですから」
「天使は……世界調整者だ。荒事は専門外だろう?」
「荒事は我々世界管理者の役目です」
「グレシネーク、オマエはここに残れ」
「…………はい」
怪我をしているグレシネークは悔しげに返事をした。
「ではグラキエース、お願いします」
「ああ」
グラキエースは返事をすると印を組んだ。
…… ε ι ξ γ μ ο χ ξ χ α ξ δ ε ς τ ι ξ ς α υ ν υ ν θ ε ς υ ξ δ φ ε ς μ α σ σ τ ε ι ξ ε σ π υ ς
急いで移動する。
グリンフィールが無茶をしでかす前に――
――空間を渡る道化の軌跡
紺寂の森ブラオアインザーム。
グリンフィールは探さなくともすぐに見つかった。
彼の真の姿は…………かなり大きい。
緑の竜が暴れている姿は嫌でも目に入る。
「グリンフィール!!」
紋章術を放ち、尾が凶器となって空を斬る。
真の姿になったグリンフィールの放つ紋章術の威力と効果範囲は半端ない。
だが、所々から出血している。
魔族との戦闘で新たについた傷もあるだろうが、無理をしたために開いた傷もあるだろう。
「あいつ……」
「無茶をしていますね」
それを見たアシリエルは冷静に言い放った。
「そうだな」
「貴方も見習って欲しいくらいです」
「ぐっ――」
言葉の刃がぐさりと刺さる。
「まぁいいです。加勢しましょう。数が多いです」
「そうだな……
これ以上無茶をされてまた倒れられたら困る。
グリンフィールはオレでも重くて運べん」
そう言いながら武器を出す。
「我が力にして必滅の柩――
我に従い形となせ――
<霊魂の杖ゼーレンクヴァール>」
「確かに、重そうですね。でも、そんな事にはなりません」
言いきるアシリエル。
「我が力にして必滅の刃――
我に従い形となせ――
<紫刃の大鎌フェルシュウィンデン>」
そして背中から翼を出す。
「私たちがいます」
「そうだな」
バサリと、グラキエースも翼を出した。
「――終わらせてやる」
「当然です。魔族にかける情けなど不要」
二人はグリンフィールに加勢するため、魔族に向かっていった。
…… δ ι ε χ ο ς τ ε ς σ γ θ ι ξ τ ο ι σ τ ι σ γ θ ε ς π ς ι ε σ τ ε ς σ γ θ α ζ τ δ ι ε δ υ ς γ θ σ γ θ υ μ δ σ γ θ μ ι ε σ σ ε ξ
杖を構え、印を組むグラキエース。
その側でアシリエルが鎌を振り回す。
――
グラキエースは紋章術を使って戦う後方支援型だ。
アシリエルやグリンフィールのように直接攻撃はあまり得意ではない。
「グリンフィール! 戻れ!!」
真の姿で暴れまわるグリンフィールに声をかける。
そのまま暴れられるとこちらまで被害を被る。
さすがにあの巨体に弾き飛ばされるとただでは済まないだろう。
そんなグラキエースの声を聞いたグリンフィールはハッとしたように振り向いた。
目の前の敵に集中し過ぎて二人が来たことに気付かなかったようだ。
普段ならそんな事にはならない。
味方に気づかないなど、あってはならないことだ。
それほど、グリンフィールは追い詰められていたという事――
グラキエースとアシリエルの二人を見たグリンフィールは人の姿に戻った。
「現王様――」
「少し下がれ」
「はい」
大人しくその指示に従うグリンフィール。
入れ替わるようにアシリエルが前に出る。
「紋章術は使えるな?」
「はい。平気です」
怪我をしてちょっとボロボロなグリンフィールだが、力強く頷いた。
「ならオレの後ろから補佐しろ!」
「はっ」
そういうグラキエースもあまり前に出ない。
はっきり言ってグラキエースは戦闘が得意ではない。
アスモデウスのように戦闘能力を買われたわけではないからだ。
グラキエースが目をつけられたのは類稀なる技術系の能力だ。
そのため、接近戦ではグリンフィールに遥かに劣る。
…… δ ε ς λ α τ θ ο μ ι σ γ θ ε π ς ι ε σ τ ε ς δ ε ς ε ι ξ ε ξ σ γ θ ι ε δ σ ς ι γ θ τ ε ς β ε σ ι ε η τ
なので、後方から紋章術で戦うのは当たり前のことだった。
――裁きを下す使徒の嘆き
当然、グリンフィールの紋章術よりも速く威力も数段上だ。
そんなグラキエースの後ろでグリンフィールも紋章術を放つ。
これが本調子の時ならグラキエースの後ろに下がったりなど、絶対にしないのだが、今は病み上がりで調子も良くない。
そんな状態でグラキエースの指示を無視する程の無謀さはグリンフィールにはなかった。
それにアシリエルもいるので無理などしなくとも大丈夫だろう。
現に、魔族は確実に数を減らしてきている。
最も、いるのは魔族だけではなく魔物もたくさんいるのだが、魔物は彼らにとって脅威になりえない。
しばらく戦闘を繰り返していると、やがて魔族はいなくなった。
「ようやく終わりましたね」
「ああ」
だが、これで終わりではないだろう。
それを思うと頭が痛かった。