バール=ゼブル、ベリアル、ベヒモスの三人はあの会議の後からずっとアスフォデル城に留まっていた。
 危険な状態のディヴァイアを放置しておくのに若干抵抗を感じてである。
「ディヴァイアは大丈夫なのか?」
「危険な状態であることに変わりはないだろう」
「様子見といっても、いつまで様子見を続けるの?」
「ずっとこのままというわけにはいかないだろう」
「確かにそうはいかないな。そう――」
 ふっと、バール=ゼブルの表情が暗くなった。
「この前、堕天使が出て来たらしいからね」
「堕天使……だと」
「それ、問題なの? だって、堕ちたとはいえ、元々天使でしょ? 大したことないんじゃ……」
 確かに天使の戦闘能力などたかが知れている。
 堕ちたとはいえ、元々天使だ。魔皇(まこう)族に敵うはずがない。
「……グラキエースの側近の一人が大怪我を負わされたらしい」
「何!?」
「堕……天使、に?」
「そう」
「そんな話が――」
「あるハズがないと?」
「当り前だ! 堕天使は魔族と違って元々の身体能力が低いんだぞ? それなのに――」
「確かに、そうだな。負傷したのは技術系とはいえ立派な魔皇(まこう)族。お前たちよりは遥かに年上でそれなりに力もあるだろう」
「だったら……」
「――それが、真王(しんおう)の力?」
「……身に纏っている力が異質だったそうだ」
「――真王(しんおう)の力は魔皇(まこう)族を凌ぐというのか?」
 バール=ゼブルは瞳を伏せた。
「正確には真王(しんおう)ではない」
真王(しんおう)じゃ、ない?」
「ああ……『ルビカンテ』…………そう呼ばれている者に与えられた力だろう」
「『ルビカンテ』?」
「その堕天使が出した名だ」
「……その者が、真王(しんおう)に力を貸している者?」
「恐らくは、そうであろうな」
 悪い知らせばかりで溜め息が出る。
「まだ何か?」
「……我らが束になって勝てる相手かどうか、かなり、怪しい……」
「な……に…………?」
「それほどの力を有していると……!?」
「その者は……その者が、〈ミチ〉を創った張本人であり、かつてあった魂泥棒の犯人だろう」
「――!!――」
 がたん!
 ベリアルは思わず立ち上がった。
 椅子は大きな音をたてて倒れる。
「〈ミチ〉を……深淵界にも創っていたということか?」
「バール=ゼブルは……気づかなかったの? ボクたちじゃ無理かもしれないけど、キミなら――」
「口惜しいが、わからなかった」
「そんな事が許されるか!」
「そうだ。確かに、許されることではない。これは確かに我の管理不行き届きだ」
「今は……何もないの?」
「ないな。魂が消えてから隈なく捜索したが、それらしいものは一切見つからなかった」
「〈ミチ〉の残滓も?」
「かけらもな。おそらく、一時的に無理やり簡易的なものを創ったのだろう」
 それを気付かれないようにこっそり創り上げるルビカンテの実力は底が知れない。
「深淵界、常闇牢獄がどういう構造をしているか、貴公らは知っているか?」
 常闇牢獄は魂を未来永劫閉じ込める階層型の牢獄だ。
 第一階層、第二階層…………と、下に行くほど凶悪で手に負えない魂が閉じ込められている。
 その階層は地下三百階に及ぶ。
「階層が下るにつれてそう簡単に逃げられないように結界も厳重になっていく。それはつまり、われにもその結界内に何があるのか分からないということだ。それほど強力な結界を一つ一つの魂を封じ込めた壺に施していた」
「壺?」
「悪人の魂は壺に入れるのか?」
「ああ、貴公らはまだ見たことなかったか」
 そういうとバール=ゼブルは身に着けていたバッグの中から黒く仰々しい金の装飾が施された箱を取り出した。
 そして手を翳す。
 ぼんやりと光が溢れ、箱に降り注ぐ。
 黒い装飾箱は、カタリ、と開いた。
 それを二人に見せるバール=ゼブル。
 中には漆黒の、とても小さな壺が大量に入っていた。
 それを手にとって見てみると、溝のように文様が彫り込まれている。
「……いくらなんでも小さすぎないか?」
 大きさは長さも親指ほどだ。
 ちょっと力を入れただけでもバキッと割れそうだ。
「そのまま使うわけではない。圧縮しているのだ」
 そういうと壺を手にとった。
「〈解放(フライハイト)〉」
 ポフン。
 壺は人の頭くらいの大きさになった。
「…………これは持ち運びが便利なために?」
「そうだ。大量に必要になったりした時にこの大きさのままでは持ちづらい。落として割ったら大損害だ」
 じっと壺を見つめているベリアル。
「貴重なものなのか?」
「材料は冥界ならばどこででも手に入る封魔石だ」」
「じゃあ、何故?」
「手間がかかるからだ」
 壺はこの封魔石を砕いて砂状にしてから粘土と練り込んで壺にする。
 それから深淵界にあるけして消えることのない紫炎(プラーミァ・フィアリェータヴィ)を使って焼かれる。
 ここまでは普通の壺を作るのとそう変わらない。
 だが、これからその壺一つ一つに封印のための紋様をびっしりと彫り込まなければならない。
 この紫炎(プラーミァ・フィアリェータヴィ)には封印の能力を底上げする力があり、これで焼かなければならない。
 手間のかかる理由はこの製法だ。
 この製法が壺により強固な封印力を与えるため、手が抜けない。
 つまり、錬金術でぱぱっと創れないのだ。
 深淵界にはこの壺を作るための工房が存在し、今でも毎日作られている。
「……なんで持ち歩いてるんだ?」
「深淵の幹部なら皆持っている」
「何故?」
「不変のモノなど存在しないからだ」
 そう言って壺に力を注ぎ込む。
 すると、紋様が紫色に光り始めた。
「この壺は放っておくと劣化する。封印の能力が弱まる。するとこの紫色の光が弱くなっていく。その時が換え時だ」
「定期的に換えないといけないんだ……」
「深淵って、思っていた以上にメンドウなところだな」
「そうだな。だが、それが仕事だ」
「オレたちでは無理だな」
「貴公らはまだ若いからな。それにそれなりの資格がないとここの管理は無理だ」
 だろうな、と二人は渋い顔をした。
 バール=ゼブルが長い間、淵王をしている理由がわかった気がした。
 ベリアルは壺を手にとってバシバシ叩いた。
「結構硬いな」
「簡単に壊れては意味がなかろう」
「そりゃそうだ」
「でもさっき、落としたら割れるって言わなかった?」
「割れるな」
「…………硬いぞ?」
「それは封印の力が発動した時の強度だ。普通の状態ではそれほど硬くないから簡単に壊れる」
「へぇ…………そうなんだ」
 横から壺を覗き込むベヒモス。
「術耐性も凄そうだね」
「これ、壺を破壊しようとしたら中の魂無事じゃ済まないんじゃないか?」
 壺だけ破壊しようとしても少々の攻撃では壊れない。
 壺を壊すほどの力をかければ中に入っている魂を消滅させてしまうだろう。
「そうなるように作ってある」
 バール=ゼブルはベリアルから壺を受け取ると壺を小さくして仕舞った。
「魂をとられるぐらいなら消滅させてしまった方が良いからだ」
「まぁ、そうだよね。でもさ――」
 ベヒモスが鋭い視線を投げかけた。
「なら、どうやってルビカンテはこの壺から魂を傷つけることなく取り出したの?」
「……頭の痛い問題だな、全く」
 その問いに重く溜め息を吐いた。
「おそらく、壺の結界を解除したのだろう」
「これを?」
「でも、この壺――」
 二人は驚きを隠せない。
 それは当然だ。
 この壺の結界は一筋縄ではいかない作りをしていたからだ。
「――それか、考えたくないことだが、壺の時間を進めたのだ」
「時間って――」
「……壺を劣化させて壊した?」
「そうだ。時間を進めれば壺はいずれ劣化する」
 確かに言っていることはわかる。
 だが、この壺にはとても強力な術耐性が施されている。
 簡単に術をかけられるようなものではない。
「この壺の耐用年数は凡そ一万年。そう頻繁に換えるものではない」
「この壺の時間を一万年近く進めるって――」
「物凄く大変なんじゃ――」
「そうだ。我もそう思う。だが、実際、壺に封じ込められていた魂は出てきている」
「嫌な情報しか出てこないね」
「全くだ。もう少し明るい話がしたい」
「イセリアルに行ったアスモデウスとレヴィアタン……ディヴァイアにいるアシリエルとグラキエース……魔王が別の場所にいるこんな時に――」
 ベリアルとベヒモスは若い。故に重責を負わす事は出来ない。
 ここで頼りにされるのは深淵界の魔王バール=ゼブルだ。
 ドタドタドタッ――

 物凄い音が響いてくる。
 バンッ!!

 思いっきり扉が開き、少々青ざめたカロンテスがいた。
「なんだ?」
 そのタダならぬ様子に眉を寄せた。
「ディヴァイアに、魔族が侵攻しました」
「――――!!――――」

 ガタン!

 いきおいよく立ち上がったため、椅子が倒れた。
 だが、そんなことに構っていられない。
「規模は?」
「かなり大人数のようです。その……グリンフィール卿が真の姿で抗戦中と――」
「あのグリンフィールが!?」

 ぎりっ――

 バール=ゼブルは目を閉じた。

 考える。
 今、出来る事を――
 守るべき事柄を――

「もう限界だな」
 そしてぽつりと呟いた。
「バール=ゼブル」
「これ以上は…………駄目だ。壊れてからでは遅すぎる」
「まさか――」
 二人は彼が何をしようとしているのか理解した。
「カロンテス」
「はい」
「警務部隊はどれだけ動かせる?」
「すぐに、ということですか?」
「そうだ」
「ならば、近衛部隊が動かせます」
「数は?」
「五千」
「上等だ」
「その他の部隊は基本的に巡回をしていたり、視察をしているためすぐには……ですが、一日あれば全員招集できます」
「なんとそれは――随分早く集まるのだな」
「オレのとこじゃさすがにそれは無理だな」
「アスモデウス様が万が一の時のためにと、第二緊急配備を敷いていかれました。そのため、どの部隊にも通信機が渡されています。近衛部隊はいつでも出撃できるように城で訓練をしつつ待機。その他の部隊も招集がかかれば即座に城に招集するように手配されています」
「ふっ――」
 それを聞いたバール=ゼブルは笑った。
「相変わらず抜け目のない奴よ」
 アスモデウスは自分がいなくても軍が動くようにしていったようだ。
 それは一朝一夕には出来ない。
 おそらく、前々からそういう風に軍を統括していたのだろう。
 自分でなくとも、簡単に軍が動かせるように。
 アスモデウスが一体何を思ってそんなシステムを作っていたのかはわからない。
 だが、助かった。
「では冥界の門に招集させよ。我らは先に行く。そして――」
 バール=ゼブルは強く言った。
「冥界の門を開放する」