ようやく海黎神殿に辿り着いた。
 時間がかかったため、まだ居るのかどうかはかなり怪しい。
 だが、居てくれないとどこに行ったかなんてわかる筈もなく暗礁に乗り上げる。
 そんな一縷の望みをかけて扉を開く。
「こんにちはー」

 しーん……

 静かだ。
「人の気配がないの」
「……もしかして、外した?」
 がっくりと項垂れるアスモデウス。
 クラウスはそんなアスモデウスに構うことなく中に入った。
「クラウス?」
 立ち止まる。
 だが、それはレヴィアタンが声をかけたからというわけではない。
「いる」
「へ?」
 何を言われたのかわからなかった。
「ここに、いる」
「……セレスティス、か?」
「そう……中に……――」
「――――!?――――」
 振り向いたクラウスを見てアスモデウスは吃驚した。
   ――あの、瞳……ッ!


 一見して変わらないように見えるクラウスの瞳。
 だが、違う。

 クラウスの瞳は濃い橙がかった金色だが、今のクラウスは……色素が薄い、金色だ。

 さっきまでと違う、微妙な色の変化に気づいたアスモデウスは伏羲(ふっき)が言っていたことを思いだした。
「では、ちょっと失礼して中に入らせてもらいましょうか」
「……そうじゃな」
 アスモデウスの様子に気づいたレヴィアタンだが、一瞥しただけで肯定した。
 アスモデウスを信頼しているからこその行動だ。
 スタスタと歩いて行くクラウスに続く。
 厄介なら言ってくるだろうという確信がある。
 だからアスモデウスのことは気にする必要がない。
 それよりも今はここにいるという人物の方が重要だ。
 気配がまるでしない。
 余程のことがない限り、魔皇(まこう)族であるアスモデウスやレヴィアタンが気配を悟れないなどということはない。
 その二人が気配を悟れないというのにクラウスはいるという。
 クラウスは何の気配もない神殿の中をわき目も振らずに歩いて行く。
 方向音痴であるクラウスにしてはかなり珍しい。
 居場所がはっきりとわかるのだろう。


 そしてしばらく歩くと、何故、アスモデウスとレヴィアタンが気配を察知することが出来なかったのかわかった。
 結界が張ってあった。
 しかも、かなり強力な結界だ。
 これに阻まれて気配が察知できなかった。
「よく、この結界の中にいるものに気づいたのぉ」
「僕全然気付かなかった……」
「ここまで完璧に遮断する結界とは……気配を欠片も感じん」
「クラウスさん。凄いです」
「確かに……よく気配に気づいたね」
 感心している二人。
 クラウスは首を振った。
「別に気配がわかったわけじゃない」
「えっ?」
「では、何がわかったのだ?」
「ここに、膨大な力の塊りがあったから――」
 気配ではなく精神力だったようだ。
 それでも凄いことに変わりはない。
「……よく、わかったね」
 僕ら気付かなかったんだけど、とぼやく。
「お二人が気づかないことに気付くのも珍しいですよね?」
「そうだな……経験の差は明らかで埋めようがないと思う」
 クラウスは確かに魔皇(まこう)族だが、まだ子供といって差し支えがない。
 それほど三人の力の差は歴然だった。
 ――にもかかわらず、クラウスは気づいた。
「……まぁいいや。それよりこれ、どうする?」
 目の前にあるのは結界。
「入れたりは……しないよねぇ――」
「そうだな。見た所遮断系の……よぉ?!」
 一、二歩……たたらを踏んだ。
 愕然と振り返る。
 後ろでは、アスモデウスがべしべしと見えない壁を叩いている。
 レヴィアタンも不思議そうに触れている。
 海水(かいな)も不思議そうにこちらを見ている。
 全てを遮断する結界をすり抜けることなど不可能なはずだ。
 ……そう…………本来なら。
 ここに、例外がいる。

「……なんで……入れたんだ?」

 呆然とするクラウスは確かに結界の中にいた。
 驚いていたレヴィアタンだったが、素早く立ち直った。
「……入れたのだから調度良い。中に入ってちょっと話をしてきてくれぬか?」
 わしら入れんしと言われれば仕方がない。
 何が理由かはさっぱりわからないがすり抜けてしまったのだ。
「ああ、わかった。行ってくる」
 クラウスは首を捻りながらも先へ進んだ。




「ああ、どうしよう……」
 どんよりと暗い空気を背負った青年が頭を抱えていた。
 憂鬱な原因は目の前にある。
「一体誰が……」
 嘆いてもしょうがないことぐらいわかっている。
 それでも、嘆きたくもなる。
「神器が……ウミナリの神器がぁ……」
 見事に真っ二つだった。
 破片も散らばっている。
「ううっ……」
 割れた物が元に戻るはずはない。
「見なかったことにしたい……」
 偶然ここに来てしまったせいで見つけてしまった。
 壊れた神器を――
「ああ、どうしたら!」
 いっこうに答えが出ない。
 そんな感じで悩んでいたから、一瞬反応に遅れた。
「あの……」
「え?」
 振り向いて――
「ああ、ヒトか……」
 納得しかける。
「ん? マテ、違う……なんでここにヒトが!?」
「ああ、それは――」
「だってここは深海界! 水の民以外が入って……」
 そこまでまくし立てて首をぶんぶんと横に振った。
「いやいやいやいや…………違うって! 問題はそこじゃないだろう! 僕!!」
 酷く混乱している。
「どうしてこれ見られないように結界張ったのにヒトがいるか! 問題はそこだろう、僕!!」
 それを困ったように見つめているのは、クラウスだ。
「どうやってここに?」
「いや……なんか………………普通に?」
「へ?」
 何を言っているのか分からないといった顔をされたが、何が何だか分からないのはクラウスとて同じだった。
「俺より強い仲間がいるんだが……彼らは通り抜けなかった」
「それはそうだよ。簡単に通りぬけられたら結界にならないじゃないか」
 全く持ってその通りだった。
「でも俺は……何の抵抗もなくすり抜けた」
 何もしていないと首を振った。
 それに驚愕する青年。
「なんで――?」
 こっちが聞きたいぐらいだった。
「セレスティス……だな?」
「え? ああ、うん。そう……僕が深海神セレスティス=ローエンシュタインだけど……」
 何故知っているのか?
 クラウスは写真を手渡した。
「あ、これ……セシルから?」
 写真を見て納得したのか、クラウスの方を見て――
 正しくは、クラウスの視線の先を見て絶叫した。
「こ、これは!!!」
 オロオロ慌て始める。
「壊れてるのか……」
 そんなことは見ればわかる。
 明らかに困った様子のセレスティスを見たクラウスは提案した。
「直す、か?」
 弾かれたようにクラウスを見た。
「え、あ……いや、余計なことを言――」
「直せるの!?」
 部外者が何言ってるんだと勘違いしたクラウスはその剣幕に顔を引き攣らせた。
 どうやら速攻で何とかして欲しいらしい。
 たじろぐクラウスだが、何とか返事をした。
「ありがとう!」
 両手を握られてぶんぶんと上下に振られる。
 まだ何もしていないのに、凄い喜びようだ。
「じゃ、じゃあ直すからしばらく離れててくれ」
「うん」
 そしてクラウスは壊れた神器を錬金術で修復した。


「良かったぁ!!」
 感激のあまり涙を流している。
 とてつもなく大事なものだったようだ。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが――」
「何?」
「これを――」
「必要ないよ」
 記憶の宝珠を差し出したクラウスを遮った。
「は?」
「セシルが認めたなら僕には不要だよ。聞きたい事を教えて」
 弟を信頼しているとはいえ、凄い台詞だ。
 衝撃を受けながらも聞きたい事だけ簡潔に話した。


「ゴメン。知らないや」
 実にあっさりと返した。
「そうか」
「でも兄さんなら知ってるよ」
「本当か?」
「うん。テルミヌスと友達だから」
「そうか……だが、一番上の兄も音信不通じゃ――」
 セレスティスはパタパタと手を振った。
「僕なら大丈夫だよ」
「?」
「兄さんの居場所はわかるから」
「それじゃあ――」
「神器直してくれたお礼に探してあげる」
 錬金術を多少なりとも使えて良かったと思った瞬間だった。




 神殿の床にべったりと腰をおろしてクラウスを待っていた。
「あれ?」
「うむ」
 二人は何かに気づいた。
「どうかしたんですか?」
「うん。結界が消えたなぁって――」
「じゃあ――」
「二人はこちらに向かってくる。待っておればよい」
 しばらくすると二人が現れた。
「おかえり〜」
「ただいま」
「彼らが仲間?」
「ああ」
「ふ〜ん……」
「どうかしたのか?」
「いや、本当に強そうな人たちだなって――
 まぁ、いいや。兄さんは天空界にいるからとりあえず海からでよう」
 上に向かって指差した。
「知ってるの長男なの?」
「テルミヌスと友達らしい」
「なら道が途切れることはなさそうじゃの」
 一安心だった。
「じゃあここから出て海面に出ないといけませんね」
「ここも結構深いと思うけどね」
 目指すは地上だ。