深い海の中からセレスティスの案内で近くの岸に向かった。
岸に上がり一息つく。
長時間結界の維持はやはり精神的にかなりキツイ。
二ヶ月もかけっぱなしだったため負担が凄い。
アスモデウスはその横で伸びをしている。
あれだけ長時間燃費の悪い結界を維持していたにもかかわらず、平気そうだ。
クラウスは海の中でもアンブロシアを食べて何とか凌いでいたが、アスモデウスは恐ろしいことに何もせずに張り続けた。
燃費の悪い結界を二ヶ月間張り続けても倒れないアスモデウス。
「よく平気だな……」
それを感心したように見るクラウス。
「僕は大きいからね」
身体が大きい分、生命力、精神力共にズバ抜けているらしい。
「俺は全然だ」
半月も経つと疲れて維持し続けるのがキツくなって来た。
そのためアンブロシアが非常に役に立った。
「それに僕は消費したエネルギーを食事で補ってるけど……クーは違うよね?」
クラウスの食事の量は普通の人とさして変わらない。
「……食べようと思っても無理だな」
見てるだけで胃が凭れそうなアスモデウスの食事。
真似など出来るはずがなかった。
「真似しても多分クーは無理だと思うけど――」
「そうか?」
「うん。これも体質によるものだし――」
アスモデウスは言い淀んだ。
それどころか生きていくだけでもマナを消費していくため、マナ密度が低い場所では倒れかねない……
特に、今回のようなケースでは……存在自体が危うくなる可能性も否定しきれない。
「ふぅ……外に出るとさすがに寒く感じますね」
「そうじゃな」
レヴィアタンと
二人は上着を脱いで絞っていた。
絞った服で髪を拭いたりもしている。
ぶるぶると頭を振ると派手に水しぶきが飛ぶ。
水を吸った服は非常に脱ぎにくく、重い。
ただこの服はこの世界に順応しきれない彼らの身体をある程度守る役割があるため脱いだまま薄着で生活するという事は躊躇われる。
倒れたら元も子もない。
「アスモデウス」
「んー、何?」
声をかけられアスモデウスは振り向いた。
「着替えを貸してくれ」
「ああ、そっか。ちょっと待ってて――」
アスモデウスは背負っていた荷物を下ろすと二人の着替えを探した。
濡れた髪や体を吹くためにバスタオルも必要だ。
そういったものを中から出してレヴィアタンに渡す。
受け取ったレヴィアタンはまだ服を絞っている
だが一つ問題があった。
髪も身体も自分で拭けるが、翼だけは自分では拭けない。
長時間水に浸かっていた翼は水を吸って重くなっている。
短時間なら翼の表面をある程度弾くようにはなっているが、ここまで濡れるとどうしようもない。
これがクラウスだったらバサバサ動かすだけで全ての水分を落とせただろう。
シャワーを浴びるたびに思う
いつもバサバサ振るだけで水分を落とすクラウスを羨ましく思ったものだ。
それが出来ない
手伝ってくれるのはクラウスかアスモデウスだ。
レヴィアタンは身長がありすぎるので
だが今回ばかりはそうも言ってられない。
レヴィアタンはしゃがみ込んで
「ありがとうございます」
「何、気にする必要はない」
「はい……」
仕方のないことだ。
濡れた身体を拭いた後は着替えだ。
一緒に水の中から出て来たセレスティスは濡れていない。
素潜りだったにもかかわらず……だ。
術も一切使っていない。
耐水性の服であるらしい。
犬のように身体をブルブル振っただけで全ての水を落とした。
そんなセレスティスは兄・セラスティスの気配を探すため集中している。
しばらく目を閉じてじっとしていたセレスティスだが、何かを感じたのか目を開けた。
「もうちょっと高い位置で確認してくるね」
「ああ、わかった」
そう言い残してセレスティスは飛び立った。
クラウスは何となくセレスティスの飛び去った方を見た。
手持無沙汰になったアスモデウスは何となくクラウスの方を見た。
クラウスは背を向けている。
そんなクラウスの背には当然、翼が生えている。
いつもはケープを身に着けているため見えないが、今は外しているので見える。
これから空を飛ぶことになるのでしまったのだ。
身に付けたままでは空を飛べない。
そして大きく翼を広げている。
一言で言うと伸びだ。
ずっと畳んだままでは翼も凝る。
動かすたびにバキボキいっている。
それを何となく見ていたアスモデウスは、気になることを見つけた。
「ん?」
目をこすり、もう一度よく見てみる。
――見間違いじゃない……
アスモデウスはクラウスをじっと見た。
正確に言うと、クラウスの背中に生えている翼――だ。
クラウスの翼は金色だ。
内側も外側も全部同じ金色だ。
場所で色が変わるという事はなかった。
だが、色が違う。
…………そう、下半分だけ。
薄紫色をした、羽根。
ここから見る限り外側の下半分は薄紫色だ。
内側も違うのかどうか物凄く気になった。
ちょっとめくってみたいという心境に駆られアスモデウスは行動した。
アスモデウスはスススっと、気配を消してクラウスに近づく。
そして、そっと色が変わっている翼の先に触れた。
「…………ッ!!!」
バッと手を引っ込めた。
手を見る。
普通だ。
だが――
あり得ないことが起きた。
アスモデウスの目の前で――
見間違いである可能性も否定できない。
いや、間違いであって欲しい気がした。
これが現実だというなら、これは――
恐る恐るもう一度触れてみる。
「……………………」
結果は変わらなかった。
見間違いなどではない。
これは現実。
――やはり……
アスモデウスの指は、クラウスの翼に触れることなくすり抜けた。
薄紫色をした翼……羽根の部分には触れなかった。
まさか、と思い金色の部分に触れてみる。
――……触れる。
薄紫色の部分と違ってすり抜けなかった。
と、いうことは触れないのはこの色が変色した部分だけということになる。
「ん?」
後ろで何やらこそこそしている気配に気づいたのか、クラウスが振り返った。
「……………………」
目が合う。
「何、してるんだ?」
思った以上に距離が近かったアスモデウスに驚きながらもなんとか口にした。
アスモデウスはゴメンと謝りながらもクラウス観察を続けた。
クラウスの瞳は元の濃いオレンジがかった金色に戻っている。
そちらは見間違いでも済まされる……だが、こちらは見間違いでは済まされない。
アスモデウスはさりげなくクラウスの肩に触れて言った。
「いやぁ……クラウスの翼、下の方が色変わってるから――」
「え?」
それを聞いたクラウスは慌てて自分の翼を見た。
「ホントだ」
とても不思議そうに薄紫色の翼にも触っている。
内側も薄紫色をしていた。
色が変わっているのはやはり下半分だ。
クラウスは普通に翼に触っている。
当然、金色の翼も触れた。
何故、
クラウス自身はあの薄紫色の部分にも触れるらしい。
でも、アスモデウスでは駄目だった。
そして思い出す。
あり得ない現象を引き起こしたのは翼だけではなかったという事を――
誰も通り抜けられなかった結界をすり抜けたクラウス。
触れることのできない翼――
思い出すのは……
「どうかしたんじゃ?」
そんな事をつらつらと考えていると、着替え終わった二人が帰って来た。
きっちり絞った服を持っている。
他の荷物が濡れないように袋に入れなければならない。
現実逃避的な思考に流されそうになるアスモデウス。
「いや、その……」
ちらちらとクラウスを見ながら言い淀むアスモデウス。
珍しい光景だった。
さすがにそれでは伝わらない。
「アスモデウスが――」
その側でポツリとクラウスがこぼす。
翼を掴んだまま――
「何かしたのか?」
自分の翼をマジマジと見ているクラウス。
この二人の状況では要領を得ない。
「羽根の色が違うって――」
困惑しているクラウス。
言われて二人も見る。
「薄紫色ですね」
「うむ」
困惑しているのはアスモデウスも同じなようだ。
だがこれはさらに珍しい。
アスモデウスと長く付き合ってきたレヴィアタンはそう思った。
ただ色が変わったぐらいでこれほどアスモデウスが取り乱すだろうか?
答えは――――あり得ない。
何かがあったとレヴィアタンは直感した。
アスモデウスの顔色は悪い。
「アスモデウス」
「レヴィ……」
「何があった?」
小声で尋ねた。
何もなければアスモデウスがこんな表情をすることはない。
いや、ここで触られるとちょっと拙いためここは良かったと思うべきだが――
アスモデウスはクラウスをちょっと見ると、レヴィアタンを引っ張った。
クラウスと
この話はまだクラウスに聞かれるわけにはいかない。
確証のないことだ。
それに、あまり公にしたくない。
公にするのが非常に拙いのだ。
二人から離れ、こちらを見ていないことを確認してから、アスモデウスは告げた。