しばらくするとセレスティスが戻ってきた。
「兄さんの居場所がわかったよ!」
 ピースしながら明るく言った。
「どこにいたんだ?」
「今は天空界の端っこにいるみたい」
「端?」
「うん。ここから近いよ? さっそく行く?」
「行く行く」
 行かない理由はどこにもない。
海水(かいな)、平気か?」
「あ、あ〜……う〜ん…………どうでしょう?」
 不安だ。
 今の海水(かいな)の体力では長時間飛び続けることは出来ない。
「平気じゃ」
「なんで?」
「アスモデウスが背負って行くからの」
「えー! 僕ぅ〜?!」
「決まっておろう」
 不満を露わにするアスモデウスにピシャリと言い放った。
「クラウスにそんなことさせられぬ」
「た、確かに――」
 アスモデウスの話を聞いたレヴィアタンはなるべくクラウスに負担をかけたくなかった。
 それについてはアスモデウスも同感だ。
 何かあっては困る。
「レヴィがやる気はないの?」
「ない」
「むむ……」
 ムスッとするアスモデウスだが、溜息一つ吐いてから海水(かいな)を軽々と抱えた。
「あ、ええっと――」
「僕はどうせこういう役割だよ」
「あ、ありがとうございます……」
 そんなやり取りをじっと見ていたセレスティスは微笑ましそうに表情を崩した。
「じゃあ、行こうか。空の上に」




 しばらく飛んで空の上に着いた。
 天界と同じような感じだ。
 大陸が空の上を浮いている。
 雲に隠れて下からは全くわからなかったが……
 浮いている大陸の下に雲が厚い層をなしており、誤魔化しているようだった。
 そんな天空界の端で、すぐに三柱(みはしら)最後の一人と出会うことになる。


「兄さ〜ん!」
 ブンブン手を振りながら大声で呼びかけた。
「あれ? セレスだ。久しぶり〜!」
 そう返した人物はがしっと抱きついた。
 勿論セレスティスに、だ。
 三柱(みはしら)と呼ばれる三兄弟は三人とも髪の色と瞳の色が若干違うだけで後はそっくりだ。
 身長も大して変わらない。
 ただし、身にまとっている雰囲気が違うが――
「珍しいね。セレスが人と一緒にいるなんて――」
 そう言いかけて止まる。
「ん――人じゃないか。あー、でも――」
 視線がクラウスで止まる。
「毛色が変わったのが、いるね」
「ん? そうか?」
 変わっている……その意味を正確に理解したのはアスモデウスとレヴィアタンだけだった。
 そんなに彼の気配はわかりやすいのだろうか?
 自分たちの見え方と彼らの見え方が違う気がするのは気のせいではないだろう。
 でなければ、誰もが同じことを言うはずがない。
「それで、何の用?」
「テルミヌスに会いたいって」
「テルに?」
「うん。兄さん友達でしょ? 今どこにいるかな?」
「聖界の白夜殿だとは、思うけど――」
 事情も知らないのにあっさりと答えてくれた。
 セレスティスと同じく彼も軽い。
 弟を信じているということなのだろうが――
「けど?」
「テルも僕と同じく散歩が好きだから何とも言えないね」
 大人しくしていないのはこのイセリアルの神の大半に言えることなのだろうか?
 思わずそう思ってしまうような言葉だった。
「それでも良い……何もわからないよりはずっと――」
 もとより砂漠から一粒の金を探すより難しいことだ。
 小さな情報でも十分だった。
「それで、どうするの?」
「本当はすぐにでも移動したいところだけど――」
 ちらりとクラウスを見る。
「ん?」
 彼は疲れている。
 ここ最近の海底生活のせいだ。
 無理はさせられない。
「移動できるクラウスが疲れておる。今日はどこかで休んだほうが良いな」
「そうだね――」
 無理など……させられるはずがなかった。
 本人はまだ気づいていない。
 それでも、彼には危険だ。
「そう? なら、近くの町の宿に案内してあげるよ」
 へら〜っと笑った表情でセラスティスは言った。
 本当にそっくりなのは見た目だけで性格は全く違う兄弟だ。
 性格まで似ているのはセラスティスとセレスティスの二人でセシルティスとは全く違う。
 反面教師というやつだろう。
 兄二人が自由すぎるので弟がしっかりするしかなかったという……






 暗い、暗い……闇の中。

 上も下も右も左も……全てが真っ暗な世界。

 自分さえ見えない闇の中……

 歩いていた。

 見えないのに。
 何も見えないのに、歩いていた。

 本当にそこに地面があるという保証はどこにもないのに。

 止まろうとは思わない。
 むしろ……止まってはならない気になる。

 何故か……

 その理由はわからない……

 いや、違う。

 本当は知っている。
 止まれない理由を――

 なのに――

 知っているはずなのに――

 思い出せなかった。



   ――ククク……





 反射的に身構えた。

 嗤っている。

 愉しそうに――



   ――マタ、来タ。





 何を……言って――ッ!

 おぞましい気配が場を満たした。


 息苦しい……

 ここにいてはいけない!

 脇目を振らず走った。
 逃げ切れる自信は、ない。
 元々どこにいるかもわからない。

 でも、とにかく、あの気配から遠のきたかった。

 近くにいたくない。
 あれは、マズイ。

 わかっている。

 あれに近づいてはならないことを――

 そして識っている。

 あれが何なのかを――

 わかっているのに――

 識っているのに――

 言葉にはならなかった……
 考えることを拒否する。

 それほどの存在だった。



   ――無駄ナノニ。





 ――――――――ッ!!!!


 言葉は……

 すぐ後ろから聞こえた……――



   ――識ッテイルクセニ。





 そうだ。
 識っている。
 識っているのだ。
 ――自分は。






「うわぁあぁぁああああああ………………………………!!!」

 夜の宿屋に(つんざ)くような悲鳴が響き渡った。
「うえぇ? な、何!?」
 飛び起きたアスモデウスは何が起きたか理解するのに時間がかかった。
 寝起きはさすがに判断力が鈍る。
 だが、それが悲鳴だとすぐに理解すると隣を確認した。
 青白い表情で上半身を起こしているクラウス。
「クー!」
 慌てて近寄った。
 クラウスは、アスモデウスの呼びかけに答えない。
 クラウスの瞳は……焦点が合っていない。
 虚ろな眼差し――
「クー! クー!! クラウス!!!!」
 アスモデウスは持ち前の怪力で持ってクラウスをガクガク揺さぶった。
 しばらくなすがままにされていたクラウス。
 必死で揺さぶり呼びかけるアスモデウス。
 揺さぶられること数分。
 やっとクラウスの瞳に光が宿った。
「ア……スモデ、ウス――」
 よろよろと顔を上げた。
「よ、良かったー」
 そのままクラウスを抱き締めた。
 あんな状態のクラウスなど見たことがなかった。
 レヴィアタンは以前、魘されていたと言った。
 悪夢を見たと言った。
 悪夢を見たクラウスにどうしようもなく不安になった。

 あんな状態のクラウスを見たら誰でもそう思うだろう。

「また…………見た」
 ポツリと零した。
「……うん」
「嫌だ……嫌なんだ」
「うん」
「あれを識っているのに(・・・・・・・)わからない(・・・・・)ことが」
「え?」
「嫌、だ――」
 アスモデウスはクラウスの言っていることが分からなかった。
 震えるクラウスを抱き締めながら、アスモデウスは考えた。
 クラウスは何かを識っているのだろうか、と――