白夜殿でさしたる成果もなかった四人は街で情報収集をすることにした。
 しかし、成果は今のところ全くない。




 宿屋の一室でだらっとソファーに寝そべるアスモデウス。
 クラウスはベッドにうつ伏せに倒れている。
 レヴィアタンと海水(かいな)はもう一つあるソファーにちゃんと座っている。
「大丈夫ですか? クラウスさん」
「……あんまり」
「そっかぁ……そうだよねぇ」
「ここではしかたがなかろう」
 ここに来てからクラウスの調子が悪かった。
「マナの密度が薄いもんね。ここ」
 原因はそれだ。
 それしかない。
「身体が重い」
 ダルそうに倒れているクラウス。
「長居は出来ないなぁ」
 ここに長居することはクラウスの身体に大きな負担をかける。
 それは好ましくない。
 アスモデウスがだらけているのはその性格ゆえで、別にクラウスのように調子が悪いというわけではない。
「それにしても――」
 ソファーから起き上がりクラウスを見つめる。
「すっかり色が変わったよね」
「あ、そうですね」
「そうじゃな」
 三人の視線の先にあるのはクラウスの背中から生えている翼だ。
 この前まで半分だけだったが、今はすっかり色が変化していた。
 金色の部分は欠片も存在しない。
「う〜ん……そうだな」
 緩慢な動きでクラウスは翼を広げた。
 外側は紫色のグラデーションになっている。
 羽先に行くほど色が濃い。
 内側は薄紫色の一色だ。
「どうして色が変わってしまったんでしょう?」
「真の姿も知らないのに変化するのって確かに珍しいよね〜」
「そうじゃな。しかし、何が原因で目覚めるかなど人それぞれじゃ。そうであろう? アスモデウス」
「あーうん。そうだね――」
 アスモデウスは死にかけた時のことを思い出してゲンナリした。
「この世界は僕やレヴィ、カイにとってはなんでもなくても、クーにとってはキツいのかもしれない」
 今、現在進行形でキツい。
「目に見えて辛かったりするのはすぐにわかるけど、クーの場合は目に見えない負荷がかかってるんだろうね」
「世界を移動する力をクラウス一人に任せているのも原因の一端じゃろう」
「あー……確かに、あれはキツいね」
 時間指定まで出来ないアスモデウスだが、イセリアルとディヴァイアを移動することができる。
 どれだけ疲れるかはそれなりにわかっている。
 空間だけでなく時間まで操作する彼の空間移動は負担が大きい。
 そう見えなくても、だ。
伏羲(ふっき)とカルナのおかげで負担は減っているだろうが、世界を渡るということはそれほど楽なものではない」
「そうですね……空間移動は誰にでも使えるものではありませんし」
「だよねー。魔王の中でも使えるのって僕とレヴィとラキとバルだけだしぃ」
「しかも空間、時、共に扱えるのはグラキエースだけじゃ」
「両方使えるって言ったらグリンもそうだけど……彼は魔王じゃないしね」
 使えるものが限られている能力。
「真の姿……能力…………か――」
 溜息を吐きながら起き上がる。
 身体は重い。
 マナの密度が薄いだけでこんなに身体が不調を訴えるとは思ってもみなかった。
 だが、このことはクラウスや海水(かいな)に予測できなくとも、アスモデウスとレヴィアタンには予測できた。
 こうなるであろうことはわかっていた。
「はぁ……」
「成果もないし、次の街に移動したほうがいいかもね」
「うむ……確かに、これ以上クラウスに負担をかけるわけにはいかぬな」
「うん。だから明日にで、も――」
 なんとなくクラウスを見ていたアスモデウスは眉を寄せた。
 ゴシゴシと目をこすってもう一度、見る。

 見間違いではなかった。

 やはり、あれは……真実だった。
 ずずいっとクラウスに詰め寄るアスモデウス。
 その突拍子もない行動に顔を引き攣らせるクラウス。
「な、なんだ?」
「……………………」
 アスモデウスは答えない。
 じっと見ているだけ。
 そして呟く。
「……半分、だけ?」
 何かを確認しているようだった。
「アスモデウス、何をしておる?」
「何って、目が――」
「目? 目も何かあったのか?」
「どれ」
 それを聞いた二人もクラウスに近寄った。
「何か……違いますか?」
「うむ……ああなるほど」
 海水(かいな)はわからなかったようだが、レヴィアタンは気付いた。
「若干色が薄くなったの」
「だよね?」
「そう……ですか?」
「だって、クーの目って濃い橙がかった金色だったよね?」
 言われてみれば下半分は色が濃い。
「でも今は色素の薄い金色……」
「大きな変化ではないから見逃しそうじゃな」
 アスモデウスは目ざとく見つけたが。
「むむ……」
「そう遠くないうちに目覚めるやもしれんのぉ」
「覚醒したら僕たち抜かれるかもよ?」
「まさか」
 さすがにそれは有り得ないだろうとクラウスは思った。
 何しろクラウスはまだ子供だ。
「いや、冗談ではないぞ」
 レヴィアタンも真剣だった。
「確かに、直接攻撃はアスモデウスやわしに及ばないじゃろう。じゃが――」
「紋章術では勝てなくなるね。間違いなく」
「なんでそんなことが言いきれるんだ?」
 自分のことを何も知らないクラウスは不思議だった。
「ふふ……経験からかなぁ――?」
「それよりもやはり明日ここを発った方が良いな」
「だよねー。ここにいるとクーのために良くないし」
「今日はゆっくり休むとよい。明日からこの環境の中で歩かなければならないからのぉ」
「うん。そうだね」
 二人は無理やり会話を終わらせた。
 何か言いたげなクラウスだったが、確かにここにずっと居たくはない。
 ここは言うとおりにしておいた方が賢明だ。
「そう、だな。休む」
 クラウスは枕とクッションを抱き込むと目を閉じた。
 身体に負担がかかっている所為か、すぐに眠気が襲ってくる。
「おやすみ〜」
 微かにアスモデウスの声が聞こえた気がした。






 真っ暗な闇の中。

 どうしてここにいるのか?
 何故ここに来てしまうのか?

 理由はわからない。
 いや、違う。

 識っている。
 どうしてここにいるのか、本当はわかっている。

 何もない世界。
 太陽も、月も、星さえもない暗闇。
 音さえ聞こえない。
 真の暗闇――

 ここが何であるのか……

 何のために存在するのか……

 識っている――

 どうしてここが生まれたのか……
 わかっている――

 なのに、

 どうして思い出せないのだろう?

 識っているはずなのに――


 ぞくり――


 嫌な気配を感じる――

 それは当り前だ。

 でも、逃げたかった。

 無駄なのに――

 そう……理解しているのに――

 足は動く。

 危険だから――

 苦しいのは嫌だから――

 どこにも逃げられる場所など存在しないというのに――



 しばらく歩いていると、

 ピチャッ――

 何か水溜りのようなものを踏んだ。

 ここに何かがあるのは初めてだ。

 だが、気にする必要性を感じなかった。



   ――フフフ……





 びくっ――

 また、コエが聞こえた……

 闇が濃くなる。

 思わず走った。
 わき目も振らずに――

 ピチャピチャと水の跳ねる音がやけに大きく響いた。

 そして、


 グチャッ――


 ……何かを踏んだ。

 一体何を踏んだのか?

 気になって下を確認した。

 だが、それが間違いだった。


 ――――――――ッ!!!!!


 言葉にならない悲鳴が上がった。

 そこにあったのは――
 落ちていたのは――


 千切れた、所々黒い色をした……生白い腕だった――


 この真っ暗な闇の中、何故か、はっきりと見えるそれは……間違いなく……ヒトの――

 思わず後ずさる。

 ベチャッ――

 びくっ……

 見てはいけない。

 わかっているのに――

 足元には――



 千切れた、脚――



 そして気付く……

 それだけじゃないことに……

 所々黒くなっている腕や脚――
 それは血だ……

 地面を濡らしているのは、水ではない――


 それも……血だ――


 周囲に無造作に散乱している身体のパーツ……

 それは――



   ――ツイニ、ココマデ来タナ。





 愉しそうなコエが響いた。