〈ミチ〉はベリアルとベヒモスが交代で見張っている。
 見張りは二人だけではなく、アスモデウスの部下も一緒だ。
 そのため、出てくる魔族や魔物を効率的に始末することが出来るようになり、以前ほど危険ではなくなった。
 エスターテ大陸の魔物はアスモデウスのペット、リンドヴルムが魔獣たちを従えて退治したため前よりもだいぶ安全になった。
 世界各地に出現している魔物についてはグリンフィールが担当している。
 アスモデウスの小隊の一つを指揮して魔物を片づけている。
 不安定なディヴァイアだが、魔物の脅威はかなり減った。
 しかし、それでも根本的な原因は排除できず、現状を少しでも保つことがやっとだった。




「はぁ〜……」
 目の上に濡れたタオルを置き盛大な溜息を吐くグラキエース。
「そんな露骨に溜息つかないで下さいよ、陛下」
「溜息も吐きたくなるだろう?」
「それは……否定できませんが」
 制御システムを新しく構築するのは手間がかかる。
 人数が揃ったからといって簡単に創れるものではない。
「あれを構築したのはもうかなり昔の話ですからね」
「そう。だからあれの創り方を知ってる技術者がいない」
 そのため、制御システム構築の設計図をバール=ゼブルに頼んで取り寄せた。
 それを部下たちに叩き込んでいるところだ。
 技術を後世に残すための教育など、グラキエースに最も合わない作業だった。
 思っていた以上に精神的疲労が多い。
「普段から部下に仕事を押し付けているからそうなるのです」
 ピシャリと言い放つのは勿論アシリエルだ。
 こういうところ、アシリエルは容赦がない。
「でももう少しで教育も終わりでしょう?」
「そうだな。後はコア・システムの説明で終わりだ」
「それが終わったらいよいよ作業開始ですね」
「そうだな」
「だいぶ材料も揃ったようですし、頃合いでしょう」
 作業をしていて材料が足りなくなったなど、シャレにならない。
「以前失敗した浮遊システムを一番最初に構築しなければ……」
「邪魔さえ入らなければ創れましたが」
 魔族のせいでそれが叶わなかった。
 また最初から始めなければならないのだが――

 コンコン。

「はい」
 返事をすると一人の天使が入って来た。
 それは破希(はき)だ。
 こういう時にはよく瀞亜(せあ)がよく来ていたが――
 それを感じ取った破希(はき)が答えた。
瀞亜(せあ)様は精神的疲労により休まれています」
 堕天使の件が尾を引いているのだろう。
「それで、どうかしたのか?」
「はい。材料が全て揃いました」
「それは――」
「これで材料が足りなくなるなどという事件は起きませんね」
「そうだな」
「これで安心して作業に取り掛かれます」
 これからの予定を脳内で構築する。
 忙しいことに変わりはない。
「最初は浮遊システムだな」
「次は――」
 そんな話を真剣に行った。

 そしてしばらくして気付く。

「まだ何か?」
「はい。現世界で、十四ヶ国首脳会議の開催が決定されました」
「会議……ですか」
「はい。その会議に是非出席して欲しいとのことです」
「わかりました。他の魔王たちにも話しておきます」
「お願いします」
 破希(はき)は一礼すると去って行った。

「……それにしても、この世界には十四の国があるのか?」

 破希(はき)が去った後、そんなことをポツリと言った。
 長年現世にいながらそんな事を言うグラキエース。
 その言葉にはさすがのグレシネークも呆れた。
「そんなの、常識じゃないですか」
「そうか?」
 確かに、昔と違って国の在り方は変わったが……
「この世界には九つの大陸があることはさすがにご存知ですよね」
「昔と地形が変わってなければ」
「それはありません」
「なら、わかるな。
 ユグドラシル大陸、ヘゼルヴァ大陸、サファル大陸、エスターテ大陸、イストリア大陸、ニフルヘイム大陸、ミズガルド大陸、ウトガルド大陸、ムスペルヘイム大陸……だろう?」
「はい、そうです」
「そこにあるはしょっちゅう変わるからな……」
「昔はもっとたくさんの国がありましたからね」
「そうだろう?」
「でも、同族同士で争うのは人間だけですから」
「それは……そうだな。昔から人間はよく戦争をしていた」
「でも人間は数を減らした。今人間が暮らしているのはミズガルド大陸とヘゼルヴァ大陸の一部だけです」
「そんなにいなくなったのか……」
「今は、亜人が主流な種族ですから」
「そうだったな」
 弱い人間が数を減らしているのはしかたのないことだった。
「それで、国は?」

「ユグドラシル大陸にあるのが大樹国(たいじゅこく)ユグドラシルです。
 この国は国と称してはいますが、街があるわけではありません。
 ここで暮らしているのは排他的な種族ですね」

「昔は村も一つか二つしかなかったが――」
 グラキエースの言う昔は本当に遙か昔だ。
「昔よりは増えましたよ」
「そうか……」
 本当に世界に関心がなかったのだと思い知らされる言葉だった。

「ヘゼルヴァ大陸にあるのが神教国(しんきょうこく)ラインヴァンと技術国(ぎじゅつこく)ヨトゥンヘイムです。
 技術国(ぎじゅつこく)ヨトゥンヘイムは数少ない人間が暮らしています。
 緑が少なく、近代的な建物が多いですね。
 神教国(しんきょうこく)ラインヴァンは亜人が暮らす宗教国家です。排他的な種族で有名な天翼(アウィス)族の変りものであるフェネシス=イル=レーラが治めています。
 この国は中立国で他国に何の干渉もしません。
 だからこそ、人間たちともそれなりに距離を取って生活しているようですが――」

「昔はこの大陸も人間しか暮らしていなかったが……」
「そんなのもう遙か昔のことです」
 グラキエースの時間はかなり昔から止まっているようだ。
「人間は弱いからな……生きていけなかったか――」
 そんなのいまさらだ。

「サファル大陸にあるのが天籟国(てんらいこく)ヴィンドヘイムと空蒼国(くうそうこく)アルトハイムです。
 この大陸では独自の文化が栄えているようです。
 ここで暮らしているのも亜人ですね」

「ここも昔は人間だけだったのに……」
「でもここの独特の文化は人間たちのものをそのまま引き継いでいるみたいです」
「そうなのか?」
「ええ。ちょっと変わった服装とか食事とか」
 着物とか和食と呼ばれるものだ。
 髪型までは残らなかったが、一部の文化は残った。
「残るものがあっただけマシか……」
「そうですね」
「ただ魔族に滅ぼされたのでは浮かばれまい」
 魔族は容赦なく世界を蹂躙した。
 その苦い記憶が蘇る。

「エスターテ大陸はさすがにご存じでしょうが、説明しておきます。
 黒霧国(こくむこく)スヴァルトアールヴヘイムと邪教国(じゃきょうこく)スリュムヘイムと黄泉国(よみこく)ヘルヘイムがあります。
 私たちが暮らしているのが邪教国(じゃきょうこく)スリュムヘイムです。黄泉国(よみこく)ヘルヘイムは忌々しいあの〈ミチ〉がある場所ですね」

「さすがにそれはわかるな」
 グラキエースもさすがに自分の暮らしている場所はわかるようだ。
「自分が暮らしている場所もわからなかったら問題です」
「手厳しいな」
 苦笑いをした。

「イストリア大陸にあるのが神州国(しんしゅうこく)アスガルドと緑樹国(りょくじゅこく)アルファヘイムです。
 緑樹国(りょくじゅこく)アルファヘイムは部族の集合体であまり国という意識がありません。
 神州国(しんしゅうこく)アスガルドは様々な亜人たちが暮らす友好的な国です」

「亜人も種族同士が仲良くなかったりするから珍しくはあるな」
「そうですね。まぁ……魔皇(まこう)族ほど露骨に仲が悪い種族もいませんよ」
 同族同士ならば争い事はしないが、種族が変わるとそうでもなくなるのが亜人だ。
「ああ、そういえば、そうか」
 だが、弱肉強食を素でいく魔皇(まこう)族と比べられても困る。
 あれほど自尊心が高い種族も他にいまい。

「ニフルヘイム大陸にあるのが氷麗国(ひょうれいこく)ニフルヘイムです。
 水の最高神がこの国に落下して魔皇(まこう)族の若者に保護されました。
 極寒の国なのであまり人は暮らしていませんね」

魔皇(まこう)族というと、例の?」
「はい。アスモデウス様とレヴィアタン様とご一緒した現世界で生まれた魔皇(まこう)族です」
「珍しい存在だな」
「確かに、そうですね」
 亜人たちはどう種族同士でしか結婚しなくなった。
 だからこそ、この現世界で魔皇(まこう)族が生まれることはなかった。
「まぁなんにしてもありがたい存在か……」
 最早魔皇(まこう)族はアービトレイアにしかいない。
「現世界にはもう魔皇(まこう)族はいませんからね」
「残念なことにな」
 溜息が出る。
 堕ちるものは後を絶たなかった。
 だからこそ、貴重なのだ。
 意志をしっかりと持った魔皇(まこう)族は。

「ミズガルド大陸にあるのが法治国(ほうちこく)ミズガルドです。
 人間だけが暮らす世界最大の大陸です。
 今回、この国に制御システムが落下しました。
 人里に落ちなかったのがせめてもの救いですね」

「人里に落ちたら惨事では済まなかっただろう?」
「でしょうね――」
「さらに少ない人間がさらに少なくなるか……最悪滅びたかもしれんな」
 制御システムに魔族がたくさん残っていたならば、ありえた話だ。
 亜人ですら手に余る魔族を、人間がどうにかすることなどできない。

「ムスペルヘイム大陸にあるのが灼熱国(しゃくねつこく)ムスペルヘイムです。
 砂漠ばかりの暑い国ですが亜人はたくさん暮らしています」

「暑いのは嫌いだ」
 個人的な言葉だ。
「他に言うことはないんですか?」
「ない」
 キッパリと言い放った。
 この辺は非常に潔い。

「ウトガルド大陸にあるのが紋章国(もんしょうこく)ウトガルドです。
 紋章術が発達した亜人の国ですね。
 ここも独自の文化が栄えています」

「ほぅ……」
「生活に紋章術が欠かせない国です」
「そこまで密着しているのか?」
「はい」
 それだけでなく紋章術を教える学校もある。
「ここもサファル大陸とは別の独特の文化があります」
「それもここに暮らしていた人間の?」
「そのようです」
「そう……か――」
 グラキエースは押し黙った。
 そんなグラキエースをアシリエルはじっと見ていた。
 グラキエースはずっとここで暮らしていた。
 アシリエルが知ることのない、人間だけが暮らしていた世界を知っている。
 感慨深いものがあるのかもしれない。
「……さて、あの二人とバール=ゼブルに連絡を――」
 そう言いかけたグラキエースの表情が険しくなる。

「さがれ!!」

 グラキエースの怒鳴り声に驚きながらも指示に従う。
 訝しむアシリエルの目の前で、空間が歪んだ。

 そして、一人の人が現れた。

 その人物は…………かなり、強い。
 場に緊張が走る。

「ふ〜ん……ここがディヴァイアか……アスモデウスと最後まで一緒にいたのはキミ?」

「え?」
 その人物は、周囲の空気をものともせずにアシリエルに向かってそう尋ねた。
「貴方……は――」

「ボクは伏羲(ふっき)。一応惑星神だよ」

 平然と自己紹介したのは、間違いなく、狭界伏魔殿(ふくまでん)にいるはずの時空神・伏羲(ふっき)だった。