「暇ですね」
「そうじゃな」

 海水(かいな)とレヴィアタンは暇そうに茶を飲んでいた。
 理由はやることがないからだ。

「こればかりはわしらには待つことしかできんからのぉ……」
「はい」

 ただ今クラウスがアーシェルトに特訓を受けている。
 手伝うことなど出来ない。
 むしろ恐れ多くて畏縮してしまうので足手まといにしかならない。
 なので少し離れた所で待っている。
「それにしても……」
「どうかしたか?」

「クラウスさんはどうして平気なんでしょう?」

 それはレヴィアタンも聞きたいところだ。
「なんとなく近寄りがたい雰囲気があるのに……」
 クラウスはものともしていなかった。
「精霊鳥だからですか?」
「いや……」
 レヴィアタンはそれに首を振った。

「恐らくそれは関係ない」

 そして思う。
 恐らく……まだ、隠された何かがあるのだ。

 クラウスには。

 精霊鳥であろうとも、根本的には変わらないはずだ。
 世界に出会って普段通りでいられるはずがない。

 だが、それを口にするのは憚られた。
 何も出来ないのに心配事を増やしたくない。
 海水(かいな)は他人のことを自分のことのように気にする。

 特に、死んだ護衛天使に似ていなくもない…………そして、何度も助けてくれた彼のことなら、尚更だ。

 だから言えない。
 口にして心労を増やす必要はない。
 これは、彼が受け止めなくてはならないことなのだから。

「それにしても……アスモデウスのヤツは一体どこまで行ったんじゃ」

 不自然でない程度に話題をかえる。
「あはは……」

 今、ここで紅茶を飲んで待ったりしているのは海水(かいな)とレヴィアタンの二人だけだ。
 アスモデウスの姿はここに無い。

 理由は簡単だ。

「いくら退屈じゃからというて……」
「暇つぶしに行っちゃいましたもんね」

 何をしているのかは知らないが。
 アスモデウスはクラウスの特訓が開始されてから三日で根を上げた。
 一緒に交じれればいいのだが、やはり気後れしてしまう。
 そのため、暇を持て余した。

 アスモデウスは基本的に何もせずにじっとしているのが苦手だ。

 常に何かしていないと気が済まない。
 昔から……魔王になる前からそうだった。
 むしろ魔王になってから書類整理に追われて身体を動かす暇は無くなった。
 だが、それはやることがあるからまだ良かったのだ。
 旅に出てからもそう。
 とりあえずやることはあった。

 だが、今はそれがない。

 道標としての役割をクラウスが果たす。
 彼が間違いなく、レッドベリルのいるところへ案内してくれるだろう。
 帰れば忙しいなどというレベルでは済まないだろうことは分かりきっている。
 だからこそ、休める時に休んでおけとレヴィアタンは言ったのだが――

 アスモデウスは嫌がった。

 そしてどこかへ行ったのだ。
 困ったものだとレヴィアタンは溜息を吐く。

「ただいま〜!!」

 そこに能天気な声が降ってくる。
 どうやら帰って来たようだ。
「今日は一体……いや、お主一体何をしておるのだ?」
 ここ最近姿を見せないアスモデウスを見て尋ねた。

 そう……この二人がアスモデウスの姿を見たのは実に三日ぶりだ。

 アスモデウスは三日も行方をくらましていたことになる。

「魔物退治」

 アスモデウスはどこに行っても相変わらずだった。
「はぁ――」
 溜息しか出ないレヴィアタン。
「主はどうして――」
 思わず小言が口を出る。

「今のうちに身体を動かしておかないと、後悔したくないしね」

 思わぬ言葉が出た。
「後悔? 何に?」

「無事に海水(かいな)の力を取り戻せたら、ディヴァイアに帰る。当たり前だけどね」
「そうですね」


「でも、そこが安全である保証なんてないから」


 アスモデウスは、あえて考えないようにしていた言葉を、発した。
「アスモ――」
 慌ててレヴィアタンが制止しようとする。
 だが、それに構うことなく続けた。
「魔族に壊された水の中枢制御システム。魔族の干渉がそれで終わっていれば、何も言わない。でも、おそらく……そんなはずはない」
 海水(かいな)が俯いた。
 手が、微かに震える。
「向こうにはバルがいる。手遅れにならないように采配してくれているだろう」
 それでも、安全である保証はない。
 楽観視は出来ないのだ。
 それを目の前に突き付けられた海水(かいな)は、黙り込んだ。

 何も言えない。
 言えなかった。

「だからある程度身体を慣らしておかなきゃ。魔族を叩き潰せるように、ね」
「……………………肩慣らしにはなったか?」
 微妙な顔をした。

「あんまり」

 弱すぎてアスモデウスの相手にならなかったのだろう。
 六創神(ろくそうしん)がいる世界にそんな強い魔物がいるとも思えない。
「まぁ……仕方ないんだけど…………」
 そうボヤキながらちらりと遠くを見た。

 クラウスとアーシェルトがいる方向だ。
「特訓はどうなったの?」

「あまり芳しくはないな」
「精霊鳥の姿には相変わらずなれないんですけど、ある程度は実体と精神体をコントロール出来るようになったみたいです」
「元々紋章術師としての才能が突出しておったからのぅ。飲み込みは悪くはないのじゃろう」
 でも、さすがにそう簡単に出来るほど甘くはない。

 ないの、だが――

「でも、なんか……二人が近づいて来てない?」
「そうじゃな」

 二人はまだ見えていないのにアーシェルトの気配を察知して二人の顔が微妙に強張った。
 そんな二人を見てますます疑問に思う。

 何故、クラウスだけ平然としていられるのか?

 そんなことを海水(かいな)が思っている間に二人の姿が見えてきた。
「今日の特訓は終わったの?」
 それを聞いたアーシェルトが微笑んだ。
「思っていた以上に彼は優秀だった。さすがは、といったところかな」
 その言葉に三人は反応した。
「じゃあ、まさか……」

「縁を辿ることだけは出来たよ」

「なんとたった二週間で!?」
 二週間前まで全く見えなかったものだ。
 それを認識するのは並大抵の努力では身につけられない。
 ましてやたった二週間でなど――

 天才などという一言では済まされない言葉だ。

 それを見ていたアーシェルトはそっと呟いた。
「彼は――――だから」
 それは誰の耳にも届かなかった。

「シェインエルの居場所だけはわかったよ。ただ、自力で……という意味ではまだ不完全だけれどね」

「それはどういう……?」
「アーシェルトに手伝ってもらった」
「急いでいるみたいだったからね」
「手伝うって?」
 どう手伝うというのか?
「クラウスはシェインエルの居場所だけはわかったんだ。ただ、辿れなかったけど」
 居場所が分かるようになっただけでも大進歩だ。
 この世界とは違う場所にいるモノの居場所がわかるなど……
「クラウスは術に詳しいみたいでね。自分が見た景色を僕に見せてくれた」
「時の……映像か」
 確かにそういう紋章術がある。
 クラウスはそれを使ったらしい。
「だから居場所がわかったんだよ」
 それで特訓が終了したらしい。
「でも……そんな不完全な状態で、良いの?」
 アーシェルトはクラウスを完全な精霊鳥にしたいように見えたのだが――

 違ったのだろうか?

「当たらずも遠からず…………といったところかな」
 ニッコリと微笑んだ。

「僕が逢いたいのは君であって君ではないから」

 何を言っているのかわからない。
「大丈夫だよ。僕が君を完全な状態にする必要はない。きっと、シェインエルやアウインに会ったら理解する。君が知りたかったことを――」
「俺が?」
「そして……君を君にするのは僕やあの二人ではなく…………レッドベリルなのだろうね」

「何を……――」

「行くといい……全てを知り、自らの存在が何を生むのか……何を為さなければならないのか…………君はそれを知り、進まなければならない。
 でもその時は、独りではないよ。君には心配してくれる仲間がいる。帰る場所もある。だから――」
 そっとクラウスの頬に触れた。


「行きなさい。白聖界……第七界(アラボト)へ」


 そこが二人の六創神(ろくそうしん)のいる場所。

「レッドベリルに辿りつくためにはまだ足りない。でも、君はそこで自分を知ることになる。それが君の力になる」

 背中を押された。

「前へ進んで真実を知り、そして選んで? 君がすべきことを――」

 何を為さなければならないのか?
 それは自然に分かる。
 伝える必要もない。
 理解し、行動に移すのは…………クラウスだ。

「大丈夫。真実は君に優しくないかもしれないけど、君の同胞(はらから)は君の味方だ」

 一体、誰のことを同胞(はらから)と呼んでいるのか?

 わからない。

 わからないことが多すぎる。

 でも……確実に迫ってきていた。


 真実が――


 クラウスは……自分の中にある能力が恐ろしいと感じた。
 それに縋らなければ前に進めないことも理解していた。
 だから、クラウスは何も問うことはなかった。
 先へ進むことを選んだ。

 何故なら……すぐに、分かってしまうことだからだ。

 真実を知るのは……怖いと思ってしまうのは……愚かなことなのだろうか?
 そう思っても、答えはでない。

 何も言えずにいる三人に、笑顔で道を指し示さなければ――

 それが、今できる最善だから……――