バサリ……

 大きな翼を広げて大地を蹴った。
 アスモデウスの巨体が飛翔する。
 その素早さにクラウスは頭を抱えたい気分になった。
 アスモデウスは見ての通り大きい。
 滅多なことでは外せないくらいの大きさだ。
 これで動きが鈍ければ外さない。
 外しようがないだろう。

 だが、アスモデウスは素早い。

 クラウスでは捕捉できない。
 狙っても避けられては意味がない。
 自分の身体能力の低さが恨めしかった。
 しかも、あの鱗では当たっても効くかどうかがわからない。
 クラウスの放つ紋章術は威力が高いが、今のアスモデウスに果たして効くだろうか?
 これが敵なら迷わず精神の紋章術を放つところだが、相手はアスモデウスだ。

 敵ではない。

 これが厄介なところだった。
 効くかわからないからといっていきなり威力の高い術を放つわけにはいかない。

 そして問題はそれだけではない。

 攻撃されるということだ。
 物理攻撃は……多分大丈夫だろう。
 威力が桁違いに高くなろうとも物理攻撃は物理攻撃だ。
 精霊鳥であるクラウスには効かない。
 問題は紋章術の方だ。
 苦手らしいが真の姿に戻ったのだ。
 威力は上がっている。
 先ほどのように叩き落とすような真似は間違いなく出来ない。
 防御をまず固めるべきだ。

 クラウスはそう判断したが、アスモデウスの方が速かった。

   ――煌めく星を手招く道化


 ランクEの彗星……遠距離多数直線貫通型攻撃術。
 本来は人一人分くらいの範囲しかなく、一直線上に標的が並んでいないと大人数を攻撃できない。
 実質、単数攻撃術。
 それが、本来のこの術の範囲である。
 だが、アスモデウスの放った術はそうではなかった。

 範囲が尋常でなく…………広い。

 それがアスモデウスの巨体によるせいだと理解する前にクラウスは反射的に動いた。
 今からでは避けることは出来ない。
 それでも、何もしないよりはマシだ。

 ドッカ――――――――ン!!!!!


 爆音が響き、土煙が舞った。
 アスモデウスはすぐに次の攻撃に移ろうとして、動きを止めた。
 土煙の合間から見えたクラウスが、無傷だったからだ。
 直撃したはずだ。
 あの距離で避けられるほどクラウスの反射神経と身体能力は高くはない。
 思わず目を凝らした。
 そして原因を悟った。

「なるほど……考えたな」

 クラウスは身に着けていたケープで防いでいた。
 あれはクラウスの精神力を封じる力を持っている。
 そのケープなら、術の威力を下げられるだろう。
 カルナに威力を増してもらったため、その効果は抜群だ。
 あの術を防ぎきるとは……カルナの優秀さに舌打ちしたくなった。

   ……  α μ τ ε ς η ο τ τ δ ε ξ ν α ξ ι ν ν ε ς ξ ο γ θ ο θ ξ ε ν ι γ θ ε ς τ ς α η τ ν α γ θ τ ε ι ξ ε ν α υ ε ς δ ε σ μ ι γ θ τ ε σ υ ξ δ δ α σ ε ς μ α υ β ε ξ β ε σ τ ι ν ν τ φ ο ξ ι θ ν ε ι ξ ε ς π ε ς σ ο ξ ξ α θ ø υ λ ο ν ν ε ξ

 アスモデウスが驚いている間にクラウスは結界を張った。
 時間は有限だ。
 一瞬たりとも無駄にできない。
   ――人を寄付(よせつ)けぬ神の願い


 アスモデウスの動きが一瞬でも止まったのはクラウスにとっては僥倖だった。
 思わぬ失態にアスモデウスは舌打ちした。
 そして気を引き締め直して攻撃を再開した。

   ――願いを呟く流浪(るろう)の旅人


 結界を張ったクラウスには届かない。
 結界の強度もかなり上がっているようだ。
 真の姿に戻ったアスモデウスの紋章術を完全防御するとは――

 アスモデウスは上位の術を使用することを決意した。
 攻撃に移ろうとし――

   ――愚者を(ほふ)る代弁者の鎌


 カウンターで紋章術を放って来た。
 アスモデウスの身体能力なら難なくかわせる。

   ――罪を滅ぼす執行者の鎌


 間髪いれずに二撃目が飛んで来た。
 しかも、アスモデウスが避けた先に――
 慌てて耐性を変えようとするが、間に合わない。
 直撃は避けたものの、下半身に入る。
 途端に身体が重くなった。
 威力が尋常ではない。

   ――星振り撒く無情の騎士


 しかし、タダでは転ばない。
 それがアスモデウス。
 広範囲に星が降り注ぐ。
 範囲が広すぎてかわすことは不可能。
 降り注ぐ星の雨がクラウスを襲う。
 本気で来るというのは本当のようだ。

 そして、殺す気で来いというのも本当のことだろう。

 生半可な攻撃ではアスモデウスに傷などつけられない。
 でも、頭のどこかで声が響く。

 精神は駄目だと――

 だから、使えなかった。
 使う気も、起きない。
 あれは、確実に息の根を止めるための術――
 修行で使うような術ではない。
 そんなこと、声を聞くまでもなく分かっている。

   ――無聊(ぶりょう)を嘆く星竜(せいりゅう)の惨禍


 無数に降り注ぐ星の雨がクラウスに襲いかかる。
 広範囲に星の雨を降らせるこの術の範囲外に出ていくのは正直、不可能だ。
 降り注ぐ星が結界を少しずつ破壊していく。
 アスモデウスの目的は恐らく結界を破壊することだろう。
 わかっていてもどうにもならないことはある。
 この術一つで、結界は完璧に破壊された。
 得意でない紋章術とはいえ、そこは魔王だ。
 威力も速さも段違い。
 これに本来得意な物理攻撃が加わればどうなるのか?

 考えるだけでも恐ろしい。

 もとよりクラウスは魔王に太刀打ちできるなどとは思っていない。
 魔王のことは話でしか聞いたことがないし、監視世界アービトレイアにいたわけでもないから実際の魔皇(まこう)族について知っていることは少ない。

 しかし、それでもわかっている。

 魔王と正面きって渡り合えるなどと思えるほどクラウスは楽観的でも驕ってもいなかった。

   ――神の呼声に応える箒星(ほうきぼし)


 防御は間に合わない。
 しかも、手数は多い。


 ぽたり。


 クラウスの腕から血が滴り落ちる。
 あれだけの攻撃を喰らっておきながらこの程度の怪我で済んでいる。
 それも服の術耐性が高いおかげだろう。
 そうでなければとっくに地面と仲良くしているはずだ。

   ――満月の夜に狂い嗤う狐


 防御しているだけではジリ貧だ。
 それに、修行にならない。
 こうして死にそうな思いをしながら戦っているのは一体何のためか?

 それを忘れてはいけない。

 だから、防御に専念するようでは駄目なのだ。
 クラウスは覚悟を決めた。











「はぁ……はぁ――」
 クラウスの息が上がる。
 それに比べてアスモデウスは全く変わらない。
 七大魔王最強というのは伊達ではない。
 時間をかければかけるほど不利になっていく。
 あれから術の攻防が続き、二人に怪我が増える。
 しかし、アスモデウスの怪我はたいしたことない。
 自然治癒能力が高いのだ。
 アスモデウスは。
 小さな怪我ならすぐに治ってしまう。
 そのせいか、アスモデウスは怪我など恐れず攻撃してくる。
 急所を確実に外しつつも、避けきれなければ気にしない。
 対するクラウスは防ぎきれずに怪我が増えていく。
 能力の差は明らかだった。
 それでも、クラウスがこの程度の怪我で済んでいるのは精霊鳥だから。
 そうでなければとっくに死んでいる。
 それほどの威力をもった術が飛んでくる。
 そしてアスモデウスも無傷では、ない。
 クラウスの術は先を読んで放たれる。
 どこに避けるか計算しつくされているのだ。
 アスモデウスには真似できない。
 これが経験からくるものではないのが恐ろしい。
 これに経験が積み重なったら一体、どうなるのか?

 そんなこと、考えるまでもない。

 それでも、クラウスは追い詰められていく。
 高位の紋章術を連発したせいで精神力は削られていく。
 それはアスモデウスも同じだが、アスモデウスは主属性で攻撃している。
 精神力の消費量が違う。
 長い年月を生きてきたアスモデウスとは精神力の量が違う。

 疲れてきていた。

 それに伴い、動きが鈍くなる。


 眩暈が――――した。


 それが致命的に、なった。





 高く鮮血が舞った。





 マトモに、入った。
「ごぼっ――」
 口から大量に吐血する。
 内臓がやられた。

 集中力が途切れる。

 生命の紋章術が使えないため、怪我を治せない。

 それは……

 敗北を意味していた。

   ――星を砕く怒れる神の(こえ)



 それでも、アスモデウスは攻撃をやめなかった。

 まだ、目的は達していない。
 それまで、やめるわけにはいかない。

 限界まで、追い詰める。
 それが、アスモデウスが出来ること――



   ――倒れるわけにはいかない。




   ――まだ、限界を超えていないのに……




 だが、クラウスの意識はそこで――――――――途絶えた。