何も無い場所――
見覚えはあるようで、ない。
ああそうだ。
でも、似ているだけだ。
何も無いところが似ている。
ただ、それだけ。
あの場所は暗闇で悍ましい場所だったが、ここは違う。
真っ白な空間だった。
どこまで行っても何も、ない。
そこに、ただ存在した。
どうすればいいのかなんて……わからない。
なぜ、ここにいるのかも……
「随分深いところまで落ちて来たね」
後ろから突然声がした。
反射的に後ろを向くと――
浮世離れした雰囲気の青年が佇んでいた。
一体、いつから?
それほど、彼に気配はない。
「だ――」
誰だと問おうとして、気付く。
それが誰であるのか。
「何故、ここにいるんだい?」
「な……ぜ――?」
そう言われ、気付く。
自分は今まで一体何をしていた?
混乱しているのを見越している青年は、告げた。
「ここは僕の領域。ここまで来てはいけないよ」
静かに、だが、しっかりと――
「君はここに来るには早すぎる」
「早い?」
「戻れなくなるよ?」
「戻れなく――」
「思い出して、そうしないと、手遅れになる」
言われるままに思考する。
今まで、何をしていたのかを――
そして、気付く――
「そうだ……俺は、アスモデウスと戦って――」
負けたのだ。
そう……意識が途絶えた。
ああ、だから――
「君の理解した通り、ここは深層世界」
「だから……」
「そう。僕が存在している」
紫色の髪に、金色の瞳をし、白と青を基調とした服を着ている彼は、間違いなく、オルクス=マナだった。
「僕の存在は一度途切れた。でも、僕は世界から完全に消えるには大きすぎる力だった。だから、消えずにここに、いる」
そっと胸に手を当てられた。
「気付いて」
「何を?」
「理解しているでしょう? ここに長居しすぎると、君は君でなくなる」
「貴方に、変わる」
「そう。だから、ここから帰らなければ」
自分が自分であるうちに。
「でも――」
帰り方がわからない。
どうやってここに来たかもわからないというのに――
「帰れるよ」
彼は優しく微笑んだ。
「君は帰れる」
何を理由にそう告げるのか?
「だって、ほら――」
彼は背中を指した。
背中に生えているのは、紫色の翼だ。
確認しなくてもわかっている。
「これで、帰れる?」
改めて彼を見ると――
姿が変化していた。
背中から生えているのは二対の紫色の翼――
そして耳が翼と同じ紫色の羽になっている。
同じ?
慌てて背中を確かめる。
あった。
あるのは当たり前だ。
自分は翼をしまえない。
理由は、恐らく、彼がいるからだ。
力が大きすぎて隠しきれない。
いや、それは今はいい。
増えていた。翼が――
彼と同じ、四つの翼。
「君は帰れる。それに、君はもう気付いている。だから、大丈夫だよ」
そう言って背中を押された。
「マ――」
「君は僕だけど、僕ではない。でも、同じなんだよ」
何を言っているのか理解できない。
だが、戻らなければならない。
まだ……ここで彼に全てを明け渡すには…………未練が多すぎる。
倒れて動かないクラウスを見てアスモデウスは溜息をついた。
「…………やり過ぎた」
加減が出来なかったために適度に追い詰めることが出来ない。
そのせいで、失敗した。
自分の至らなさに溜息が出る。
また日を改めるしかないだろう。
クラウスは酷い怪我をしている。
とりあえず人型に戻っ――
バッとクラウスを見た。
変わらなく、見える。
だが、そう見えるだけだ。
アスモデウスは全力でクラウスから離れた。
巻き込まれたら、無事で済む気が全くしない。
その異変は遠くで見守っていた彼らにも伝わった。
わからないのは
「目覚める?」
徒ならぬ気配を感じた。
「これは……まさか――」
「成功したようね」
シェインエルの声が聞こえたと思う間もなく、視界が真っ白に染まった。
光が治まった時、そこにいたのは――
壮大にして荘厳……そしてとても美しい紫色の鳥だった……
無事に避難したアスモデウスは目を奪われた。
想像以上の美しさだった。
ぼうっと見つめていると、ぱちりと瞬きした。
生きているのだから当然だ。
そして目が合う。
「え?」
驚きの声を上げたのはクラウスだ。
そして確認するように自分を見る。
「えぇえええええ!!!!」
悲鳴が大音量で響いた。
アスモデウスは近かったためダメージが大きかった。
「ようするに、自分でこの姿になったことに気がつかなかったと?」
「うん」
修業はなんとか成功したのでアスモデウスは人型に戻った。
そして皆で集まったのだが、クラウスは鳥のままだ。
そのため、上から頭を下げて話をしている。
「帰ってくる時は確かに人の姿だった」
「帰ってくる?」
「深層世界から」
「それって、深層意識のこと?」
「似てるけど、少し違う」
「なんで?」
「俺の中には別の人が住んでるから」
それに反応したのはアウインとシェインエルだった。
「まさか、マナに!?」
クラウスはゆっくりと頷いた。
「変わった人だった」
自分の前世に対してあんまりな評価の仕方だが、他に言いようがないのだから仕方がない。
それを聞いた二人はしかたがないと笑った。
「しかたがないわ」
「理解できないのが普通よ」
どんな人物だったのか、アスモデウス達は物凄く気になった。
「それで、何か言っていた?」
それに首を振って答える。
「自分が自分であるうちに、帰れと――」
「そう……」
がっかりだった。
でも、マナらしいと諦める。
「ごめんね」
唐突にアスモデウスは謝った。
「アスモデウス?」
いきなり謝られても理解できない。
「酷い怪我をさせたから……――」
「怪我――」
言われて気付いた。
確かに酷い怪我をしたはずだ。
痛いはず――
「痛くない」
「え?」
確かに、見る限り、怪我はしていない。
これは一体どういうことか?
「マナは怪我をしてもすぐに治ったわ」
「あなたがマナの力を使えるのなら当然です」
「へ、へぇ……」
それは便利だ。
「え、じゃあ僕もう勝てないじゃん」
さっきので十分手古摺ったのに、物理攻撃を完全回避。精神力が高いから紋章術の効きも悪い。その上、怪我の治りが尋常じゃなく早い…………となれば、勝てる要素が見つからない。
「グラキエースのような精神系だったらまだ少しはどうにかなったかもしれないがのぅ」
レヴィアタンの容赦のない言葉が突き刺さった。
「フォローはなし?」
「事実じゃろう」
「うぐっ――」
自分でも認めたことだ。
他人に言われるとさらに傷口が広がる感じだった。
「ところで――」
今まで黙っていた
「人の姿に戻らないんですか?」
実はさっきから気になっていたことだ。
この姿は確かに凄いが、会話をするのに向いていない。
話しづらい以外の何ものでもない。
その問いに、クラウスは黙り込んだ。
「クラウス?」
「どうやって人型に?」
戻り方がわからない。
これにはさすがのレヴィアタンも絶句した。
「えっと……普通わかる…………よねぇ?」
アスモデウスに話しかけられたレヴィアタンも頷いた。
「う、うむ。普通はわかるが――」
そう、普通なら。
しかし、クラウスは普通に当てはまらないということを二人は思い出した。
「いいじゃない。どうせすぐにレッドベリルを探さないといけないんだから」
言われて本来の目的を思い出した。
クラウスはアウインを見つめ、そして探し始める。
見つけなければならない。
そうでなければ怪我までし、そしてマナに帰された意味がない。
しばらく集中していたクラウスだが――
「見つけた」
「ホントか?」
「間違いない」
だって、懐かしいからとクラウスは告げる。
それを聞いたアウインとシェインエルは微妙な顔をした。
それは間違いなく、彼の中にいるマナの思考だろう。
「お行きなさい。お兄様は、きっとあなたを待っています」
「それに、立ち止ってる暇なんてないんでしょ?」
確かにその通りだ。
「三人とも、背中に」
三人は言われるまま首の側に座る。
あまり後ろに座ると落ちそうだからだ。
三人が背中に乗ったのを確認したクラウスは結界を張った。
「しっかり掴まっていろ」
四枚の翼を大きく広げた。
そして舞い上がる。
目的地は、もうすぐそこだった。