空間を移動して辿り着いた先は、漆黒をまとった夜だった。
「夜……?」
 だが、少々違和感を感じる。

「いや、ここはいつでも夜じゃ」

 それを聞いてハッとする。
「じゃあ、ここは――」

「そう。ここは監視世界アービトレイア」

「その冥界じゃな」
 暗さに目が慣れてくると眼下には街並みが広がっていることが分かる。
「えっと……ここは?」
「僕の城だよ」
「え?」
 驚いて辺りを見回した。
 よくよく見ると側にあるのは手すりだ。背後には窓。
 部屋のバルコニーだろう。
「ここは冥界にある暗影国ルインコンティネンスの一つじゃ。冥界の魔王の居城のある寂滅都市アスフォデル。それが眼下に広がる街の名前……そしてここが、無窮魔殿アスフォデルの、アスモデウスの部屋の前……じゃな?」
「うん。そう」
 なるほど。後ろにあるのはアスモデウスの部屋なのだ。
 暗闇がずっと広がっている。
 海水(かいな)の暮らす神界とは全く別物のようだった。

「ところで、何故にアービトレイアなのじゃ?」

 それを問われたアスモデウスは苦笑いをした。
「う〜ん……それがさ。僕ってよく考えたらディヴァイアの座標ってよく知らないんだよね」
「ああ、そうか」
「あれ? じゃあどうやってディヴァイアに来たんですか?」
「僕は冥王だから閉じた冥界の扉を通り抜けられるからね。すり抜けして来たんだよ」
 だからよく考えてみたら座標が特定できなかった。
 そういうことだろう。
「でも、それではディヴァイアにすんなり帰れんじゃろう」
 それにアスモデウスは首を振った。
「それはないよ」
「何?」
 アスモデウスは冥界の扉の有る方向を見て言った。

「冥界の扉、もう開いてるもん」

 それを聞いたレヴィアタンの顔色が変わった。
「――それは……バール=ゼブルが、開いた、と?」
 アスモデウスは頷いた。
「僕以外であの門の封印を外せるのはレヴィとバルだけ」
 無論一緒にいたレヴィアタンに開けられるはずがない。
 ……よって、バール=ゼブルが開いたということだ。
「あれを開門しなければならないことが起こったと? そういうことか!?」
 それを聞いた海水(かいな)は何故、レヴィアタンの顔色が変わったのか理解した。

「その通りでございます」

 反射的に背後を見ると、アスモデウスの部屋の窓がいつの間にか開いており、きっちりと服を着こなした一人の男が立っていた。
「エテム」
「お帰りなさいませ。アスモデウス様」
 丁寧にお辞儀をした。
「お主は確かアスモデウスの秘書官の……」
「はい。エテム=ルドベキア、と申します」
 階級は勿論マリードだが、基本的に魔王の側近は全員マリードなので略しても問題はない。
「一体何が――」

「只今第一会議室にて、バール=ゼブル様、グラギエース様、アシリエル様、グリンフィール殿が会議をしていらっしゃいます」

「あれ? ベリとベヒは?」
 魔王会議なのかとも思ったが、人数が足りない。
「歩きながらご説明させていただきます」
「頼む」
 現状何が起こっているのかさっぱり分からないが、取り敢えず第一会議室に移動することになった。




 現状の説明を手短にされた後、第一会議室に着いた。
「たっだいまー!」
 開口一番そう叫んだ。
「長い道のりを時間がかかりながらも任務を無事に終え帰還しましたー!」
「案外早かったな」
「そうですね。もっと遅く帰ってくるかと思っていたのですが」
「早く帰ってこれたのにも理由があるがのぅ」
 入り口で止まったアスモデウスを押して部屋の中に入るレヴィアタン。
 それに続く海水(かいな)
 そしてそれ以上人が入ってこないのを見て訝しむ。
「あの青年はどうしました?」
 それは間違いなくクラウスの事だろう。
 アシリエルとグリンフィールは直接会って知っている。
 不思議に思うのも無理はない。
「実はさー」
 長い話になりそうだった。




 アスモデウスとレヴィアタンの語った事実に驚きを隠せない一同。
「なるほど……オルクス=マナ様が復活したという話を敵がしていたという話でしたが、あの魔皇(まこう)族の青年が生まれ変わりだったということですか――」
「……それで、今は休養中と」
「うん」
「なるほど。では貴公らも真王(しんおう)復活については知っていたか」
 暗い表情で答えた。
「聞いたよ。レッドベリル様に、ね」
「そうか……」

「ディヴァイアは……ディヴァイアは無事ですか?」

 一番、気になっていたことだ。
「今のところは、な」
 今のところ――
「だが、貴公をこのままディヴァイアに帰すわけにはいかん」
「え?」
 海水(かいな)は驚いてバール=ゼブルを見た。
「今のディヴァイアは少々危険だ」
「どの位?」
「〈ミチ〉があるという話はもうエテムから聞いたか?」
「はい」
「その〈ミチ〉は一度魔王総出で封じたんだが……」
真王(しんおう)の側近に破られた挙げ句大幅にその〈ミチ〉を広げられた」
「そこから魔族が大量に出てくるようになったんです」
真王(しんおう)が復活したという話だから魔族の動きが活発化しているのかもしれないな」
「〈ミチ〉でベリアルとベヒモス、そしてアスモデウスの部下が魔族退治に奔走している」
 そんな危険な場所に帰すわけにはいかないという。
「戻るとなれば警護が必要じゃな」
「でも――」
 さすがにずっとイセリアルに行っていたアスモデウスとレヴィアタンが警護するわけにはいかない。
 二人はいなかった間の業務の確認やら今起こっている問題の解決やら書類整理など、やらなければならないことが山積みである。
 ベリアルとベヒモスは〈ミチ〉のことで手いっぱい。
 それにあの二人は魔王ではあるが若いため少々不安が残る。
 それ以外で一番頼りになるのはバール=ゼブルなのだが――
 バール=ゼブルも深淵という爆弾を抱えているためずっと留守にするわけにもいかない。
「でも、少しだけ――」
「危険です」
 キッパリとグリンフィールに窘められる。
「グレシネークからの連絡によると、捌き切れなくなってきているとのこと。今戻るのは推奨できません」
「そんなに増えてるわけ?」
 嫌そうな表情をするアスモデウス。

「エテム」

 アスモデウスは後に佇んでいたエテムに声をかけた。
 するとスラスラとエテムは話し始めた。
「現在、アスモデウス様の近衛部隊五千が冥界の門の警護をしております。警務部隊第一から第六まではディヴァイアに散会し、魔族魔物の討伐の人に当たっています。第七から第二十までは〈ミチ〉で魔族の討伐を行っております」
 近衛部隊を動かすことは出来ない。
 冥界の門は開いてはいるが、近衛部隊で行き来を遮断しているのだ。
 下手に行き来が出来るように人数を減らすわけにはいかない。
 警務部隊は一部隊五百人……ディヴァイアに散会しているのは三千人。
 〈ミチ〉の見張り……戦闘を行っているのが七千人。
「第一から第二十の精鋭部隊は全員出払ってるか……となると後は第二十一から第四十までだけと――」
「第二十一からは一部隊二百人ですが、それほど能力があるわけではありません」
「だよね。それに彼らを全員この城から出すわけにはいかないし――」
 そこで気付く。

「ねぇ……ディヴァイアにいるのって……僕の部下だけ?」

 霊界、幽界、死界、深淵界からは無理だが魔界からはどうだ?
 それを聞いたバール=ゼブルが渋い顔をした。
「ベリアルだからな」
 それを聞いたアスモデウスは沈みこんだ。
「なるほど。アスモデウスのように対策練ったわけではないから扱いずらい部隊しかおらんと」
「オレも一度見て来たが、あれをディヴァイアに放つのは――」
 グラキエースも難色を示した。

「……使えない」

 舌打ちと共にそう零した。
 ようするにこれ以上危険度を下げることは出来なさそうだ。
 ということはこのまま海水(かいな)を行かせるわけにはいかない。
 そして何やら頭を悩ませていたアスモデウスだが、ふと懐から二つの道具を取り出した。
 クラウスからもらった源世羅針盤(ツィーケル=ヴェルト)次元調停杖(アオスマーズ=シュリヒトゥング=ケレ)だ。
「カイ。これ持ってて」
「え?」
 アスモデウスは二つの道具を海水(かいな)に渡した。
「あの……」

「これは精神を司るマナ様の力がこもってる。願えば、おそらく届く」

 何が? とは言わなかった。
 何の事を言っているのか分かったからだ。
 水の力……この二つの道具で送れるかもしれない。
 遠くにいても、思いは伝わる。
 願いは伝わる。

 見えないけれど、大きな力――

 思い浮かぶのは、クラウスの姿――
 マナのことは知らないため、思い浮かべることは出来ない。
 でも、彼なら…………

「信じられる」

 瞳を閉じて願った。
 水の力が、ディヴァイアを満たすように――



「それで、彼は誰が預かるんですか?」
 確かに、魔王の誰かが面倒を見た方が良いだろう。
 安全のためには。
「僕は無理」
「わしも無理じゃな」
 言われなくてもわかる。
 この二人は仕事が山積み。
 とても面倒を見れるような状況ではなかろう。

「我が見よう」

 そこで名乗りを上げたのがバール=ゼブル。
「バルなら安心だね」
「確かに」
 アスモデウスとレヴィアタンの二人に頼りにされるならばとても凄い人物なのだろうと海水(かいな)は思った。
「それは――」
「問題ないですね」
 残りの魔王たちも頷いた。
「お強いんですね」
 それを聞いた魔王たちは本人を除いて、

『それはもう』

 ――全員がハモった。
 それを聞いた海水(かいな)は安心して頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「うむ。任せろ」
 バール=ゼブルは自信満々に答えた。